「宇治茶の歴史・文化・わざ」第1回 【歴史篇】を龍大で開催 !

 5月8日(土)、龍谷大学エクステンションセンター(REC)主催で、「宇治茶の歴史・文化・わざ」の第1回「歴史篇」を開催いたしました。会場は、龍大深草キャンパスです。
 うちの研究室は、この講座全体をコーディネートさせていただいております。

 この宇治茶講座は、龍大RECとしても初めての取り組みです。
 記念すべき第1回目は、橋本素子先生 (京都造形芸術大学非常勤講師)によるご講義「宇治茶の歴史を学ぶ」です。
 日本中世史(喫茶文化史)がご専門の橋本先生には、今回の講座全体の「たて糸」の役割をつとめていただきます。


 経済学部の私たちは、宇治茶の歴史を学び始めてまだまだ日が浅いのですが、先生のお名前は、鈴木康久・西野由記編『京都宇治川探訪』(人文書院、2007年)や、神津朝夫『茶の湯の歴史』(角川選書、2009年)などを読んでいく中で知りました。
 また、南山城村 茶ECOプロジェクトの方々も「興味深いお話なのでぜひ!」ということでしたので、今回のリレー講座のトップバッターをお願いした次第であります。

 まず、橋本先生は、講義の冒頭で、『喫茶養生記』で有名な栄西が持ち帰った抹茶と、現代の抹茶との相違から説き起こしていきます。
 「宇治で誕生した抹茶は、これまで鎌倉時代初期に栄西が宋から持ち帰ったお茶だと説明されてきましたが、栄西が持ち帰ったこのお茶は、栽培法がちがいます。現代の抹茶は、覆下茶園で栽培されていますが、栄西の頃には、露地茶園で栽培されていました。」

 橋本先生の中心的メッセージは(聞き手の勝手な解釈と用語法が混じってしまいますが)、
 まず第1に、宇治茶の歴史は、従来、「消費中心」史観にもとづいて語られてきたが、栽培法をはじめとする生産イノベーションの視点が大切で、「創意工夫の歴史」であること、
 第2に、京都南部の山城地域は、下の表のように、「日本茶の故郷」だといっても過言ではないこと。
    [茶園]     [誕生地と時代]
抹茶:  覆下茶園   戦国時代の宇治
煎茶:  露地茶園   江戸中期の宇治田原
玉露:  覆下茶園   江戸末期の宇治・小倉


 講義概要は、下記のとおりです。

はじめに
 1.概要
 2.「お茶」とは何か
  (1)酸化発酵度によるお茶の3分類: ゆがく/炒る/蒸す
  (2)茶園の種類: 覆下茶園と露地茶園
  (3)テアニンとカテキン


Ⅰ中世のお茶
 1.日本のお茶の歴史: 煮出す+溶かす+淹し出す
 2. 中世のお茶とは? ----基本的には、露地茶園の茶葉


Ⅱ.宇治茶の成長
 1.宇治茶の成長
 2.初期ブランドの登
 3.宇治茶を真似するものたち
 4.宇治茶の大改革
  (1)土地の集積
  (2)宇治茶ブランドを守る
  (3)栽培法の改良=覆下茶園の登場
  (4)茶臼の改良=平滑周縁型の登場
  (5)「宇治茶師」の活躍


Ⅲ.近世の宇治 煎茶と玉露の誕生
 1. 煎茶の発明
 2. 玉露の誕生


終りに
宇治茶の生産の歴史は、創意工夫の歴史である。
宇治茶とは「京もの」である。



 たくさんの史料を駆使してのご講義でしたが、私自身が最も深く印象に残っている史料は、「Ⅱ-4.宇治茶の大改革 (3)栽培法の改良=覆下茶園の登場」に関する、ポルトガル人宣教師ジョアン=ロドリゲス日本教会史』です。
 ロドリゲスは、覆下茶園の様子を歴史上最初に記した人物だそうです。
 先生のレジュメから転載させていただくと、
 「そして使用に供される新芽は、非常に柔らかく、繊細で、極度に滑らかで、霜にあえばしぼみやすく、害をこうむるので、主要な栽培地である宇治の広邑では、この茶の作られる茶園なり畑なりで、その上に棚をつくり、葦か藁かの蓆で全部を囲い、二月から新芽の出はじめる頃まで、すなわち三月の末まで霜にあって害を受けることのないようにする。」
 
 当時、「宇治茶師」や生産者たちは、単に霜よけ効果にとどまらず、覆下茶園によって、うま味成分を多く含む茶葉が栽培できることを知っていたのでしょうか。

 橋本先生のご講義はこの問題を真正面から究明しようというもので、ワクワク、ドキドキしながら聴かせていただきました! 上の写真は、「茶臼の改良=平滑周縁型の登場」を説明されているシーンです。