陸前高田合宿 (7) 大坂写真館と仮設住宅

木村
 今回、ゼミ合宿で初めて陸前高田を訪れた。
 今までテレビや映像でしか見たことがなかった被災地を自分の目で見て、現在どのような状況であるのかを知ることができた。
  
 仙台駅から高速バスに乗って陸前高田に入ると、まず大きなベルトコンベヤーが目に入ってきた。
 これは、山から削った土を平地に運び出すために、百数十億円を費やし建設されたものだ。
 トラックで運べば10年かかるところを、2〜3年に短縮できるということで、地元の方々は「復興を前進させる」と期待している。
 更地になった土地の中に建設されたベルトコンベヤーは、ひときわ存在感があった。


 市街地を見に行くと、もともとJR陸前高田駅があった場所は津波で流され、更地が広がっていた。

 道の駅と地元企業の建物だけが取り壊されずに残っていた。
 そこには津波到達地点の看板が設置されていて、想像していたよりもずっと高い津波がきたことがわかった。
 土が盛られて高台ができているところもあったが、完成したものではなく、仮に置かれているだけのもののようだ。
 これから町をどのように作っていくのか、何年経てばそこに住めるようになるのか、震災からもうすぐ3年経つが、復興するまでにはまだまだ時間がかかると感じた。


 合宿1日目は、高田一中の仮設住宅・集会所で手巻き寿司パーティーを行った。
 鶴亀鮨さんにご協力いただき、寿司飯と新鮮なネタを提供してもらった。
 開始時間よりも早くから来てくださる方もいて、お茶出しや席の案内など最初はちょっとバタバタしてしまった。
 少し落ち着いてきて、おばあちゃんと話すことができた。
 いろんなボランティアの人が集会所で企画を行っている中で、手巻き寿司は初めてだったようで、
「これはどうやってつくるの?」
と聞かれながら、一緒に作っていった。

 作り方を覚えると、
「あなた 全然食べてないから、ほら、もっと食べなさい」
と、あふれるぐらいご飯とネタをのせた手巻き寿司を何個も私に作ってくれました。

手巻き寿司を食べながら、震災の話も少し聞くことができた。
「寝るときに目を閉じると、津波のことを思い出して、寝ることができない」
と言われる方や、涙目になりながら、当時の出来事を話してくれるおばあちゃんを見て、私はただ聞くことしかできなかった。

「これはお供えする用に」
と言って、作った手巻き寿司を持ち帰るおばあちゃんもいた。


1日目は、初めてのことばかりで大変だったが、なんとか最後までやりきることができた。
「手巻き寿司 美味しかったよ」
と言ってもらえて、うれしかった。

この日の夜は、今回お世話になっている鶴亀鮨さんで海鮮丼をいただいた。
とてもおいしかったです!



 合宿2日目も、集会所で手巻き寿司パーティーを行ったが、前日の夜のミーティングで、大坂写真館の大坂さんに写真を撮ってもらおうということになり、私は担当になった。


 昨年のゼミの際に見た陸前高田市消防団・高田分団のDVDの中で、大坂団長ががれきの中から見つけた写真を見ながら、
「写真っていいな」
と言われたことがすごく印象に残っている。

「私たちも写真で被災者を元気づけることができないか」
と、皆で話し合いもしてきた。
 合宿に行く前、大坂団長が病気で亡くなられたこと、息子さんがお店を継いでいることを知った。



 最初は、「集会所に行って撮ることは厳しい」と言われましたが、今回のゼミ合宿の趣旨を伝え、仮設住宅の皆さんと一緒に集合写真を撮りたいとお願いすると、
「せっかく京都から来てくれたんだからなあ...」
と了承していただいた。
 お店の仕事もあるなか、時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。


 集会所に戻ると、前日よりもたくさんの方が来てくださり、満員状態だった。
 大坂写真館さんが撮影に来ることを伝えると、
「大坂写真館に撮ってもらえるなんて」
とすごく喜んでもらえた。

 大坂さん 集会場に到着。
 集合写真を撮るとき、その場にいた全員が自然と笑顔になれたような気がする。
 やっぱり写真の力はすごいと感じた。


 2日目は前日に大雪が降ったにも関わらず、たくさんの方が来てくださった。
 前日よりは自分たちの役割分担などをしっかり決めて取り組めたので、作業の効率も良かった。

 今回のゼミ合宿で、初めて陸前高田を訪れて、被災地の現状を知り、仮設住宅の方々の優しさを感じることができた。
 陸前高田に行ってから、出会う人みんなに温かく迎えてもらい、ボランティアに行っている私たちが受け取る物のほうがとても多かった気がする。
 また、「鶴亀鮨さんに協力してもらっている」と話すと、すごく喜んでくださり、地元を大切にしているのだなと感じた。
 何よりも手巻き寿司パーティーに来てくれた皆さんに楽しんでもらえて、やって良かったなと思えた。
 帰り際に、
「本当に楽しかった、ありがとう。また来てくださいね」
と何人もの方から言ってもらえた。

 今回経験したことを踏まえて、次回行くときに活かせるように、これからも考えていこうと思った。

(文責:木村)
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渡辺
 1日目はエゾイシカゲガイ養殖のお手伝いに参加しました。
 その話は、分割して、こちらのブログ記事の方に入れて置きましたので、参照してください。

 2日目は、高田一中で行われている手巻き寿司パーティー班に加わった。
 前日も開催しており、うまく溶け込んでできるかが心配だった。
 いざ声をかけてみると、
「あなたのお名前は」
と聞かれ、名前をゆっくり話すと、驚かれて、
「すごいお名前ね〜。今まで聞いたことないわ」
と言ってもらえて、私の分までお寿司を作ってくれるほど仲良くなれた。


 お寿司のネタやシャリを提供してくださった鶴亀鮨さんの話題になって、
「昔は行ったのだけどね...」
と言ってくださったが、それ以上詳しく聞くことはできなかった。


 体ほぐし体操も一緒に参加した。
 前で実演している中川インストラクターを見ながら、アシスタントとして、近くの
人にやり方を伝えていた。
 終わった時に、「ありがとう」と言ってもらえ、自分の持っているホームヘルパー
の資格が少し役にたった気がして嬉しかった。


 しかし、震災の話や家族の話はなかなか切り出すことができず、聞くことができま
せんでした。


 この日、参加者のみなさんと写真撮影しました。
 ぜひともみなさんで写真を撮りたいと思い、
大坂写真館へお願いをしに行った。
 仮設住民の方から、
「大阪写真館は高田では1、2を争う写真館で、腕前は一流なのよ」
と教えていただいた。
 「今の時期は、小学校の卒業アルバム写真の編集で忙しく、地元の人でも頼めないのよ〜」と後で教えてもらいました。


 最初、大坂さんには、「今の時期は忙しいので、申し訳ありませんが、無理です」
と言われてしまいました。
 しかし、
「どうしても、一中仮設のみなさんと一緒に写真を撮っていただいて、思い出を残したいんです」
と無理無理お願いしました。
 すると、
 「僕も高田一中出身だし、皆さん、せっかく遠くから足を運んでいただいたこともあるし、みんなの思い出を残せるのなら」
と快諾してくださいました。

 仮設住宅の集会場にぎっちり50人もの人間を並べて一枚の写真におさめるのは至難の業。
「こんなこと 今までにないよ(笑)」
とおっしゃられるほどの条件の中で、撮っていただきました。

 僕たちでは引き出せない、みなさんの心からの笑顔。
 笑顔を引き出し写真を撮れるのは、みなさん、家族ぐるみのつながり、信頼があるからだと感じました。

 今回のゼミで、自分たちがお役に立てたかどうかはわかりません。むしろ何もできませんでした。
 未だ進まぬ復興。
 高台に作られようとされている住宅は、まだまだ山を切り拓いている段階で、家を建てる段階まではまだかかるといった感じです。
 仮設住宅から抜け出し、子どもたちがのびのびと外で遊べる日はまだまだ来そうにはなかったです。

 BRTのバス停は、スーパーや商店から遠く、自分たちが歩いても20分ほどかかり、買い物に行くのは車がないと難しい。
 道路を歩こうとすれば、大型ダンプカーがびゅんびゅん走り、横をすり抜けていく怖さは、高齢者や子どもたちは死と隣り合わせといってもおかしくない様子。
 新聞やニュースでは取り上げられない姿を、自分たちが通うことによってたくさんの人に知ってもらうことが、僕たちの役目だと考えました。
(文責:渡辺)