津波の恐ろしさ

 4月23日(水)、2回生の基礎演習で、東日本大震災のDVDを見ました。


 このビデオを撮影された「さいとう製菓」のホームページはこちらです。

 下記は、学生たちの感想です。
 彼ら・彼女らの3.11は、高校1年生の時です。


●大西
 僕は今まで、何度か地震津波の映像を観てきましたが、やはり何度観ても少しばかり気分が悪くなります。
 でも、その現場にいらした方々は津波を経験したことのない僕らよりも悲しくて、寂しくて、怖くて、僕らの想像できない心境だったのだろうなと思います。

 地震が発生してからおよそ30分で津波が徐々に押し寄せてきて、あっと言う間に車や電柱、家までもが流される映像は本当に衝撃でした。流れは緩やかそうにみえたのですが、津波の力は本当に怖いなと改めて感じました。

 緊急避難命令で「3メートル級の津波を観測しました」という放送が流れていたけれど、3メートル級どころではなくて約10メートル級の津波で、映像を撮っていた人もおっしゃるように、
「防波堤が防波堤の役目を果たしていない」。
 まさにその通りだなと思いました。

 同じグループに、津波の被害にはあっていないけど、大きな揺れを体験した人がいて、彼が実体験を話してくれたのですが、
「大地震が起きた直後に停電し、TVでの情報が得られなくなり、さらに携帯電話も圏外になり、結局ラジオで地震津波の情報を聞くしかなかった」
と言っていました。
 現地の近くであればあるほど情報が手に入らない状況があって、でも、それって最悪なことだなと思いました。

 最後に、この映像は頭の中にしっかりとしまっておいて、次の世代の子供達へとしっかり伝えていけるように風化させないようにしていきたいなと思いました。
 それはとても大事なことだと思います。


●平井
 正直に言うと、映像で見るだけで苦しかったです。
 今まで、津波の映像をテレビなどでは何回も見ましたが、しっかりと受け止めてじっと映像を見たことがなく、私は、あの津波は一気に高さをもって押し寄せたのだと思っていましたが、今回この映像で、最初は少しずつ侵入していた水が5分も立たないうちに水位を増し、恐ろしい津波へと変わったことを知りました。
 津波警報が出てからたった5分で町が一変する様子を目にして、言葉を失いました。

 自分の愛する地元が流されるのを見ていた町の方の気持ちは、考えても考えきれません。
 数分前までそこにあったものがなくなってしまうなんて想像できないことで、建物も、町も、大切な人も同時に危機にあう、あるいは失ってしまう、想像しただけでも胸が張り裂けそうな出来事が実際に起こったのだということを改めて全身で感じました。

 「あたりまえ」はいつあたりまえでなくなってしまうかわからないもので、私たちは常にそのことを考えて、感謝し大切にして毎日を過ごしていかないといけないと思いました。
 それが、私たちが毎日を過ごす上でできることだと思います。


●野原
 率直に、他人事だと思っていた自分が恥ずかしいと感じた。

 津波が来る前から、水が防波堤を越えるまでの時間の速さに驚いた。
 以前は、なぜ津波警戒の放送がかかっていたのに逃げられなかったのだろうと思っていたが、あの水の速度は逃げられないと納得できた。ガレキの量もすごく、家がまるごと流れている水の恐ろしさも知ることができた。

 日本は木造建築物が多いため、流れていたガレキのほとんどが、木が割れたものだった。
 もっと丈夫なコンクリートの建築物ならば、この災害はもっと防ぐことができたのかなと思う。

 映像を撮られていた人を含め、周りの人たちは、どんな気持ちで自分たちの地元が消えていくのを見ていたのかと思うと言葉が出ない。

 東日本大震災からはや3年経つが、復興が見られないのは事実である。
 復興には資金が必要である。そこが経済的にどのようにしていくかが、今後の私達にかかっていると思う。


●藤野
 途中で涙が出そうになりました。
 特にこの部分に感化されたとかではなく、ふと出そうになりました。
 右上の時間のカウントを見ていると、わずか1分足らずで、昨日まであった風景が壊されて、自然の力の恐ろしさ、人の儚さを感じました。
 この映像以外にも津波の映像を見たことがあるのですが、その映像もわずかな間で街が津波に飲み込まれていました。

 今回の映像で心に残っているのが、録画主であるさいとう製菓の方の
「何が防波堤だよ」
です。
 やはり、沿岸部に住む人々にとって、この防波堤は自分たちを守ってくれる存在として信用していたと思います。
 その防波堤をはるかに超える津波への恐怖感、憤りの気持ちが感じられました。

 この映像を見て、津波の恐ろしさを改めて痛感しました。
 驚いたのが、大きなクレーンですら軽々とさらっていくことです。
 また、引き波によって何もかもが海に持っていかれる映像を見て、僕ですら恐怖を覚えたのですから、実際に体験した人々は想像を絶するような思いになっていたと思うと、実際に僕が体験すると、とてもではないが受け止めきれないと思いました。


●橋本
 とても衝撃的でした。
 なぜなら、私が見てきたのはテレビで報道された映像で、それは、音声がなく津波の恐ろしさがあまり伝わってこないように思っていたからです。
 そして、今まで知らなかったこともわかりました。
 例えば、津波が来る直前、放送で3メートルの津波が来ると放送していたが実際は10メートルの津波が来たこと。なぜ、7メートルもの誤差が出てしまっていたのか。

 とても印象的だったのは、津波の映像を撮影された方や周りの方の声でした。
 その方たちが大事にしてきた家や店が流されていくのを見て、
「止まってくれ〜」
と言っているのがとても印象に残りました。
 人間が何十年もかけて作ってきたものが一瞬にしてなくなるって、自然の驚異を感じました。
 元通りにしようと思っても、3年たっても復興はそんなに進んでないと聞きました。まだまだ復興に時間がかかると思います。
 この震災は、改めて忘れてはいけないなと思いました。


●山本
 3年前のニュースで見たときを思い出し、そして改めて地震のこわさを感じました。水の威力はすごかったです。

 今まで平和に過ごして慣れ親しんでいた町が、一瞬にして消えていく様子は、なんともいえませんでした。

 私もそこにいるかのように見入ってしまいましたが、動悸は激しくなるし、ただ“生きたい”としか考えていませんでした。

 自分の意志ではどうにもできず、町や宝物や思い出や、大事な家族が流されているのをただ見ていることしかできない状況は、波が押し寄せるにつれて、人々の叫び声が大きくなっていることが強く物語っていました。

 地震が起きてからわずかな時間で町が変貌してしまったのに、もとに戻るにはその何十倍もの時間がかかります。
 こんなにも心が痛いことはありません。

 しかし、皆、前を向いて進んでいました。自然に対しては無力ですが、それに立ち向かっていました。

 現状を知って、何か力になりたいと再度強く感じました。


●關
 私の思っていた津波とイメージが違いました。施設などをいっきに飲み込むようなイメージがありましたが、実際の映像を見てみると、家、施設などを削り取るようなものだと感じました。

 徐々に壊していく、流していく光景はとても残酷でした。もしわたし達の家が震災地だったと考えると背筋がゾッとします。

 ビデオを見たあとにグループトークをしたのですが、グループの人達全員があまりに悲惨、衝撃的であり、言葉が出ない状況でした。
現地にいなくても、これだけの衝撃を受けたのは初めてでした。

 津波の音だけでなく、震災者の方々の悲鳴、泣き声を聞くと、とても心が痛みました。
 私の叔父も東北に住んでいます。震災地から少し離れたところだったので無事でしたが、今回のようなビデオをみると、本当に離れた親族、友達が心配になります。

 自然の怖さ、破壊力、それを止めることのできない現実を改めて感じました。
 
 自分自身が知っているようなことも、ほとんど間違いであったりしていたので、知ることは大切であると痛感しました。


●高垣
 はっきりとした言葉では表せられない部分もたくさんあります。あのような津波が押し寄せる瞬間の映像は初めて見ましたが、ただただ驚きでした。
 家屋が丸ごと、水の力で流されるなど信じられませんし、約30分であれだけの範囲の土地を更地に変えてしまうなんて、まるで戦争のようでした。
 住宅街を流れていく波も相当の速さでしょうし、もしあの中に巻き込まれていたらと思うと、身の毛がよだちます。
 箪笥のようなものや、家を支える柱までぽっきりと折れて流されていました。

 製菓会社の社長の避難の判断は素晴らしかったと思います。未曾有の大地震とはいえ、防潮堤の存在を過信して逃げ遅れた方もいたと聞きます。
 その中で、社員達を引き連れて高台に避難し、偶然かもしれませんが映像を収めていたことにも感服します。
 おそらく、私たち以上に、目の前の光景が信じられなかったのはあの方々だと思います。


●清水
 2011年3月11日の震災後のニュースで見たことのある映像よりも生々しい感じがしました。一番頭に残っているのは、津波が最初と後では規模が違いすぎたところです。

 僕の実家は和歌山の沿岸部で、海の本当に真横で、今までは津波が来ても自分の家は大丈夫だろうと思っていたのですが、映像を見ていて怖くなりました。
 東北の人たちに中にも、僕と同じように、自分の家は大丈夫と思っていたかもしれません。

 「何が防波堤だ!」
と言っているのを聞いて、より一層そう感じました。
 津波というのは想像とはぜんぜん違い、泥とかいろんなものが混ざったような色をしていて、家を丸ごと飲み込んでいました。地震が起こる前と起こった後の比較の写真があり、本当に他人事ではないと思います。

 僕はバンドが好きで、そのバンドマンたちが被災地をずっと支援しているのを知っているから、震災のことを忘れてはいないけれど、ほとんど行動できていないので、何かできることを本当に見つけないといけない、という気持ちになりました。


●木舩
 津波の映像は、あまりにも衝撃的であり、映像を見ているうちに、非常に辛い気持ちになり、途中で目をそらしてしまうほどでした。
 地震が起こった直後の海は、普段と変わらず、静かに、波が押し寄せているように見えました。
 しかし、一瞬のうちに、街に黒い津波が押し寄せてきました。
 自動販売機、大型漁船が流されていて、その光景は、想像を絶するものでした。ビデオの撮影者が、押し寄せてくる津波にむかって、
「やめてくれ、やめてくれ」
と何度も叫んでいるのが非常に心に残っています。

 震災の翌日には、何事も無かったかのように、街は静まり返り、美しい朝日が出ていました。

 防潮堤のように、人間がどんなに高い技術を駆使しても、自然の営みには勝てないということを痛感しました。

 しかし、私たちは、これからも、このような震災があったということを忘れてはいけない。
 そして、二度と同じように多くの犠牲者をだしてはならないと、考えさせられました。


●戸上
 「忘れてはいけない」と思いました。震災から約3年たちましたが、人間という生き物は時間とともに大切なことを忘れていく生き物です。
 あの恐ろしい映像ニュースで見た当初は、日本が一丸となって復興に協力していたと感じていましたが、今はそうは感じず、復興は進まない一方です。

 映像の中で、津波で町が破壊されていく姿をみて、被災者の方々の本音がきこえてきました。
 誰しも、こんな映像を見たら、何か自分にできないかと思うはずです。私もその一人でした。
 しかし、なかなか行動には移せない自分がいて、募金という形でしか復興に携わることができていませんでした。

 そんな自分を変えたくて伊達ゼミに応募しました。
 一人の日本人、また社会に携わる人間として、現地の人と話をし、小さなことでもいいので、ためになりたいと強くそう思いました。
 自分に何ができるのかを考察し、被災地へ行き、自分の目で現状を確かめたいです。


●尾崎
 あの震災から三年が経過し、私の記憶からは東日本大震災のことが薄れつつありました。しかし、今回の映像を見たことにより、当時受けた衝撃が戻ってきたように感じました。

 津波が道路や住宅街に押し寄せ、家を破壊し、飲み込んでいく様子を見ていると、なぜかはわかりませんが、涙が出そうになりました。

 人間が長い年月をかけて作り上げてきたものがわずか30分で消し去ってしまうのは、怖いなんてものではないと思いました。

 私の地元は和歌山県なのですが、南海地震が来ると津波が来ると予想されています。見慣れた地元の町があんなふうに破壊されるなんて、想像もしたくありません。

 見ているのが辛くなる映像でしたが、この震災で多くの人が亡くなり、たくさんのものが失われたという事実を風化させないためには、残していかなければならない映像だと思いました。


●江崎
 ビデオを見るまで、震災の様子を軽視して想像していました。しかし、実際の様子は、今までテレビで見たものや自分が想像していたものを遥かに越えていて、唖然としました。

 震災復興に思いは持っていて、非力ながら募金はしていたけれど、いかに震災に対する考えが甘かったかを痛感させられました。もし、このビデオを見ていなければ、震災の様子を知らないままであったであろう自分を恥ずかしく思いました。
 同時に、私のように震災の様子をあまり知らない人たちがたくさんいるのではないかと感じました。

 震災とは天災であり、人間は為す術もなく誰の身に襲いかかってきてもおかしくないので、もっと真剣に向き合わなければなりません。

 今回、震災の様子に間接的に触れたことに満足して終わるのではなく、被害者の方々に想いを届け、今後発生するかもしれない震災に備えるなど、この経験をいかにこれからの生活に生かしていくが問題だと思います。

 この経験を忘れずに、被災地が早く復興することを願いたいです。


●西村
 3年前、テレビや新聞、インターネットなどで何度も津波の映像や写真を見たが、今回の映像はそのどれよりも「声」を強く感じた。

 津波が車や船を巻き込みながら町に迫るなか、
「来ないでくれ」
と弱々しく吐き出された言葉や、
「何が防潮堤だ!何が防波堤だ!」
と怒りを感じさせるような、嘆いているような声、言葉にならない泣き声、その全てが、今までどこか非現実的なものとして見ていた津波の映像を現実のものなのだと感じさせた。

 慣れ親しんだ自分の町が呑み込まれていく様子をただ見ているしかなかった被災地の方がどれほど苦しかったか、つらかったか、経験していない私に本当に理解できることはないかもしれない。

 しかし、私たちにとってもこの出来事は忘れてはいけないことだと思う。
 3年経った今、私自身も世間もこのことについて思い出したり話したりすることが減っていると感じるが、もう一度、向き合いたいと思った。


●横田
 とても衝撃を受けました。とても大きな波が来て一瞬にして平和であった町の姿を変えてしまいました。非常に大きくて速い波は、今までいろんな思いが詰まった家、町が簡単に流されてしまいました。

 避難されている方が
「止めてくれ〜」
と泣き声で言われているのがとても印象に残っていて、何とも言えない気持ちになりました。
また避難できずに屋上で救助を待っている方が居ました。

 もし私があの場に居て地震が起きて実際あのような大きな波が来ると予想できたかなと思うと、たぶん出来てなくて、逃げられてなかったと思いました。
実際逃げ遅れて命を落とされた方もたくさんおられます。

 私達は、人ごとだと思わずに、いつ私達が大きな災害に遭うかわからないので、避難の仕方を考えないといけないし、私達は生きられていることに感謝して、その方たちの分も一生懸命生きて行かないといけないと思いました。

 まだまだ復興が進んでいないのが現状で、私達は一日でも早い復興に手助けしていくべきだと思いました。


●松村
 地震もとても恐ろしいけれど、一番印象的で恐ろしかったのは、津波でした。一瞬にして車や船そして家までも押し流し、後かたもないほどに壊してしまいました。

 そして、現地の人々の、「助けて、止めて」などの声を聞き助けられないことに、とても悔しさを感じました。
 多くの人の家族や友人が行方不明になり、いまだ消息不明だということが非常に辛いことだと感じました。

 震災から3年経った現在でも、多くの人々が仮設住宅で暮らさざるをえない状況だということを知り、震災の恐ろしさを改めて痛感しました。
 今、自分たちができることで、少しでも被災者の援助をすることが必要だと感じました。
 一人一人が少しでも被災者の暮らしを楽にさせてあげたいと姿勢を変えていくだけでも、少しは変わって行くと思います。

 何年かかるか分からないけれど、震災前のように活気のあふれた町を取り戻すためにも、私たち一人一人が震災と向きあっていく事が大切だと思います。


●梅川
 私は、震災当時、宮城県の高校に通っていて、名取市被災した。被災といっても、地震しか体験しておらず、実際に津波を目で見ることはなかった。
 地震直後は停電、携帯の回線がストップするなど、津波の情報を得ることはできなかった。

 今回、地震発生後の時間経過とともに映像を見たが、30分ほどで津波が来て、1時間も経たないうちに平地であった場所が全て浸かっていたことに驚いた。
 しかも、1回の大きな波ではなく、第2波、第3波と徐々に大きくなっていることがわかった。
 映像ではそんなに速く見えないが、実際はかなり速いスピードで家などの大きな建物まで流すぐらいの物凄い勢いがあったというのが想像できる。
 想定外のことが一気に起こり、混乱があったに違いない。

 地震の揺れだけでも混乱していた私がもしその場所にいたら、すぐに避難できたかと考えることが時々ある。
 自然災害は誰にも止めることができないが、この経験を糧に、命を守る方法を考えていきたい。


●加藤
 画面の遠くからやって来る津波は、最初「少し高い波」のようにしか思えませんでした。
 しかし、押し寄せる黒い波が次々と建物や車をのみこんでいく光景を見たとき、そこで初めてものすごい威力を感じました。

 どんどん押し寄せる津波は、まるで生き物のようでした。

 頭の中がぐらぐらと揺れるような、絶え間なく鳴る地響きのような波の音は異常で、ただただ恐怖しかありませんでした。

 私は、「引き波」という恐怖を初めて知りました。これにもとても大きな威力がありました。
 押し寄せた波によって壊された建物が、引き波によって海へと引きずり込まれて行くのです。
 押し寄せる波が迫り来る恐怖と、引いていく波に引きずり込まれる恐怖。

 自分たちの建物が流されていくのを見て嘆く方の声が聞こえた時、とても心が痛くなりました。
 被災されて津波を目の当たりにした方々は、恐怖だけではなく、絶望や不安や悲しみ、私たちが想像することのできないような多くの思いを背負ってきたのだと思いました。


●深来
 これまでに何度かテレビで津波の映像を見たことはあった。
 しかし、これらの映像はナレーションやインタビューが入るなど、テレビ局側によって編集されたものが多かった。

 今回は、実際に被災津波を目の当たりにした方が撮影したもので、悲鳴が音声として入り、津波のありのままの姿を映した映像は初めて見た。

 正直、かなり衝撃的だった。
 最初、水が流れ込んでくると同時に自動販売機が流されてきた。
 その時は、自販機が流れてくるなんて津波って怖いなぁとしか思っていなかった。
 しかし、次の瞬間、自動販売機どころではなく、家が丸ごと流されてくる姿に言葉を失った。
 それと同時に、手の力も抜け、持っていたバインダーが私の手から滑り落ちた。
 それほど私にとっては大変ショックな映像であった。

 震災から3年も経ってようやくこの状況の本当の深刻さを初めて理解するとはあまりにも遅すぎると自分を責めたくもなった。
 しかし、この気持ちを無駄にせず、この出来事を決して忘れないようにしようと心に誓った。


●村上
 3年前にテレビで何度も地震の様子や津波が迫ってくる様子が映されて見てきたが、あれほどまでも生々しい映像を見たのが初めてだったので、あの映像を見たときは言葉が出てこなかった。

 3メートルの波が来るといわれていたが、実際にはとても大きな黒い津波が家々を飲み込んでいき、住人たちの悲鳴など、津波の恐ろしさがよくわかる映像であった。

 自分がもしあの場にいて地震が起き津波が押し寄せてきて、今までずっと住んでいた家が津波によって流されていくところを見るだけしかできない。
 そのとき自分はなにをしているのだろうか。
 考えるだけで、地震津波がとても恐ろしく感じた。

 しかし、実際に東北では起きている。
 その被害に遭った人たちに自分たちができることをしたい。
 この映像を見て、再び思った。実際に現地まで行き、被害の現状を自分の目で確認し、被災地で被災者の話を聞いて、小さなことでもよいので何かボランティアをしたいと感じた。


●谷
 衝撃的でした。僕ははじめ、どれほどの大波が来るのかと想像していましたが、それとは違い、徐々に水量が増し、海が溢れるという感じでした。
 想像していたものに比べて迫力が無いと思ってしまったのも束の間でした。
 水が溢れ始め、その勢いは目を疑うものでした。
 車や瓦礫などが流れ、気がつけば船や家が流されていました。
 そして、辺り一面、大濁流にのみこまれていました。
 それは一瞬の出来事で、頭が追いつかず、その光景にただただ唖然とし、自分がそこに居たらと考えると恐怖と無力感を抱きました。
 津波が去っていったあとの虚無感は、もう何も考えられなくなるほどで、映像が終わる頃には息が荒くなるほど壮絶な事を見たと感じました。

 このビデオについて班で話し合った時に、この地震を体験した子がいて、すぐに「やばい」と感じたそうです。
 日常的に使う言葉ですが、彼の「やばい」には大きな重みがありました。


●尾崎
 僕が生まれ育ったところは愛媛県宇和島付近です。そこには近々南海大地震が来ると言われています。
 僕の実家のある愛南町では、津波が来ると予想され町の大半が水没すると言われているため、とても他人事のようにビデオを見ることはできませんでした。

 わずか30分足らずの間に、今まで自分のいた家が津波にながされていることを想像するだけでたまりません。
 けれど、それは実際に東北で起きたことであり、それを目の当たりにしている人々を映した映像は、とても恐怖を感じました。
 その立場になると、声も出ないくらいショックを受けることは簡単に想像できたし、それで家族を失うなんてことは考えたくもありません。
 震災当初はそのような映像がよくテレビでも流れていたけれど、時が経つにつれて、映像が出回らなくなり、人々の記憶も風化していっていると思います。

 同じ日本に住んでる人々が受けた被害を風化させてはいけないと思います。
「がんばれ」なんて簡単に言えるけど、僕たちが本当にできることは何かをしっかり考え、授業に取り組んでいきたいです。