津波の恐ろしさ

しばらくバタバタしていて更新ができませんでした。すいません。


 9月末から新2回生のゼミが始まりました。

 4回生と3回生が築いてきたものに、何をどのように引き継いで、何をどのように新たに付け加えていくのかをいま話し合っているところです。

 10月25日(木)、「かもめの玉子」で有名な、(株)さいとう製菓の方が撮影されたDVDを見て、感想を一人一人出し合いました。


○桑木野
 本来あるはずのない場所に水があって驚きました。映像で見ると、津波はゆっくり動いているように見えましたが、実際はとても速いと聞いたことがあります。それは浸水するまでにかかった時間でよくわかりました。人間の力ではびくともしない、建物や車や自動販売機などが、いとも簡単に流されていきました。やはり、自然の力には逆らえないのかと思うと、虚しかったです。見終わった後、自分の今いる環境がどれだけ恵まれているのか、考えなくても実感できました。


○清水
 内陸の県に住んでる私にとって、津波のイメージというものが乏しかったです。地震が起き、3分で堤防を超え、5分で家の1階が浸り、7分で一面海になっていました。時間が経つにつれ、押し寄せる水の恐ろしさが、映像でも十分伝わってきました。自分がもし海岸付近の家に住んでいて、津波に流れる家を見送ることを想像したら、かなりブルーになりました。


○大村
 徐々に自分の街が飲み込まれていくのをただ見ているしかない状況に絶望を感じた。
 画面越しに見ているだけでも胸がしめつけられる思いだった。
「家が跡形もなく流されてしまった」とよくニュースで言っているのを聞いていたがその言葉の本当の意味がわかった。
 そして先生もおっしゃっていたが、一言に「ガレキ」と言っても、そのガレキは、元は誰かの家や家具であったり大切なものだったはずで、その処分場でもめたりしているのも被災地の人に申し訳ない気持ちになった。


○難波
 自然災害の恐怖さと、人間の力ではどうにもできない無力感でいっぱいになった。犠牲者もたくさん出て、家族と過ごした家、友達と笑いあった学校、かけがえのない思い出で溢れていたものが一瞬にして崩れ、流されていった。それらのものを「がれき」と思い浮かんだ私は、今日の先生の話や皆で話あった後、「がれき」と呼ぶべきかそうでないか、言葉に詰まるものであった。また、多くの命が奪われ悲しみに包まれているが、その人たちの分も強く生きていかなければならないと強く感じた。


○梅木
 改めて津波に対する「恐怖」を感じ、映像を見ている間中、胸騒ぎが止まらなかった。
 確かにそこには家や人、美しい町があった。
 津波後、それらをただ「瓦礫」という言葉で済ませるには軽すぎて、今後その言葉を使っていいのか考えさせられた。また、撮影者の当時の生の声や言葉ひとつひとつがとてもリアルで、「なんだよ防波堤って!」という言葉からは、撮影者のどうもしようもない怒りやその場の恐怖が伝わってきた。


○今久保
 ニュースやドキュメンタリー番組、YouTubeで流れている東日本大震災津波の映像には、アナウンサーの声や音楽によって、津波の音が小さくなっていたり、編集されている映像も多いと思います。しかし、今日の映像は、音楽こそ入っていますが、当時の音声が入っていて、より生々しく感じました。特に、津波に家が流されると聞こえるミシミシという音が印象的でした。思い出深い“家”が“がれき”と呼ばれるようになる瞬間だったのかなと感じました。


○冨田
 海水が堤防を越えてからおよそ6分、全てを海がのみこんでいた。
 地球の営みの前では、ただ見てることしかできない。自分が生まれ育った町、家、設立した会社が目の前で壊されていくのを見ているだけの虚しさとはどれほどのものなのだろう。「やめてくれー やめてくれー」と叫んでいる声を聞いたとき、鳥肌が立つくらい悪寒を感じた。こんな心からやめてほしいと願う声は、私は初めて聞いたが、津波の前では虚しく響くだけなんだと感じざるを得なかった。


○亀井
 被災地の人々にとってこの大地震は“想定外”であったように映像からみてとれた。津波が押し寄せ始めたころは、あらゆる面で心配をしている住人のざわつきが聞こえたが、被害が大きくなるにつれ、逆に悲鳴は減っていき、「終わりだ。」といった、絶望的なつぶやきが、ぼそりぼそりともれるのが印象的であった。
 あの津波の中に、逃げ遅れ、苦しんでいる人がたくさんいながら、助けられない現状は、生かされた方もつらいと感じた。
 ある日突然、家族を失い、家を失い、生活を失い、被災地の人はまず何を想うのか。私がどれだげ被災地の立場で考えたところで、実際に経験していないので、客観的な立場にしかたてないと思うのが正直なところである。
 ただ、映像の最後の方に写しだされていた数枚の写真に人がほぼ登場しないのは、なんだか侘しさを感じた。


○藤塚
 今日の映像をみて一番印象にのこっているのは、津波がきて避難してきた人たちの声だ。今まで、被災している時の声というのは考えてみるとなかった。町が流され、沈んでいくなかで、撮っている人が「とまってくれー」と叫び泣いている。そして、周りの人がただ声をあげている。その声に、被災した人達の不安や悲しみなどの心情が物語っているように感じた。
 そんな経験をした人にどう声をかけることが正解なのかを考えさせられた。


○廣瀬
 一番印象に残っているのは、人の声です。どうすることもできない悲惨な状況に直面した場合、頭で考えてから言葉が出るのではなく、心に浮かんだ言葉がそのまま出てくるのだと思いました。流されていく町を見ていった「やめてくる」や「もう終わりだ」の言葉や、鳴き声や悲鳴が耳に残りました。
 もうひとつは、波が引いた後の様子を映した映像が揺れていたのは変わり果てた町を見て、ビデオを撮っている手が震えてしまったからではないかと思いました。


○藤本
 津波の映像を見て、改めて恐ろしさを感じました。たった7分間のうちにさっきまであった日常の風景は崩壊してしまい、「飲みこむ」という表現がまさに合っていました。映像には、撮影者の悲痛な叫びや泣き声、周りの人々の恐れ叫ぶ声もありました。被災者の方々の声は映像の中でも感情が伝わるように感じられました。
 私が特に目を止めたものは、崩壊した建物の中にある洗濯物などの日常風景です。ついさっきまで普通に暮らしていた光景が被災の映像を生々しく感じさせてくれたように思います。映像を見たからこそ、実際に見る被災地の現状がより気になるものになりました。


○仲
 私は、これまで、津波の映像をYouTubeといった動画投稿サイトで見たことがなく、ニュースで少し目にしたくらいであった。そのため、今日目にした映像は、とても衝撃的なものであるのと同時に、自分の考えていた津波の実態とは異なるものであった。特に津波の押し寄せ方だ。私は、津波はサーフィンで言うビックウェーブのようなものだと思っていた。しかし、映像を見て、じわりじわりと徐々に水嵩が増すことを見てとれた。それはかなりの早さで進行していくものであった。もしあの場に私がいたならば、逃げられたであろうか、疑問に思う。私は体力には自信があり、足も人並み以上に早い方だ。そんな自分でも逃げきれるか疑問を抱くほどなのであるから、実際にあの場にいた大勢のお年寄りが被害にあっていることは言うまでもない。
 また、ニュースでは伝わってこない、実際の映像特有のもとして、撮影者やその場にいた人々の生の声がとても胸を締め付けるものであった。「防波堤とは何なんや」「止まってくれ」といった心の底から声が今も脳裏に過る。


○森川
 ただただ怖いと思いました。映像を見るだけでも怖いのに、実際に被災された方はどんな思いをしたのだろうと想像を絶するものだと思うし、自分が陸前高田に行ったときに被災された方々に何ができるのか、どう接すればいいのかわからないし、とても難しいと思いました。
 ビデオを撮った方が、地震が発生した時点で「津波が来る」と言っておられて、私だったら地震が来ても津波が来るとは思わないけど、何度も津波を経験した土地の人だからとっさに津波がくることがわかるのだなと思いました。
 津波が来ても、初めのほうは波がゆっくりきているように見えたけど、そんな波でも車やクレーンが簡単に流されていて、津波の威力のすごさを見た気がしました。


○中野
 私が映像を見て感じたのは、防波堤の意味についてです。津波がどんどん押し寄せてきて防波堤を超える津波を見て、「防波堤の意味」と発せられていました。今後以前より高い防波堤を作らないと住民は安心できないと思いました。しかし、どこまで高い防波堤を作ればいいかもわからないと思います。作るとなるとまた予算がかかりますが、防波堤にそこまでお金をかけるべきなのかも考えさせられます。
 今回の映像を見終わった後は、自分が地震後した募金等がすごく小さなことに思えました。


○永山
 今日の映像は、何度も恐ろしさ、寂しさの気持ちを引き起こした。また、自分が何もできないことに虚しさをも感じた。このビデオを撮っている人も逃げるのに精一杯で、同じく、虚しさを感じたのでなないだろうか。
 本当に忘れてはいけない。伝えていくものだと考える。私も、震災当時、恐ろしさや寂しさといった気持ちになったが、それ以降、津波に流される映像を見ることはなかった。そのため、だんだん忘れてきている。風化させないためにも、特に若い世代に、定期的に3.11について考えることが絶対必要だ。
 最後に、映像とともに流れていたBGMがさらに引き込んでくるような気がした。オーケストラのような曲でなく、もっとスローテンポな静かな曲が合うんじゃないかと感じた。


○藤原
 映像部分でBGMはいらない気がした。海岸側と内陸側の被害の大きさに驚き、街の写真が模型に見えた。津波は思っていたものとは違い、じわじわと街を侵食していくようだった。短時間であれだけの街を簡単に崩壊し、あっけなく感じた。映像での人の声が印象に残った。
 「津波てんでんこ」は、現地の人たちの意志の強さにも思えた。本当に重くて自分なんかに何ができて、話を聞いてあげることしかできないんじゃないかと少し不安にもなった。


○平井
 私は、今日、津波の映像を見たとたん 悪寒が走った。約7分で水が町を飲んでしまったのを見て、自然の脅威を感じた。また、それを目の前で見るのはどれほどつらいものなのか、とも思った。しかし、実際に震災を 経験していない私が同情をしてもいいのかわからない。
 また、「津波てんでんこ」という言葉に関して、私は小さいころから育ててくれた祖母をおいてはいけないので賛成できない。このことには賛否両論なので、みんなの意見を聞きたい。


○木村
 DVDを見終わっても「止めてくれ、止めてくれ‥」という撮影されていた社長さんの声が心から絞り出されている感じがして、頭から離れなくなっていた。今まで目の前にあった当たり前の生活が津波によって、ほんの数分で潰れ流され消えていくことはどんなに深刻なことで、希望を失うことか、私の経験と映像からは計り知れないほどのものだと思った。
 「津波てんでんこ」という言葉は、明治のころから津波で苦しんできた東北の人たちの心を少しでも和らげるために、無意識のうちにつくりあげられたのではないかと思った。なぜ助けれなかったのかと悔やむ人々の心を助けるため、そして、結果的に少しでも多くの人を生き残らせるための言葉ではないかと私は思う。


○小林
 津波の映像を見て、昨年、復興ボランティアの際に石巻で見てきた、何もない土地の様子、さらには、そこで出会った被災者のことを思い出していました。
 生き残った被災者は死者に対して何もできず、ボランティアに行った人は被災者に対して大したことが出来るわけでもない。
 映像と昨年のことを交互に思いながら、一人ひとりの力のなさについて考えていました。
 しかしながら、私たちのちっぽけな活動は意味のないことではないし、少なくともゼロじゃない。そう思うので、ボランティアは続けたいと思いました。


○松本
 防波堤は破られ、普段有り得ない位置まで津波が押し寄せて来て、今まで生まれ育ち慣れ親しんだ街がものの30分の間に海にまるごと呑み込まれてしまう今回の映像に絶望しました。
 中でも印象的だったのは、ガレキ(思い出のカタマリ)が山に打ち寄せられるシーン、今まで聞いたことのない「ギィギィ」という音が本当に不気味でした。
そして、今日決意したことがあります。それは「陸前高田のボランティアに参加しよう、それだけでなく、これからどこかで同じような震災が発生したらいち早くボランティアに駆けつけよう」ということです。
 今日のDVDに写っていた消防車、つまり「自分を守ってくれるもの」の存在は震災直後の街に安心感を与えると思ったからです。ボランティアに参加することで微力ながら被災地の方々に安心していただきたいです。
また、僕が住んでいる四国にも南海大地震が控えています。陸前高田の震災を僕の中でネガティブにとらえ続けるのではなく、自分の町のためにも活かさせていただきたい、そのために活動に参加したいという気持ちも生まれました。



 来週のゼミでは、
 1) 『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(文藝春秋、8月号増刊、2011年8月)、
 2) ありがとう りくぜんたかた「まつぼっくりちゃん」(陸前高田応援プロジェクト)の活動。商品を作らない商品開発 。
(....と、勝手に性格付けをしてしまってよいかどうかわかりませんが。)
 3) 被災地と大学をSkypeでつなげるには
について取り上げたいと思います。