陸前高田合宿レポート(3回生) 〜エゾイシカゲ貝 (1)

小林くんのレポート
9月18日

 BRT長部の駅を降り、漁港へ歩んでゆくと、潮風に包まれた。

 バス内からは海の様子は見えていたが、ここでようやく、
「海にやってきた、要谷漁港に戻ってきた」
という実感を得た。

 作業場へ近づくにつれ、独特の生臭い磯の香りが辺りを漂っており、「あー、これから前回体験した作業が始まるんだ」という、何とも言い難い高揚感を胸にし、気合いを入れた。


「おはようございます!」
と声をあげると、すでにテントの下で作業していた見た顔の人たちが、
「お疲れさん!」
と返し、笑顔で迎えてくれた。


 私たちが到着するや、前回の砂の入れ替えで出会っていたかもしれないエゾイシカゲガイを見せてくれた。

 貝の大きさは4センチほど。
 出荷基準の4.5センチまで、あともう少し。

「どうや、前より大きくなったっぺ」
と、貝殻を割り、中身を手渡してくれた。

 それをパクリと口に含み、感謝をこめて味わった。
 貝の弾力を噛み締めると、味が滲む。
 ホタテとは違う、しっかりとはしていないけれども、確かに口に広がってゆく仄かな甘み。
 美味しいものを食べると、誰でも笑顔になれるものだ。



 作業は二手に分かれ、OさんのテントとKさんのテントに分かれた。
 Oさんのテントに行った男子学生(小林・中村・福田)は、早速作業にとりかかった。


 最初は、発泡スチロール容器を覆っていたビニルを洗った。
 このビニルに何か付着していると廃棄するときにお金がかかるのだそうだ。

 ビニルにたくさん付いているブヨブヨした生物?が何なのか、気になるところであったが、漁師さんに聞いても、前回同様、「わからん」と言われる。
 気にはならないのだろうか。

 このブヨブヨが発生しなくなれば、手間も減るだろうに。


 ビニルを淡々と洗い終えた後、休憩をとった。
 話題は「台風」と「方言」についての話。
 京都の心配をたくさんしてくれていた。
 陸前高田は大丈夫だったのか尋ねると、
「内陸を通ると、一気に勢力が弱くなって、すぐ通り過ぎちまう」。
 被害の様子が見られなかったので、一安心した。


 休憩後、漁師さんたちが、船いっぱいに積んであった海から引き上げた仕掛けの中身を、砂ごと大きな水槽に出し、私たちは、その汚れ果て、ムール貝等に纏わられた仕掛けを分解する作業をした。




 この仕掛けの中には、昨年9月、先輩の手のひらにあったのと同じ、爪の先ほどの小さな稚貝が入っていた。


 今年は、稚貝の入りが悪く、従来の10分の1ほどであるという。
 いつもなら流していた小さな小さな稚貝まで、拾い集めているのがとても印象的であった。
 Oさんは、
「今は補助金で漁業しているから問題ない。補助金がもらえなくなる平成28年(27年度)までにはしっかりやんなきゃな」、
Kさんは、
「自然のことだから(稚貝が入らないのは)仕方ない。こんなこともあるだろうから、毎年多めに貝を取っている。でも今年の入りの少なさは予想外だったな」
と語ってくれた。

 高台の造成工事や海上から防潮堤工事の影響はないのかと尋ねたが、エゾイシカゲガイへの被害があることは確認できたが、その詳細まであまり語ろうとはしなかった。


 帰り道、Oさんの家が建つであろう山を指差して教えてくれた。
 その山は、まったく手付かずの状態で、被災地でなければ、家が建つとは考え難い場所であった。
「復興するには、まだ7〜8年かかるだろうな」
とOさん。
 被災地に国民の目が向かなくなったことやボランティアの減少は、やはり被災者にとって気になる問題の一つであるのだろうと思った。



 Oさんは、「(陸前高田は)2月のときと何も変わってないだろう?」
と言った。
 私はこの問いに、
「そうですね」
と答えることはできないと思った。
 私たちが変わり行く陸前高田の様子を現地の人に伝えることで、復興が少しずつでも進んでいると励ます?、最低でもがっかりさせないことが大切ではないだろうか。
 陸前高田に通い続けることの意味はこういうところにあるのかもしれない。
近すぎるとわからないこと、それも復興に関してはたくさんあると思った。
 復興の進行が遅いのもまた事実ではあるのだが。。。

(文責:小林)






桑木野さんのレポート
 漁港の最寄りであるBRT長部、バスから降りて見えたのは、「ここから過去の津波浸水区間」という標識でした。

 しばらく歩くと、「過去の津波浸水区間ここまで」という標識も見つけました。

 舗装された綺麗な道路の上にあるその標識。
 今自分が歩いてきたところが津波で浸水していたなんて想像できませんでした。
 後日調べてみると、
『従来の標識は「浸水想定区域」としてきたが、東日本大震災の際に津波が県の浸水予測を超えてしまったため、新標識は「ここから過去の津波浸水区間」と、実際に襲来した津波を基にして道路利用者の浸水被害を予防する。』
と書いてあるWebNewsを見つけました。



 漁港に着いてOさんと再会しました。
 盲腸でまだ作業ができない状態でしたが、とても元気そうでした。

 久しぶりに見せてもらったエゾイシカゲガイは、半年前よりもだいぶ大きくなっていました。

 このまま順調に成長し、5.5センチくらいになれば、来年の6月出荷予定だそうです。
 以前はほんのりとした甘みを感じましたが、大きくなったからか、しっかりとした甘みを感じられるようになっていました。

 男と女に分かれて作業を開始しました。


 私と榎原さんはエゾイシカゲガイの仕分け作業を手伝いました。


 今年は稚貝が例年に比べて入らないらしく、普段は取らない小さな小さなエゾイシカゲガイも取っていました。
 原因について聞いてみましたが、
「これがわからないんだなあ。」
と、現地の人たちはとても困っているようでした。

 去年まではエゾイシカゲガイの方が多く、ムール貝陸前高田では「しうり」)やホタテを取り除いたほうが早かったけれど、今年はエゾイシカゲガイを分けるほうが早い、とも言っていました。



 エゾイシカゲガイは、水からあげるとぴょんっと跳ねまわり、とても活きが良かったです。

http://d.hatena.ne.jp/ryukoku-cha/files/MVI_0876.MOV?d=.mov




 私たちがお世話になったのは、Aさんの家族でした。
 基本は家族経営らしく、分担して作業をしているようです。
 皆さんとても仲が良さそうでした。
 作業中、「最近は震度4や5の地震がきても揺れてるなあ、としか思わなくなった」と言うAさん。
 その言葉を聞いて何だか悲しくなりました。
 そして、「京都は津波の心配はないだろうけど、もし津波がくる場所にいたら絶対3階、いや4階以上に逃げること」
と言われました。
 「3階」を「4階」に言い直したAさん。
 それは津波を経験した人だからこそ言える言葉ではないかと思いました。



 エゾイシカゲガイの仕分けが終わった後は、発泡スチロール容器(しかけ)を洗いました。

 最初は、1つ洗うのにすごく時間がかかっていましたが、慣れてきたら早くなりました。

 パートのおばちゃんたちは、私たちの倍くらいのスピードで洗い終えていました。

 作業中、Sさんの奥様ともお話しました。
 とても若く見えたので新婚だと思っていましたが、「陸前高田に来たのは8年前」だと聞いて、とても驚きました。
 産休中だったそうで、最近やっと手伝えるようになったそうです。
 「みんなバイトしてお金貯めてここに来るんでしょ?私だったら、絶対、ほかのとこ行くわ。来てくれた側としては嬉しいけどね。」
と言っていました。

 14時半頃に作業を終了しました。


 漁港を見渡すと、気になったことが1つありました。
 以前訪れたとき、Oさんから、
地盤沈下で足場が海に沈んでしまっているんだよ。」
という話をお聞きしましたが、半年ぶりに見ると、足場が陸にあがっていました。
 しかし、結局、このことはOさんに聞けずに終わってしまいました。


 後日談ですが、大阪に戻ってきて、私はバイト先の店長に、エゾイシカゲガイがぴょんっと跳ねているムービーを見てもらいました。
 店長は、
「これめっちゃ食べたいなあ。名前何て言うん?」
と、すごく興味を持ってくれました。
 店長も「出荷が楽しみだ」と言ってくれました。
(文責:桑木野)




◆榎原さんのレポート

鈴木旅館さんからBRTで長部まで移動。
降りてしばらく歩くと、道路の表示番に目がいった。
「過去の津波浸水」の看板。
2月に来たときも、この辺りは浸水したことはOさんより聞いていたが、今回、実際に看板を目にすると、お話を聞くよりも、津波のおそろしさを感じた。
なぜ、この看板は作られたのだろう。
津波の恐ろしさを伝えるためなのか。
もし、また津波が来たとき、高台に逃げる目印になるからだろうか。
ここは不完全燃焼。


また、道中には工事中の建物もあり、よく見てみると、水産加工場ができるようだった。


テントにつくと、Oさんが来てくださった。
手術後なので、今は安静にしなければいけず、今回は一緒に作業はできなかった。

テントに連れていってくださり、そこでエゾイシカゲガイを見せていただいた。
大きさは掌におさまるほどで、重みもあった。
Oさんが「食べてみろ」といって、貝をプラスチックケースにぶつけ、中の身を取り出してくれた。
1人1つずついただいたので、わたしも割ってみたが、生きているので、なかなか貝から外れてくれない。
貝が引く力が強く、また、わたしが触れないということも相まって、結局Oさんに中身を取り出してもらった。
貝にくっついているときは、にょろにょろと元気に動いていたが、貝から外れると、わたしでも抵抗なく触れるくらい、おとなしくなってくれた。
歯応えがしっかりあって、少し甘味も感じられた。
Oさんは「甘いだろ?もう少し大きくなれば、もっと甘い」とおっしゃっていた。



桑木野さんとわたしは、男性陣とは別れ、Kさんのテントで作業させていただいた。
始めに行ったのは、エゾイシカゲガイの選別作業。
指の先ほどの大きさのものと、それよりも小さなものに分ける作業だ。


しかし、ムール貝や帆立て貝など、他の貝が多くてポンポン分けられるものでもない。
大量の他の貝の中からエゾイシカゲガイを探すのは、集中力が必要だった。
いつもなら、選別をするかごの中身は、他の貝よりもエゾイシカゲガイのほうが多く、他の貝を避ける作業なのだが、今年は、エゾイシカゲガイがかなり少ないそうだ。
なので、選別の作業も、例年は、指の先のサイズのものを取り出すだけだが、稚貝も取り出しているそうだ。



選別作業の途中で面白いものを見ることができた。
エゾイシカゲガイを選別し終わったかごを水からあげると、貝から足がにょろにょろと出てきて、我先にと水を求めて逃げていた。
どんなに小さくても、力強く動けるんだな、と感じた。
また、小さなエゾイシカゲガイは、大きなものと比べると、透明度が高かったことも、新たな発見だった。



選別作業あとは、仕掛けを洗う作業。
海からあげられた仕掛けのナイロンや網を外し、発泡スチロールの容器の汚れを布タワシのようなもので落とす。
ナイロンや網は、テントの男性の方がやってくださっていたので、わたしたちは、ひたすら発泡スチロールの容器を洗った。
ゴシゴシ時間をかけて汚れを落としていると、
「そんなにしなくてもいいよ。だいたいおちれば」 。
それからは、お嫁さんの手元を見よう見真似で、わたしたちも数をこなせるように少しはなった(と思う)。



午後からも、この作業を引き続き行った。
はじめは桑木野さんと2人で作業をしていたが、途中からは、テントのおばあちゃんたちともお話ししながら作業ができた。
やはり、台風被害について心配してくださった。


午前と午後とこの作業を続けたが、かなり腰がいたくなった。
ほぼ毎日、この作業や選別の作業を前屈みの姿勢でしているのを考えると、本当に重労働だ。


テントは家ごとにわかれて作業をしているそうだ。
このテントは今日はこの作業を、あっちのテントはあの作業といったかんじ。


台風の被害を聞いてみると、ひどくはなかったが、震災による地盤沈下で、海水が陸地まで上がってくるそうだ。
テントの下においてあるものは全て遠くに避難させ、今回はテントの脚はたたまずに、台風対策をしたそうだ。


作業終了後、お別れの挨拶をして、テントを離れ、Oさんに高田一中の仮設住宅まで送っていただいた。

そのときの会話の中で、震災で陸にうち上げられた気仙沼のあの大きな船が取り壊されることを知った。
(文責:榎原)




【参考】

 2012年2月合宿の作業風景はこちら(ずっと下のほうに写真があります)。
 2012年7月の訪問時の様子はこちら
 2012年9月合宿の作業風景はこちら
 2013年2月合宿の作業風景はこちら