『絵図に見る藩政時代の気仙』

 陸前高田でのゼミ合宿から帰京後、古本屋で、金野静一『絵図に見る藩政時代の気仙』(1981年、熊谷印刷出版部)を購入しました。
 現代文での解説もあって、私のような歴史オンチにもなんとか読めます。

 この本には、仙台藩 気仙郡 今泉村(現・陸前高田市気仙町)の大肝入・吉田家に伝わる『吉田家文書』の中の、旧気仙郡各村の村絵図が所収されています。
 金野氏の解説によれば、「このたび公開された同家の文書の中に、旧気仙郡各村の村絵図等29点が含まれていた。このうちの村絵図23点は、文政5年(1822)年前後に各村一斉に作られたもので、これによって郡境や村境を吟味し、当該村の村肝入を始め、隣接関係郡村の肝入達が連署・連判のうえ、これを確認しているのである。
 この村絵図の基となったのは、これが作成された文政年間から120年ほど前の元禄12年(1699)に、生江助内の手により作られた『気仙郡古地図』であることは、各村絵図の中の添え書きによっても明らかである」(序)



 『気仙郡古地図』元禄12年(1699)、生江助内作(県立大船渡農業高校所蔵)


 まずは、今泉村の絵図を見てみます。

 今泉村(現・陸前高田市気仙町)の絵図です(6〜7頁)。
 右下には、高田松原(たぶん)が。
 「龍泉寺」「泉増寺」「金剛寺」も描かれています。


 さて、私にとっての問題は、元禄12年(1699)、茶畑がどこに存在したかです。

勝木田村

 勝木田村(現・陸前高田市米崎町)の絵図です(14〜15頁)。
 右下の添え書きを拡大すると、以下のようになります。


添え書きには、
「勝木田村御絵図指出
 高三拾五貫六百六拾文内
 田代弐拾六貫三百弐拾六文本地新田共ニ
 畑代九貫三百三拾四文本地新田共
 外
 高弐拾八文 茶畑
 右之通御村境双方肝煎組頭立合吟味仕相
 改相違無御座候以上
     肝煎  甚作
 元禄拾弐年六月八日
 生江助内様」
とあります。「元禄拾弐年」は1699年です。

・・・と偉そうに書いてますが、著者の金野氏がちゃんと活字体に直してくれております。とてもありがたいです。

立根村

 立根村(現・大船渡市立根町)の村絵図です(30〜31頁)。
 地図の右下の添え書きを拡大すると、以下のようになります。

 立根村の村絵図の添え書きの右側には、
 「立根村御絵図指出シ
 高六拾七〆八百六拾文ノ内
     田代三拾九〆八百八十文
     畑代弐拾七〆九百七拾九文
 外茶畑代弐百三拾六文」
とあります。

 立根村の村絵図の添え書きの左側には
 「右之通御村境双方肝煎立合吟味仕
  相改相違無御座候以上
       肝入  
       吉三郎
  元禄拾弐年六月弐拾八日
     生江助内様」
とあります。

日頃市村 

 日頃市村(現・大船渡市日頃市町)の絵図です(32〜33頁)。
 右下の添え書きを拡大すると、以下のようになります。


 上の添え書きには
 「控之
  気仙郡日比市村御絵図指出
  高四拾壱貫六百拾六――本地新田共
  田代拾壱貫三百三拾五――
 内
  畑代三拾貫弐百七拾七――
 外
 高弐拾七――茶畑
 右之通御村境双方肝煎組頭立合吟味仕
 相改相違無御座候以上
         肝入
         九兵衛(印)
 元禄拾弐年六月廿三日
     生江助内様」
とあります。



猪川村
 猪川村の村絵図の添え書きには

 「猪川村御絵図指出
  高四拾八貫三百七文 内 壱〆三百六拾九文新田
 内 田代三拾貫六百九拾九文
   畑代十七〆六百八文
     外
   一四百四――茶畑
 右之通双方御村境肝入組頭立合相改相違無御座候
         肝入
          与兵衛
    辰
 元禄拾弐年六月十六日
     生江助内様」
とあります。



 


 勝木田村(現・陸前高田市米崎町)、立根村(現・大船渡市立根町)、日頃市村(現・大船渡市日頃市町)、猪川村(現・大船渡市猪川町)は、いずれも、今日でも、畦畔茶園が存在しています。
 気仙茶のルーツを探る上で、とても興味深いです。



 史料批判の能力は私にはありませんが、「元禄拾弐年」(1699年)の藩政時代、つまり仙台藩 気仙郡の時代に、今日の気仙茶に何らかの形でつながる茶畑があったとみてよいと思います。「1700年代」(岩手県岩手県農業史』)、「少なくとも明和9年(1772年)以前」(大石貞男『日本茶業発達史』農文協)と伝えられてきた気仙茶のルーツは、もう少し遡るのではないかと思います。



 こちらのブログ記事(気仙茶の参考文献)も参照してください。『陸前高田市史』によれば、寛永19年(1642)年の検地帳に、勝木田村、小友村に「茶畑」の記載があります。


 
 気仙町の大肝入屋敷・吉田家住宅(1802年建築)は津波で流されてしまいましたが、岩手県立博物館の方々の努力によって、復元に向けて部材集めが進められています。また陸前高田市立図書館が収蔵していた「吉田家文書」も、岩手県立博物館やボランティアの方々によって修復・デジタル化作業が懸命に進められています。