陸前高田市の仮設住宅で「お茶っこサロン」を開催

 9月7日(水)から10日(土)、3回生19名+教員1名で、岩手県陸前高田市においてゼミ合宿を行いました。
 今回の合宿のメインの活動は、
 (1) 陸前高田市仮設住宅で「お茶っこサロン」を開催し、美味しい宇治茶とお菓子、落語で被災者の皆さんに「ほっこり」とした時間を過ごしもらうこと、
 (2) 気仙茶の茶畑で、農家さんと一緒に剪定作業をしながら、気仙茶の過去・現在・未来の聞き取りをすること、
です。


 7日16時30分、バスが龍大深草キャンパスに到着。


 お茶っこサロンに使う机3台、ちゃぶ台1つ、イス10脚、座布団と赤もうせん、宇治茶30キロ、和菓子、急須4個、湯沸しポット3台、バケツ、ザル、クーラーボックス、紙コップ、水、ポスター、のぼりなど、畑作業に使う剪定鋏、レーキ(熊手)、熱中症対策スプレーなどを運び込みます。
 
 お茶っこサロンに使う道具です。
 17時、いざ出発です。まずは花巻のホテルに向かいます
 
 京都南IC〜名神北陸道〜磐越道〜東北道〜花巻ICで、走行距離は、ざっと1000キロです!! 運転手さんもツーマン走行体制で、2時間半おきに交代して運転します。
 私たちも、ほぼ2時間半おきにサービス・エリアでトイレ休憩します。

 日付が変わって翌8日の朝6時すぎに花巻のホテルに到着。約14時間の道のりでした。
 ホテルの近くのコンビニで、サロンに使う物資や昼食を調達した後、現地の岩手県交通のバスに乗り換え、荷物も積み替えです。
 7時に花巻を出発しました。

 2時間かけて、70キロ離れた陸前高田の高田第一中学校に向かいます。
 

 遠野市宮守の「めがね橋」です。
 宮澤賢治銀河鉄道の夜』のモチーフとなった?橋です。
 説明板を転載すると、
 「岩手軽便鉄道(現JR釜石線)は、大正4年11月に花巻・仙人峠間を狭軌鉄道として開通し、その後、鉄道省の所有となる。昭和18年に改修された達曽部川橋梁「岩根橋」・宮守川橋梁「めがね橋」は、宮澤賢治の童話「銀河鉄道の夜」の原風景を連想させ、宮守村のシンボル的な景観として親しまれている。平成14年11月2日土木学会選奨土木遺産の認定を受けた「めがね橋」は、鉄筋コンクリート充腹5径間アーチ橋の径間に調和した設計であり、当時の鉄道土木技術の高さを示すものである。」






 住田町をすぎて陸前高田市にはいると、このような光景が続きます。


 向こうに見えているのが、「高田の一本松」です。
 新聞やTVで見る姿とはだいぶ違います。

 ガレキ置き場です。


 竹駒町に設置されたスーパーマーケット「マイヤ(本部は大船渡市)」の仮設店舗です。約1か月前にオープンしたそうです。


 マイヤ高田店は津波で壊滅的な被害を受けました。上の写真は、5月4日の訪問時に撮影したものです。


 マイヤの仮設店舗の敷地内には、さいとう製菓の店舗もあります。
 がんばれ「かもめの玉子」!


 午前10時すぎに、ようやく、高田第一中学校のグランドに建てられた「鳴石仮設団地」(高田町)に到着。
 前日の夕方5時に京都を出発しましたので、約17時間の道のりでした!


 仮設住宅は、高田一中のグランド内にあります。
 8月12日まで、一中の体育館は避難所になっていました。
 私たちが到着した時は、休み時間中で、2階の校舎の窓から「どこからいらしたんですか?」と話しかけられました。


 駐車場の敷地内には、岩手県医師会「高田診療所」があります。
 この日は、15時から診療がありました。


 鳴石仮設団地では、約150世帯が生活をされています。
 まず、自治会長の神田さん、区長の金さん、NPO法人 地域づくりサポートネット(静岡)の栗村さんにご挨拶をします。
 自治会長さんいわく、「仮設住宅への入居が抽選で決められ入居時期がまちまちで、様々な町からここに入居されている方が多い。一人ぐらしの人も大勢いる。まずは近隣同士で親睦を深め、自治会づくりをしていくことが課題」とのことです。
 また、栗村さんは、「集会所でまとまった行事をしたことがない。今回のような企画は珍しいし、住民もまだ慣れてないから、来づらいのかもしれません。でも、がんばって呼びかけて!」と激励してくれました。
 

 駐車場でバスをとめ、荷物を降ろし、ユニホームに着替え、名札をつけ、会場設営とPRを開始します!
 仮設団地に「よそ者」が入り込むことに対しては賛否両論ありますので、自治会長さんの許可とアドバイスをいただき、仮設住宅の敷地内を巡回してPRします。
 お年寄りの方が多い棟を中心に呼びかけました。


気仙市民復興連絡会地域づくりサポートネット(静岡)の栗村さんの事前周知のおかげで、皆さんすぐに「知ってるよ〜」「行くよ〜」と応えてくださいました。
 感激でした !



 ポスターはこんな感じです。


 気仙茶班・お茶っこサロン統括のKくんです。
 サロンの会場は仮設住宅の集会場です。


 龍大のノボリも掲げます。

 集会場では、少しずつですが、いろいろな催しが行われ始めています。


 市の社会福祉協議会が主催する「お茶っこ飲みの会」のお知らせです。


 集会場の小会議室では、緊急雇用者登録支援事業の一環で、相談業務が行われていました。若い方が相談に訪れることが多いそうです。
 
 相談の担当者は地元・高田高校出身の方でした。

 ちなみに、写真の左側の「グランマのクリスマスオーナメント」とは、チームともだちがすめている女性雇用支援のためのプロジェクトです。




 集会場の中です。20畳くらいの大きさです。
 ゾウキンがけから始まり、あーでもない・こーでもないと、机・イス・高座・座布団のレイアウトを考え、1時間かけて設営が完了しました!

 やる気満々の「お茶っこ」隊。

 お茶のラインナップは、
 龍谷大学オリジナル宇治茶(抹茶入り煎茶)「雫」、
 南山城村の木野製茶園からご提供いただいた「煎茶」と「ほうじ茶」。
 この日は暑かったので、煎茶は冷茶でも味わっていただきます。
 冷茶については、この1か月間、何度も何度も実験を重ねた結果、前日から大量に作り置きする方法ではなく、一煎一煎、急須内で茶葉を70度のお湯で浸し葉を開かせ、その後ブロック氷で冷却するという贅沢な方法で淹れることにしました。
 せっかくの宇治茶ですので、飲用時品質を重視し、丁寧に淹れます !
 「こ、氷が足りないぞ....(汗)」
 「ほら〜だから言ったのに〜」
 マイヤの仮設店舗へ走ります。


お菓子は、京都在住の日本中世史(喫茶文化史)の研究者・橋本素子先生と、「自家製茶」の研究者で日本茶インストラクターの伊藤明子さんからご提供いただきました !


 京都・西陣「千本玉壽軒」さんのお干菓子です。
 橋本先生が懐紙ももたせてくれました。


 そして、「仮設住宅の皆さんに、美味しい宇治茶を飲んでいただきたい」と、京都府茶協同組合さんが今回の「お茶っこサロン」のために、宇治茶をなんと25キロも提供してくださいました !!
 このお茶は、京都府茶協同組合が東北支援のために京都の茶農家・茶商さんから集めたお茶です。「集めた」と言っても、けっして「寄せ集め」ではなく、産地も等級もちゃんとそろっています。価格をお伝えすることができませんが、間違いなく「高級宇治茶」です!
 サロンに来てくださった方々に「お土産」として、好きなだけお持ち帰りいただきます。

 小分けにするアルミ袋(200グラム入×200人分)、乾燥剤、『宇治茶の淹れ方パンフレット』も、協同組合さんに提供していただきました。

 設営後、気仙茶班の茶畑担当は、11時30分に、バスで畑に向かいました(詳細は後日報告します)。


 午後1時、いよいよ「お茶っこサロン」の始まりです !

 
 まずは、伊達ゼミ・気仙茶班のメンバーであり、かつ龍谷大学落語研究会会長の 江戸川黄tが落語を披露します。
 演目は、「金明竹津軽弁バージョン〜」です!

 京都のお茶とお菓子で落語を楽しんでいただきます。


 最初は、少し硬かった皆さんも、


 だんだん緊張がほぐれてきて、


 やがて、笑いの渦の中に包まれていきます。


 落語のチカラはスゴイ、と実感しました。

 二つ目の演目は「寿限無」でした。

 終了後、自治会長さんから、
 「しっかり落語やってくれてありがとう。普段こうやって笑う場が無いから、今日は大いに笑ってリラックスできたと思う」とのお言葉をいただきました。


 落語のおかげで、お茶もすすみ、


 話もはずみます !




もちろん、「おかわり自由」なので、



 お茶淹れ隊は大忙しです!



 仮設住宅を巡回中の社協の生活支援相談員さんもお越しくださいました。
 「仮設住宅では、自治会づくりや交流会開催など、今回のような企画がとても求められています」とおっしゃっていました。

 


 「サインして」とせがまれる江戸川黄t !


 

 「私も お願いっ」
 この方は、チャリティ・コンサートで陸前高田を訪問した有名人のサインをたくさんお持ちでした。
 女性はタクマシイ、と思いました。


 「お名前は?」と、すっかりスター気取りの黄t。


 記念撮影です。

 お土産の宇治茶を準備しています。
 伊藤さんからご提供いただいた「煎茶ティーバッグ」は、お土産袋の中に入れます!



 「あ〜楽しかった」
 「こんなに笑ったのは久しぶり」
と言っていただけました!



 参加していただいた方々全員に声をかけます。



 どうもありがとうございました !


 陸前高田のお姉様方にモテモテの江戸川黄t ! 記念撮影です。

 東北の方々の前で初めて披露した「津軽弁」。
 最後まで、「津軽弁」の出来具合や受け止められ方がとても気になっていましたが、以前、青森に住んでいらっしゃった方から、
 「あの落語は青森弁でしょ?数年前に青森に住んでたかわかるのよー。なかなか達者ねー」
と褒められました。えへん!


 最後までお見送りします。


 皆さん、ご自宅に戻っていきます。


 今回、渡しきれなかった宇治茶については、自治会長さんが
「明日、明後日の催し物の時に参加の皆さんにお渡しします」
と言ってくださいました。
 全部、小分けにしておきます。



 後片付け、開始。




 来たときよりもキレイに!






 大学管理課のご厚意で提供いただいた不用品の机・イス、そして大学職員Nさんが個人的に寄付してくださった「ちゃぶ台」の行き先について、自治会長さんと相談させていただいたところ、
 「自治会としても、今、足の短い机を注文しているが、住民同士の親睦会に使えるので、当自治会で有効活用させていただきます! ちゃぶ台は住民の飲み会に使います(笑)」
と言ってくださいました。


 仮設住宅のワンコ !

 午後4時半、気仙茶班も畑からバスで戻ってきたので、地域づくりサポートネットの栗村さんと記念撮影です。後列の左端は、岩手県交通の運転手さんです。
 大変お世話になりました!


 出発の時、栗村さんから「研究材料にしてください」と、DVDをいただきました!
 さいとう製菓の斉藤賢治さん他が撮影されたもので、ノーカット版(収録時間26分)です。
 こちらでも購入できます。
 しっかり関西で広めたいと思います。

 栗村さんは、大船渡市の出身の方で、静岡県のNPO法人地域づくりサポートネットの現地雇用スタッフとして活動されています。
 静岡と京都、同じお茶どころ。
 今後も何か、お茶に関連した取り組みを一緒にできたらいいですね。

 

 以下は、感想です。
 「今回のお茶っこサロンは、人が集まるかが大きな不安でした。まず、お茶会のニーズがあるのかということ。そして、不自由な生活を強いられている中、お茶っこサロンどころではない方も多数いらっしゃるということ。
 そうした環境下で、30〜40人もの方が参加してくださったことは、結果としては『成功』と呼べるのではないでしょうか。
 私は、基本的には集会所前での呼び込みをしていたので、住民の方とあまり話すことができなかったのですが、皆さん笑顔で元気に溢れていました。
 また、帰られる方々が、『宇治茶おいしかったよ』『ありがとう』などと言っていただき、こちらとしても非常に喜ばしい限りです。
 予想通り、ご年配の方が多かったですが、中には小さなお子さんを連れた女性も参加してくださり、皆さんの笑い声や笑顔を見ると、少しは貢献できたのかなと思いました。
 また、栗村さんがおっしゃっていたのですが、このお茶っこサロンを楽しみにしてくださっている方もいらしたとのことで、非常にやりがいを感じました。
 栗村さん自身、龍谷大学の活動に感心されており、こうして大学生がボランティアに来てくれることを喜んでおられました。
 あの日から約半年。復興へと着実に歩みを進めていく中で、私たちの『お茶っこサロン』が仮設団地で生活している方々の心を少しでも和らげることができたのであれば、有意義な合宿であったと思います。」(Kくん)




 「お茶っこサロンは週一回されているそうですが、『宇治茶は珍しい』、『いつもと違う』と喜んでいただけました。30〜40人の人が集まってくださった。
 サロンの場では、学生たちと話すより、仮設団地の人同士がしゃべっていることの方が多かったように思います。
 あまりたくさん話せませんでしたが、『こんなに笑ったのは久しぶり』とおっしゃってくださる方もいれば、『この生活も半分はあきらめ』という方もいて、なんと答えていいのかわからず、返答に困ることもありました。
 明るく振る舞われていても、生活に対する不安がどこかに溜まっているように感じました。
 お茶を囲み、みんなと話し、落語を聞いて笑い、一時でも不安を忘れていただければ…と思いました。
 津波で家族がどうなったか、家がどうなったか、そんな話を受け止めるのだと出発前は考えていました。実際、そんな話をされる人はいませんでした。誰もしたがりません。
 3月11日から半年経ちました。ですが、劇的な変化があるわけでもありません。
 まだまだ被災地では仮設住宅での不自由な生活が続くのかと思うと、自分たちが何をしていくべきか、よくわからなくなりました。」(Oくん)



 陸前高田に到着した時に見た光景は、本当に衝撃的で悲惨なものでした。
 花巻のホテル周辺ではそんなに地震の影響を受けてないようでしたが、津波の被害を受けた地域では、今も復興作業が続いていて、まだまだ終わりそうにない状況でした。
昼からは鳴石仮設団地の集会場で、お茶っこサロンをしました。
 お年寄りや小さい子など、結構多くの人が来てくださいました。
 私は、現地のお年寄りの方と話すことはあまり多くありませんでしたが、お茶をお客さんのところに持って行った時に少しだけお話を聞く機会がありました。
 『地震が起こるまでは、地域の人達で集まってお茶を摘んだりしていたが、今は震災によって、それもできなくなってしまった』。
 顔は笑いながら話しておられたけど、心の中では本当に辛いだろうし、そのことを考えると、なおさら、どういう言葉をかけたらいいのかがわからず、ただうなずきながら聞くことしかできませんでした。
お茶っ子サロンに来た人たちが、ゆっくりとお茶を飲み、落語で笑っているのを見て、被災地の方々がこれから生きていく中で、このサロンの時間は、ほんの一瞬に過ぎないけど、その一瞬でも、笑顔やリラックスした時間を作れただけで、この会は価値のあるものにだったんじゃないかと思いました。」(Aくん)


 「お茶っこサロンをする前はたくさんの不安がありました。
 仮設住宅でやるとはいうものの、どのような場所でするかわからないし、仮設住宅は150世帯と聞いていましたが、何人の方が集まってくれるのか予想ができませんでした。
 もしかしたら全然来てくれないのかもしれない…
 それどころではないかも…
とも考えてしまいました。
 着いてみると、仮設住宅は、150世帯ということもあり、たくさんありました。
 お茶っこサロンを開催する場所は集会所で、20畳の大きさでした。
 隣の部屋では、職業相談のようなものが行われていて、私達が準備している間も、ずっと誰かが相談に来ていました。
 お茶っこサロンが始まってからは、少しずつ参加者が増え、約40人の方が参加してくださいました。
 お茶やお菓子を渡し、『美味しいからおかわり』と言ってくださる方がほとんどでした。
 帰るときも『どのお茶も美味しかった』と言ってくださいました。
 落語ではほんとに皆さん笑顔になっていて、帰るときに『楽しかった』と笑顔で言ってくださいました。
 2回目の落語が終わり、皆さんが帰られるときに、一人の方が『ほんとにありがとう。ご苦労様。』と笑顔で言ってくださって、『本当に来て良かった』と思いましたし、逆に自分が励まされてしまい、何とも言えない気持ちになりました。
 行く前はたくさんの不安がありましたが、一人の方にでも、落ち着いたほっこりした時間を過ごしていただくことができたなら、良かったと思いました。」(Mさん)




 「大震災による津波で大被害を受けた被災地についての状況は、テレビで何度も見ていました。テレビ越しでも十分に、その被害の大きさが伝わってきました。
 そして、あの大津波から約半年がたち、今回の合宿で陸前高田市に訪れましたが、自分の目で実際に見た被災地は、すさまじいものでした。
 約半年がたっていたので、少しは復旧しているのではと思っていましたが、本当に何もなく、ここに街があったとは思えないくらいのものでした。
 また、海からかなり離れているところでさえ津波の被害を受けていたのが、かなり印象的でした。
 私は海の近くに住んだことがないので、津波とは無縁でしたが、今回初めて津波の恐ろしさを実感することができました。
 大震災から半年がたっていたので、瓦礫や流された車などは結構片付いていると思っていたのですが、実際は分別しかされていなかったのが衝撃でした。
 ほとんど処理されていない状況だったので、完全に復興するまであとどのくらいの時間が必要なのか、想像ができませんでした。
 陸前高田市仮設住宅に行く前まで、私たちのお茶っ子サロンというボランティアが被災地の方々に受け入れてもらえるのか、という心配がありました。
 迷惑ではないか、
 当日人が集まらないのではないか、
 もし人が集まったとしても、被災地の方々とどういうことをお話すればいいのか。
 不安ばかりでした。
 しかし、集会場には、お茶っ子サロンのために、何人もの方々が足を運んでくれました。
 決して大人数ではありませんでしたが、時間帯も時間帯だったので、高齢者を中心としてお茶っ子サロンを開くことができ、ひとまず安心できました。
 さらに、私の不安を払拭したのが、被災者の方々の笑顔でした。
 もっと深刻な様子で、決して笑っていられる状態ではないと思っていたのですが、常に笑顔で、かなり楽しそうに会話をされていました。
 また、T君の落語に関しては、かなり楽しんでもらえたようで、はじけるような笑顔と、大きな笑い声が響きわたっていました。
まさか被災者の方々からこんなに楽しそうな笑顔を見られるとは思っていなかったので、ものすごくうれしくて感動しました。
 お茶っ子サロンに来ていただいた高齢者の方と少しお話したのですが、大文字の送り火で、陸前高田市の薪が使用されなかったことについて、かなり残念そうにされていました。
 京都とのつながりを絶たれたように感じていたようでした。
 また、京都へ観光に来たことがある方は、その時に撮った写真がすべて流されてしまい、思い出まで流されてしまったことを悔やんでも悔やみ切れない様子でした。
 話をお聞きしているだけで私まで心が痛くなりましたが、被災者がどのような思いを抱いているのか、実際の声を聞くことができて良かったです。
 小岩井農場や盛岡の観光ができ、本当に良い経験になったと思います。特に、ジンギスカン、ソフトクリーム、盛岡冷麺などのご当地グルメを食べることができて、かなり満足することができました。
 岩手合宿を通して、被災地の現状を知り、被災地の方々と触れ合い、観光スポットも巡ることができ、ほんとうに良い経験ができたと思います。
 特に、被災地の方々の笑顔が見れたことは、私にとって大きな収穫でした。
 ボランティアをしたのは初めてだったので、もし機会があれば、いや機会を作ってでも、もう一度、ボランティアをしたいと思います。
 被災者の笑顔をもう一度見たいと思いました。」(Fくん)





 「合宿に参加するまでの自分の中の気持ちは、ゼミ合宿とボランティアを混合させられるのか、もし遊びをメインに捉えている人がいると嫌だな、という気持ちで臨みました。
 また、お茶っ子サロン当日、閑散とした仮設住宅に人の気配は無く、
『人が来ないのではないか』、
『京都から来た学生が被災者のためなど、少し考えが甘かったのでは』
という漠然とした不安がありました。
 しかし、集会場の表で立っていると、開始前から1人のおじいちゃんが来たのを皮切りに、家族連れの方や、友達同士で来るおばあちゃんなど、続々と来て、ほんの数十分で席が埋まったのを見た時は、素直にうれしかったです。
 結果として、思ってもみなかったほど、良い形で終わることができました。
 実際、お茶っ子サロンが始まると、お客さんだけでなく、ゼミ生を含め、全体が良い雰囲気を作り出してくれたお陰で、良い落語ができ、今まででも一番良い舞台の一つになりました。
 『サインを頂戴』と言っていただいたのも初めてでしたし、ここまで『面白かったよ』と言ってもらえたのも初めてでした。
 伊達先生もおっしゃってましたが、自分も、『落語のチカラはすこいな』と感じ、演じながら、ただ圧倒されていました。
 お茶も美味しそうに飲んでくれて、帰りにお土産の宇治茶をもらって嬉しそうに帰っていく方々の後ろ姿を見ると、このお茶っ子サロンも自己満足に終わっていなかった、と考えています。
 ただ、気仙茶の剪定に行った子から話を聞いた際、Kさんがお土産を用意してくださったという話を聞いて、ただ感謝するだけでいいのだろうか、と感じました。
 震災後の家計に余裕もないこの時期に、Kさんはどういうお気持ちでこのお土産を買ってくれたんだろうと考えると、少し心苦しくなりました。
 一度、全員が、今回のボランティアが自己満足で終わっていなかったかどうか、一人一人考えるべきだと思います。」(Tくん)




「岩手への前、準備不足なこともあり、とても不安だった。
 現地に着いて、被災地を見たらもっと不安が大きくなった。
 しかし、お茶っこサロンの呼び込みをしていた時に、『チラシで見たよ!行きまーす!』と言ってくださる方がたくさんいらっしゃって、とてもうれしかったし、頑張らなきゃ!と思った。
 被災者の方から、『この仮設住宅には、震災で仕事を失った人がたくさんいる、最近、心から笑うことがない』ということを聞いた。
 落語を聞いて笑っておられる姿や、談笑しておられるところを見ると、自分たちが手助けする必要はないのかな…とも思ったが、まだまだ協力しなければいけないところはある。
 『同じ班の人にあげるから』と、お土産のお茶を持って帰ってくださる方もいて、避難所のなかでコミュニティができているんだなと感じたが、仮設住宅で出会う方々はほとんど決まっていて、玄関で声をかけても反応がないお宅もあり、家に引きこもりがちな方もいるのではないかと思った。
 そのような方とどのように接していくかを考えなければならないと思ったし、何か生きる希望になるようなことを提供したいと思った。」(Mさん)


 「行くまでは『何を話したらいいんだろう』とか、『どのようにしたら失礼にならないだろうか』とかを考えたりしてて、少し緊張していました。
 でも、実際に行ってやってみると、被災者の方たち同士で話していることが多かったように思います。その話のなかに私たちも寄せてもらって、いろんな話をして、こちらはほとんど聞いているだけでしたが、楽しんでいただけて本当によかったなと思いました。
 ただ、『笑うことがあまりない』という言葉を聞いたときは、どうしたらいいのかわかりませんでした。
 終わってから、片付けをしているところに、わざわざ『ありがとう』と言いにきてくださった方もおられて、お茶っこサロンをやってよかったなと思いました。
 仮設住宅までのバスで、津波の被害があったところを通りましたが、テレビで見ていた映像そのままで、本当に震災が起こったんだと改めて感じさせられました。
 観光では、震災の影響を感じさせられなかったです。場所によって被害の度合いが全然違うことがわかりました。
 今回のゼミ合宿では、自分だけでは絶対に行かなかったような所にいけて、本当に良い経験になりました。
 バスはしんどかったですが、行ってよかったと思いました。」(Fさん)


 「現地に行くまでは、阪神・淡路大震災の時のような風景を想像していましたが、実際行ってみると、最初のうちは、建物や道路など地震の影響で倒壊しているものがほとんどないように感じましたが、しかし、バスで沿岸部に行った時は言葉を失いました。
 あの風景を見て写真を撮ろうとかいう気にはなれず、ただただ唖然としていたのを覚えています。
 仮設住宅の集会所では、現地の方々と話をさせてもらいましたが、皆さん笑顔でそれが何よりでした。
 『お茶なんて飲んでいる場合じゃない』と断られることもありえたので、私たちが作ったお茶を『美味しい』と言って下さったのがとてもうれしく、何か被災者の方々のためになれたように思いました。
 しかし、この中には震災で大事な人を失った人が大勢いることを考えると、何とも言えない気持ちになりました。
 小岩井農場では、牛乳やソフトクリーム、お昼のジンギスカンなど美味しくいただきました。駐車場を見ると県外ナンバーが多く、こうやって観光地が栄えれば復興も速く進むのではないかと思いました。
 震災から半年が経ち少しづつ薄れていく中で、ボランティアや募金を長いスパンでやっていくことは大切。
 メディアでも言われているように、現地の食材を買うことや現地に観光に行くことなど、一人一人ができることはとても多いと感じました。」(Nくん)




 陸前高田に入り、想像していた以上の被災地の現場を目の当たりにして、言葉が出ないほどショックをうけました。
 まず、片付けられた(というより寄せ固められた)大量の瓦礫の山が目に入りました。瓦礫をどかした街は、かつての面影をほとんど残すことなく、『無』という言葉がぴったりあてはまるほど何もない平地でした。
 5〜6階建てのマンションの最上階まで津波が来た形跡があり、どれだけ今回の震災の規模が大きく大変なものだったのかということを実感しました。
 出発前から『仮設住宅の方とどんな話をして、どのように接することが良いのだろうか』とずっと考えていたのですが、頭が真っ白になってしまい、とたんに不安でたまらなくなりました。
 仮設住宅のある中学校につくと、天気で晴れているのにも関わらず、とても静かでした。
 準備がだいたい終わり、4人ほどで仮設住宅でお茶っこサロンの宣伝にまわりました。
 表に出ておられる方と自治会長さんにしか声をかけませんでした。やはり、最初は、素気ない反応の人もいましたが、私たちのことやここに来た理由をゆっくり話すと、みなさん笑顔で『行かせてもらうわね』と言ってくださいました。
 13時になり、どきどきしていると、次第にお客さんが来だして、落語が始まる頃には用意した座布団と椅子がほとんどうまりました。
 坪野くんの落語がはじまるまでは、お茶やお菓子を配ったりしながら、来てくださった方とたくさん会話することができました。
 仮設住宅は抽選で選ばれたものなので、元々ご近所同士とかでない分、深いコミュニケーションがなかなかとれないということ、
 お互い震災被害に有っているので気を使いながら生活することはとても大変だということ等、、
 私達がお茶っこサロンをしている隣の一室では、若者向けの就職相談所が設けられており、被災地の方の職探しも今難しいようでした。
 坪野くんの落語が始まり、始めは皆さん静かに聞いていましたが、すぐに部屋の中は笑い声でいっぱいになりました。私も落語は始めてでしたが、とても面白かったです。最近のお笑いも良いですが、老若男女が楽しめ、笑うことができる落語のチカラは素晴らしいと思いました。
 お腹を抱えて笑っている被災地の方達の姿をみて、『ああ、ここに来て良かったな』としみじみと感じました。
 1回しかやらない予定だった落語を、お客さんの反応が良かったので2回目もしましたが、後半もたくさんの方がお越し下さり、笑って帰っていかれたのを見て、私の方が元気ももらった気分になり、本当に嬉しかったです。
 京都府茶協同組合の方が提供してくださったたくさんの宇治茶も、喜んで持って帰ってもらえたのでよかったです。
 これから寒い季節になるので、仮設住宅での生活はとても辛いものであると思います。
 温かいお茶をのんで、落語をネタに、仮設住宅のみなさんのコミュニケーションが少しでも広がればうれしいです。」(Oさん)




 震災から六か月が経ちました。
 「どうしたら被災者の不幸や苦しみを減らすことができるだろう」
 このことをずっと考えてきましたが、答えが見つからないままでした。
 合宿から帰って、本屋さんで、五木寛之『悲しみの効用』(祥伝社、2011年)を見つけました。
 龍谷大学親鸞精神を学んだ五木さんは、今、被災者や私たちに何を問いかけるのだろう。
 とても気になっていたので、読んでみました。
 こんなことが書いてありました。
 「(慈悲の)非とは、『共感共苦する心』です。
 人が痛み苦しんでいるようなとき、そばにいて自分も同じように心を痛めるということでしょうか。
 そういう共感共苦の心持ちというのが、実は『悲』という感情なのだということがわかってくるのです。
 そばに寄り添って、その人の痛みを自分の身に引き受けてあげたいと思う。
 しかし、人の痛みというものは個人的なものです。
 けっして他人が譲り受けることができないし、代わることもできない。
 そのことがわかってきたときに、おのずと『ああ、何ということだろう!』というため息が漏れてきて、うめき声が漏れ出す。これが『悲』という感情です。
 そういう『悲』の心を感じつつ、そばに寄り添うということは、痛み、悲しみの最中にいる人にとっては、それはそれで非常に大きな励まし、力になるということなのではないでしょうか。」(22〜23頁)
 また、「あとがき」では、次のようなことが書かれています。
 「東日本大震災のダメージは、私たち日本人全体の心に、かつてない大きな痛みを残しました。
 それは数字や統計であらわすことのできない、深い後遺症となって私たちの内側に刻みこまれ、ずっと消えることはないでしょう。
 人びとの悲しみに半減期はないのです。・・・・
 私たちの悲しみや不安は、そもそも科学的に解消できるものなのでしょうか。
 心の除染などということが成立するのでしょうか。」(220〜221頁)



 被災者の苦しみを軽くしたり、誰かが代わってあげることはできない。

 でも、共感共苦する心をもって、そばに寄り添うことはできる。

 それは大きな励ましや力になる。


 この言葉を拠り所にして、もう一歩だけ前に進めてみようと思う(伊達)。






【後日談】
 気仙市民復興連絡会が発行する『復興ニュース』第41号(9月7日)42号(9月14日)に、今回の「お茶会サロン」の取り組みを掲載していただきました。
 ありがとうございます!