陸前高田合宿から戻りました ! (2)

 陸前高田合宿の速報の続きです。
 詳細版は後日アップします。

【22日(水)】
 朝6時30分に起床、7時に朝食をとり、7時30分すぎに、花巻のとうわボランティアの家を出発。陸前高田に向かいます。
 今日の予定は、
 (1) お茶っこ班は、高田一中の仮設住宅で、現地の小谷園茶舗さんと共に「お茶っこサロン」を開催、
 (2) 気仙茶班は、気仙町の茶畑に行き、所有者のKさんから聞取り(終了後、バスで高田一中に戻り、お茶っこサロンに合流)、
です。
 10時に、横田町にある川の駅「よこた」で小谷園茶舗さんと合流しました。

 高田町にあった小谷さんの自宅兼店舗は津波で全壊し、倉庫、茶の合組機、車2台を失いました。家族は全員無事でしたが、仲の良かった同級生や商店主がたくさん亡くなられたそうです。
 小谷さんは、被災者を励まそうと、昨年4月初旬から避難所を回り、お茶の無償提供をし続けました。
 そして6月末には、それまで生活していた避難所を出て、空き家になっていた横田町の親戚宅に移り、そこを仮店舗にして営業を再開しました。


 小谷さんは、「高田一中に行く前に、まず自分の目で高田の街の惨状をみてください」と、私たちを市の中心部に案内してくださいました。

 小谷さんの車に先導してもらい、市中心部から沿岸部を走ります。
 酔仙酒造、スーパー・マイヤ、市立体育館、市役所、高田高校...そして、ご自身のお店。
 小谷さんは、一つ一つ、津波が奪ったものを私たちに教えてくださいました。

 午前10時50分、お茶っこ班を高田一中で降ろして、準備開始。
 今回のお茶っこサロンのポスター兼チラシはこんな感じです。



 このチラシを持って、事前に仮設住宅を一軒一軒まわります。




 気仙茶班はバスから降りずに、そのまま茶畑に向かいます。
 11時、バスをガレキの少ない場所に駐車させ、急いで高台の茶畑にかけあがります。



 ここに立つのは、昨年9月の剪定作業の時以来です。
 ここから見える景色は、昨年9月とほとんど変わっていないように思いました。




 一つだけ大きく変わったことがあります。
 それは、この茶畑を毎日毎日世話してきたKさんが、昨年10月、97歳でお亡くなりになったことです。
 ゼミ合宿から帰京し、来年の茶畑での作業計画を練っていた矢先のことでした。
 雫石の「焙茶工房しゃおしゃん」の前田千賀子さんが、私たちにメールで訃報を知らせてくださいました。

 「剪定だけじゃなくて、もっとしてあげられることがあったのでは」
 「気仙茶の話をもっと聞きたかったのに」
 「一緒に茶摘みをして、新茶を飲みたかったのに」
 私たちは深い悲しみにつつまれました。

 昨年9月、デイサービスの予約をわざわざキャンセルして、私たちに会いに来てくれたKさん。
 剪定作業の後、
「みんな上手だなあ。ああ、きれいになってよかった。これで来年もいいお茶がとれるなあ」
と笑顔でおっしゃってくださいました。

 それが、私たちが聴いたKさんの最期の言葉になってしまいました。



 毎年5月末から6月初め、地域の女性達10数人が茶摘みをすることが、この地域の風物詩になってきました。
 Kさんは、毎日毎日世話してきた茶畑で、茶摘みを見るのを生き甲斐にしてきました。
 いつもと同じように、地域の方々がここで茶摘みをして、いつもと同じように、地域の方々がそれを味わうこと。
 それが、Kさんの変わらぬ願いでした。

 昨年6月、地元・大船渡東高校の生徒さんが、地域の女性たちとともに、ここで茶摘みをしました。
 蒸機に不可欠な水道の復旧が遅れていたために、残念ながら製茶はできませんでしたが、若者を含めた地元の人々による茶摘みは、今後の気仙茶の在り方を指し示していると思います。

 この気仙茶の樹は、津波で亡くなられた方々と助かった方とをつないでくれる。


 春をじっと待つ茶畑を眺めながら、そう考えました。
 


 Kさんのご家族への聞き取りの様子です。


 

 「津波は、あの小学校の3階まで来たんだよ」と私たちに説明してくれました。


 茶畑で2時間ほどお話を聞かせていただきました。

 「あなたたちの先輩の手入れのおかげで、茶の樹がとっても元気になったのよ。」
 「春になったら、茶摘み前の剪定にぜひいらしてくださいね」
とおっしゃってくれました。

 今まではいつも、こちらから強引に押しかけるように茶畑を訪問してきたのですが、今回は初めて誘っていただきました。
 震災から少し時が経ったせいでしょうか。
 
 「おじいちゃんが守り続けてきた茶畑だから、これからも守っていこうと思うの。地域の人達も、今年もお茶を摘みたいと言ってるし。そうだよね、やっぱり、やんなきゃね」
とおっしゃっていました。


 「お別れの際に、今回もまた、「かもめの玉子」と缶コーヒーを人数分いただいてしまいました。
 いつもいつも申し訳ありません。


 寒い中、貴重なお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。


 必ずまた来ます!
 

 茶畑から見える津波の爪痕


 諏訪神社
 宮司さんは津波で亡くなられたそうです。

 たくさんの方々がこの神社に避難しました。

 
 神社の階段にも津波が押し寄せたことがわかります。



山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」の前で



 希望よ 永遠に




 茶畑をあとにして、バスで高田一中の仮設住宅の集会場に戻ると、「お茶っこサロン」はスゴイことになっていました !

 満席状態です !
 まったく想定外のことでした。


 おかげ様で、裏方はてんやわんやです。


 上のポットは、「これ使って」と、被災者の方がお宅から持ってきてくださったものです。


 「私が淹れてあげる」
 皆が急須や湯飲みをお宅から持って来てくださったり、ご自分で淹れ始めたり。
 最初は「もっとちゃんと綿密に準備をしておけばよかった」と反省してましたが、よくよく考え直してみると、
 それがごく普通の日常生活だよなあ、
 自分の好みで淹れたいよなあ、
 おばあちゃんはお茶淹れの大先輩だよなあ、
と妙に納得してしまいました。




「携帯電話よろず相談」も大好評でした!
 「仮設住宅に住む高齢者たちは、最近、携帯電話を購入したが、使い方がわからなくて困っている」「孫に写メールなどを送りたがっている」というアドバイスを小谷園さんからいただきましたので、企画しました。


 でも、満席の理由は、なんといっても、地元高田の小谷園さんの存在です。
 皆さん、小谷園のお茶を本当にたのしみにされていました。
 小谷園さんも、抹茶入り玄米茶など、たくさんのお茶を持ってきてくださいました。
 皆さん、飲み比べをされていました。

 私たちに見せようと、仮設住宅から陸前高田の写真集を持ってきてくださいました。
 「陸前高田は、震災前は、いい街だったのよ」と、動く七夕祭り、高田松原のことを教えてくださいました。

 「ぜひ、また高田に来てくださいね」



 机の上のお茶菓子は、京都在住の喫茶文化史の研究者・橋本素子先生が私たちに託してくれたものです。
 ありがとうございました。


 おかげ様で、大盛り上がり。「高田音頭」の合唱が始まります。

 踊りも披露していただきました。

 学生に教えてくれてます。


 お帰りの際に、宇治茶をお渡しします。
 この宇治茶は、京都府茶協同組合さんが被災者のために提供してくださったものです。
 なんと、30キロ分 ! 
 それも、「(静岡茶が主に流通している)陸前高田の方々は深蒸しが好きでしょうから」と、わざわざ深蒸しタイプにしていただきました。


 「必ずまた来ますから、それまで元気にしていてくださいね」と、涙のお別れです。


 小谷園さんと記念写真です。
 長時間、ご協力ありがとうございました。


 前回の9月合宿と同様、今回も、地域づくりサポートネット & 気仙市民復興連絡会の栗村さんに大変お世話になりました。
 自治会長さんとの連絡や、事前のチラシ配布をしていただきました。
 ありがとうございます。


 栗村さんと23人の仲間たち with 社会福祉協議会・田浦さん 

【番外編】

 仮設住宅の人気者・クッキー

 クッキー、また来るね !
「ワン!」





 花巻市東和町の「とうわボランティアの家」にて。
 朝のお勤めの後、筑紫女学園大学のボランティアチームの皆さんとともに記念写真です。