陸前高田合宿レポート(4回生)〜気仙茶編 (1)

岡嶋くんのレポート

 6月の茶摘みから2カ月が経った。
 今回の合宿でも、「北限の茶を守る 気仙茶の会」のお手伝いをさせて頂くことができた。
 メインは、気仙茶の畑の除草だ。
 清々しい9月10日の朝は、菊池司会長の家の裏の畑に借植えした茶の苗木に向かった。
 カワサキ機工さんから寄贈された苗木。

 2か月前に仮植えした苗木は元気に育っていたが、盛大に雑草が生い茂っていた。
 私たちは、会員の皆さんとともに、その畝間の雑草の除草を行った。


 丁寧に雑草を引っこ抜いていく。
 まだまだ15cmほどの苗木。
 雑草を処理することで、しっかりと自然の栄養分をとって、大きくなってもらいたい。

 むき出した土が乾いてしまわないように、土の上を抜いた雑草でそっと覆ってやる。
 小さな生命だけれども、しっかりと根を張って生きてる。
 見た目には想像もつかない、大きな大きな生命力を感じた。
 一本一本、丁寧に優しく作業する。
 自分達で仮植えした苗木がこうして頑張って生きているのを見ると、なんだかうれしく思えた。


 「リンゴ食べるベ〜」
 そう言って東代子さんが梨やリンゴを持って来て下さった。
 甘くて水分たっぷり!
 リンゴの皮むき大会の始まりです。

 及川副会長の見事な包丁さばき!


 昼からは、津波で塩害の被害を受けた小友町の茶畑を訪れた。
 昨年9月に、気仙茶を守る会やNICEの方々と共に剪定作業をした茶畑です。

 ここでは、小さな茶の芽の集まりに竹で囲いを作る作業。
 草刈りの時に誤って一緒に除草してしまうのを防ぐためです。
 雑草を避けてじっくり観察すると、緑色の小さな尊い命の葉を付けている。
 雑草で隠れていて日の光も届きにくいところにでも、小さく息をしていた!
 気仙茶は、そんな自然からの恵みを受けた力強いお茶であることを実感しました。


 夕方は、小友町の別の茶畑(ヤブキタ園)で除草。

 菊池会長が耕運機で一気に耕していく。

 気仙茶の会の皆さんと記念写真。


 夜は、会長の家でホルモン・パーティをして頂いた。

 いつも楽しい歓迎会と美味しいホルモンをありがとうございます。


 14日は米崎町の茶畑での活動。
 気仙茶の畑の上に生い茂る竹は、6月の時より盛大に伸びていた。
 今回は、この茶畑にはみ出す竹を切る作業を行った。

 会員の小野さんや国際NGOのNICEのメンバーも一緒に活動を行った。

 僕は、切った竹を運ぶ作業を担当。
 竹は思った以上に重たいし、長い。
 長いものは10〜15メートルはあっただろうか。
 太く重たく長い竹を二人で持ち上げ、端に積み上げる。

 いつも思うが、NICEのメンバーは本当に力持ちだなと驚かされる(笑)。
 きっと、毎日の牡蠣の養殖のお手伝いや、畑の仕事で鍛えられているからだろう。

 真夏のような暑さの中、必死に頑張ると、なんだか心がスッキリとして、清々しく感じた。


 休憩のとき、竹製の茶飲みを会長に作っていただいた。

 会長ののこぎりテクニックはすごい。
 いともたやすくこしらえてしまう。


 今回の活動では、竹を30本以上切って運び、終了。


 来年の茶摘みに向けて、このように継続的に活動を続ける小野さん、菊池会長、前田さん、学さんをはじめ気仙茶を守る会の方々の思いはすごく熱い。
 そんな熱い思いが気仙茶の樹に届くといいなと思いました。


(最後に。気仙茶を飲んで思ったこと)
 前田さんが淹れた気仙茶を頂いた。

 今年の茶摘みで採った茶葉で製茶した気仙茶だ。
 気仙茶は「心が温まるお茶」だと思う。

 それは単なる「おいしさ」とは違う。
 「うま味」を極限まで引き出すためにいろいろと手を加えて、教科書通りに土壌改良や施肥をしたお茶とは全くちがう「温もり」。
 それは、母のあたたかさと似ていて。
 「うま味」を求めず、陸前高田の自然そのものを、ありのままの自然の味がそのまま気仙茶の葉っぱに込められていて。
 その土地の地力がグッと心底こめられて。
 その土地からしかできない唯一無二の風味。
 そして、陸前高田の土地で守られてきた昔ながらの製法で作るそのままの味を人間が頂くこと、気仙のお茶を大切に思う人がいること。
 それだけで、気仙茶は素晴らしいお茶なのだと感じた。
 気仙茶は、陸前高田の自然からの贈り物。
 だから、気仙茶は、「うま味」はないけど、他のお茶とは比べられない「意味」がある。
 この「意味」を全身で味わう気仙茶。

これからも、気仙茶を大切に守っていくお手伝いをしていきたいと思った。
こんなにも人間の心を温めてくれるのだから。

つむぎの家(大船渡市綾里)にて。
 囲炉裏とがんづき(雁月)



≪余談≫
帰ってきてから2週間が過ぎようとしている。
あっという間の一週間だった。
帰ってきてから東京オリンピックの話題で盛り上がりをみせる世間。
なんて皮肉なんだと思い知らされた。
 友人の間でも、震災の話は話題にすらのぼらないことなんて当たり前。
 僕はまるで別世界にでも行っていたのでは、と思ったりもする。
 まだまだ被災地は困難を強いられていて、問題はどんどん増えていくばかりなのに。

 たとえ家が完成しても、以前の暮らしには戻らないってこと。
 「ここいらは三世帯で住んでるとこが多い。蔵を持っていて家も大きかったから、三世帯で住んでいた。でもみんな流され、何も無くなって、若いもんはみんな都会に出ていった。一生もとに戻ることが無い家庭だってある」
 漁師の方はそう言って悲しそうな顔をされていた。

 「地盤がずれて、水はけが悪くなってな…。」
 詰まったら、木の板で排水溝を突いて泥などを落とさないと作業の妨げになるが、二年半経ってもその状況は変わらない。

 夜なんて、電灯がほとんどないから、真っ暗。

 昼は復興工事のトラックが増えて、歩道なんて歩けるもんではなかった。


「喫茶ジョニーも昔は若い人女の子もよく来ていたけど、今じゃ全然だね」
と、心寂しくされているタロット占い好きの常連さん。
 二年半なんかじゃ、震災の傷跡は消えてなんていやしない。
 問題はむしろ、日に日に増えるばっかり。

 こんなに狭い日本なのに。
 震災の傷跡は瓦礫の撤去だけでは終わらない。
 日本という同じ地を踏む者として、僕はこれからも継続的に何らかの形でボランティアやお手伝いを続けたい。

 自分ができることはちっぽけで、何ができるかわかりませんが、小さなことでも継続的に続けていこうと思いました。
(文責:岡嶋)




宗さんのレポート
 気仙茶の作業では、気仙茶の会の皆さんと再開できた。
 6月の念願の茶摘みから約3カ月が経ち、気仙茶が再出発した。
 去年夏に台切りした茶園や、6月に茶摘みをした茶園はどのようになっているのかと気にかけながら、陸前高田を訪れた。

 10日は、菊池会長宅の裏にある苗木仮植畑の草引き。
 6月に気仙茶の会メンバー、NICEの皆さん、伊達ゼミの永井さん、岡嶋君が畑を耕し苗木を植え、そのビフォー・アフターに驚いていたが、今回の合宿で畑を見てみると、一面緑に!
 茶の樹も雑草も伸びる伸びる!
 皆で耕した土が良かったのか、茶の樹はしっかりと根を張り、雑草もなかなか手強かった!!


 抜いた雑草を樹の周りにかぶせることで肥料になり、保温効果もあるそうだ。
 3か月ぶりの再会で、茶畑でも笑顔と会話が弾む。
「久しぶり?元気にしていた?」
と話しながら再会を喜び、作業できた。

 獲れたてりんごを差し入れてくださった。
 ここで始まったのが、りんご剥き大会。
 ここで驚異的なスピードを見せてくださったのは及川さん。
 するするーと剥く姿は、もはや職人技!
 その横で、りんご剥き初めての奥田君がぎこちなく剥いていると、すかさず皆で指導し、奥田君も何とか剥けるように!
 皆で笑い合い、あれやこれやと言う姿を見ていると、
「ああ、陸前高田に帰ってきたな」
としみじみ感じた。


 次に、小友町の塩害を受けた茶畑へ。
 この茶畑は、両側から津波が押し寄せられ、被害にあった茶畑だった。
 2012年9月に行った際は茶の樹が塩害を受けて弱っていたため、下から台切りをした。
 その時の茶の樹は白くなっていて、太くてもパキっと折れてしまい、前田さんに
「可哀想だけど、こういう樹は折ってしまおうか」
と言われ、悲しかったことを覚えている。
 あの茶畑はどのようになっているか、不安でいっぱいだったが、今回見てみると、台切りしたことを感じさせないくらい、茶の葉が生い茂っていた。

「え、この樹、台切りしたよね?」
と皆で騒ぎながら見て回った。
 あれだけ樹を下のほうから切ったのに、すくすくと育つ茶の樹に、当時は心苦しかったが、やって良かったと心から思った。
 この茶畑もこれからもすくすく育ってくれるのではないか。成長が楽しみである。

 作業は、その茶畑の上にある茶の樹の目印付けと草引き。
 まだ小さな樹なので、雑草との区別を付けるために、樹の周りに竹の棒をさす。

 棒をさしていると、菊池会長に
「竹の棒も、本来生えているのと同じようにささないとダメなんだぞ!」
と言われた。
 会長のお言葉はいつも勉強になります!
 そして、竹を倒れなくするため、竹同士をひもで結び、作業は終了した。


 最後の作業に、小友町のやぶきた茶園の草引きへ。


 一面の茶畑と雑草で、作業し甲斐のある茶畑だった。
 草の根の張り方が頑固で、草引きが土を耕す作業になっていた。
 皆さん黙々と作業をしたが、全部終わりきらず

「あと半日あったら終わったのにー」
と学生メンバーで悔しがった。



 3つの茶畑を移動し、内容盛りだくさんの1日だった。
 久しぶりの作業で、久しぶりの良い汗をかき、達成感を味わっていたときに、とてもうれしい出来事があった!
それは …!!


じぇじぇじぇ!6月に茶摘みをした気仙茶ではありませんか!!」

 前田さんに、
「皆さんが茶摘みしてくださったお茶です」
と渡された時は、うれしくて涙が出そうだった。
 その時の感動した学生の顔を写真でおさめたかった…。
 中をあけると、気仙茶の物語もあり、今年6月に皆さん集まって茶摘みをした時のことを思い出し、また泣きそうになった。
 皆の思いが詰まった貴重なお茶、味わっていただきます。
 私達学生に貴重な気仙茶を分けてくださり、ありがとうございます。


 作業の後は、菊池会長宅でのバーベキュー!
 火おこし組、買い出し組、お手伝い組に別れて準備した。
 小野さんの撮った海の写真を見せてもらい、そのこだわりと綺麗さに、ビックリ!
陸前高田が大好きな小野さんが撮る写真は、景色もそれに応えてくれているようだった。
 小野さんの写真を額縁に入れて飾りたい!!


 バーベキューでは、小野寺さんが差し入れてくださった魚や他にもカツオなどを堪能。豪華な食事会だった。
 やはり、陸前高田は食べ物が美味しい!(家に帰って体重を量ってみると2キロ増えていた…)
 会長、奥様。3,4回生ともども、大変お世話になりました。
 ありがとうございます!



 14日は、米崎町の茶園での竹刈り。
 6月に感動の茶摘みが行われた、気仙茶復活を象徴する茶畑で再び作業する日がやってきた。
 茶の樹と久しぶりの再会!
 この茶の樹は、今まで見てきた茶の樹の中でも特に印象的で、樹が背丈以上(2.3メートル)大きく、さらに、急な傾斜面にあるため、りんご栽培用の脚立を使って茶摘みをしたことでも印象的だった。
 来年また茶摘みができるよう大きく育ってもらうために、茶の樹へ当たる日光を遮る竹を切る作業をした。
 竹は太く、長く、重く、思ったよりも重労働で、たくさん汗をかいた。
(私ものこぎりを使い、フランスパンを切るのを想像しながら竹を切ると、上手く切れた。普段の練習の成果かな。)
 ここで活躍したのが小野さん!
 皆が苦戦している太い竹をほんの数秒で軽々と切っていた。
 最後のほうは、小野さんを頼りにしつつ…無事、きれいに竹を切ることができた。


 終わって、下から茶畑を眺めてみると、先ほどまで影になっていた部分にしっかり日光があたるようになり、茶の樹が光り輝いて見えた。
「茶の樹さん。来年も気仙茶を楽しみにしています!」


 菊池会長宅へ戻り、自慢のりんご畑へ連れて行って貰った。

 初のりんご狩りに、自然と笑顔になった。
 会長にりんごのもぎ取り方を教えてもらい、りんごを手に取り、軽く上にあげるだけでスッと取れた。


 皆、笑顔で収穫!
 もぎたてのりんごを食べて思ったことが、市販のりんごよりジューシーであること。
 市販のりんごは、収穫されてから日にちが経っていて、シャキっとした歯ごたえはあるが、このもぎたてりんごは、肉汁が溢れだすように、りんごの味が溢れてきた。
 普段なかなか味わえない、「獲れたて」は最高だった。

 



 気仙茶は2日間の作業だったが、台切りした茶畑や茶摘みをした茶畑など、一度お世話になった茶畑が元気に育つ様子を確認できて良かった。
 「茶の樹は、人が訪れると元気になる」
 南山城村の木野さんが私達に教えてくれた。
 それは本当かもしれない。
 毎年、人が集まり茶の樹に触れ、茶摘みをして、それを淹れて頂くことで、茶の樹も元気になり、現地の人と一緒のリズムで歩んでいけるのではないか。
 「人間が茶の樹の面倒をみる」のではなく、「茶の樹が現地の人間とともにも歩む」という気仙茶らしさを、これからも大切にしていきたい。



 数日間の手伝いだったが、気仙茶や漁業での作業、現地の人たちを通じて毎度色々な人と出会いがあり、輪がさらに広がっているように感じた。
 そう感じるのも、震災後から現地に行っていろいろな人と会い、話したからだと思う
 それぞれ年齢は違うものの、会えてうれしい、お互いの情報共有をしたいと思うような繋がりができたことをこれからも大切にしたい。

 合宿から帰り、周りの人に話をすると「今は変わっているの?」と尋ねられた。
 テレビでは震災関連の話題は一本松やイベントなどが多く、実際に復興がどのように進んでいるか等はあまり明らかにされていないため、そのような質問をされたのだと感じた。
 6月の合宿と比べて高台の造成、仮設店舗から本店舗への移行などが変わったが、他にも気仙茶の新芽が出てきたり、エゾイシカゲガイは大きくなった。
 そのような変化を私達が見続けて行くことの大切さ、震災からの変化を記録しておくことの大切さを改めて実感した。

 来年からは伊達ゼミの後輩が私達の活動を引き継いでいかなければならないので、私達が聞いてきた様々な話は後輩にもきちんと伝えていかなければならない。
 そして、時間が経つにつれ、震災を知らない世代にこの歴史や変化をどのように引き継ぎ、関わりを続けて行くのか、伊達ゼミとしての課題だと思った。

 4回目の陸前高田であったが、いつも「陸前高田に来たな」と思う時がある。
 それは景色ではなく、現地の人と話をした時である。
 笑顔で気さくに話しかけてくれる現地の方は、関東のよそよそしさや関西の馴れ馴れしさとは違い、居心地の良いものである。
 あまちゃんの出演者も撮影をしていて仲良くなった現地の方と今でも交流が続いていて、「岩手は居心地良くてね、私の第二の故郷だ」と言っているのを聞いた。
 学生生活もあとわずか。
 このような貴重な経験ができたこと、現地の人と親しくなれたことをこれからの糧とし、頑張っていきたい。
 そして社会人になっても、「第二の故郷・陸前高田」に帰ってきたい。
(文責:宗)


【参考】
・2011年5月の訪問時の様子はこちら
・2011年9月合宿の作業風景はこちら
・2012年2月合宿の様子はこちら
・2012年9月合宿の作業風景はこちらこちら
・2013年6月合宿の作業風景はこちらこちらこちらこちらこちらこちらこちら