気仙茶 復活 ! 番外編 (リンゴの摘果作業)

 気仙茶復活ウイークの続きです。


 今回の陸前高田滞在では、気仙茶の会の菊池会長のお宅にホームステイさせていただきました !
 ホストファミリーの菊池ご夫妻には大変お世話になりましたので、ほんのささやかですが、恩返しとして、6月20日〜22日、リンゴの摘果作業のお手伝いをさせていただきました。

 以下は、岡嶋・永井レポートです。


 6月20日、快晴。
 菊池家の朝はとても早い! 
 朝5時に起床、会長は畑に行く。
 ひと汗かいて、7時に朝ご飯。
 卵をコップに割り、そのままゴックン。疲れているときはそれだけで元気になるそうだ。
 「まだまだ65万馬力だ」
と笑っておられた。



 腰にハサミをとりつけ、帽子を被り、軍手をして準備完了。
 歩いてリンゴ畑に向かいます。
 緩やかな傾斜に沿ってリンゴの木がずらっと並んでいます。



 ひと株につき5〜6個の幼果ができ、その中から丈夫で形が良く軸の太いものを残し、他は摘み取ります。この作業が「摘果」です。
 基本的に、中心花の実を残して、周りの幼花を取り除きます。
 ただし、中心花の実であっても傷があったり奇形の場合は切り落とします。
 また、ただ大きい実を残すのでなく、形が綺麗な実を残すことも考えて作業する必要があります。
 さらに! 向きも大切で、上向きの実は切り落とします。
 高い場所は脚立をかけ作業を行います。

 今の時期にやるのが「荒摘果」で、収穫が近くなると最終的に残す実を決める「本摘果」をします。
 収穫する実以外をいっきに落とすのではなく、手間暇かけて、まるで自分の子供の成長を見守るように様子を見ながら、この作業をしていくのです。
 台風や害虫被害といった自然の被害の理由もありますが、樹の養分を葉っぱや枝の数を見ながら判断して、少しずつ落としていくのが理想的だそうです。

 「摘果」はひとつひとつ手作業で行なうため、とても手間暇のかかる作業。
りんごを栽培する上で最も大事な作業の一つです。


 菊池会長いわく、
 「葉っぱの大きさや枝を見てそのリンゴの木のステータスを読みとるんだ。
 15〜20年の木に良い実が付く。
 荒摘果作業で、あまり実を多く残し過ぎると、実のすべてに養分が行ってしまい、良い実ができなくなる。
 逆に、実を減らしすぎると、養分があり余って、葉や根に養分がいきすぎ、葉が大きくなりすぎてしまう。
 何事もバランスが大切なんだ。」


 「陸前高田は寒さが足りない。
 収穫の時期に温度が下がりきらない。
 寒暖差がないとリンゴの色は良くならない。
 メリットもある。少し長めに木に付いている分、熟度が進み、糖度が高くなり甘い。
 ただし、糖度が高い分、保存がきかない。
 青森は10月に摘み、冷凍して翌年の8月まで食べられる。
 しかし、陸前高田では、年内に食べてしまう。」


 


 「昔はリンゴを大船渡や釜石に売りに行っていた。
 背中に担いで、お得意先に持っていくんだ。
 朝6時に父がリアカーで、母と俺は国鉄を使って気仙沼やお得意先にリンゴを持っていく。
 歩いて売ることもある。
 その頃は終戦後で、怖いもの知らずの身体のゴッツイ人が多く、町は賑わっていた」。



 6月21日
 結引(誘引?)の作業もさせていただきました。

 「結引」(誘引)とは、太い枝を根元と紐で結ぶことでしだれさせることです。
 新しく出た枝は、角度が急すぎて、りんごが成る枝には適さないので、ある程度の太さになってきたら、少し垂れ下げるようにして、紐で結んでやります。こうすることで、早く実がつくようになるようです。
 
 この作業をしながら、りんごの枝をチェックして、細すぎる枝はカットしたり、実がなっていたら摘果したり、同時進行で作業していきます。

 枝が斜め下に向けさせることで、栄養分が行き渡りやすくなるそうです。
 りんごのあの垂れ下がった枝は、りんごの重みのせいもありますが、人間のなせる業だったんですね!

 「リンゴは自分の子供のようだ。毎日見に来るたびに、成長していて、笑顔がこぼれるなぁ」
と会長は仰っていた。


 その後は、リンゴ畑の草刈り。

 ゴーカートのような機械に乗り込み、草を一気に刈っていきます。
 (どう見ても、孫を散歩させているようにしか見えませんが...というツッコミはなしです!)


 「小さい頃はなー、昼飯の準備をしたり、雑巾がけ、風呂の水を井戸に汲みに行ったりしたもんだ。鶏や豚、牛も飼ってて、よく世話をさせられた」と会長。





 作業後、汚れた作業服をたらいで洗っていると、そこに、気仙茶の会の前田さん、佐藤さんが登場。
 「岡嶋くん、なんか顔つき変わったよね〜。
 こっちに来たばっかりの時より成長してるように見えるよ〜」。

 何が変わったのか僕にはわかりませんが、ここに来て、少しでも何かお手伝いができたのかもしれない、と思い、少しうれしくなりました!






 お昼は、米崎町のこんの直売センターで

 磯ラーメン。
 真ん中に大きなホタテが入っています。
 スープは海の旨みが詰まったあっさり塩スープ。
 ついうっかり飲みすぎてしまうほど美味しいです。たまりません!
 しかも580円!


 御馳走様でした!



 新鮮なカツオも、たくさん食べさせていただきました。
 

 

 さばき方を会長に教わり、見よう見まねでやってみます!

 このボリューム感、プリプリ感 ! 関西では考えられません!
 ああ、ヨダレが....。




 ありがとう 菊池ご夫妻 ! ありがとう陸前高田 !

 この2週間は、私の大学生活の中でも特に濃厚な2週間でした! 
 こんなに長い間、実家のある関西を離れたのも初めてでした!




 多くの脈々と受け継がれる伝承や歴史、豊かな自然の恵み、山、川、海、その環境は、他には無い、陸前高田だけのもの。
 それを全身で実感しながら、今を大切にしっかり生きている人にたくさん出会いました。


 陸前高田には僕たちの住む町と「共通のもの」があります。
 ありのままに受け容れると、なんだか幼少の頃、従兄弟と走り回ったあの熱い夏のような懐かしい気持ちに包まれます。
 「陸前高田僕の第二の故郷」と言ったら言い過ぎでしょうか。


 津波によるあまりの惨状のために、僕たちは、陸前高田を「被災地」として何か特別な目で見てしまいがちです。

 でも、きっと、陸前高田は、僕たちの住む町と変わらない町だったのでしょう。


 違いがあるとすれば….

 地元をこよなく愛す人びとが、海や川、そして大地の豊かな恵みを背景に、自然からの贈り物に感謝し、そして祖先が築いてきた歴史に感謝して、僕たちに気仙語で「けぇ けぇ(食べろ 食べろ)」と優しく語りかけてくれる町

 震災後、日本全国から、そしてNICEのように世界からも、たくさんのボランティアがやってきてこの町に滞在し、その彼ら・彼女らの多くが「ここは私の第二の故郷」「ここを私の第二の故郷と呼べるくらいに頑張って復興させたい」と愛着を感じている町。

 それが陸前高田なのではないか


 ……ゆっくりと揺れる仙台行きのバスに中で、まどろみに落ちつつ、きっとそんな感じなんだろうなと思いながら僕は眠りにつきました。

 以上、提供は岡嶋 & 永井でした。


 これからは、「がんばろう 日本」とか「絆」といった漠然とした視点ではなく、「けぇ けぇ」の視点で、陸前高田で暮らす人びとや街の過去・現在・未来を見つめていきたいと思います。