陸前高田合宿 (2) 小谷園茶舗で

 2月8日(金)、午前9時、ようやく陸前高田市内に到着。
 一関のあたりが路面凍結していたので、予定より1時間以上遅れての到着でした。
 鈴木旅館で、待機していた岩手県交通のバスに乗り換えて、小谷園茶舗さんに向けて出発。
 バタバタすることが予想されたので、追悼施設での献花は翌日に変更することにしました。



 鈴木旅館の近くのJR大船渡線の鉄橋。
 津波が気仙川を遡上し、落橋してしまったそうです。
 海から何キロも離れているというのに。
 津波の凄まじさを物語っています。






 震災後1年11か月が経過した陸前高田
 高田町の市街地では、市役所やマイヤなどの解体工事が本格的に進められていました。

 今度合宿で来る時には、これらの建物はなくなってしまっているでしょう。

 しっかりと、この目に焼き付けて帰ります。

 たくさんの方々が亡くなられたこの場所。
 昨年ここに来た時には、入口に設置された献花台に、お花やお線香がたくさん供えられていました。


 ご遺族の方々は、今どのような思いで、この解体工事を見守っているのでしょうか。

 津波で街がなくなってしまった街。陸前高田




 小谷園さんの仮設店舗に到着。


 ここで、「和み喫茶」のための煎茶、抹茶入り玄米茶、生チョコづくりに使う抹茶、「まつぼっくりちゃんメッセージカード」などを調達します。



 お店の周辺では、市内で一番最初の災害公営住宅のための盛り土工事が進められていました。先月末から始まったところです。


 「あっ あった!」
 お店に入るとすぐに目に飛び込んでくるのは、ありがとう りくぜんたかたプロジェクトとのコラボ商品「まつぼっくりちゃんの まっ茶入り玄米茶」。 
 仮設店舗なのに、店内は、とても明るくて暖かいと感じました。


 「寒かったでしょう」と、小谷さんが温かいお茶を淹れてくださいました。

 お茶を飲むと自然に笑顔になります。

 震災前の陸前高田の写真を見せてくださいました。



 お茶をいただいた後、陸前高田の復興の現状を説明していただきました。



 堤防、高台の宅地造成、浸水した市街地の盛り土、道路整備、区画整理上下水道の敷設、その後に、住宅や店舗の建設...。
 一から街を作り直すためには、あと何年もの長い時間がかかるそうです。
 高台移転も、土地の所有者が津波で亡くなっていたり、行方不明になっていたり、相続問題が未解決だったりで、移転用地の確保にすごく時間がかかっているとのことです。 

「年配の方々は、
『あと何年 仮設住宅で暮らすのか』、
『家や公営住宅ができても、あと何年、そこに住めるのか』
と考えてるんだよね」。


 「阪神淡路大震災から18年たっても神戸は復興していないんでしょう。陸前高田もそうなるんじゃないかと思う」。
 この合宿期間中、小谷さんだけではなく、仮設住宅でも漁港でも、いろいろな方の口から、「神戸」という言葉がでてきました。
 「だから、いま頑張っても、どうなるもんでもないし、かえって体こわしちゃったら元も子もないから、『がんばらないように』、『気長にやろうよ』、『でも、諦めないように』と話しているんだよね」


 小谷さんのお話を伺って、復興が進まない陸前高田で流れている時間は、一方で、とてもゆっくりとしているようにも感じました。
 しかし、他方で、高齢の被災者にとっては、残された時間はとても短く、一日一日がとても貴重なのだと感じました。

 私達が陸前高田に滞在できるのはたった2日間だけですが、仮設住宅に住む方々が少しでも楽しい時間を過ごしてもらえるように、がんばりたいと思いました。




 「仮設で死にたくない」

 この高齢者の叫びが、明日、陸前高田を訪問する安倍首相はもちろん、日本全国の人に届いてほしい。

 そして、「頑張らなければならない」のは、私たち外部の人間なのではないか。

 心からそう思いました。
 

【後日談】
 合宿から帰って、気仙地域の地元紙『東海新報』の「つなぐ〜阪神淡路大震災から18年〜」という特集を読みました。陸前高田被災者からもすすめられました。
 今年1月17日、神戸で行われた震災追悼行事に陸前高田被災者も招待されたのですが、帯同取材された鈴木英里記者の強い思いがこめられた迫真の取材レポートです。
 ほんの一部ですが、引用させていただきます。
 「丸2日に満たぬせわしない日程ではあったが、多くの出会いがあり、阪神地域で被災した人々や遺族からもずいぶんと話を聞くことができた。
 だが、そこで語られた言葉は、想定したものとはずいぶん違っていた。いや・・・180度真逆だったと言ってもよい。彼らは何気ない会話の途中にもふと厳しい表情をのぞかせ、『復興なんかしていない』とぽつり漏らすのだった。
 阪神淡路大震災から18年。それはあまりに長い年月のように思われる。"よそ者"の目に映るのは、石造りの美しい建物や古い港町としての風格だけ。『あの惨禍のあとに、こうまで再生を遂げることができるのだ』と憧れるような神戸の街並みはいわば表層のものでしかなく、その下にはままならぬ感情と現実が今も渦巻いているというのだ。
 年に一度の追悼式典でしかもう話題を聞くことのない、『遠い日の出来事』『終わった震災』――。その認識はあっさり覆された。結局2日間の滞在中、『神戸は復興した』という言葉を、誰の口からもついぞ聞くことがなかったのである。」(2013年2月6日付『東海新報』1面、鈴木英里記者)」。

 ちなみに、この特集記事の見出しは、下記です。
 (1)「復興したと思っていない」神戸で聞いた衝撃的な言葉(2月6日)
 (2)悲しみは悲しみのままで 震災遺族が抱き続ける悲嘆 (7日)
 (3)「失敗だった・・・」長田の再開発 暮らしおびやかす"復興災害"[上] (8日)
 (4)見つからない永住の地 暮らしおびやかす"復興災害"[中] (9日)
 (5)進む高齢化を見据えて 暮らしおびやかす"復興災害"[下] (10日)

 とくに、自分の無力さを痛感するのが、2月10日付の(5)でとりあげられている「孤独死」の問題です。東海日報の記事には「兵庫県内の復興公営住宅では今も、毎年40〜70人に及ぶ孤独死者が出ている。・・・死因は病気・事故だけでなく、自死も含まれる」と指摘されています。
 この神戸の経験を絶対に無駄にしてはならないと思います。高齢者が仮設住宅から災害公営住宅に移り住めたとしても、「以前は積極的だった合同の食事会やレクも行われなくなり、当番制の清掃も身体の衰えでままならなくなっている人が多い」という厳しい現実が待ち受けています。
 記事では、今後の重要な課題として、「(災害公営住宅に)若い世代の入居を促したり、共有スペースをNPOの活動拠点として貸し出すなど、若年層との積極的な交流」の必要性を指摘しています。
 同感です。今回の合宿では、陸前高田仮設住宅・集会場で、大学生と高齢者、子供とが一緒になって、「和み喫茶」「生チョコづくり」「踊り」などを行いましたが、それらの活動を、今後わが身に降りかかる超高齢社会・日本の縮図として、また今後の地域再生のための不可欠の日常活動として捉えなおし、解決策を陸前高田から学んでいきたいと思います。

【参考】


 以前作ったパワポを載せておきます。