宇治茶を世界文化遺産に?

 まず、こちら産経新聞の記事「宇治茶 京都のキラーコンテンツ 世界遺産登録、知事に提案書」を参照してください。
 「キラーコンテンツ」はIT用語でしょうか。「キラー」とは「Killer」のことでしょうか。ちょっとドキッとしてしまいました。

 それはともかく...。

 京都府は、宇治茶の世界遺産登録をめざしています。京都府のページはこちら]です。この「日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録検討委員会」の「第4回検討委員会」の資料のなかに「世界遺産 暫定一覧表記載資産候補に係る提案書(案)」があります。

 
 4/12付のブログ記事の一部をこちらに移します。書き足しました。

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 グローバル化で日本農業全体を取り巻く環境が激変しているというのに、宇治茶「だけ」を世界「遺産」に、などと、独りよがりで後ろ向きなことを言っていてよいのでしょうか。

世界遺産化の狙いが、景観保全や、農業の多面的機能の維持にあるのならば、茶業以外の農業や林業、里地・里山保全をも含めて多面的に検討したり、世界農業遺産登録を目指すなど、正攻法で勝負すべきだと思います。
 ヨシやワラで覆いをかけ遮光する伝統的な覆下栽培の景観が貴重な資産ならば、そして、鮮やかな緑の露地栽培の景観が貴重な資産ならば、近年の食材用抹茶ブームにより、産地でますます存在感を増している真っ黒い化学繊維製の寒冷紗の直がけも、伝統製法とは異なるし、景観破壊だし、おまけに茶葉も痛むので、やめなければなりませんね。でも、やめたら、茶農家さんは生計を維持するのが難しくなってしまいます。
 また、提案書の中で貴重だとされている「山なり開墾」の茶畑景観は、京都南部独特の景観なのでしょうか。ちなみに、「世界三大銘茶」スリランカ高地のウバ紅茶のプランテーションは、「山なり開墾」だらけです。Tea Gardenとも呼ばれ、とても美しいです。もちろん、それぞれの土地には民衆の歴史がたくさん刻み込まれています。「イギリス紅茶帝国主義」にまつわる悲しい歴史が多いですが。
 中国・台湾の茶産地の「山なり開墾」はもっと壮大だと思います。
 静岡をはじめ全国の茶産地の山間部にも、美しい「山なり開墾」はいくらでもあります。(しかも、丁寧に手摘みされます!)


世界遺産化の狙いが宇治茶の世界ブランド化に主眼があるのならば、たとえば、「世界三大銘茶」入りを目指したり、仕向け地別の輸出戦略をきめ細かく立てるなど、産地の茶農家と一体となって、それ自体として長期的に取り組む必要があるのではないでしょうか。「テアニンたっぷりなので旨味たっぷり」という科学的にあいまいな宣伝文句も、世界の消費者に受け入れられるとは思えません。

 余談になりますが、フランス市場でもアメリカ市場でも、「赤毛氈をしいて、男性は緑色のハッピを、女性はキモノを着て、外人向けに抹茶体験のおもてなし」といった、「日本の茶道文化に根ざす宇治茶」の浸透を狙ったステレオタイプな官制・輸出促進キャンペーンのカタチも、もうそろそろ見直されてよいのではないかと感じます。戦前のカタチとあまり変わっていないのでは?


宇治茶の世界遺産化の議論の根底には、「宇治茶だけ日本茶のふるさと」という歴史認識があるように思われますが、「一国史観」どころか「京都中心史観」のように聞こえます。
 岩手県陸前高田市の気仙茶など、地方のお茶を大切にしようという機運が全国で高まっているというのに、いま、なぜ、あえて宇治茶だけを世界にアピールしなければならないのでしょうか。その政策目的・意図は何なのでしょうか。
 宇治茶が将軍家に愛された「特殊」で「特別」なお茶だということは理解できますが、「日本茶のふるさと」として「普遍」化し人類の「普遍的価値」であることを証明しようとすると、いろいろなムリが生じ、「京都中心史観」の「物語」の力を借りなければなりません。
 「新芽を蒸して焙炉で揉む青製煎茶製法(宇治製法)は、1738年、宇治田原の茶農家によって発明された」というのが、京都府世界文化遺産登録検討委員会の歴史観のようですが、学術的に証明するのが難しいこの仮説に依拠して、宇治茶の「普遍的価値」の物語をつくりあげようとする姿勢には疑問を感じます。

 また、「宇治茶以外の地方茶は、みな、宇治製法が普及・伝播したもの」という「京都中心史観」(「よそは辺境」史観)が見え隠れしていますし、政治権力や権威による正統化の匂いもとても気になります。
 数百年の長きにわたり全国の多くの人びとによって営まれてきた多種多彩な日本茶の歴史を、「宇治製法の伝播の歴史」として、一色で塗りつぶしてしまうのでしょうか。
 「宇治茶の伝播の歴史は、同時に、地方茶の均質化(地域の技術や文化の破壊)の歴史でもある」ということに自覚的でありたい、と私は思っています。

 もちろん、これまでの宇治茶の歴史は貴重で大切にしたいですが、明治期から今日までの日本茶業の礎を築きあげた製茶機械の研究開発の歴史、ヤブキタなど品種改良の歴史等々、静岡をはじめ全国の茶産地での営みも、同じように大切にしたいです。

 宇治製法の全国各地への伝播自体は、確かにかつて存在したのでしょうが、なぜ、いま、その話を、京都府民の貴重な税金を使って、しかも農業政策の一環として、「宇治茶だけが日本茶のふるさと」「京都だけが日本茶のふるさと」とわざわざ強調して、世界にアピールしなければならないのでしょうか。

 それでも世界遺産登録をめざすのであれば、最低限の「作法」(エチケット)として、「和食」や「産業革命遺産」のように、全国の茶産地と連携する必要があるのではないでしょうか。


細かい話ですが、茶葉を、金属の丸棒を放射状に取り付けた円盤の上で回転させてゴリゴリと加工する揉稔機は、宇治の伝統的な手もみ製法のどの工程を「完璧に模倣」(提案書)して機械化したものなのでしょうか。
 硬葉も混じるので、ムシロや、板に縄を巻き付けた「揉み板」でゴシゴシ揉む他産地の茶とはちがって、柔らかい新芽を蒸していることが自慢だったはずの宇治製法に、金属製のイカツイ揉稔機でゴリゴリ揉む工程がどうして必要不可欠なのでしょうか。
 そもそも、揉稔機は、どのような意味で、宇治の伝統的な手揉み製茶技術に根ざした機械なのでしょうか。
 インド人の研究者たちは「揉稔機(rolling machine)は、英領インドに入植したイギリス人の発明だ。その技術を日本人は持ち帰った」と言い、スリランカ人の研究者たちは「いや、セイロンに入植したイギリス人も貢献したぞ」などと語ってくれます。
 明治初期、中国・インドなどお茶づくりの先進国に渡り栽培・製茶技術を学び、チャの種子、ジャクソン式揉捻機の設計図等を日本に持ち帰った多田元吉の偉業は、紅茶の分野だけに限定されるのでしょうか。(よく知られているように、粗揉機を発明した高林謙三は多田の弟子でした。)
 このようなダイナミックな技術交流史を抜きにして、偏狭な「一国史観」「京都中心史観」にもとづいて、日本茶・宇治茶の全体像を語れるのでしょうか。
(『茶経』をはじめ中国のインパクトは、あまりに大問題なので、今後の研究課題にしたいと思います。)

【参考】

(出所)「世界遺産暫定一覧表記載資産候補に係る提案書(案)」p.30より転載。同書には、「出展(ママ) 宇治市史年表」とある。『宇治市史年表』(1983年)のp.405にこの図が掲げられており、図の説明に「元文3年(1738)永谷宗円によって発明された『宇治製法』は、近隣をはじめとして全国の茶業地に急速に伝播し、安政の開港(1854)による茶貿易の開始時には、すでにほとんどの有力茶業地に普及している。」とある。



個人的な話で恐縮ですが、山口県生まれの私は、「宇治茶だけが日本茶のふるさと」という思考法の中に「京都人のおごり」のようなものを感じとってしまいます。
 昔の京都人は、前のめりになって「京都が、京都が」などと言わず、懐が深くて奥ゆかしかったように思います。少なくとも、「京都のキラー・コンテンツは何々」などという言い方はされませんでした。
 それは、誰もが京都をスゴイ!と認めていて、スゴイのは当たり前のことだったし、スゴイものも山のようにあったので、改めて、「京都ブランド、京都ブランド」「京都のキラーコンテンツキラーコンテンツ」などとアピールするまでもなかったからではないか、と推察します。
 もしそうだとしたら、昨今の「京都が、京都が」の大キャンペーンは、裏を返せば、京都が「スゴくなくなった」ということの現れなのかもしれません。
 「伊達は、京都や京都人の奥深さをなんにもわかっていない」とおっしゃるなら、ここはひとつ、1200年の歴史に裏打ちされた懐の深さで、先発組の天橋立さんに道を譲りませんか。希少な人的資源や時間、資金天橋立に集中投下しませんか。

 山田知事ご自身も府庁職員の皆さんも、ちょっと前までは、「丹後、丹後」「白砂青松、白砂青松」と声高にアピールなさっていたではありませんか。
 多くの府民の協力のおかげで、もうちょっとで文化庁の暫定リスト入りのところまで到達していたではありませんか。
 その熱意に共感して、京都に立地する数多くの大学も、大学コンソーシアム京都も、そして微力ながら本学も、京都府、丹後広域振興局の様々な活動をお手伝いさせていただいたように記憶しております。
 京都府民同士の南北対立?は醜いですし、絶対に避けたいです。
 研究者がそのような政治?に関与するのも疑問です。

 天橋立世界遺産登録に関する京都府の取り組みはこちらです(丹後土木事務所のHP)。このHPを見る限り、京都府庁が熱心に取り組んでいる印象を受けませんし、更新もあまりされていません。リンクも切れてしまっていて、とても残念です。
 委員会の名称も、後発の宇治茶が「登録検討委員会」なのに対して、先発の天橋立のほうは「登録可能性検討委員会」と、ワンランク下の位置づけになっています。



長くなってすいません。本題に移ります。
「遺産」化ではなく、いま、宇治茶の生産現場で進行している事態を冷静に見つめていきたいです。
昨年、宇治市で開催された全国茶品評会の結果を一部転載します。

 玉露に注目してみます。農林水産大臣賞は京田辺市の茶農家の方ですが、産地として見ても、もはや、玉露の主産地は福岡県八女市になってしまっているのではないでしょうか。「世界」云々、「遺産」云々以前に、八女茶のブランド価値向上の取り組み姿勢に学ぶ必要があるのではないでしょうか。いま府政に求められているのは、まっとうな農業政策だと思います。


 次に、てん茶ですが、「京都といえば抹茶」などと言われていますが、てん茶の生産も、厳しい状況に置かれています。
 下の図は、京都府のてん茶の生産量と平均単価(生産金額÷生産量)の推移です。

(出所) 京都府茶業統計より作成.

 生産量が増えれば増えるほど平均単価が下落しています。
 平均単価の下落は、抹茶入りのチョコやスイーツなどの「食材用の抹茶ブーム」が原因だと思われます。
 「食材用の抹茶ブーム」も、てん茶炉など高額の設備投資をして煎茶からてん茶へ転換した茶農家さんの目から見ると、手放しでは喜べません。
 設備投資資金(借金)の返済のためには、機械の稼働率を維持しなければなりませんし、そのためには、「食材用の抹茶ブーム」に乗って、寒冷紗の直がけをし「覆い茶」「宇治抹茶」という名前のモガ?を大量に生産しないといけません。
これでは、ますます値崩れして、茶農家は「豊作貧乏」になってしまいます。
後継者問題も深刻化するばかりだと思います。

続く
(文責:伊達浩憲)