陸前高田合宿 (3) エゾイシカゲ貝の選別作業

9月4日、5日に行われたエゾイシカゲ貝の養殖作業のボランティアについて報告します。

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寺本くんのレポート
私は、前回の2月合宿に引き続き、要谷漁港の船着き場で、エゾイシカゲガイの養殖のお手伝いをさせて頂いた。(2月合宿の様子はこちらを参照)
場所はこのあたりです。


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前回、「絶対また来ます」と約束していたので、実現することができて、うれしかった。


今回は、仕掛けの砂の入れ替え作業を手伝いました。


エゾイシカゲガイの仕掛けは、発泡スチロールの容器をビニールと網で覆い、その中に砂を入れる、というもの。


今回行った砂の入れ替え作業は、海に沈められていた仕掛けを引き上げ、発泡スチロール容器の中の砂を出し、砂の中からエゾイシカゲガイだけを選別する。

そして、仕掛けのほうは、ビニールと網、そして発泡スチロール容器に分解し、周りについたフジツボや貝をとり、きれいにするという作業だ。

(仕掛けを分解し異物をとる作業)

(発泡スチロール容器は青いビニールで守られているため異物はほとんど着かないが、網には多く着くいているため、落とす。容器と網は洗浄後、再利用され、ビニールは異物を落とした後、廃棄。)


仕掛けの中には、まだ小さいエゾイシカゲガイの稚貝がたくさん入っていた。

エゾイシカゲガイは、昨年、陸前高田から京都に出稼ぎにこられていたSさんに動画を見せてもらったとおり、元気に動いていた。

私が2月に作った仕掛けに稚貝が入っているのを見て、とてもうれしかった。

この小さな稚貝が、再来年の夏にはジャガイモくらいの大きさになり、出荷される。



前回、訪れた時は漁師5人で作業されていたが、現在は、女性陣も加わり、3つのグループに分かれ、作業が行われていた。

初日の作業は、ゼミ漁業班の5人を2人、2人、1人に分け、お手伝いをさせて頂いた。

私は真ん中のテントを手伝った。


まず、容器から砂をかき出す作業を手伝ったのだが、砂の入った容器は重く、また、中腰での作業が続くので、慣れていない私には大変な作業であった。

次に、選別の作業を手伝った。
ホタテなど他の貝や小石をのけて、エゾイシカゲガイをだけを取り出す。

(この中からエゾイシカゲガイを選別する)

(これが現在のエゾイシカゲ貝の大きさ)

(選別作業の様子)


(新しい砂の中にエゾイシカゲ貝を入れた容器を沖に運び、再び海中につるす作業)



昼食を食べ、午後からは、仕掛けの分解とごみ取りを手伝った。

私は4時間ほど手伝っただけだったのだが、くたくたになった。

海の仕事の大変さを知った一日であった。




二日目は、真ん中のグループの船の調子が悪かったため、9名のゼミ生は、二つのテントに分け、手伝った。
作業内容は、一日目とほぼ同じ。

私は、気仙茶のKさんと同じテントで作業をした。
Kさんは何度も何度も、
「昨日はありがとうね」
と言って下さった。
気仙茶班の頑張りを聞き、私たちもがんばろうと思った。



私は、初日と二日目では別のテントで手伝わせて頂いたのだが、どちらのテントでも温かく私たちを迎えてくださり、休憩中には、手作りのおにぎりやお菓子をふるまってくれた。


私はこの合宿で、被災者の方々の「優しさ」とともに「強さ」にも触れた。
津波で船や設備などすべて流されてしまい、十分な設備もない。
そのような中でも、私たちを温かく出迎え、気づかってくれる。
このことは本当にすごいことだと私は思う。

私は、漁師の方々を見ていて、前回、Oさんがおっしゃっていた
「やっぱり、この(漁師の)仕事がいちばんだからな」
という言葉を思い出した。
すべては、この言葉に集約されるのであろう。



しかし、設備不足は深刻な問題で、特に冬の寒い時期のこれからの作業に不安を抱えているという話も聞いた。


私の出来ることは、Sさんのお話しを聞くことから始まったこのつながりを絶やさず、手伝い続けていくことではないかと思う。

私は、絶対に来年も福伏に出向き、ボランティア活動をしようと思う。

そして、今回よりももっと力になりたい。


 海の男・田端。
 お借りした作業着姿があまりに板についていたせいか、地元民にまちがえられ、道を聞かれていました(笑)。

(文責:寺本)

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松本さんのレポート
私は、漁業班として、養殖の仕事のお手伝いをした。

【1日目】
 エゾイシカゲガイの選別をした。
 海から上げられた小さな稚貝を洗い、ざるに入れて、エゾイシカゲガイだけを選別する作業だ。

 平べったいものがホタテ、黒いものがムール貝、肌色や茶色っぽいものがエゾイシカゲガイの稚貝。

 作業をしているうちに、ホタテやエゾイシカゲガイがぴょんぴょん動いていて可愛かった。

 中には、中身がなく、殻だけのものもあり、それはヒトデに食べられてしまっている。
 
 エゾイシカゲガイだけを残し、殻とホタテとムール貝の稚貝は、もったいないがカモメのエサになる。

 エゾイシカゲガイは、量を計り、分けられ、再び容器に入れて養殖される。

 2〜3ヶ月ごとにこの作業が行われて、2〜3年後に出荷される。

 10時に一度休憩があり、スイカをいただいた。
 12時のお昼休憩でも、手作りのお料理をたくさん食べさせていただき、本当に親切な方々だった。
 みなさんがよく話しかけてくださり、笑顔がとても印象的だった。

 今は漁港のテントで作業をしているが、震災以前は建物の中でやっていた作業もあり、
「前はこんなハエの来るところでご飯を食べなくてもよかったのに…」
と言っておられた。
 確かに、テントが3つあるだけで、あまりよい環境とは言えないと感じた。

 以前の場所は、現在でも、津波のように1メートル近くの波が来るので、もうそこでは作業ができない。


 貝の選別が終わると、養殖に使う発泡スチロールの容器を洗う作業をした。
 泥や貝が付いているので、それを擦って洗い流す。
 その容器は、また養殖するために再利用される。


【2日目】
 前日に引き続き、同じ場所で作業をした。
 はじめはエゾイシカゲガイの選別。
 現地の方は『貝っこ選び』と言っておられた。

 容器や網を洗ったり、船が戻ってくると、海から上げられた容器から稚貝を採りだしたりした。
 砂の入った容器は重く、私はあまり役に立てず悔しかった。
 地元の女性陣は、素早く運んだり、洗ったりしていて、とてもたくましさを感じた。


 一緒に作業をしていた方が、震災について話してくださった。
 津波から避難しているとき、屋根の上で助けを求めている人を見たが、どうすることもできなかった。
 震災の日、3月11日から4日間、娘とは連絡が取れずに、生きているのかどうかもわからなかった。
 家が高台にあったため、家が流されることはなかったが、そのために避難所に行かなかったので、食糧がもらえず、自分たちで調達しなければならなかった。
 育ち盛りの子供たちは、限られたものしか食べられないので、かわいそうだった。
 お孫さんが通っていた学校は津波で流されてしまったが、先生の対応がよかったのか、全校生徒が無事に避難できた。
 以前は家からとても近かったが、津波が来ると危険な場所なので、もうそこに新しい学校が建つことはなく、遠くまで通わないといけない。

 震災からしばらくして電気が通ったが、電気よりも先に、水が欲しかった。
 なによりも水が一番大切だった。
 あのころは戦争みたいだった。

 私が一番驚いたのは、今でも余震や津波警報が頻繁にあるが、「あれ以上の地震津波は起きないだろう」と、お年寄りも子供も危機感を感じず、あまり避難しなくなったということだ。
 震災で津波の恐ろしさを知って、津波警報にも敏感になっていると思っていた。
 しかしもう1年半も経っていて、警報が出ることもよくあることなので、危険視しなくなってしまったのかなと思った。

 2日間の作業が終わり、感謝の言葉を伝え、挨拶をした。
 最後まで手を振ってくださっていた。


«感想»
 2日間の活動を通して、現地の方々の暖かさを本当に感じました。
 みなさん、とても明るく、よく話しかけてくださり、前回の2月合宿の時と同様、私たちのほうが元気をもらってしまったように感じました。
 気をつかわせてしまっていたということもあると思いますが、震災については、私からはあまり聞けずにいても、自らたくさん話してくださいました。
 半年前にはそういうことは少なかったと思います。
 しかし、笑って話しておられる表情にも、悲しさは残ったままでした。
 漁港で最後にお礼を言ったときに、「また来てね」と言ってくださったことが、とてもうれしかったです。
 一方で、半年前からそのままの建物を見て、改めて復興の難しさを感じました。
 震災から1年半経って、1回目の合宿から半年が経って、被災地のことを忘れかけていたと気づきました。
 半年前に、「忘れないでほしい」と現地の方々が強く言っておられたことを思い、もっと多くの人にも、震災のことを思い出してほしいと思いました。


◎移動中に見た陸前高田の今。

 半年前に見た光景と似ている場所があった。
 ガレキの撤去作業が、この日にも行われていた。
 建物の中身がなく、外壁だけが残っているものもたくさんあった。


 移動中に見た一本松。

(文責:松本)

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三宅くんのレポート
今回の合宿では、2日間とも気仙町の要谷漁港で大坂さん、小泉さんをはじめとする漁師さんたちと一緒に作業させていただいた。

漁港へと向かうと、前回2月に訪れたときよりもテントの数が増えていた。
全体を3つの班に分けて、それぞれの船、仕掛けを使用、また作業を分担していた。

 
私は、2日間とも、小泉さんと同じ班で作業させていただいた。

まず、船で仕掛けを引き上げる。

その仕掛けから、エゾイシカゲガイを取り出すために、篩にかける。

取り出した貝を、エゾイシカゲガイとそれ以外の貝とに、手作業で仕分ける。

エゾイシカゲガイを取り出した仕掛けは、ネット・発泡スチロール容器・ビニールに仕分ける。

ネットには無数のカイや海藻などの生き物が付いているので、できる範囲で、手で取り除く。
  

発泡スチロール容器は、海水で洗い、乾燥させて再び使用する。

ビニールは、付着している貝などを海水で流しながら、ブラシで取り除く。
このビニールは、貝が付着した際や貝を取り除く際に破れてしまうことが多いので、乾燥させてから処分する。

乾燥させた発泡スチロール容器・ネット・新しいビニールを用いて、仕掛けを組み立てる(今回、組み立て作業は伊達ゼミ生は行わなかった)。
その仕掛けに、砂・エゾイシカゲガイの稚貝を入れて、3連つなげて海に沈める。


 
作業は、力や根気のいる仕事ばかりだった。
だが、ときおり笑い声が聞こえる明るい作業場の雰囲気だった。
私たち伊達ゼミ生がいるグループだけではなくて、漁師さんたちだけのグループからも、笑顔がたくさんこぼれていた。
前回と比べ多くの人が、特にパートタイムで働いている女性が働いておられるのも、明るい作業場ができる原因なのかなと思う。


私たち伊達ゼミ生以外にも、神戸や東京から大学生がボランティアで来ているそうだ。
そのせいもあり、手順の説明や会話に大学生を交えようとする気遣いも感じられ、ボランティア学生を受け入れるということに慣れておられるのかなという印象を受けた。
おかげで、個々でお喋りしやすかった。
 

一緒に作業していると、何気ない会話が続く。
「将来に何になるのー?」と多くの漁師さんに尋ねられた。
「まだいまいち決まってなくて、、、」と話していると、
「それならここで働けばいいさ」と、お誘いを受けた。
もちろん冗談であることは分かっているが、少しうれしかった。
漁師さん同士で時々話す「俺らのあと、ここで働くものがいない」というニュアンスの会話からも、次の世代の働き手がいない。
若者が地元から離れている。
「孫も君たちと同じくらいの大学生」とおっしゃる方も何人かおられて、そのお孫さんも県外で就職を希望しているとのことだった。
若者の流出も、被災地が抱えている不安の一つなのだなと、改めて実感した。

漁師さんたちの間で、ふと震災のことが話題になることがあった。
震災当日の話で、「わしらはすぐに逃げようと思ったから助かった。躊躇してたらどうなってたかわからないなぁ」とおっしゃっていた。
前回にはなかった、私たちが話題にすることなく、自然に震災のことが話題になっていたのが驚いた。
時間の経過と、こうやって養殖作業が進んで、先が少しずつ見えてくることが、震災のことを自分たちで話題にするということになったのかなと思った。


また、気仙茶が気仙町の方々の生活に深く関わっていることも感じた。
2日目に、気仙茶のKさんに漁港でお会いして、気仙茶の話が話題になった際にも、私たちとKさんだけの話題ではなく、漁師さんたちも加わった話題になっていた。
「漁港の漁師さんたちと気仙茶の繋がりって何なのだろうか」と思っていたところもあったので、気仙茶は、私が思っていた以上に、陸前高田の人々との結びつきが強いのだなと実感させられた。
 
今回は、漁港の方々の優しさに触れ、前回よりも明るさと活気を感じられた2日間だった。
温かく出迎えていただき、たくさんお話をして、パワーをもらった。

そして、この方々とのつながりを後輩たちにしっかり伝えていくのが、私たちのすべきことでもあると感じた。

来年も必ず来たい。

元気に足を出して動いていたエゾイシカゲガイが大きくなっているのを是非見たいと思う。

(文責: 三宅)

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長田さんのレポート
 私は、漁業班として、2日とも要谷漁港の福伏の船着場にエゾイシカゲガイの養殖のお手伝いをさせていただきました。
 以下はその報告です。

【1日目】
 漁港に到着して最初の仕事は、エゾイシカゲガイの選別作業であった。
エゾイシカゲガイを見たのは初めてで、直径1センチくらいの小さなピンク色の貝であった。


選別前                     

選別後

 選別前は、エゾイシカゲガイの他に、ホタテ、ムール貝、巻貝などが混じっている。
 巻貝は、昔は混じっていなかったらしいが、近年の異常気象が理由で、最近になって混じるようになったらしい。
 おそらくは南国のものだろうということであった。

 これらからエゾイシカゲガイだけを選別する。
 エゾイシカゲガイ以外はカモメの餌になるらしく、もったいないと思った。
 選別中に、エゾイシカゲガイがピョンピョン飛び跳ねて可愛かった。
 貝の中から白い身が飛び出して跳ねている様子は、とても元気があった。
 中身がないのもあって、それはヒトデが食べているらしい。
 時々カニも混じっていた。
 しかしこれもカモメの餌になってしまうらしく、「陸前高田のカモメは高級なものばかり食べている」と思った。


 選別したエゾイシカゲガイは計量カップで量られ、ネットに入れられる。

 そして、それを発泡スチロールに砂と一緒に入れ、また海に沈める。
 この作業を数ヶ月ごとに繰り返し、2〜3年後には出荷する。
 その時には、約10倍ほどの大きさになり、エゾイシカゲガイの色は茶色っぽくなる。


 次は発泡スチロールを洗う作業であった。
 この発泡スチロールはエゾイシカゲガイを入れるためのものである。
 海に沈める時は青いビニール袋を巻く。
 私が洗ったのは、このビニール袋を取ってからの白い発泡スチロールだった。
 発泡スチロールにも、ムール貝がたくさん付いていた。
 洗った発泡スチロールは日当たりの良い場所に置いていく。

 お昼休憩の時に、お弁当のおかずを分けていただいた。
 食べたことのないようなご馳走がたくさんあって、珍しかったし、すごく美味しかった。

【2日目】
 前日と同じ作業をした。
 前日は作業に慣れることに必死であったが、2日目は、話をする余裕ができてきた。

 震災前は、隣の漁港で働いていたが、震災後はこちらの漁港に来たことを教えてくれた。
 震災で多くの物を失った。震災後、すぐに欲しかったのは下着であった。反面、食べ物には困らなかった。物資で一番届いたのはカセットコンロであったが、届くのは都市ガスばかりで、東北はプロパンガスのため、地方の違いを考えさせられた。
 水の復旧は早かったけれど、電気の普及は遅かった。ロウソク暮らしだったため、電気が普及した時は、手が震えた。
 震災は、命だけでなく、家や職場、生活までも奪ったのだということを改めて実感させられた。

【感想】
 漁港の方は、「東北人は強いのよ。」と仰っていました。
 負けん気が強い人が多いらしいです。
 私は、この言葉を震災の被害にあった人全員に、いつか言ってもらいたいと思いました。
 前回行った時の仮設の方は、震災のことを話すことは少なかったけれど、今回は思ったよりも話をしてくれました。
 しかし、時々返す言葉がありませんでした。
 自分のほうが大変なのに、私たちのことを心配してくれるような言葉をかけて下さって、本当に優しい人たちばかりだなと思いました。
 最近話題の“南海トラフ地震”のことでも、心配してくれていました。
 津波がもし来たら、何よりもまず高いところに避難するように言われました。
 東日本大震災の二の舞になってしまってはいけないと。

 また、原発はいらないのではないかと言っていました。原発がなくても、電力は賄えているのだったら、原発の必要性はないのだと。


 漁業班以外の人はどうしているのかと聞かれたので、気仙茶班はKさんのところに、お茶っこ班は小谷園さんとお茶っこサロンを開催していることを伝えたら、Kさんの茶畑のことや小谷さんのこともご存知でした。
 Kさんの茶畑のことも心配もしていて、小谷さんのことも、「素晴らしいお茶を提供してくれている」と言っていました。
 このように他の人を気にかけながら、東北の人は助け合っているのかと思いました。
 半年前よりも笑顔も増えていたような気がします。これからもっと増えていけばいいなと思いました。

 今回、エゾイシカゲガイ養殖のお手伝いをして、出荷できることを心の底から願いました。
 関西まで出荷されることはなく、出ても築地までらしいので、また東北に行きたいと思いました。
 「また来てね。」と言ってくれていたので、絶対に行きたいと思いました。
(文責:長田)

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坂井さんのレポート
二日目、エゾイシカゲガイの養殖の手伝いをさせていただきました。

船着き場に到着し、防水加工のオーバーオールに着替え、作業に入りました。

ムール貝やホタテ貝などの貝の中からエゾイシカゲガイを見つけて選別し、袋に詰めていく作業です。

ヒトデに食べられてしまい、身の部分がない貝も選別します。

小さくて綺麗な貝を触るのも、目の前に広がる海も、私にとってはわくわくするようなめずらしい体験ばかりで、ついつい、はしゃいでいると、指導をしてくださっていた漁場の女性たちが、笑いながらこんなことを言っておられました。
「辛いこともたっくさんあるよー。朝は早いし、ずっと働きっぱなしなんだから。」
海での仕事はこんなにも清々しくて気持ちがいいものだけれど、早朝から晩まで働くのは厳しいものだなと感じました。
実際、仕事を終えた後、たったの一日仕事しただけなのに、肩と首に激しい痛みが走りました。


エゾイシカゲガイは2年後には大きくなり食べられるようになるそうですが、風評被害などで売ることができるのかどうか、生活に不安があるそうです。


陸前高田の方はとても気さくな方ばかりで、たくさんお話をしていただきました。
「東北の人は負けん気が強くてね、少々のことじゃあ、へこたれないのよ」とおっしゃっていました。


「あなた、陸前高田で就職して、こっちに住んだらいいじゃない。一緒に漁業やりましょうよ」とおっしゃってくれたことがとても嬉しかったです。

三陸の海産物はとっても美味しいから、マグロよりも、カツオとかシジミのほうが美味しいこともあるのよ。マグロ一本食べさせてあげたいし、お土産に持って帰ってもらうことできないかしら。上の人に確認してくるわね。」ともおっしゃっていただきました。


帰りがけに、海の中で貝を入れておくための発砲スチロール容器を洗浄しました。
ムール貝がこびりついていて、とても力のいる作業でした。

震災直後は、全てが破壊され、失われてしまい、誰もが、癒えない深い傷を負っていた状態だったのでしょう。

でも、今、心の中にはまだ深い傷を抱えているのでしょうが、明るさを取り戻して、目の前にある仕事に一生懸命に取り組んでいる方々がいました。

手を取り合って前向きに歩んで行こうとしている人々がいることを、実際に目で見ることができました。

復旧・復興の原動力となるのは、人と人との繋がりであることを実感しました。
(文責 坂井)

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田端くんのレポート
私自身は、今回初めて、気仙町の要谷漁港にある福伏の船着場で、エゾイシカゲ貝の養殖作業のお手伝いをさせていただいた。

私が参加したのは活動2日目。

前日の続きの作業を人数を増やして行った。

まず、2班に分かれて、養殖の仕掛けの入れ替え作業をした。
この仕掛けは、直径30センチほどの発砲スチロール容器を青色のビニールと荒めの網で囲いこんだものであり、その中に砂と稚貝が入っている。
今回の作業では、仕掛けを引き上げて、中の砂を出し、その中の稚貝だけを選別して出すというものであった。

稚貝を取り出した後の仕掛けは、再利用できるようにするために、発砲スチロール・網・ビニールに分ける。
ここで、私の力が存分に発揮されてうれしかった。

次に、選別作業を行った。
他の貝や石をのけて、エゾイシカゲ貝だけを取り出す作業。
稚貝は、とても小さく鮮やかな色をしており、「可愛い」とさえ感じた。



昼休憩。
この時一番驚いたのは、地元の方々の優しさであった。
どんどん食べ物が出てきて、食べきれないほどであった。
また、前回2月の合宿でもお世話になった気仙茶のKさんと話す機会があった。
Kさんは私のことも覚えて下さっていて、優しく声をかけて下さり、世間話をした。
ここの漁港で働かれる方、特に女性は、午前2時には起床して、朝5時には漁港につかないとならないようだ。
それを聞いて、海の女はすごいな〜と思うとともに、尊敬した。


引き続き、ひたすら、仕掛けの分解作業をおこなった。
14時過ぎ、作業が終わる頃には、たった4時間程度の作業にも関わらず、私の体は筋肉痛で傷んでいた。
このような作業を毎日行っておられる「海の男」、「海の女」の、いろんな意味での強さを知った瞬間であった。

津波により、養殖設備や船など、ほとんどを奪われてしまったにもかかわらず、温かく私たちを迎えてくれた方々に感謝です。

今回の活動を通して、必ず来年もこちらの漁港を訪問し、エゾイシカゲ貝の養殖だけに留まらず、この漁港自体を守っていく活動に携わっていきたい。


今回の合宿の2日間の活動を通して強く感じたことは、現地の方々は本当に温かいということと、コミュニティの輪がさらに強まっているということを強く感じた。
また同時に、未来に向かって大きく踏み出して進んでいる人が多くいた。

もちろん、今回の私たちの訪問により、逆に迷惑や負担をかけてしまう結果になってしまったかもしれないが、私が接した方々は、温かく迎えて下さった。
どの場面でもそうでしたが、お別れの際の「ありがとうね」という言葉が忘れられない。

また、前回2月の合宿の際には、まだまだ復旧・復興には程遠いと感じたが、半年経った現在、少しずつではあるが、進んでいるなという印象を受けた。

これからも、復旧・復興に携わっていくと共に、私たち自身が皆に発信して伝えていくことこそが私たちの責務であると強く感じた。
(文責 田端)

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川野くんのレポート
 9月4日、私たち漁業班5人は、ホテル三陽までバスで向かい、そこから徒歩で漁港まで移動し、大阪さんと待ち合わせました。

 漁港では、テントの数も3つに増えており、1つのテントにつき数人で作業を行っていました。

 漁師さんたちの人数も増え、女性パートもたくさんいました。
 2月に漁港を初めて訪れた時にお会いした大阪さんら5人のメンバーが、別々のテントで作業を行っていました。
 
 大阪さんにお会いした後、話す間もほとんど無く、すぐに僕たちも作業にとりかかりました。

「昨日は波が強くて作業が中止になった」とおっしゃっていたので、作業が出来てよかったです。


 初めにさせて頂いたのは、漁師さんが港に揚げたエゾイシカゲガイの仕掛けを分解する作業です。
 2月に訪れた時は、仕掛けを作る作業でしたので、今回はその逆です。
 この仕掛けは、発泡スチロールの容器とビニールシート、ネットの3つで出来ており、分解して3つに分ける作業を行いました。

 仕掛けには、びっしりと貝や生物が付着しており、分解作業はなかなかうまく進みませんでした。
 ネットのまわりに付着した貝を落とし、ネットをしめるロープを解き、ネットと発泡スチロールを分けます。
 そして、ビニールシートを破れないようにはがしていきます。
 青いかごの中に、ネットとビニールシートを分別していきます。
 ネットと発泡スチロールを分ける時に、少し力がいるのですが、「足を使って発泡スチロールを押し出しながらネットを取ると楽だ」と教えてくださいました。
 仕掛けを作る時にも、足を使って発泡スチロールを押し出して作ったので、感覚がとても似ていました。


 お昼の休憩の時に、自家製の漬物などを頂きました。いろいろな方から漬物を頂きましたが、とても美味しくて、家庭ごとに味も全然違いました。
 テントごとの休憩時間、開始時間なども違っていて、テントは3つ並んでいるものの、1つ1つの場所で別々に作業をしているように感じました。


 昼食を食べた後、しばらく仕掛けの分解作業を行いました。

 その後、分解した発砲スチロールをホースで水洗いし、干していく作業をしました。
 フジツボなどの貝が付着していて汚れています。
 このホースから出る水は海水で、海からポンプで海水を引き上げているようです。水量は調節できず、勢いよく海水が出続けます。

 フジツボなどの取れにくいゴミは、直接手で落としていきます。

 この作業は、ずっと背中を折って行う作業だったので、僕にとっては一番つらい作業でした。


 洗った発泡スチロールを重ねていき、一定の量がたまると、フォークリフトで別の所へ運びます。
 ネットも、お湯を入れて、付着した貝などを取り除きます。

 一通り洗い終わると、次は、何かに使った後のロープの片づけをさせて頂きました。
 何に使うかも3回ほど聞いたのですが、方言が強すぎてよくわかりませんでした。
 このロープは、次に使いやすいように、1度引っ張ればすぐにほどけるような結び方でまとめていきます。
 この結び方も複雑で、結び方がなかなか覚えられず、また方言も強かったので、5〜6回聞いてやっと覚えることができました。

 帰る時間が迫ってきたので、最後に、仕掛けの発泡スチロールの容器を沈めるときに使う重りの掃除を手伝いました。

 重りにも、小さな貝がびっしり付着しており、専用の道具で、削るようにして貝などを取り除いていきます

 あらかじめお湯をかけておいたので貝などが取れやすくなっているそうですが、それでも、きれいにするのは大変な作業でした。

 一通りの重りを掃除し終わり、1日目の作業は終わりました。

 作業が終わったころには、僕はぐったりしていました。



 2日目は、ゼミ生9人で漁港に向かい、作業を手伝わせてい頂きました。
 1日目とは別のテントで、5人で行動しました。
 一つのテントが休みだったので、1つのテントに3人ずつ行くつもりでしたが、5人と4人に分けて2つのテントで作業を行いました。

 この日も仕掛けの分解作業を行いました。


 昼食でまた漬物を頂いたのですが、1日目に食べた漬物とは味が異なっており、本当に家庭ごとで全然味がちがうのだなと感じました。


漁師さんに
「お兄ちゃんは、旅費を親に出してもらったのか?」
と聞かれて
「バイトでなんとか稼ぎました」
と答えると
「そうか〜。京都はいろんなバイトがあるのか〜」
「こっちはバイトはあまりないな〜」
と言っておられました。
 やはり仕事の数があまり多くないのかもしれないと感じました。

昼食を終えたあと、またしばらく仕掛けの分解作業を行って、その後、重りの掃除を行いました。
 強い日差しの中で、1日目は2人でやっていた作業を2日目は3人でやることになり、負担がかなり減って助かりました。


 この重りの掃除作業もひと段落した頃には、時間も無くなってきたので、少し急ぎながら、浮き玉に付着したムール貝などを取り除く作業をさせて頂きました。

 浮き玉には、びっしりと貝が付着しています。
 重り掃除の時に使った道具を使用しながら、貝をはがしていきます。
 この黒い浮き玉は、プラスチックのようなものでできているので、付着した貝が簡単に気持ち良く落とせます。

 楽しい作業でした。


 こうして2日目の作業も無事に終わりました。
 もう少し長く滞在したいなと思いました。
 
 漁師の方々も、
「今日でもう帰るのか〜早いものやな〜」、
「またいつでも来てや」
と笑顔で言ってくださりました。
 できることなら、また来て一緒に活動をしたいと思います。
 そして、次こそ、とれたてのエゾイシカゲガイを食べてみたい!
(文責:川野)