花巻から大船渡へ (2)

 20日(日)午後、気仙市民復興連絡会の栗村さんと別れてから、「東和ボランティアの家」のユンさんの運転で、大船渡の細浦漁港へ行ってみました。

 津波被災した漁港の施設。 

 「第八大浜丸」です。サケ漁などの定置網用の船です。震災後、新規に造船され、9月10日に、県内トップを切って進水式が行われたそうです(東海新報2011年9月11日付)。



 その後、碁石海岸の「世界の椿館」を訪問しました。椿館は、震災後、休館していましたが、7月末から再開しました。
 大船渡は、ツバキがたくさん自生している地域です。
 大船渡市も、ツバキを市の花にしていて、また、「カメリアロード」など、ツバキをテーマにしたまちづくりを進めてきました。


碁石」という名前のツバキです。

 大船渡は「ヤブツバキの実とり用栽培地の北限」です!


 ヤブツバキ照葉樹林の代表的な種です。

 今日は、これの是非について論じるのはやめておきましょう。。。。
 大事なことは、チャもツバキも同じツバキ科の植物であること、そして気仙地域が「機械製茶の北限」だけではなく、ツバキでも「実取り用栽培地の北限」だということ。


 お土産は、やはり「気仙椿」。

 気仙地方の椿の実を搾油精製した食用油です。140グラム入り。
 製造者は、陸前高田市気仙町の石川製油。
 裏面のラベル表示をみると「●市販の天ぷら油に少量加えると光沢が出て、香よくお召し上がりいただけます。●けんちん汁用油としても最高です ※色々な使い方が有り一家に一本お試しくださいませ」とあります。

 以下、東海新報の記事を引用させていただきます。

絶やすまい椿油製造 青松館が技術継承へ石川製油所が協力
陸前高田市気仙町にあった製油所が東日本大震災を機に廃業を余儀なくされ、伝統の灯火が消えようとしていた気仙の特産品・椿油。この技術を継承して地域の復興につなげ、障がい者の所得向上に役立てようと、社会福祉法人・大洋会(木川田典彌理事長)が運営する米崎町の就労継続支援B型事業所・青松館が製油所関係者の協力を得て作業に取り組むこととなった。製油施設は新たに設けられ、年末から年明けの開所を予定。これを前に、施設側では各地から原料となる椿の実を広く受け付ける。
 気仙両市の市花であるツバキは各地に植栽されており、気仙の人々にとって身近な花。この実の中にある種を搾ると、特産品としても知られる椿油が取れる。椿油はけんちん汁や天ぷらなどの食用をはじめ、整髪料や乳液代わりとしての利用も可能で、「油の王様」ともいわれている。
 陸前高田市では半世紀以上にわたって、気仙町の石川製油所(石川秀一代表)が製造を行っていた。椿油に至っては東北で唯一搾油を担っており、作業時期には市内外から多くの椿の実が届けられていた。
 しかし、震災による津波で製油所は被災。施設や機材をすべて流失したほか、後継者でもあった石川代表の長男・政英さんも犠牲となった。個人での再建は非常に困難として、石川代表は4月末に廃業を決めた。
 一方、青松館は高台にあったため被害はまぬがれたものの、協力業者などの被災によって廃天ぷら油で製造するBDF燃料精製事業を中断。利用者の所得減にも影響するため、新規事業立ち上げが急務となっていた。
 そこで注目したのが、製造のメドが立たなくなった椿油。同館では石川代表に協力を求め、国の補助も受けて製油所を開設し、椿油製造を引き継ぐこととした。
 製油所は、矢作町字諏訪にある同館分場「せせらぎ」の敷地内に新設予定。搾油機をはじめ、焙煎機や精油機、搾った油を貯める原油レシーバーなどの機械をそろえる。早ければ年内、遅くとも来年1月中には作業を開始し、試作品の製造にあたる計画という。
 そのためには、原料が必要となるため、同館では各地から椿の実を受け付ける。引き取るのは、椿の実の中から取り出し、雨が当たらないよう天日で1カ月ほど干した種。赤茶色のものや虫食いの跡があるものは、油が少ないという。種は㌔単位による登録制で買い取る(価格は未定)こととし、後日支払う。
 椿油づくりの継続に対し、石川代表は「継承によくぞ手を挙げてくれたとうれしい。安全で安心な自然のものをお客さんに提供したいとするならば、一肌脱ごうと思った」と喜ぶ。
 同館の中村浩行館長は「石川さんの50年以上の技術と品質が何よりの強み。椿油を地域活性化や利用者の所得向上につなげ、地域復興のシンボルにしたい」と話している。(2011年10月22日付 5面)


 碁石海岸のレストハウスで、ユンさんと「浜ラーメン」を堪能した後、遊歩道を散歩しました。

 断崖絶壁は迫力満点です。

らんぼうや



 ホテル碁石。今日はここに泊まります。

 被災地支援のために埼玉県から派遣された警察官でいっぱいでした。


 ホテルの周りの遊歩道の風景です。