陸前高田合宿 (4) エゾイシカゲガイ

 ここからは、漁業班のレポートです。

荒島
 今回、エゾイシカゲガイの養殖をはじめてお手伝いさせていただいた。

 まずやらせていただいたのが、エゾイシカゲガイを45個ずつネットに入れていく作業。

 エゾイシカゲガイは、普段は土を入れたタライ型の発泡スチロールの容器(仕掛け)で養殖されている。
 海中にそれらの仕掛けをロープでくくりつけたものを沈める。
 一つの仕掛けの中に何個のエゾイシカゲガイをいれるのかは成長段階によって異なるため、定期的に仕掛けを引き上げ、エゾイシカゲガイをいったん取り出し、成長段階に合わせて選別し、適切な個数に分け直す作業が必要というわけだ。

 作業中、おかあさんたちが気をきかせて話しかけてくれたのだが、僕は数を数えることで精一杯。
 ぎこちない会話をしていると、
 「話しかけられたら、いくつかわからんようになるわね〜」
と言われてしまった。
 少し悪いことをしてしまったと思った。
 お手伝いがこんなにもむずかしいものであるということを、早くも実感してしまった。



 10時になると休憩になった。
 暖かい飲み物と、ストーブの上で温められたフレンチトーストとみかんをいただいた。

 みかんを温めるのは、寒いからみかんも温かいほうがおいしいだろうということらしい。
 外が寒いだけあって、たしかに、温めたみかんはおいしい!と感じた。
 この10時の休憩のことを「たばこ」と呼んでいるのだ、と教えてくれた。
 作業中、手はもちろんのこと、足も水に触れっぱなしなこともあり、感覚が鈍るほど冷めきっている。
 「たばこ」の時間がありがたく感じた。



 「たばこ」の時間の後、体も暖まったところで、作業再開。
 今度は、海から引き揚げて解体された発泡スチロールの仕掛けを洗浄する作業。
 仕掛けには他の貝などの付着を防ぐためにビニールがかけられている。
 ビニールの効果は絶大だが、それでも多少は付着してしまう。
 また、仕掛けにはたくさんのゴカイがついていた。
 ゴカイはビニールでは防げないのだろうか。
 それらの付着物を専用の鎌を使って落としていく。
 さらに、仕掛けは泥にまみれおり、ネットを使ってこすりきれいにしていく。
 ブイは熱湯につけられた後、こちらも専用の鎌を使って付着物を落としていく。
 ブイはビニールをしていない分かなりの付着物があり、フジツボやワカメ、コンブなどがびっしりと付着していた。
 それだけ海が豊かな証拠なのだと感じた。



 昼食後は、仕掛けにビニールをかける作業をした。
 お話を聞くと、以前は仕掛けにビニールをかけていなかったそうだ。
 で、付着物を取り除く際に仕掛けを傷つけてしまっていたそう。
 仕掛けに使う発泡スチロール容器は高価なのでなビニールをかけるようになった。
 数々の試行錯誤があったことがうかがえた。



 3時になると休憩。
 エゾイシカゲガイをいただいた。

 食感はこりこりしていて、甘さが口の中に広がった。
 ホッキ貝のような味をイメージしていたのだが、全然ちがう味だった。
 ホッキ貝よりもはるかに甘かった。
 今の季節はシーズンではないらしいのだが、卵を持つシーズンであり、また違った味が楽しめるそうだ。
 「東京の寿司屋では1貫500円になる」と誇らしげにおっしゃっていた。



 作業を終え帰る途中、堤防の建設現場を見かけた。
 命を守る大切なものであることはわかっていても、建設に伴う土砂の流出などの影響を考えると、養殖業者としては複雑な思いがあるのではないかと思う。
 堤防の工事を見た漁師さんが、堤防のことを、良くも悪くも言わなかったのがとても印象的だった。



 漁師さんの提案で、帰る途中、奇跡の一本松に寄っていくことになった。

 現在、一本松の周辺では、高台を造成する際に出る土砂を運ぶためのベルトコンベアが建設されている真最中だった。

 ダンプカーを用いると10年かかる工事が、ベルトコンベアを用いると3年で完成できるそうだ。
 ベルトコンベアができれば高台移転は急速にすすむだろう。
 しかし、もともとの市街地をかさ上げして再び住めるようになるには、とてつもない時間がかかるのだと思った。
 仮設住宅の方とお話しした時に、
「高台に移転する場合は補助金がでて、元の土地に戻る場合は補助金があまり出ない」
「だから高台移転を望んでいる人も多い」、
「でも、それは、高田の人たちの本当の声ではないのかもしれない」
とおっしゃっていた。



 漁師さんも、
 「震災直後は、生活への不安から、コンブ、ワカメ、カキ、エゾイシカゲガイと、手当たり次第やった。今は、カキとエゾイシカゲガイの養殖に専念したいと思ってる」
とおっしゃっていた。

 今回、実際に陸前高田の人たちとお話しして、
「震災直後は、目の前の生活すら見えず考える余裕がなかったが、今は考える余裕が少しできてきている」
と、心情の変化があることがわかった。

 震災から3年が経とうとしている今だからこそ、もう一度、復興計画に被災者の今の声を反映していってほしいと思った。



 今回出会った陸前高田の人たちが必ずおっしゃっていたことが、
「大学卒業しても、10年、20年後に、復興した陸戦高田の町にもう一度来てほしい」
ということだった。

 これから先もずっと陸前高田の復興を見ていきたいと思った。

(文責:荒島)
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重田
 今回陸前高田市でゼミ合宿を行い、漁業や仮設住宅での活動をしていく中で、現地の方々の話しを直接聞けたのは、自分自身にとって貴重な経験になり、合宿を通して多くのことを学ぶことができた。
 漁業や仮設住宅での活動ができたのも、陸前高田の方々の協力があったからだと強く感じた。

 活動内容として、1日目の漁業では、エゾイシカゲガイ養殖の手伝いをさせてもらった。
 2班に分かれ、私たちの主な作業内容は、漁師さんと一緒に、午前中はエゾイシカゲガイの仕掛けとなる丸い発砲スチロール製のタライの中に砂を入れていく作業と、午後からは仕掛けをつくる作業を体験させてもらった。

 まず午前中の作業は、3連になっている仕掛けのタライを広げ、その1つ1つにバケツ1杯分の砂を入れ、手で平らにした後、網をかぶせていくもの。
 この作業はほぼ毎日行われている。

 砂は重たく、風が吹く冬の海辺でも体が温かくなるような作業だった。

 本来なら完成した仕掛けの中に選別したエゾイシカゲガイを入れ、沖に出て仕掛けていく作業を行う。
 しかし、その作業は「焦ってやることではない」ため、やらなかったが、今回作った新しい仕掛けで、また順調にエゾイシカゲガイが育っていってほしいと思う。



 次に、仕掛けづくりは、発砲スチロール容器にビニールシートと網を付けていく作業。

 まず初めに、容器に直接フジツボなどがついてしまわないよう、発砲スチロール製タライにビニールシートをかぶせていく。
 かぶせたものに網をつけていくのが次の工程だが、コツをつかむまで手際よく作業をするのは難しく、分担をしながら作業を進めた。



 海岸沿いなどで行われている復興工事の養殖への影響についてお話させてもらったが、多少泥が仕掛けの容器に入ってしまうことはあるけれども、復興工事を進めていくためには仕方のないことだとおっしゃっていた。
 養殖だけでなく、他の漁業にもおおきな影響が出てほしくないと感じた。 




 一緒に作業をしていく中で、震災の被害にあったときの状況や、今までのことを聞かせていただいた。
 養殖をするにも全部を津波で流され、何もない状態からのスタートは、想像することもできない苦労があったのだと思う。
 今回、私たちが作業をした発砲スチロール性のボウルも、津波によってすべてを流されてしまったために、国の支援を受けて買うことができ、1個1500円もすることには驚いた。
 また、実際に津波が到達した場所も連れて行ってもらい、当時のことを聞かせていただいた。
 自分の家が流されたこと、どのようにして津波から逃げたのか、想像もつかない恐怖があったはずだ。
 そのような経験を乗り越え、今養殖ができているのは、漁師さんたちの諦めない気持ちがあったからだと思う。



 新たな取り組みとして、コンブやワカメ、エゾイシカゲガイの養殖だけでなく、4月から、初めて、牡蠣の通販販売が実施される。
 牡蠣の通信販売をするにあたって、多くの人に知ってもらうために、まず印象に残るキャッチコピーを一緒に考えてほしいという相談をうけた。
 まだ通信販売の具体的なことは決まっていなく、時期としてはお歳暮のシーズンに行う予定だ。
 しかし、課題も多い。
 生もののため、日持ちをする期間が短く(最長4日)、遠方の地域への発送は難しいことや、牡蠣をどのような状態で送るかなど、様々な工夫が必要となってくる。
 キャッチコピーを考える上で1番大事なことは、陸前高田の広田湾の牡蠣にしかない魅力や特徴を、どのようにしたら多くの人に興味をもってもらえるのかを考えなければならない。
 今回の作業中も、漁師さんと一緒に考えたが、そう簡単には思いつかなかった。
 けれども、こうした新しい取り組みに挑戦することで、復興に向けて一歩前進することができるはずだ。

 牡蠣だけでなく、広田湾で育ったエゾイシカゲガイも知ってもらえば、漁業全体の活性化にもつながってくると思う。

 今回の新しい取り組みに私たちも少しでも力になれるよう、印象に残るキャッチコピーを考えていきたい。



 仮設住宅での活動は、集会所での手巻き寿司やチョコ作りがメインだったが、雪が積もっている中、多くの方が来てくださった。
 おおぜいで食事をしたり、何かをつくったりすることは自然と笑顔になれることだと感じた。


 子供たちは、集会所の中では遊ぶスペースが少なく、ゲームをしていたが、大雪だったので、外に出て、雪合戦やかまくら作りを一緒にすることができた。

 かまくら作りに関しては、私たちよりも小学生たちのほうが知識も経験もあり、教えてもらいながら一緒につくった。
 外で遊んでいると、集会所に来なかった子供たちも加わってくれた。

 仮設住宅に行って思ったことは、やはり、子供たちが自由に遊ぶことのできるスペースは想像以上に狭く、それが原因で、子供たちは遊ぶのをガマンしてしまっている現状がある。



 復興のためにしなければならないことは多く、すぐに解決することのできる問題ではないが、震災から3年がたとうとしている今、子供たちが自由に遊ぶことのできる場所をつくることが大事なのではないかと感じた。


 今回、初めての陸前高田。率直に、復興は進んでいないと思った。
 海岸沿いの防潮堤工事、土を運ぶベルトコンベアの工事など、計画通り行われたとしても、あと何年もかかってしまう。
 しかし、そのような状況の中でも、現地の方々は、復興にむけて相当がんばっている。


 車屋酒場で出会った現地の方々も、津波によってつらい思いをされてきたのに、当時の話しをしてくださった。

 また、私たちは、ゼミで、NHKが制作した陸前高田市消防団・高田分団に関するDVDで事前学習してきたのだが、車屋酒場のマスターと実際にお話しさせてもらい、放送では流れていない貴重な話をお聞きすることができた。



 車屋酒場の常連さんと。「遠いところからありがとう!」と、海の幸をたくさん御馳走してくださいました。どうもありがとうございました!



 子供やお年寄りの多くの笑顔をみることができた。
 ほんの一瞬だけど、いっしょにいて楽しかったと思ってもらえる時間をつくることができたのではないだろうか。


 このような経験ができたのも、鶴亀鮨さんや漁師さんをはじめとする地元の方々の協力があったからだ。
 今回の出会いを大切にして、今後の活動や合宿につなげていきたい。

 私たちにできることは、現地の状況、現地の人の思い、実際に行って見て思ったことを、多くの人に伝えていくことだと思う。
 メディアでとりあげられることも少なくなってしまったが、絶対に震災のことを風化させてはいけないとあらためて感じた合宿だった。
(文責:重田)