陸前高田合宿レポート(3回生)〜仮設住宅編 (4)

松岡君のレポート

今回で二度目となる陸前高田

到着し、前回2月の時と違うと感じたのは、大型トラック等の工事車両の数、工事現場が増えているということだった。
今回は徒歩での移動が多かったため、怖いなと感じることがあったが、大型トラックの数が前に来た時よりも増えていることが前進を示しているのか、とも感じた。


9月18日、初日、私は高田第一中学校の仮設住宅で活動した。
今回は、たこ焼きがメインだ。
平日ということもあり、来てもらえるのか、という不安もあったが、たくさんの方が来てくださり、さらに小学生がたまたま休みだったということもあり、とても賑わった。


小学生と一緒に遊んだ。
小学生は普段から集会所を遊び場にしているようで、普段の遊び場に「いい遊び相手が来た!」という感じで、私のIphoneを取り上げ、ずっとゲームをしていた。
彼らも、自分?のIpadを持っていて、みんなでアプリをして遊んだ。

「一緒にたこ焼きをしよう!」と誘ったが、焼くことにはあまり興味が無いようだった。
その後、高学年の子たちも学校から帰ってきて、皆で外で遊んだ。


集会所には、私が遊んでいた男の子たち以外にも、2つぐらいのグループがあった。
男の子グループは、4年生の子たちと、その兄と兄の友達という構成だった。
彼らの間では、けっこう衝突が多く、一緒にいた時間のなかでも、何回も喧嘩をしていた。

小学生の時の自分を考えると、上下関係は同じく全く無かったが、ここまで衝突はなかった。
仮設住宅という、お互いの距離が近くなりやすい環境によって、どうしてもメンバーが固定しがちになったり、ストレスが生まれやすいのかと感じた。



また、普段からこうなのかはわからないが、子供たちと高齢者とがとても仲が悪かった。
たこ焼きに参加しなかったのも、これが原因の一つだと考えられる。
同じ空間にいても話すことはなく、話す時は怒られる時、といった感じであった。
子供たちも、大人の話を全く聞く気はないといった感じであったし、逆に、大人も頭ごなしに怒りすぎているように感じた。
以前からの疑問でもあった、子供たちがあまりイベントに参加してくれない理由が少しわかった気がした。




平日だったが、たくさんのお年寄りに足を運んでいただいた。
今回は、男性陣も多かった。


私はおじいさん方と話をしていたが、以前よりも仮設住宅内での交流、特に男性同士の交流が増えているような気がした。
ある人は、
「自分から進んで、仮設団地のゴミ分別係になったんだ」
と、自分の仕事を見つけた人もいた。




前回の合宿の時、長い時間お話をさせていただいたおじいさんAさんがいたのだが、その方も今回も来てくださった。

私は、
「Aさんにまたに会えるかも」
と、とても楽しみにしていた。

前回、「もともと隣町に住んでいたため、知り合いがいない上に、新しいコミュニティになじみにくい」と言っていたが、今回はそんなことはなさそうだった。

ヨサコイ踊りが終わった後に、Aさんは、
「うちの奥さんに線香をあげてくれ」
と、仮設に招待してくれた。


震災では家族は全員無事だったのだが、奥さんは震災後に亡くなられた。
今年が初盆。



「一緒にビールを飲もう」
とお誘いを頂いた。

時間もあったので、様々な話ができた。
普段の生活の話、趣味の話、震災の時に津波からどう逃げたか、体の調子の話、これからの話、そして私自身の身の上相談など。

Aさんは、仮設での生活に馴染んではきたものの、ずっと仮設というのはやはり嫌のようで、
「一軒家は無理でも、早く災害公営住宅に住みたい」
と言っていたのが忘れられない。

その日は、1食300円の宅配弁当が届けられていた。
Aさんは、「ありがたい」と言っていた。


仮設に上がらせてもらったことで、仮設での生活が身近に感じられた気がする。

訪れる回数を重ねていくことにより、仮設の方々との距離が縮まる。
仮設に上げてもらい、貴重な経験をさせてもらった。
この活動を継続させることは、本当に意味があることだと思うし、続けることで、その意味も大きくなると感じた。


高田一中仮設の皆様、ほんとうにありがとうございました。

(文責:松岡)





永山くんのレポート

高田一中の集会所では、仮設住宅に住むたくさんの人々と一緒にたこ焼きを作るというイベント。
集会所でのイベントに最初から最後までの参加は初めてでした。


まず、ものすごくラッキーなことが!
イベント当日、仮設に住む小学生の半数が、その日学校がお休みであったこと。っということで、集会所では私たちがいく前からこどもたちがいて、iPadなどで遊んでいる姿が印象的でした。


そのこどもたちと、今日しか会えないチャンスだと思い、たこ焼きを一緒に焼き、外で遊び、兄弟でけんかした弟を慰めたり、アツアツのたこ焼きを早食いしたり、自分が遊んでもらいました。


前回にもお世話になった「みちのくふるさとネットワーク」の栗村さんは、たこ焼きについて、「東北では自分たちで焼く習慣はない。実際に行うと、こんなに楽しいと思っていてなかった」らしく、「関西が羨ましい」とまでおっしゃってくれました。また粉モントークで盛りあがりました。


出来たてホヤホヤのたこ焼きは珍しかったようで、お持ち帰りや「仏壇にお供えしたい」というおばあちゃんの声もありました。


たこ焼きは、仮設に住むおじいちゃん、おばあちゃん、こどもたち、みんな一緒にひとつの目的を持って、その時間を共有できたと思いました。
一緒の方向を向くことで、普段あまりしゃべらない、こどもたちとおじいちゃん、おばあちゃんの本当の会話が生まれてほしいという思いがありました。


それは、仮設住宅ならではの現実。


多くの人が狭い範囲の中で集まり生活している仮設住宅は、逆に言えば、子どもたちが遊ぶ場に身近におばあちゃんやおじいちゃんがいるということ。
その点で、子どもたちはいろいろ注意されることもしばしば。
なので、一緒にたこ焼きの過程、おばあちゃんがいるテーブルには入っていかないということもあり、少し残念だった。

でも裏を返せば、それだけ子どもたちは大人に見守ってもらえているということ。
子どもたちと大人、そこに私たちも交ぜてもらい、ひとつの方向を向くのが次の目標です。


もうひとつ嬉しいことが。ゼミの先輩、2月に私たちが訪れたこともあり、龍谷大学やゼミ生の名前を覚えていただいていたこと。



エゾイシカゲ貝の漁師さんも同様です。「龍谷さん、待っとったよ」っと心待ちにしていかのような声をかけてもらった時は、ものすごく自分自身に力を与えてもらいました。



菊池会長をはじめ、気仙茶の会の皆さんは、私たちを温かく迎えてくださり、歓迎会を開いていただきました。
気仙茶、陸前高田についてたくさん話をすることができ、BBQまでご馳走になりました。
身が大きいホタテはプリッと、焼くと匂いだけでもそそられるホルモン、旬の秋刀魚は贅沢に一匹、頂きました。
海の幸や高田の味をお腹いっぱい堪能し、本当に美味しかったです。

ありがとうございました。



継続しているからこそ、見えてくる景色というものがあることが、はっきりとわかりました。
陸前高田の町並みや高田第一中学はこれまで2回しか訪れた感じではなく、もっと前から携わっていたような感じがあります。



10年後はどうなっているだろうか?
10年後も風化させないためにも、まだこの身近な感じを持ち続けたい。


広田湾の漁港の方々、仮設住宅の方々、気仙茶の会の方々、米粉麺の村上さん、携わった全ての人々に感謝しています。


本当にありがとうございました。
(文責:永山)




中村君のレポート

 私が今回の合宿に行く前に考えていたことは、前回一番気になっていた車、道路、電柱などが砂埃で汚れていたのがどうなっているのかっていうのを調べることだった。
 前回行ったときは、車のボディや道路はもちろん、それから砂が巻き上げられて付着した電柱などを見て、被災者の人たちは車のメンテナンスをすることもできないのだなと思った。
 と言っても、車のメンテナンスをサボっているという意味ではなく、毎日を生きるのが精一杯で手がまわらないのだなぁと考えていた。
 いや、もしかすると、メンテナンスそれ自体に意味が無いのかもしれない。
 津波で何もかも流され、更地になった土地に海から吹き付ける強い風によって、砂が道路を汚す。
 そこを走る車はもちろん汚れる。
 車をきれいにしても道路が汚ければ意味が無い。

 私は、前回、いろいろな方の話を聞いて思うことはたくさんあったが、実際に自分自身が見て感じた「車などの汚れ」が一番印象に残った。
 洗車まで手がまわらないのかもしれないが、こんな方もおられた。
 「陸前高田に来てどう思うか」と尋ねられて、「車が汚れているのは被災者が生活していくのだけで大変だから、洗車するだけの余力がないのでは」とお答えると、「そう言われると確かに車は汚れていたかもしれない」と答えが返ってきた。
 衝撃的だった。
 汚れた車はすでに被災地にとって当たり前になっていたのである。
 


 そんな前回のことを振り返りながらいざ現地についてみると、道路は舗装されていた。
 通る車も特に汚れているとは思わなかった。
 しかし、圧倒的なダンプカーの量。

 バス停でおばあちゃんがバスを待っていたがその横をダンプカーが何十台も通る。
 危ないからダンプカーを通すなと言いたくなった。
 だが、それは復興するなといっているのと同じに聞こえるだろう。
 復興するのは大変なことだとわかっていたつもりだった。
 人々が汗水たらして町を一から創っていく。
 それはわかっていた。
 でもダンプカーがこんなに走るのは想像もつかなかった。
 土地を平らにしたり削ったりするのに必要なのは当たり前だ。
 そんなことですら、現地に行って実際に見て感じ取らないとわからない。
 本当にわかったつもりになっていた。



 だが落胆するようなことばかりが起こったわけでもなかった。
 嬉しいというか、安心したというか、そういった気持にさせてくれることもあった。
 それは子どもたちだった。
 私は、とてもゲームが好きで小学生の時からたくさんゲームをしてきた。
 ゲームがなかった時代を生きた大人たちからはゲームは悪にしか見えなくて、幼稚にしか見えないだろう。
 でも、そんなゲームから思うこともあった。
 震災とほぼ無縁の私の周りの友達とスマートフォンのあるゲームにハマっていた。
 このゲームが震災のあった現地の子どもたちの間でも流行っているのである。
 安心したような気持ちになった。
 言葉ではうまく言い表せないが、現地の子どもたちがゲームをする余裕が出てきているっていうのが安心でもあるし、同じゲームにハマっていることが同じ国に住んでいるのだなと思えたというか、日本のどこに住んでいても子どもは同じなんだなと思った。


 被災者としての子どもをやはり特別視していたところがあった。
 もっと震災のことをフォローしないといけないとか、どうやって心のケアをすればいいのかとか考えていた。
 しかし、子どもは最も純粋だった。
 被災地以外に住んでる子どもたちと同じようにゲームがしたいからするのである。
 決して震災のことを忘れたいからとかそんなんではなく、純粋にしたいと思っている。
 ゲーム機が1台しかないとそれをめぐって子どもたち同士で喧嘩もしていた。
 結局、それで私自身が悩んでいたことなどすぐに解決させてくれた。
 今回の合宿で印象に強く残ったことはこれらだった。
(文責:中村)