陸前高田合宿 (5) 鶴亀鮨と仮設住宅

前田
 2月7日から2月10日のゼミ合宿を終えて。
 実際に被災地の様子を確認でき、被災された方達から、震災当初の話を聞かせてもらい、この合宿に参加して本当によかったと思いました。

 僕自身、行く前は、「ボランティアするぞ」という気持ちが強く、「被災されたお年寄りや子供たちに、少しでも喜んでもらえるよう、頑張ろう!」と思っていたけれど、実際に、手巻き寿司パーティに来ていただいたお年寄りから、
「あなたに会いにきたんですよ!」
とか、
「おにいさんも一緒に食べましょう!」
など、すごくうれしいお言葉をかけていただいたので、むしろ僕自身が元気づけられました。                                            

 車屋酒場で出会った常連客の方と、いろいろなお話をしました。
 津波で娘さんを亡くされた方もいらっしゃいました。
 それなのに、すごく明るく僕たちにお話ししてくれて、地酒や料理を御馳走してもらい、また夏にゼミ合宿をする話をしたら、
「また夏に飲もう!」
と言ってくださったのも、すごくうれしかったです。


 今回、僕は、合宿企画班として、班メンバーと休み時間などに集まり、合宿の内容や日程を決めてきました。
 初めてのことだらけだったので、すごく大変で、「これで大丈夫かなあ」と不安がありました。
 でも、先生をはじめ、ゼミのみんなや現地の方達が協力してくれたおかげで、被災されたお年寄りや子供達が喜んでくれた。
 大変だったけど、頑張ってよかったな、と素直に思いました。


 この合宿で、僕は、区長さんに電話したりなど、色々なことをやらせていただきました。
 その中で、鶴亀鮨さんとの打ち合わせは、とくにこの合宿の重要課題であり、大変でした。
 今回の手巻き寿司パーティは鶴亀鮨さんの協力なしには開催することができませんでした。

 鶴亀鮨さんは、わざわざお仕事の時間を割いて、ご協力いただきました。
 ミスができるだけないよう、僕自身にきつく言い聞かせながら、当日まで打ち合わせをしてきました。

 しかし、実際、当初予定していた数量を変更してもらったりとか、海鮮ネタがなくなり、忙しい時間を割いて再度準備してもらったりしたので、すごく迷惑をかけてしまい、僕自身の実力不足を痛感しました。
 でも、大将をはじめ鶴亀鮨の方々は、皆さんすごく優しくて、握り寿司の握り方や、巻きずしの巻き方まで教えてもらいました。
 大将が登場しておられる震災のビデオも見せてもらった。
 本当に感謝しています。

 特に、9日は、お店で働いておられるお姉さんの誕生日ということで、ビデオで見た「ナイアガラの滝」を実際にやらせてもらえたのは、一生の思い出になりました。
 鶴亀鮨の皆さんのご協力のおかげで、2日間にわたる手巻き寿司パーティに多くの方達が来てくれたんだと思います。
 感謝の気持ちでいっぱいです。




 陸前高田の方々といろいろお話をしましたが、震災の影響を感じないくらい、皆さん明るくて、元気な方達が多いなと感じました。
 しかし、実際に被災地を見たとき、がれきはほぼ撤去されていましたが、復興作業がまだまだ進んでいないと感じました。

 2020年の東京オリンピックの工事のために、陸前高田で工事をしているトラックとかショベルカーなどが東京にもっていかれるそうです。
 そうなると、今でも進んでいない復興作業が、さらに進まなくなってしまうので、被災者は東京オリンピック開催をいいようには思っていないというお話を、鶴亀鮨の大将さんから聞かせてもらいました。
 僕自身も東京オリンピック開催を素直に喜べなくなりました。
 本当に2020年に東京オリンピックを開催するべきなのか、東京オリンピックを開催するまでに復興作業が進んだのか。
 今回の合宿で、まだ復興が十分進んでいないことをこの目で感じました。政府は、もっと被災された方達の意見も聞いて欲しいと思いました。


 この合宿で、僕は数多くのことを学びました。
 合宿に行くまで、僕に何ができるのか、それをずっと考えていました。
 そして、一つの答えをだしました。
 僕は、他の人達に、今の被災地の状況を知ってもらうために、僕の友達やその友達などにこの合宿で感じたことを伝えていきたいと思います。
 友達には、震災当初に陸前高田市にボランティア活動をしに行った子や、これから被災地にボランティア活動に行く子など、実際に被災地に行った子や、これから行く子が多くいます。
 その子達からは、「陸前高田市に行った様子を伝えて欲しい」と言ってくれました。
 けど、被災地に行ったことない人や、ボランティアに興味ない人も実際にはいる。
 その人達にも被災地の状況を知ってもらい、何かを感じて欲しいと思いました。
 SNSで、この合宿で感じたことや、被災地の様子を伝えていき、被災地の状況を知ってもらい、少しでもボランティア活動に興味をもってくれたら、僕自身うれしいですし、被災地の方達も喜んでくれると思います。
 今年の夏にもう一度、合宿で陸前高田に行くときは、手巻き寿司パーティ以上に、楽しんでいただけるよう、頑張っていきたいと思います。
 そして、陸前高田のさらなる復興を願って、自分にできる最大限のことをしていきたいと思います。

(文責:前田)

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久保
 高速バスを降りると、大型のダンプカーがびゅんびゅんと走っているのに驚きました。
 授業で、「向こうではダンプカーばかり走っている」とは聞いていたが、想像以上でした。
 また、道行く車がすべて泥まみれ。泥が付いていない車を見ることはありませんでした。

 その後、今回お世話になる鶴亀鮨さんへと5人で向かいました。
 鶴亀鮨の大将の阿部さんは、目尻をクシャっとさせて笑う顔が素敵な方でした。
 息子さんと、働きに来ている女将さんと3人で営業しているのですが、私たちが来ると聞きつけ、商店街の方や事務局の方がお手伝いにきてくださっていました。
 鮨屋さんは敷居の高いと想像していたが、鶴亀さんは、勝手口から商店街の人が入って来ることができるような、温かいお店だと思いました。


 手巻き寿司の準備へと取りかかり始めました。
 ネタのサイズや酢飯の乗せ具合、また衛生面の注意など打ち合わせをし、そこで、地元の方は醤油にこだわりがあることを教えていただきました。
 ヤマニとヤマセンという2種類の醤油のことです。
 作業をしながら、大将に、
陸前高田のことはどれくらい知ってるんだ?」
と聞かれ、
 「海の幸がおいしい」
など、ほんの少ししか答えられなかった。
 ヤマニとヤマセンのことも手巻き寿司を行う上で重要なことであるのに、勉強不足でした。
 そのことが心残りでした。

 震災が起きた時に、高田一中の避難所で1000人分のおにぎりをつくったことをお話ししてくれました。
 高田一中の仮設住宅の方たちとお話しした時、
 「鶴亀さんの酢飯か!」
と喜んでおられた。
 鶴亀さんへの信頼がどれだけ強いかをそこで知りました。

 また、大将に
仮設住宅の人たちに何て声かけたらいいと思う?」
と質問されました。
 そこで、例の「がんばってますね」の話題になりました。
 「がんばれ」だと、捉え方によっては少し重荷な部分があるかもしれません。
 「がんばってますね」と声かけてみようと思いました。


 準備を終えた後、鶴亀鮨のビデオを見せてもらうことになりました。
 大将は、
「こんなビデオをお見せしてすみません」
と店内のお客さんに謝っている姿を見て、なんだか少し申し訳ない気持ちになりました。
 ビデオには、震災後、息子さんと店を再開することができ、涙を流す大将が映っていました。
 一度離れてしまった息子さんと再びお店ができる喜びを、その涙から感じることができました。
 なんだか涙がでてきそうになりました。

 お客さんに建設関係のお仕事をしてる方がいて、私たちが見ていたビデオにその方も映っておられて、解説をしてくださいました。
 ビデオを見ながら、大将は、
「オリンピックが来たのは早すぎたね」
とおっしゃっていました。
 私たちは、オリンピックが日本に来ることを喜んでいました。
 しかし、「現在、東北で復興工事をしている建設会社が東京の方に流れてしまうんだよ」と伺い、複雑な気持ちになりました。
 オリンピック施設は完成したのに、被災地の復興はまだ、という状況にはなってほしくないです。


 高田一中の集会所では、小学3年生の女の子がチョコを作りにやって来ました。
 とても恥ずかしがり屋さんで、
「お母さんと一緒じゃないとイヤ」
という子でしたが、一緒にチョコ作りや飾り巻きをしていくうちに、自ら話しかけてくれるようになり打ち解けることができました。
 「お父さんにあげるの?」
って聞いてしまった時に、はっとしました。
 その子にはお父さんがいましたが、ここにいる方の中には亡くなった方だっているのだと思うと、この質問は軽率だったかもしれません。


 女の子のお母さんと、受験生の子どもがいる方とお話ししました。
「卒業はいつなの?」
と尋ねられ、
「2年後です」
と答えると、
「2年後か〜」
と頬づえをついて上を向き、
「2年後は出られるのかしらね〜」
とおっしゃっていました。
 仮設住宅から出るということです。
 「どうなるのかね〜」
とその話は終わったのですが、とても重たい空気だったので、どう言葉を返してよいのか正直わかりませんでした。
 やはり、みなさん早くここを出たいと常々思っているようです。
 この会話が忘れられません。


 手巻き寿司パーティー2日目は、子どもたちに引っ張られ、雪が降る中、外へ遊びに行きました。
 集会所の中ではしゃいでいると、おばあちゃんに「うるさい!」と怒鳴られることもあったので、外に出るしかありませんでした。
 外で雪合戦をしていたのですが、時々車が通るので、子どもたちにとってはとても危ないなと思いました。
 本当に、遊び場という場所がないのだなとも感じました。



 しばらく雪合戦をした後、
「白鳥を見に連れていってあげる」
とのお誘いがあったので、数人で行ってみることにしました。
 高田一中の急な坂を下り、更地になったところしばらく歩くと、川沿いにやってきました。
 気仙川です。
 一中からかなり距離があったのですが、ここにはたくさん飛来しているそうです。

 仮設の近くに遊び場がないから、探し回っているのではないかと思います。
 気仙川には、今まで見たことのない、たくさんの白鳥がいました。
 背負っていたカバンから食パンを取り出し、その場にいた私たち全員にそれを配ってくれました。
 白鳥にやる餌です。
 食パンを1斤ずっとカバンの中に入れていたようなので、私たちにこの景色を見せるつもりだったのでしょうか。

 これは私の思い込みかもしれませんが、
「更地になってしまったけど、陸前高田にもすばらしい景色があるんだよ」
ということを子どもたちは伝えたかったのではないかと思います。
 貴重な体験をさせてくれた子どもたちに、すごく感謝しています。



 時間が迫っていたので、集会所に戻ろうとしていると、
「何時までここにいるの?」
「あと何分遊べるの?」
と質問攻めにあいました。
 まだまだ遊んで欲しかったようです。

 足でケリを入れられたり、顔面めがけて大きな雪を投げられたり、崖から落とされそうになったり…と、かなり体力勝負で、そしてクソがつくほど生意気だけど、可愛いところもあるんだなと、なんだか微笑ましいく思いました。


 この子たちのためにも、心置きなく遊べる場が早くできて欲しいです。


 今度訪問したときには遊び場は増えているのでしょうか。


 合宿全体を通して、多くの笑顔を見ることができました。


 次回訪問する際にも、今回以上の笑顔を見ることができるよう、頑張っていきたいです。
(文責;久保)



被災地に飛来する白鳥へのエサやりについては賛否両論があるということは承知しておりますし、問題性も認識しております。が、私も初めて遭遇する問題なので、次回の冬合宿までの宿題にさせてください。地元の自然保護団体(あるのか?)、バードウオッチャー、市・県の担当者(いるのか?)に、震災前後の状況や対応方法について伺ってみます。
 ただ、この白鳥が震災で傷ついた子供たちの心を癒してくれる「友達」であり、飛来地が子供たちの貴重な「遊び場」になっているということは確かだと思います。子供に注意をするだけでは本当の問題は解決しないと考えます。(文責:伊達)

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久戸瀬
 2月の7〜10日の4日間、ゼミ合宿で被災地の岩手県陸前高田市に行った。
 行く前に授業で震災のビデオを何度か見ており、震災について知ったつもりだった。
 しかし、実際に被災地に行き、自分の目で見て、いろいろな話を聞かせていただくと、震災による悲しみや苦労が伝わってきた。


 合宿1日目は、移動と鶴亀鮨さんとの打ち合わせだった。

 高速バスで仙台駅から陸前高田市に行く途中、津波によって被害を受けた街並みを見ることができた。
 東日本大震災からあと1か月で3年を迎える。
 3年目と聞くともう少し復興が進んでいるだろうと考えていた。
 しかし、陸前高田市の海岸に近い所は辺り一面が更地で、建物はほとんどなかった。
 ただただ土の殺風景が広がっていた。
 家も店もなく、畑や田んぼがあるわけでもない。
 本当に何もない土地を見て、強い衝撃をおぼえた。
 少しはテレビなどで見たことはあったが、実際に目で見ると震災の恐ろしさを一瞬にして感じ取ることができた。
 そして、まだまだ復興は進んでいないのだと強く感じた。


 鶴亀鮨に着いてから打ち合わせをした後、震災の体験談を聞かせていただいたり、ビデオを見させていただいたりした。
 鶴亀鮨の大将である阿部さんは、地震の後、寝たきりのおばあちゃんを助けに行ったから自分の命が助かったそうだ。

 阿部さんの話で印象に残っているのが、
「日本では東京オリンピックが決まったことで盛り上がっているが、被災地からすれば困ることもある。需要の増加による建設費の高騰や、復興への熱がオリンピックにそがれてしまう」
という言葉だ。
 自分はスポーツをしていることもあって、東京オリンピックの招致決定をとても喜んでいた。
 しかし、阿部さんの話を聞いて、状況によって感じ方は違うものなのだと再認識した。
 また、いろいろな観点からものごとを考えられるようにならなければならないと思った。


 2日目は、高田第一中学校の仮設住宅で暮らされている方に手巻きずしをふるまい、終了後、鶴亀鮨で夕食を食べた。
 手巻きずしパーティーを行うために、集会所のある高田第一中学校に向かった。
 到着すると、高田第一中のグラウンドには仮設住宅がびっしりと建っていた。
 仮設住宅がどのような敷地に、どのように建てられているのか知らなかったので、これが仮設住宅かと改めて考えさせられた。
 グラウンドの奥のほうに行くと、野球のバックネットと一塁ベンチがあった。
 しかし、その目の前には仮設住宅が建ち並び、地面にも砂利が敷かれている。とても野球はできないし、サッカーやドッジボールなど子どもの好む遊びもできる環境ではないと感じた。
 自分は小さいころから現在も野球を続けているし、昔から運動することが大好きだったので、子どもたちの現在の状況を思うとつらくなる。
 ましてや震災の影響や仮設住宅での生活で、今まで以上にストレスが溜まる状況なのに、運動によってストレスを発散する環境が少ないということは問題だと感じた。

 手巻きずしパーティーをするのにあたって、自分たちは初めてここに来たこともあったので、人が集まってくれるのか心配だった。
 しかし、実際に始まってみると、集会所の中がいっぱいになるほど、多くの方が来てくださった。
 鶴亀鮨さんに協力していただいた大量の海鮮ネタは大盛況で、手巻きずしをさらに美味しくしてくれた。


 手巻きずしのきれいな巻き方のコツを教えたり、なにげない会話をしていたりすると、あるおばあちゃんが震災当時の生々しい話をしてくださった。
津波で自分の家が流されていくのを高台から見ていた。頑丈なはずの家が、こんなにも簡単に流れていくのか、と思うと、虚しさでいっぱいだった」。
「レスキュー隊のヘリコプターに見つけてもらうために、白い布を空に向けて必死に振った」。
 話しをされているうちに、おばあちゃんの目には涙が浮かんでいた。
 実際に被災され、親せきや知り合いを亡くされた方から直接話を聞くと、言葉の一つ一つに重みがあった。
 無くなった環境や家、亡くなった人はどれだけ時間がたったとしても戻ってくることはない。
 そのことを痛感させられた。


 3日目は、2日連続の手巻きずしをふるまい、終了後は夕食を車屋酒場で食べた。
 手巻きずしパーティーは2日目ということや、雪がかなり積もっていることから、1日目と比べて来る人が減ると予想していた。
 しかし、その予想を覆し、1日目よりも多くの方が来てくださった。
 たくさんのおばあちゃんやおじいちゃんの笑顔を見ることができて、本当にうれしかった。
 いろいろな方に
「ありがとう」

「また来てね」
と言われたり、ある女性が、
「寒い日が続いて、おばあちゃんたちが部屋にこもっていたけど、このようなイベントを開いてもらって、外に出て集まってワイワイできてよかったです」
と言ってくださったりして、少しでも力になれてよかったと感じた。



 夕食の車屋酒場では、お店におられたお客さんと仲良くなり、いろいろな話をしていただいた。
 また、途中からマスターの熊谷さんもテーブルに来てくださり、一緒にお酒を飲みながら、震災の話を聞かせていただいたり、楽しい世間話をしたりすることができた。
本当に貴重な時間を過ごさせていただくことができたと思う。


 震災は風化し始めていると言われているが、実際に陸前高田市に行ったことで、復興にはまだまだ時間がかかるという被災地の現状を、伝えていかなければならないと思った。


 今回、自分は、FacebookTwitterで、被災地のことやゼミ合宿のことを書いたり写真を載せたりした。
 そんなことでも、被災地に行ったことのない人たちに被災地の現状を伝えることができる。
 自分にできることは少しかもしれないが、できることをしっかりやるようにしていきたい。


 観光として行くのではなく、被災地のいろいろな方に会って、仮設住宅や集会所でボランティアをして、たくさんの話をしたからこそ充実していたのだと思う。

 今後の自分にとって大きな経験になったと思う。

 次に行くときは、もっと被災地のことを学んでから行きたい。

 鶴亀鮨の阿部さん、車屋酒場の熊谷さん、大坂写真館の大坂さん、他にも仮設住宅やお店で知り合った方々、何もかもが一期一会で、本当にすべての人に感謝したい。
(文責:久戸瀬)