陸前高田合宿から戻りました (1)

 2月20日から23日までの2泊4日、ゼミ2回生22名で、陸前高田市にて合宿を行いました。

 以下、20日と21日の速報です。

【2月20日(月)】
 夕方5時、龍谷大学深草キャンパスを出発し、2人の運転手さんが2時間半ごとに交代で運転し、名神北陸道をひたすら走りました。

【2月21日(火)】
 磐越道==>東北道==>花巻JCT==>釜石道==>東和ICで降り、朝6時半、大雪の中、花巻市東和町の「とうわボランティアの家」に到着。
 東和は一面の雪景色でした。
 バスにチェーンをはかせないと坂を上れませんでした。
 「とうわボランティアの家」の中に入り、まず、2日間お世話になる管理人の方にご挨拶。
 この方々は、「ボランティアを支援するボランティア」で、全国から手弁当でいらっしゃっています。
 筑紫女学園大学(福岡県太宰府市)の学生ボランティアチームも来ていました。
 「これからガレキの片づけに行ってきます!」とのこと。タクマシイです。ちなみに、筑女と龍大とは同じ浄土真宗本願寺派の宗門校同士です。


 部屋でヒートテックだのパッチだのを着込み、長靴に履き替え、岩手県交通のバスに乗り換えて、7時すぎに出発。


 宮守==>遠野市==>気仙郡・住田町==>陸前高田市・横田町==>竹駒町==>9時すぎ、陸前高田の中心部に到着。
 少しだけ時間があったので、高田松原に行ってみました。

 バスから降り、ガレキの山を通り抜けて、一本松の近くまで行ってみます。
 高田の一本松です。
 
 地面から撮ったほうが、ヨリ現実に近いです。


 ガレキの処理が相変わらず進んでいません。


 初めて被災地・陸前高田に立って見てみる。
 重機以外に人の気配はなく、とても寂しい感じがします。
 復旧の足音も復興の足音も聞こえませんでした。


 一本松の近くの陸前高田ユースホステルの建物です。


 高田松原の道の駅です。バスの中から撮影したものです。
 震災前、ここでJAの「けせん茶」が販売されていました。

 道の駅の周囲はこんな感じです。


 高田松原シーサイド・キャピタルホテル1000です。
 運営会社は第3セクター陸前高田地域振興。新聞報道によれば、この建物は今後解体され、ホテルは、高台に移転し、今年3月に着工、来年2月に完成、3月に営業再開をめざしているそうです。 
 

 市の復興計画によれば、浸水した中心市街地(高田地区と今泉地区)は、海抜5メートル〜8メートルかさ上げした上で再開発される予定です。市街地に居住していた被災者の住宅再建の方策は、(1)かさ上げした土地への居住、(2)高台の住宅地を造成し移転、(3)災害公営住宅です。
 
 高田松原の防潮堤は高さ12.5メートルになる予定です。現在はまだ、仮防波堤を仮復旧した段階で、計画では2018年度までに整備を終了させるようです。
 復旧や復興までに、気の遠くなるような時間がかかります。


 県立高田高校の校舎です。


 ズームで撮った体育館の写真です。
 まだ手がつけられていません。
 生徒たちは、今も仮校舎の大船渡東高校・萱中校舎で勉強しています。
 3月1日、卒業式が行われます。



 海岸沿いの道を東方向に走っています。
 ガレキ処理の現場です。
 「1年たって、ようやくここまで来れた」のか、「もう1年も経つのに、まだここまでしか進んでない」のか・・・

 『岩手日報』2012年2月22日付によれば、陸前高田市のガレキ推計量は101.6万トン、処理・処分量はわずか9.1万トンで、処理・処分割合は9%にすぎません。このほとんどが、隣接する大船渡市の太平洋セメント大船渡工場で原燃料にされたものやリサイクル処理されたものです。(同社はHPで、セメント製品の放射能測定結果を10日ごとに詳細に公開しています。こちらをご覧ください。)

 ちなみに、大船渡市は、ガレキ推計量75.6万トン、処理・処分量は18.8万トン、処理・処分割合は25%。
 岩手県全体では、それぞれ、475.5万トン、36.7万トン、8%です。
 上記の数字は、2月20日時点、環境省調べ。


 スーパーマイヤ米崎町店の建設が進んでいました。
 3月下旬にオープンするそうです。


小友町のあたりの様子です。
 このあたりは、半島の両側から津波が押し寄せ、甚大な被害が発生した地域です。


 午前10時30分、高台のオートキャンプ場に到着。
 「うそ沢仮設団地」です。木造の仮設住宅がありました。高田一中のような長屋タイプではなく、セパレートタイプになっています。

 オートキャンプ場のレストハウスで、昨年も大変お世話になった気仙市民復興連絡会の栗村さんと合流。
 学生たちは3つの班に分かれます。
 (1)オートキャンプ場で、被災者の「思い出の品」復元作業のボランティア、
 (2)矢の浦などの仮設住宅で、『災害ボランティアセンターからのお知らせ』や気仙市民復興連絡会『復興ニュース』などを配布するボランティア、
 (3)気仙町の福伏漁港に移動して、養殖業の手伝いをするボランティアです。
 「思い出の品」復元作業のほうは、栗村さんが陸前高田災害ボランティアセンターと連絡を取り、コーディネートしてくださいました。
 
 

 ボランティアセンターの馬場さんから、復元作業の意義や作業方法の説明を受けています。


 今日の私たちの作業は、掛け軸の復元です。


 シートを敷いて、いざ作業開始です !



 結婚式の誓いの詞を掛け軸にしたものもありました。


 お名前も記されていました。
 二人とも無事に津波から逃れることができたのか。
 とても心配になりました。
 どうか二人とも無事で生きていてほしい。絶対に届けてあげたい。強く、強く、そう思いました。





 別のグループが、うそ沢仮設団地で、ニュースのポスティングをしています。



 海沿いの漁村集落の「矢の浦仮設団地」でも配布しました。


 矢の浦では、ほとんど人がいませんでした。


 矢の浦漁港のほうに行ってみます。
 このあたりの地区は、約40世帯のうち10世帯が津波で流出しました。
漁港では、津波で、50隻以上の船と作業場が流されました。地盤沈下も著しいです。










 漁業班は、小友町のオートキャンプ場からバスで、気仙町の福伏漁港に移動します。

 気仙大橋から水門や一本松のほうをのぞみます。

 気仙中学校です。


 合宿中、バスで陸前高田をあちこち移動しましたが、数少ない「復興」らしき企業の動きは、気仙町の水産物加工会社「かわむら」(本社:宮城県気仙沼市唐桑町)でした。ただ、かなり海に近い土地なので、津波が心配ではないのか、と思いました。

 からむらは、この気仙町に工業団地をつくるようです。
 以下、『岩手日報』2012年2月9日付を引用します。
 「陸前高田市に岩手工場を構える水産加工業かわむら(気仙沼市、川村賢壽社長)などは、東日本大震災津波で浸水した同市気仙町の長部地区に水産加工関連業者が集積する工業団地を形成する。既に立地している同社など2社を除く県内外11社が新たに進出予定で、将来的な雇用目標は1000人。かわむらを中心に立地企業が連携して原材料の調達から生産まで一貫体制を築く方針で、被災地の産業復興のモデルになりそうだ。
 工業団地には長部漁港周辺の約7万平方メートルを活用。ほとんどが津波の浸水域で事業者への建築制限はない。用地交渉は企業主導で進める予定で、事業費には国や県のグループ補助金などを活用する。
 現在はかわむら、卸売販売の同社子会社・加和喜フーズの2社が立地。かわむらは稼働中の2棟(従業員約150人)を含む加工場6棟、大型冷蔵庫1棟の計7棟を整備する方針。今後は10棟にまで拡充させ、雇用は300人規模に増やす。
 工業団地には既に第三セクター陸前高田地域振興(陸前高田市)、コマツ商店(同)、NPO法人あんしん生活(同)、陸中運輸(気仙沼市)をはじめ水産加工機械製造業、車両整備業、資材販売業など東北地域の11社が新たに進出する予定。」
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 「かわむら」や「加和喜フーズ」の被災状況は、加和喜フーズのHP(pdfファイル)を参照。


 このあたりは、「要谷漁港」と呼ばれ、広田湾の西側に位置し、北から「古谷」「双六」「要谷」「福伏」の4地区に船着き場や漁港があります。
 福伏の船着き場周辺の集落の風景です。
 近くのホテル三陽でバスを駐車させ、漁師のOさんと待ち合わせします。
 約1時間、Oさんに聞き取りをさせていただきました(詳細は後日アップします)。

 その後、陸前高田の特産品エゾイシカゲガイ養殖の仕掛けづくりをお手伝いするために、船着場に向かいます。

福伏の船着き場です。


 震災前の陸前高田市の漁業の概要です。
 同市のホームページをもとにしてExcelで作成したものです。
 2009年の生産金額でみると、カキが8億円、ワカメが4.8億円、ホタテが2.4億円となっています。
 


 エゾイシカゲ貝の養殖に使用する仕掛けです。

 エゾイシカゲ貝の養殖を再開した漁師のグループです。
 エゾイシカゲ貝は、トリガイの一種で、身はクリーム色。血圧降下のタウリンがシジミの四十倍で栄養価が高い貝です。
 東京の築地市場では「石垣貝」と呼ばれ、寿司ネタとして高値で取引されていた貝です。市場では、1キロ(20個前後)あたり2000円を超え、ホタテガイの数倍の値がついていたそうです。
 ここ広田湾は、エゾイシカゲ貝の出荷量日本一で、広田湾漁協は特産品化を進めてきたのですが、昨年3月11日の津波で、養殖施設も作業場も、すべて失ってしまいました。
 5人のグループで養殖業を再開した、気仙町の漁師Oさんに話しを伺いました。
一昨年のチリ津波に続く打撃。
 Oさんが所属する長部漁港では「自然には勝てない」と漁業を諦め、土木建設業に転職する漁師や、仮設住宅に家族を残して出稼ぎに行った漁師もいます。25人いた漁師のうち、再開を決めたのは12〜13人。
 「震災後3〜4カ月は何をやっていいのか分からず、海のがれきを撤去しながらみんな悩んでいた。でも俺には養殖しかない。今さら慣れない陸の仕事をするのは難しい」と、Oさん。
 養殖業再開には船や仕掛けなどで数千万円の出費がのしかかります。
 独力では困難で、グループによる協業しか選択肢がありませんでした。
 が、今年に入って、国・県の支援策の後押しもあって、なんとか養殖再開にこぎつけました。

 漁協の副組合長のKさんから、「協業化による漁業再開」についてのお話を伺います。
 Kさんは、1996年ころから、広田湾でエゾイシカゲ貝の天然採苗・養殖を始めたパイオニア的存在です。

 エゾイシカゲ貝の養殖に使う道具について説明を受けています。

 発泡スチロール製の「たらい」が青いビニールで覆われ、網が取り付けられています。
 「たらい」の中には砂が込めてあります。


 エゾイシカゲ貝の採苗方式は天然採苗方式です。
 この「たらい」状の容器を海中につるし、海中を漂う幼生(ようせい)を砂に着床させます。この幼生が砂の中で稚貝に成長します。


 「三陸リアス式海岸は複雑に入り組んだ地形で、湾内のこのあたりは特にとても静かで穏やかな内海だからこそ、エゾイシカゲ貝の養殖ができる」と教えてくださいました。


 漁師さん達が共同で、この「たらい」状の容器を1万5000個を作ってきたそうです。震災前の規模とほぼ同じだそうです。
 2月の終わりから、容器を船で沖まで運び、海中につるす作業が始まるそうです。

 仕掛けの「たらい」を作るための作業テントです。

 砂は重いので、重量を軽減し、かつ、浮力を得るために発泡スチロールのタライが使われます。

 ベテラン漁師の方が、慣れた手つき(足つき)で「たらい」に網を取り付けていきます。


 短時間でしたが、私たちも、皆さんに教えてもらいながら、仕掛けづくりのお手伝い(足手まとい?...)させていただきました。


 2月の三陸沿岸の冷え込みは厳しく、かじかんだ手に網がくい込んで痛かったです。

 
 フジツボなどがタライにつくのを防止するため、ビニールをかぶせています。


 網を巻きつけたタライ状の容器を3つ繋げます。




 たらい作り終了です。
全部で100個ほど作りました。
 

 大きなブイにロープを巻きつける作業もしました。


 ロープの結び方が難しい!



 Oさんら漁師の皆さんとお会いして、あっという間に予定の3時を回ってしまいました。
 もっともっと手伝いたい、とても名残惜しいのですが、小友町のオートキャンプ場に戻らなければなりません。


 最後に、再会を誓って、皆で記念写真をとりました。

 エゾイシカゲ貝が出荷されるのは、2014年の夏。
 収穫の瞬間をこの目で見たい。
 そう思った。


 「夏合宿でまた来ます」とバスの中で叫んでました。




 小友町のオートキャンプ場へ、皆をピックアップしに向かいます。


 午後3時30分、キャンプ場のほうの作業も、終了していました。
 栗村さんと記念写真をとります。
 ピースではなく「ボランティア」のVサインです。

 「栗村さんと23人の仲間たち」その1

 「栗村さんと23人の仲間たち」その2 
 

 明日もよろしくお願いします!