気仙茶 復活 ! 番外編 (仮設住宅での再会)

 気仙茶復活・番外編シリーズの続きです。

 以下は、宗さんのレポートです。


 6月14日午後。
 陸前高田に到着後、すぐに仮設住宅に向かいました。

 昨年2月の合宿の際に知り会ったおばあちゃんに再会しに行ったが、お留守だった。
 


 6月16日午前。
 再び、おばあちゃんに会いに仮設に行く。
 この日も鍵がかかっていた。
 置手紙を書くことにした。


 あきらめて帰りかけた時、坂道で見たことのある面影。
 おばあちゃんだった。

 会えないと肩を落としていたが、まさかのおばあちゃん登場に、
 「今、おばあちゃんに会いに家へ行ったんですよ」
と、喜びいっぱいで話しかけた。
 「龍谷大学の人やね。
 坂の途中で疲れたら、カラスと遊んでたんだ!
 上がってくるとき、暗い気持ちだったけれど、皆に会って元気になったよ!
 家へあがって行きな」
と言って、お宅に招待していただいた。



 入るなり、次から次へと食べ物を用意してくださり、
 「遠慮しないで、けーけー(食べろ食べろ)」
と、以前と同じ、元気な印象だった。

 おばあちゃんは私のことを覚えていてくださっていて、
 「あの時ピンクの洋服着てたよね」
と言われて、とても嬉しかった。

 部屋の中にトランペットがあることに気がつき、
 「おばあちゃんが吹くの?」
と尋ねてみた。
 「トランペット買ったんだよ。
 練習しているんだけど、なかなかうまく吹けなくて」
と教えてくれた。

 「上手くならないとね。
 息子もトランペットをしていてね。
 息子に届くように吹くんだ」。


 息子さんが亡くなられたことを初めて知った。


 震災当時の話もしてくださった。
 「坂で津波を見ていたら、水が胸のあたりまで来た。
 あっけに取られ、身体が動かなかったが、上から声をかけてくれて助かった」。
 その時のおばあちゃんの顔は、当時を思い出して、悲しい顔でいっぱいだった。


 しかし、おばあちゃんは、子供の話になると、笑顔でいっぱいになり、子供たちと仲が良いことや、「Bさ〜ん」と声をかけ、話しかけてくれる子供達の話を楽しそうに話してくれた。
 おばあちゃんは本当に子供が好きなんだなと感じました。


 時間を忘れて話していると、
 「お昼はまだか!
 先生には内緒だよ。
 こういう時のためにお金取ってあるんだから。
 いつも行列が出来るから早く!」
と、蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。



 その蕎麦屋さんは人でいっぱいで、すぐに満席になった。
 「いつも眺めていてね、ずっとここに来たかったんだ」

 皆でおそばを注文し、食べてみるとさっぱり美味しい。
 まさか、おばあちゃんと話しながら食べられると思っていなかったので、お蕎麦の味も格別だった。



 おばあちゃん、御馳走様でした!

 また来るからね!

(文責:宗)





 以下は永井さんのレポートです。


 仮設住宅に上がるのは初めて。
 初めて入ったおうちの中は、一人で生活するにしても、「狭いな」と思う広さでした。
 収納スペースがあまりなく、ものが溢れてしまうイメージ。
 このような空間での生活を強いられている人が、陸前高田市だけでもまだ約5300人(2013年2月時点、みなし仮設入居者も含めると5700人になる)もいるのかと思うと、なんともいえない気持ちになります。
 まさに「営生の機会」(福田徳三)が脅かされていると言えます。
 進まない復興にも、だからといって具体案のでない自分にも、腹が立ちます。


 私は、Bさんとちゃんとお話するのは初めてでした。
 けれど、とても親しげに話してくださいました。
 とてもよく笑う方で、その笑顔に癒されました。

 Bさんには2人のお子さんがいました。
 「2人とも、もう『上』に行ってしまって、話しかけても聞いているのかよくわからないから、こうやってトランペットを聞かせてあげるんだ」
と優しい顔で言っておられました。
 私たちの前では明るく振舞うBさん。
 今日私たちに出会う前は、ボランティアをしてきたそうです。
 「話をする人は、たいてい、辛い思いを吐き出すので、1時間以上はしんどい」
と言っておられました。

 Bさんも同じ被災者なのに、人の話を聞いてあげるのはすごいなと思います。

 「さっきまで嫌だなって気持ちでいっぱいだったんだけどね、あんたたちが来てくれて、パァーと明るくなれたんだよ。ありがとう」
と言われ、Bさんはすごい人だなと思いました。
 私たちを気遣って言ってくれたのだということはわかっているのですが、今度、陸前高田に来たときは、おばあちゃんのところに、また元気な顔を見せにきたいと思います。

 少し話した後、Bさんは、私たちをお蕎麦屋さんに連れて行ってくれました。
 「息子がここの蕎麦大好きだったんだ」。
 「ここの店主は、震災の時、『津波が来る!』と、地元の人を避難させている途中で流されてしまった」。

 この話をお聞きすると、陸前高田の方々から何度も聞いた言葉を思い出します。
 「震災で生き残った人と亡くなった人との差はほとんどない。もしかしたら自分が死んでいてもおかしくない」。
 3月11日はそんな状況だったのだ。
 「だからこそ、亡くなった人の分も精一杯生きよう」と、今をがんばる人がいる一方で、生かされた命に苦しみ悩まれている方もいらっしゃることも教えていただきました。

(文責;永井)

 
追伸
 おばあちゃん宅の仏壇の前には、神戸大のボランティアとの記念写真がありました。
 私たちも、今回撮った写真をたくさん送ろうと思います。