陸前高田合宿 (1) 気仙茶の剪定作業

 昨日6日、夜7時すぎ、20名全員、陸前高田から京都に戻りました!
 これから少しずつ合宿の報告をしていきます。


 9月4日(火)、合宿の一日目。

 気仙茶班の活動を報告します。


気仙町の茶畑で剪定作業

 気仙茶班の一日目の作業内容は、気仙町のKさんの茶畑での剪定作業です。


 私たちは、今年2月、昨年5月と9月に、Kさんの茶畑を訪れ、剪定作業や、Kさんから気仙茶に対する思いをお聞きする活動を行ってきました。
 ゼミとしては、これで4度目の訪問になります。(今年2月の合宿の様子はこちら、昨年9月の合宿はこちら、5月の訪問はこちらをそれぞれ参照願います)



 気仙茶は、陸前高田市大船渡市で約80軒の農家が栽培し、「機械製茶の北限」として知られていますが、今年6月、国の基準値(飲用状態で1キロ当たり10ベクレル)を超える11ベクレル放射性セシウムが検出されたため、現在も出荷自粛が続いています。


 7月に、地元の生産者や愛好者らが、気仙茶を復活させるために、「気仙茶の会」を結成し、来年の製茶に向けて、陸前高田市大船渡市市内のあちらこちらの茶畑をまわり、放射性セシウムを除去するための剪定作業を続けてこれらました。

 私たち伊達ゼミも、この会の活動の趣旨に賛同し、今回の合宿で、茶畑の剪定作業をお手伝いさせていただくことにしました。

 より正確に言うと.....。気仙茶の会の方々は、今回の私たちの合宿日程に合わせて、畑の持ち主との作業打ち合わせ、他団体との日程調整、「学生さんがわざわざ遠くから来ているのに、コンビニ弁当の夕食じゃあんまりだ」と、「高田名物ホルモン焼き+海鮮・山鮮BBQパーティ」を企画して下ったり、本当に何から何までお世話をしてくださいました。
 会の方々は、お仕事や予定を調整し、4日、5日の剪定作業に参加されたのだと推察いたします。畑の持ち主のKさんも、私たちの日程に合わせるために、大事なお仕事を休んで来てくださいました。
 皆さん、私たちのために貴重な時間をさいてくださり、本当にありがとうございました。申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、その分、しっかり働きたいと思います。




 午前9時、車中泊あけで睡眠不足の目をこすりながら、陸前高田市・矢作町の鈴木旅館を出発し、気仙小学校の入口でバスを停車。
 剪定用具を降ろし、気仙茶班6名(学生5名+教員1)で、Kさんの茶畑に徒歩で向かいます。

 10時前に、気仙茶の会(5名)、国際NGO 「NICE(日本国際ワークキャンプセンター)」の方々(5名)、そして、畑所有者のKさんと合流できました。
 今日は、総勢17名で作業をします。


 まず、「気仙茶の会」の方々が持ち込んだ中刈り機、チェーンソー、ヘッジトリマーに使用する発電機(かなり重いです!)、剪定バサミなど作業用具一式を、みなで高台の茶畑まで持ち上げます。


 そして、「気仙茶の会」菊池会長のご挨拶、作業の趣旨・内容の説明や、Kさんからのご挨拶、自己紹介。

 「帽子をかぶっていると『若い!』と言われ、帽子をとると...」と、皆を和ませる会長の挨拶。

 当日は、岩手日報の取材も入りました。


 NICEさんは、日本を中心に各種ワークキャンプを主催する国際NGOです。震災直後から、災害ボランティア事業を精力的に展開され、陸前高田大槌町吉里吉里会津若松などを拠点に活動されています。詳細はこちらのページをご覧ください。
 8月には、「気仙茶の会」が実施した米崎町の茶園の剪定作業にも参加されました。

 「気仙茶の会」が結成されたからこそ、今回のような出会いが生まれたのだと思います。
 感謝です!

 伊達ゼミ・気仙茶班

 剪定面を決めているところです。
 「中切り」することを決意します。
 それをじっと見守っている「気仙茶の会」の前田さん・佐藤さん

 茶園全体の樹勢をチェックし、全体の段取りを考えている「気仙茶の会」の志田さん。さすが、「茶畑」の屋号をもつベテラン茶農家さんです。

※このブログのキレイな写真は、すべて村上さんに撮影していただいたものです。ありがとうございました!


 その後、いっせいに作業を開始しました!


 弧状仕立てのやぶきた茶園での剪定の様子。







 菊池会長が陣頭指揮!



 今日一日で「中切り」を終わらせてしまいたいので、中刈り機を使用することにしました。

 まず菊池会長と佐藤さんがお手本を。手慣れた様子の二人。
 写真左手、中刈り機についているパイプは、背が高く・草ぼうぼうの畦畔茶園にも対応できるように、会長自ら改造したものです!
 「気仙ぼうぼう畦畔茶対応型 改造中刈機」と呼ばれています(長い!)


 在来種の畦畔茶園で、中刈り機を操作してみます。
 
 南山城村の茶園で同じような機械を操作したことはあるものの、スイッチ、アクセル、ブレーキの操作に慣れるまで、ゆっくり慎重に進みます。





 やぶきた茶園の「中切り」剪定の様子です。

 思い切ってガガガ〜っと刈っていきます。

 だんだん慣れてきて、作業スピードも上がってきました。

 気仙茶の会の佐藤さん。
 「あのワイルド感が素敵!」と女子大生に大人気(笑)。
 中切り後、電動のヘッジトリマーで裾刈りをしていきます。

 フランスからワークキャンプに来ているビンセントさんは、裾刈り担当。

 在来種の畦畔茶園の剪定の様子。


 かなり"お茶目"なビンセントさん(笑)。

 気仙茶の会の前田さんと村上さんが、刈り取られた大量の葉や枝をまとめ、圃場の外へ出します。
 とても地味ですが、とても大切な作業です。




 幼木は、ハサミで剪定した後、かなり入念に草取りをしておきます。



 お昼休憩。
 Kさんが、みんなのために、冷麺とおソバ、トウモロコシ、ナスの漬物を差し入れてくださいました!
 いつもいつも、すいません。
 ご馳走様です!
 


 震災後一年半の陸前高田

 遠くに高田一本松が見えています。
 (写真をクリックしてオリジナルサイズで表示してください)
 松は、9月12日に、保存作業のために伐られてしまうそうなので、ゼミ生もしきりに写真を撮っていました。



 午後の作業スタート!


 午後の作業は、仕上げが中心でした。
 ていねいに、細い枝や、残っている古葉を落としていきます。

 だいぶ「中切り」の感じになってきました。

 「来年、元気な芽をだしてね」と、茶の樹に語りかけながら、しっかりと、根元から草ひきをしていきます。

 「中切り」はもう少し早い時期にやるべきなのは重々承知していますが、被災地・被災者の都合、そして私たちの都合もあり、今日までずれ込んでしまいました。
 樹勢の回復は、まずは、この秋の間に、どれだけ雨が降り、どれだけ新しい葉がでて、どれだけ光合成ができるかどうかにかかっています。

 「雨よ降れっ!」「日照時間を長く!」と、空に語りかけます。









 最終の枝葉集めをする菊池会長とKさん。



 午後2時30分、すべての作業を終了し、4時半から米崎町の公民館で開催される「気仙茶の会 BBQパーティ」での再会を約束して、いったん解散しました。


 ゼミ生の中には「出発前日(2日)の夜から一度も風呂に入っていない」という人もいたので(笑)、いったんバスで鈴木旅館に戻り、ひとっ風呂あびて、汗を流します。




米崎町の公民館で開催された「気仙茶の会主催 BBQパーティ」
 気仙茶の会、NICEさん、伊達ゼミ、そして米崎町の自治会の方々、総勢40名近くが参加!
 下記の写真は、すべて、「気仙茶の会」の村上さんから送っていただきました。ありがとうございました!


 気仙茶の会 前田さんの開会宣言!

 菊池会長のご挨拶。
 震災当日から「気仙茶の会」立ち上げまでのお話もいただきました。

真剣に聞き入るゼミ生たち。

 

 NICE東北事務局の水口さんがご挨拶 & メンバー紹介

 伊達ゼミ・永井さんの挨拶


 乾杯後、BBQスタート!



 復興支援団体SETの三井さん。
 三井さんは、震災直後から陸前高田でボランティア活動を続けてきましたが、「陸前高田を本気で復興されるには現地に住むしかない」と考え、今年3月に、東京の大学を卒業すると同時に、陸前高田市広田町に移住されたそうです。
 未来はこういう若者のものだ。
 そう強く感じました。
 (合宿から帰ってから、三井さんのメルマガも読みはじめましたよ!)

 また、こういう若者がふらりと立ち寄る「気仙茶の会主催 BBQパーティ」もすごい! と感じました(笑)。


 Never Give UP! 志田さんと佐藤さん

 震災当日のお話や、陸前高田の復興に関わる重要な論点をたくさん教えてくださいました。

 仕事終わりに、息を切らして駆け付けてくださった「気仙茶の会」及川さんの後ろ姿。


 お掃除好きの長田さん

 菊池会長が「宴たけなわではございますが、皆さん、明日の作業もがんばりましょう!」と、閉会宣言(中じめ宣言?)


 「今日は、被災地・陸前高田のこと、たくさん教えていただいて、ありがとうございました。また、必ず米崎リンゴを食べに来ます!」


 夜のしじまの中に消えていくゼミ生たち。

 「もう〜置いてくよ」

NICEの皆さんは、残って後片付けです。
 申し訳ないです!

 最後まで、きれいにお掃除してくださった会長の奥様、「気仙茶の会」の菅原さん。
 神田葡萄園のサイダー差し入れ、ありがとうございました!





 日没前にみんなで記念写真をとりました!




追記: 気仙茶の畑での剪定作業の様子が『岩手日報』(9月5日付)に掲載されました。


                                                                                                  • -

宗さんのレポート
]
 2月の合宿から約半年経ち、今回二回目の岩手県合宿が行われた。
 合宿において東北の温かい人たちに会えると思うと、この合宿がとても待ち遠しかった。

 前回私は、お茶っこ班に所属し活動したが、木野製茶園での活動においてお茶に対する知識と経験を積み、気仙茶班に所属することになった。
 お茶に対する知識や経験を積んだとは言え、今回私達に与えられた任務は未知の世界であったため、不安でいっぱいだったが、現地の人たちの勢いに圧倒され、いつの間にか迷いもなく作業することが出来た。
 この合宿では前回よりもたくさんの方々と出会い、お話することで、前回とは違う変化を感じることが出来た。
 この変化についてこれから合宿の感想と共にまとめていきたいと思う。

活動1日目
 3日の18時に学校を出発し、4日の朝、鈴木旅館に到着。
 京都では豪雨で、さい先の悪いスタートだったが、現地では綺麗な青空が広がり作業日和だった。
 早速作業着に着替えそれぞれの活動場所までバスで移動した。

 半年ぶりの陸前高田市内。
 2月とは違い、一面に草が生えていて夏らしさを感じることが出来たが、それ以外は特に変わっているところは見られず、半年たったがされど半年なのだと思い、カメラのシャッターをあまり切る事が出来なかった。

 市街地を眺めながら、気仙町にあるKさんの茶畑に到着した。

 Kさんの茶畑は初めてだったのだが、私が思っていたよりも高台にあり、この茶畑のすぐ近くまで津波が来たと思うと、改めて津波の恐ろしさを実感した。

 伊達ゼミとしてKさんの茶畑に訪問するのは3回目で、1回目は先輩方が剪定作業を手伝い、2回目以降私たち3回生が活動を引き継いだ。

 今年の茶摘みの前に、陸前高田市内の気仙茶から、国の基準値以上の放射性セシウムが検出され出荷自粛となり、ゼミ生一同悔しい思いでいっぱいだった。

 前回は、古葉を残した「深刈り」程度であったが、今回、古葉も全て落とし、中切りすることで、新たに出てくる新芽からは放射性セシウムが検出されないのではないかという野菜茶業研究拠点の意見もあり、中切りすることになった。

 しかし、「今のような寒くなる前の季節に中切りすることで、茶の樹が弱り、来年、新芽が出ないのでは」というリスクもある。
 「中切りをしても大丈夫なのか」という心配と、「私たちが中切りをする」という緊張でいっぱいだったが、茶畑に集まったKさん、気仙茶の会の菊池会長、前田さんご夫妻をはじめとする気仙茶の会の皆さん、NICEの皆さんは、そんな私たちの緊張を吹き飛ばしてくれるような明るい雰囲気で、私達を迎え入れてくれた。

 菊池会長の挨拶の後、それぞれ自己紹介後、活動を開始した。

 私達ゼミ生の役割は、
 男性陣は、主に中刈り機で茶の樹の剪定。
 女性陣は、剪定バサミで中刈りした後の細かいところの剪定。

 中刈り機は、一度刃を入れるとバリバリと音をたて、茶の樹を容赦なく刈っていった。
 最初のうちは、皆で中刈りされた茶の樹を見つめ、それぞれ色々な思いでこの作業に取り組んでいるのだと感じた。
 私自身も刈られた跡を見ると、せっかく伸びた可愛らしい茶葉が地面に落ちていて悲しくなったが、「もう一度皆で茶摘みをするためには良いことだ」と言い聞かせ、作業に集中した。
 作業中たくさんの方が声をかけてくださり、ぎこちなく剪定バサミを使っていると、「こうやったらやりやすいのだよ」と、効率の良い方法などを教えてもらった。
 特に、「無理せず休みながらでいいのだよ」という言葉は、皆さんから言っていただき、私達のことをとても気にかけてくれているのだなと思った。
 しかし、不思議と、作業中は疲れたと思うことが無く、他のゼミ生も同じ意見で、「今日中に、絶対、作業を終わらせよう」という熱意なのだと感じた。


 お昼休憩になり、Kさんは冷たいお茶とご飯を用意してくださった。
 茶畑の横で景色を眺めながら食べるご飯は最高だった。

 さらに、食後にはたくさんのすいかや、朝ゆがいたというトウモロコシもいただいた。
 どれも、Kさんが私たちのことを思って用意してくださり、Kさんの優しさとその思いに答えようとする皆の笑顔が素敵だなと感じた。


 午後からの作業は、中切りした茶の樹を綺麗に刈っていく。
 美味しいご飯を食べたので、集中力も高まり、見る見るうちに綺麗になり、自然とお茶の樹も喜んでいるように感じた。


 作業終了時間が近づき、ラストスパートと思い、細かいところを一生懸命刈っていると、Kさんが「もう十分だよ。ありがとう」と、何度も声をかけてくださった。

 これだけ皆に気を配って声をかけるKさんだからこそ、これだけたくさんの人が集まり協力し合っているのだと感じた。


 初めて気仙茶と触れ合って、初めて中切りをしたが、綺麗になった茶の樹を見たら、「お茶摘みができる頃には、絶対、茶畑に行かなければならない」と思った。

 作業が終わり、皆バスで米崎町へ向かい、気仙茶の会主催のバーベキューパーティが行われた。
 午前中、気仙茶の活動をしたメンバーと、新たに伊達ゼミ「漁業班」「お茶っこ班」も加わり、多人数でのバーベキューとなった。


 目の前で焼かれたホルモン、ジンギスカン、ホタテ、イカ、さらに新鮮な野菜などとても美味しかったが、一番印象に残ったのが、皆さんとお話できたことだった。


 まず、この機会にお話しようと思っていたフランスから来たNICEのビンセントさん。
 日本語も上手く、英語で会話出来るため話しかけてみた。
 緊張と恥ずかしさもあり上手く話せず「英語は難しい」と言っていると、ビンセントさんはこう言ってくれた。
 「日本人は皆シャイで英語は少ししか話せないと断言してしまうね。せっかく話せる機会なんだからもったいないし、間違いを恥ずかしがってはいけないよ。ぼくだって、間違いをしても、それを何度も練習しているから、日本語を話せるんだ」。
 ビンセントさんは、伝えよう伝えようとお話してくれたので、自然と英語が耳に入り、英語が苦手な私も理解することが出来た。
 最初は、目を見て話すのが恥ずかしかったが、色々話を聞いているうちに、自然と、目を見てお話できるようになり、自分が思っていることが伝わった時はとても嬉しかった。

 途中で雨が降り、公民館の中に会場は移り、中では会長さん達にお話を伺った。
 小山芳弘さんは、「高田松原を守る会」の副会長をしており、たくさんの芸能人と会ってきたと言っていた。
 さらに、少し前までは、テレビに出ていたとか!

 また、私達に陸前高田のりんごの素晴らしさを教えてくれた。
 一般的に、りんごと言えば青森を想像するが、「青森のりんごと陸前高田のりんごを比べると全くちがう」と言っていた。
 美味しいりんごには真ん中に蜜があることが多い。
 実は蜜が甘いのではなく、りんごの甘味が増すとその余った甘み分が蜜になるのだ。
 また、りんごは朝晩の気温差が大きいほうが適していると言われているが、陸前高田は、朝晩の気温の変化がない。
 しかし、その分、10月から11月の日照時間が長く、熟成されるので甘味が増す、と言っていた。
 だが、糖分が高いため日持ちせず、11月下旬から12月上旬ぐらいが食べごろだそうで、それ以降になると腐ってきてしまうので、美味しくなくなってしまう。
 また、「良い保存方法は無いのか」と聞くと、無いそうで、無理やり保存しようとして凍らせてしまうとうま味がなくなり美味しくなくなるそうだ。
 青森のりんごは長持ちするため、一般的に出回っているものの多くが青森産のりんごなのだとか。


 二日目に、米崎町の茶畑に行きつつ、あたりを見渡す、何故そんなにりんごが有名なのか分かった。
 陸前高田にはりんご畑がいたるところにある。
 りんごをメインに栽培している人もいれば、他の作物と一緒にりんごを育てている農家も多い。
 皆さんりんごについて熱心に語ってくださり、そこまで美味しいと言われるりんごはどんなものかと思い、食べたくて仕方がなかった。
 「米崎わい化りんご生産組合」の組合長をされている菊池貞夫さんから名刺を頂いたので、ぜひ、りんごをお取り寄せしたいと思う。

 そして、りんごに次いで美味しいと言われたのが、海産動物のホヤ。
 聞いたことはあったがどのような食べ物か分からなかったので、聞いてみると、グロテスクな見た目だが味はとっても美味しいのだとか。
 味は表現するのが難しいらしく、日本酒やみそ汁に入れたり、様々な食べ方があるそうだ。
 しかし、独特な臭いがあり、好き嫌いが分かれると言っていた。
 家に帰って、ホヤのさばきかたを動画で見てみたが、なかなか興味深かったので、これもまた食べてみたい。


 皆さんはこのように集まってお話する機会がなかなか取れないようで、自分の話をしたい、もっとたくさんお話を聞きたいという思いが伝わってきた。
 そして、お話しをしてにぎやかな雰囲気をとても楽しんでいるように感じた。

 最後に、震災当時の話もしてくださった。
 皆さん、震災当時は、それぞれ先導を切って、避難住民を指示していたそうだ。
 声をそろえて言っておられたのが、
 「今まで2日あれば国は助けに来てくれると教えられてきたが、3日経っても5日経っても助けに来てくれなかったんだよ。」
 「着替える服もないし、お風呂も入れないが、そんなことで人間は死にはしない」。
 そう思い出しながら、しみじみと言っていた。
 支援物資が届いたのは一週間経ってからで、それでも全く足りなかったそうだ。

 また電気もない、トイレも流れない。
 そこで、自分たちで穴を掘って、その両側に板をひいて簡易トイレを作った。
これも「昔の人の知恵だな」と言っていた。
他にもご飯を炊きたくても、白米にする機械もなければ、電気の炊飯器では炊くことができない。
 そこで役に立ったのが、ガス釜の炊飯器。
 ガス釜の炊飯器を使っている家庭はなかなかいないそうで、必死になって探しに行ったと言っていた。
 当たり前のように使っている電気が急に無くなると、何もできなくなる。
 しかし、昔の人の知恵はそのようなときに活用できるので、今のうちから色々な人に聞いて知識をつけていくべきだと言っていた。


 お開きの時間になり、名残惜しそうに席を立った皆さん。
 私達もまだまだお話したかったが、感謝の気持ちを述べ笑顔で別れた。
(文責:宗)

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田辺くんのレポート

 約半年ぶりの陸前高田

 長時間のバス移動も、早く陸前高田に行きたいと思っていたので、苦ではなかった。

 陸前高田は、今年2月に比べ、雑草が生い茂っている以外、あまり変化がないのかなと感じた。
 2月合宿での漁師Oさんの、「半年後に来たら復旧・復興が進んだと思うかもしれない」という言葉を思い出し、ずっと眺めていた。
 確かに瓦礫の数も減っており、倒壊したままだった家も無くなっていたが、「半年でこの程度の変化は、進んだと言えるのだろうか」と胸が詰まる思いがした。

 Kさんの茶畑に行くのは今回が初めてである。
 茶畑に行くまでに、そのまま残っている家や、玄関に続いていたと思われる石階段だけが残っている場所など、未だ残る津波の痕を見た。


 少し険しい道を登ったところにある茶畑は、想像していた通り背が低かったが、思っていた以上に元気な新芽が伸びていた。

 「本当に、葉を完全に落とすぐらい剪定していいのか」と少し躊躇しながら作業を開始したが、南山城村の木野さんの
 「きれいになってお茶の樹も喜んでいる」
 「人が来て手入れすれば、お茶の樹も何かを感じる」
という言葉を思い出し、お茶の樹をきれいにしてあげなければと思い、作業に取りかかった。

 雑草は、根だけが残っていたりと、比較的作業はしやすく、きれいになった茶の樹の列を見ると、心なしか茶の樹が喜んでいるように見えた。

(慣れた手つきで中刈機をあやつる気仙茶の会・志田さんと村上さん)


 中刈機での作業は、可搬型摘採機と似ているとはいえ、刃の大きさがかなり太いので、作業に慣れるまではゆっくり作業を行うことに。
 慣れてくれば作業もはかどり、効率よく作業することが出来た。
 
 中切りするには時期が遅いと言われていたが、来年、可愛い新芽が芽吹き、収穫できるよう、お茶の樹の強さを信じたいと心から思った。


 すべて完璧に中切りできなかったのが残念ではあったが、ここまで作業がはかどったのは、Kさんと、気仙茶の会の方々、NGOのNICE(日本国際ワークキャンプセンター)の方々のおかげであると思った。



 作業を終え、汗を流してからのBBQでは、大変貴重な話を聞くことができた。

 「林檎は蜜があるから美味しいのではなく、行き場を失って余った糖分が密となるから美味しい」
 「高田の林檎が一番おいしい。大阪にも売りに行って好評だった」
 「美味しいのに安いと皆が驚く」
と、陸前高田の林檎の良さを聞いてしまったので、是非とも機会があれば食べてみたい。

 だが、後継者問題や高台移転のために、林檎の樹が切られているとも聞き、何ともいえない気持ちだった。
 また、
 「一本松の保存に一億五千万かけるぐらいなら、まずは高台移転などに費用を回すべき。一本松よりも先にやるべき事があるはずだ」
 「堤防があったから多くの人が亡くなった。コンクリートが保つのは50年ほど、大きな津波がくるのも50年に一度。堤防があるから人は変な安心感を持ち堤防近くに住んでしまう」
 「堤防を作るかなどのアンケートがあったが、高さには触れておらず、後から『高さ12.5メートル』と言われた」
 「チリ津波以降、それよりも高い堤防を作っていたが、今回それを越える津波が来て、チリ津波を超える津波は来ないと安心していた人やチリ津波を経験していない人は亡くなった。今回それよりも高い堤防を作れば、50年後、また根拠のない安心感を与え多くの人が亡くなる。それに、高すぎる堤防に囲まれ暮らすのは、監獄の中で暮らしているとしか思えない」
 「そう何度も訴えているが、なかなか伝わらない」
など、住民と市側の意見が食い違っている話を聞いた。

 どの選択が正解なのかはわからない。
 正解があるのかさえわからないが、住民の意見に耳を傾けないのは、不正解だと言っても良いのではないかと感じた。

 今では、テレビでも、あまり被災地の事は報道されなくなったので、少しの時間ではあったが、一緒にご飯を食べ、お話しをすることができて、本当に嬉しかった。


 現地の方々と楽しく一緒にご飯が食べられ、お酒まで飲めるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです。



(バスの車窓から撮影)

(文責:田辺)

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岡嶋くんのレポート
 9月4日(火)、Kさんの茶畑での活動報告です。
 陸前高田市にあるKさんの茶畑で、「気仙茶の会」の方々、国際NGO「NICE」の方々、そして伊達ゼミ、総勢15名で剪定・除草作業を行いました。

 今年2月下旬にKさんの茶畑を訪れてから、早くも7ヶ月が過ぎていました。

 二度目となる今回は、放射性セシウムを除去するための剪定が目的です。

 田辺君、有光君、そして僕は、主に中切り機を使わせて頂き、茶畑の剪定をすることになりました。

 木野製茶園で中切り機を見せて頂いていたが、僕は実際には使ったことがなく、使いこなせるか不安でした。

 安全具が付いてない、刃がむき出しになった中切機は、思ったよりズッシリと重量感があって、首筋や頬を滴る汗が止まらなかったです。
 刈った葉や枝を飛ばす送風口から勢い良く風が出てきて、それらが顔に覆いかぶさる。

 息が出来ないほど苦しかったけれど、枝を刈り落とすこと、そして一歩足を踏み出すことに集中する。

 来年こそは茶摘みをしたいというKさんの思い、地元の気仙茶を守っていきたいと思う方たちの思いに、少しでも力になりたいという気持ちでいっぱいでした。

 少しが離れたところにある在来種の畦畔茶園での剪定作業では、幅が広くて大きく、何より足場が悪い。
 足を滑らした時は本当に肝がヒヤッとしました。

 大まかに茶の葉を落とした後は剪定バサミやヘッジトリマーで残った葉を落としていく。
 葉を落としながら、「気仙茶は強いな、精一杯生きているだなぁ」と感じました。

 しっかりと雑草も抜いていく。
 根っこからしっかりと。


 お昼ごはん。ナスの漬物、デザートのスイカ、お弁当を頂きました。

 ナスの漬物はKさんの手作り。本当に美味しかったです!

 Kさんは、お仕事を休んで、わざわざ剪定を行う僕たちのために駆けつけてくださいました。
 ブログにアップされていた剪定前の写真には、雑草が伸びていたのに、当日にはほとんど無かったのは、僕達が気持ち良く作業が出来るように、Kさんが下準備をされたのであろう。

 切り落とされた枝や葉をKさんと一緒に拾い集めていると「来年就活を早く終わらせて茶摘みにおいで」と言って頂きました。
 「京都もいいとこだけど、岩手で就職もいいわよー。市役所とかどぉ?」と笑顔でKさんに勧められました。

 来年は、海の幸や山の幸をKさんにご馳走して頂くことになりました。

 最終的には、殺風景な茶畑になったけど、気仙茶の樹は「ありがとう」って喜んでいるように見えました。

 来年こそ気仙茶を飲めるように、地域の方たちが、震災前のように、茶摘みが当たり前のようにできるように、今日の剪定に参加させていただいたことを、少しでも力になれたことを、とてもうれしく思います。

 今日という日のために、今まで木野製茶園でお茶を学んだこと、経験したことを、精一杯、気仙茶に活かすこと、僕の目標の一つでもありました。

 僕が学んだこと、その経験が少しでも役に立てたかどうかはわかりませんが、これからも僕は、気仙茶に少しでも関わっていきたい、力になりたいと強く思いました。
(文責:岡嶋)
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有光くんのレポート

 私は、4日と5日ともに、気仙茶班として、茶の樹の除草作業や刈り取り作業を行った。
 初日は、気仙町のKさんの茶畑の刈り込みを行い、二日目は小友町の茶畑の刈り込みを行った。

 初日、バスでKさんの茶畑のふもとまで向かう。
 到着して、下から茶畑を見あげたとき、前回2月に訪れた際、Kさんに「もう一度来ます」といった約束を達成することができた喜び感じた。
 同時に、以前訪れたときに、Kさんと話しをした時の優しい表情を思い出した。
 ふもとから坂を登る際には、前回の記憶がもっと鮮明に蘇ってきた。

 茶畑まで登り、待機していると、数分後に、気仙茶の会の菊池会長、前田さん、佐藤さんや、日本国際ワークキャンプセンター・NICEの方々が機材をもって上ってきた。

 全員集合すると、会長から、今回の作業の手順や方法を説明していただき、中刈り機の使用方法を伊達ゼミ生に教えていただき、任せていただいた。

 我々が当日と翌日に使うこととなる中刈り機は、在来種の畦畔茶園にも対応できるように改造されたもので、見本を見せていただたい限り、自分が想像していたよりも扱いが難しく、危険なものであった。

 しかし、我々が今回訪れた理由を考えると、中刈り機を使わないわけにはいかなかった。

 実際に使ってみて感じたことは、かなりの重量感があったことである。
 さらに、持つ部分が不安定なため、長時間の使用は危険だと感じた。
 そのため、休息をとりながら、時間をかけて刈っていった。

 中刈り機の刃を深くいれることは、なかなかできなかった。
 今まで、長年に渡って育ててこられたKさんのことや、今後の成長度合いを考えると、なかなか思いきって刈ることができなかった。
 しかし、先生からも話しを聞いていたため、「後になって、後悔したくない」と思い、数回に分けて、深く刈った。


 手が空いているときには、剪定用の手バザミを使って枝を切り、少しの時間も無駄にしないようにした。

 8列ほどの畝を中刈り機で刈っていき、「刈りが浅い」と感じたものは、さらに深く刈って行った。


 一段落して落ち着くと、昼休みになり、Kさんがご馳走をたくさんふるまってくれた。
 感謝しつつ、ご飯をいただいた。

 昼食を食べ終わると、少しでも多くの作業をするために、次の作業へと移った。
 午後はまず、茶の樹の根元の雑草を除去する作業を行った。
 その後、手ハサミで枝を落としていく人と、枝や葉を回収する人に分かれ、効率的に動いた。

 作業の終わりの時間が近づき、刈り取った葉や枝の回収や、道具の片づけを行った。

 あらためて周りを見渡してみると、枝も葉もきれいに刈り取られていた。
 まだ刈りきれていない葉などが残っていたので、少し心残りもあったが、刈り取られた風景を眺めていると、『また元気な新芽が芽吹いてほしい』という気持ちが大きくなった。

 Kさんも喜んでおられたように感じられ、こちらも嬉しく感じた。

 Kの茶畑が元気に成長することを願いつつ、また緑色に育った姿を見てみたいと感じた。
(文責: 有光)

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永井さんのレポート

〜気仙茶に触れた二日間〜

 私は、今回二日間とも、気仙茶班の一員として活動した。

 一日目は、気仙町のKさんの茶畑での活動だった。

 茶畑の近くまでバスで向かう途中、去年たくさんカメラに収めた一本松の姿を目にした。
 近くには行けないけれど、カメラに収めようと撮った写真がこの一枚だ。

 この一本松を見ると、陸前高田にやってきたんだなと思えた。

 バスのなかで写真を撮っているうちに目的地に到着し、漁業班やお茶っ子班の人たちと分かれて、バスを降りた。



 右手には神社への階段、左手には、2月に気仙茶班で集合写真を撮った黄色い旗。
 黄色い旗は、2月に来たときよりも増えていて、色褪せたものもあった。
 たった半年だが、なんだか懐かしい気分になった。


 早くKさんの茶畑をみたい。
 あの頃以上に逸る気持ちを抑え、足早にKさんの茶畑へと向かった。

 坂を登って行く時、少し迷いそうだったのは内緒だ。

 また前へと進んだ。

 そして、Kさんの茶畑に到着。

 私達が前回この茶畑に訪れてから、約半年が経つ。

 踏み入れたこの地には、以前よりも元気な茶樹が顔を見せてくれた。
 そんな気がした。

 私たちは、剪定道具を置いて、カメラをとりだす。


 この場所は、本当に陸前高田を一望できる場所だ。

 前回2月に来た時よりも、緑が増えたが、根本的な景色は変わらないなと思った。


 茶樹の葉をみると、これは、単に冬から夏への季節の移り変わりによるものなのか、それとも昨年の剪定によるものなのか、お茶の葉はきれいに元気に育っていた。 若く、きれいな黄緑色。


 これを今から全部刈り取ってしまうのか。
 そう思うと、胸がチクリとした。


 さて、ここからが作業だ。
 私達が5ヶ月間、京都・南山城村の木野製茶園で学んで来たことを活かす時がきた。
 そそくさと準備をする。

 すると、しゃおしゃんの前田さんや気仙茶の会の会長の菊池さん、会の方々、そしてNICEの方々が到着。


 挨拶を済ませ、気合を入れて作業に入る。


 今回の目的は、「深刈り」ではなく、「中切り」を行うこと。
 今年、陸前高田市内の茶畑から、国の基準値以上の放射性セシウムが検出されてしまったためだ。


 「来年こそは!」という思いを込めて、作業開始。


 剪定バサミを握り締めた。
 最初は、初めて使う道具に少し怯えてしまって、なかなか手が動けなかった。
 けれど、言われたことは最低限やり遂げようと、言われるがままに手を動かした。
 サクッサクと両手に力を入れて刈っていく。
 切り落とされた葉や枝を見ると、なんとも言えぬ気持ちになる。
 その度に、「これは、来年につなげるための大事な作業なんだ」と自分に言い聞かせて、手を動かした。
 古い葉を残さないように、細い枝を残さないように、手を動かしていく。


 途中、気仙茶の会の志田さんに、「こうすると早くできるよ」とお手本を見せていただき、だんだんコツを掴み始めた私は、今日中に終わらせるようにとスピードをあげていく。

 中刈り機で刈った後の細かいところを剪定バサミで刈り、また、剪定バサミが入らないところは、手でパキっと折っていき、枝や葉を残さないように刈っていった。


 すると、志田さんが、「下の方もやって欲しい」というので、宗さんと一緒に移動した。
 そこは、剪定するにも雑草が伸びすぎていてやりにくかったので、除草作業からの開始だ。
 木野さんのところで、雑草は本当にすぐ生えてくるということ、雑草が多く生えているところは茶樹の成長も遅くなるということを十分目にしていたので、きれいに除草してあげなくてはならないと思った。
 しっかり除草して、「茶の樹が養分を吸収できるように、剪定してからもすぐ元気になるように」と願い、作業に励んだ。

 除草作業は、茶畑作業の中で一番地味でハードな作業だ。
 それでも地道に続けていると、本当にきれいになるもので、草をひき終わったあとは、なんだかすっきりした。
 すかさず剪定を行う。
 一畝をやり遂げた私たちは、すっきりして次の畝へと向かう。



 ここで昼休憩。
 お昼休憩では、Kさんが私達のために用意してくださったご飯を、一緒に作業した方たちと、茶畑の横で景色を眺めながらいただいた。
 Kさんの手作りのナスの漬物も、食後にいただいたスイカもトウモロコシも、とても美味しかった。
 Kさんは、お仕事があるにもかかわらず、私達のためにお休みをとっていただいて、さらには、こんなにたくさんのご馳走をいただいて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
 茶畑も、Kさんが事前に除草作業をしてくれていた。私たちが作業しやすいように配慮してくれていたのだと思う。
 ご自身も被災して忙しいのに、こうして私たちが来る度に、自然な様子でもてなしてくださるので、申し訳ないと思いつつも、うれしく、またその思いに応えたい、それ以上の作業でお返ししたいと思った。



 時間も限られているので、休憩もほどほどに作業再開。

 不思議なことに、手を一生懸命動かしても、疲れたという感じがなかった。
 他のメンバーもそうだったらしく、木野さんのところで作業してきたせいだったり、気仙茶にかける私たちの思いのせいだったらいいなと思う。


 私含め女性陣は、剪定バサミを使って剪定を行っていたが、男性陣は、中刈り機を使って、バリバリっと音をたてて茶樹を刈っていった。
 この中刈り機は、剪定バサミとは違って、あっというまに茶樹を刈っていくことができる。

 Kさんの茶畑に到着したときは、思っていたよりも元気な葉がたくさん生えていたが、それもすべて刈り取られていく様をみると、呆然としてしまった。
 これからちゃんと芽が出るのか不安になってしまうけれど、「来年のためにもここは我慢どころなんだ」と、また自分を言い聞かせる。

 葉を残して、もしも来年、国の基準値を上回るセシウムが検出されてしまえば、茶摘みも製茶もできなくなってしまい、元も子もない。

 合宿出発前、橋本素子先生とお話した際に、「ちょっとだけなら、という甘さは持ってはいけない」という言葉が頭に残っていたので、しっかりと刈り込む。


 午後からの作業はあっというまで、気がついたら作業終了の時間が近づいていた。

 茶畑をみると、とてもすっきりしていた。

 茶の樹をみていると、なんだか、茶の樹に、「ありがとう」と言われているような、そんな気がした。



 最後に土壌pH値を測った。
 ヤブキタ茶園の様々な地点で計測してみたが、pHの値はだいたい5〜6だった。
 茶畑から少し離れると7という値も計測されたが、茶の樹が植えられている比較的土がやわらかい部分は、適性値に近かった。


 茶樹は手で簡単に折れてしまうものもあったし、前にいっていた苔がついているところもあったし、実がついているのもあって、弱っているところもあった。
 が、根はしっかりしていたし、しっかり剪定して強い部分を残したので、あとは、茶の樹の生命力にかけたい。

 土壌はほぼ適性だし、茶樹も元気だ。

 来年は、絶対大丈夫。
 新芽はちゃんとでてくるだろうし、セシウムも国の基準値を下回るはず。


 「来年はお茶摘みにくるね。それまで元気で」。

 そう心の中で茶樹に伝え、Kさんの茶畑をあとにした。


 一度、鈴木旅館にもどってから、ゼミ生全員で、気仙茶の会主催のバーベキューパーティに参加させていただくために、米崎町へ向かった。

 作業中は、あまりお話ができなかったこともあり、ここでは、あらかじめ準備してきた名刺を片手に挨拶に伺い、いろんな方にお話を聞かせていただいた。

 中でも一番記憶に残っているのは、「堤防があったから人が死んだ」というお話。
 ほろ酔い気分で睡魔が襲ってきたところだったが、この話を聞かされて、一気に目が覚めた。

 以下のお話を伺った。
 大きな津波がくるのは、50年に一度。
 コンクリートの寿命も50年ほど。
 どれだけ高い堤防を作っても、人は自然には勝てない。
 むしろ、高い堤防を作れば、住民は、「チリ地震を越える津波はこない」「チリ地震津波よりも高い堤防をつくったのだから、心配ない」と安心して、逃げるのに遅れをとってしまう。
 今回の津波も、住民は「ここまでこない」と安心していた。
 それでもチリ地震を体験して、「これは危ない」と、避難を呼び掛けた消防団の方たちが亡くなってしまった。


 このお話を聞いて、なんともいえぬ気持ちになった。
 「堤防があるから多くの人が亡くなった」。
 この言葉が胸に染み込んでくる。
 堤防があると、人は変な安心感を持ってしまう。
 時が経てば、どんどんと津波の怖さが薄れていき、変な安心感ゆえに、人は堤防の近くにも住んでしまう。
 どうして人は、絶対的な安心なんてどこにもないのだと理解できないのだろう。
 「自然には勝てない」。
 半年ほど前、京都でお話しを伺った陸前高田の漁師のSさんの言葉を思い出した。
 それなのに、行政は、今回の津波をうけて、さらに高い堤防をつくろうとしているらしい。
以前、堤防を作るかなどのアンケートがあったそう。
 だが、当初、堤防の高さには触れておらず、後から「高さ12.5メートル」と告げられた、とおっしゃっていた。
 「高すぎる堤防に囲まれ暮らすのは、監獄の中で暮らしているようなもんだ」。  「せっかくのきれいな海が台無しだ」と。


 
 津波は、絶対にやってくるもの。
 どれほどの高さの津波がくるのかわからないのだから、堤防がないほうがましではないのか。
 「津波は忘れたころにやってくる」のではない、「津波がやってくるころには、人は津波の恐ろしさを忘れている」のだと強く話しておられた。
 津波がきたら、とにかく逃げる。
 そういった危機感を常日頃から持つことが、命を救う上で大切なのだろう。



 一本松のモニュメント化について。
 合宿前に、奇跡の一本松が、9月12日、震災から一年と半年の次の日に切断されるという記事を読んだ。
 切断後は、来年2月のモニュメント化に向けて、防腐処理をするそうだ。
 1.5億円をかけてモニュメント化するのには、賛否両論があることは知っていた。
 私も、合宿前までは、「あの奇跡の一本松だ。復興のシンボルとしてモニュメント化させることになったのはよかったなぁ」と思っていた。
 けれど、一本松をモニュメント化するために、1.5億円かけるのはどういうことなのか、今回、お話を聞いて、もう一度考える。


 「やっぱり一本松はあったほうがいい。けれど、1.5億円をかけるほどではない。それよりも、海から離れた高台に住居を建てるための費用に回すべき」という意見を伺った。


 何が大切で、何を優先させるのかというのは、本当に難しいと思う。
 「高い堤防をつくる」、「一本松のモニュメント化」、それよりももっと大切なものは何かを考えさせられた。


 このバーベキューでは、短い時間だったが、貴重なお話を聞かせていただくことができて良かった。

 今では、テレビでも、震災関連はあまり報道されなくなった。
 だからこそ、 住民の率直な気持ちに触れることができて本当によかった。

 自分自身、考え直すところもたくさんでてきたし、今後についてゆっくり考え直したいと思う。


 陸前高田の方たちと話していると、人の暖かさに触れることができるし、話の一つ一つがとても深い。

 今一度、このゼミに入って、陸前高田の人たちに会えて、本当に良かったと思う。
 
 これからも関わり続けたい。

 また、ぜひ、活動に参加させていただけたらと思う。

(文責:永井)

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