『つなみ 被災地のこども80人の作文集』を読んで

 5月7日と14日の2回生・基礎演習では、『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(文藝春秋])を読みました。

 宮城県石巻市・女川町の子供たちの作文をとりあげました。


石巻市渡波小学校2年・鈴木智幸君「おとうさんにまけないせんしゅになりたい」
 鈴木君の作文は、こちらでご覧になれます。


木舩 彩乃
 この作文を読み終えて、率直に思ったことは、子供は、私が想像している以上に強いのかもしれない、ということでした。
 つらい状況にも関わらず、子供たちは、物資を供給してくれたり、掃除を行ってくれる人たちへの感謝の気持ちを忘れていませんでした。
 私は非常に驚きました。
 このようなつらい状況では、自分自身のことで精一杯になって、まわりの人たちにまで、気を使うことは難しいはずです。
 作者の男の子は、父親を津波で亡くしました。
 小学2年生が受け止めるには、あまりにもつらくて、重すぎる事実だと思います。
 しかし、少年は
 「おとうさんにまけないせんしゅになりたい」
と書きました。
 その言葉の背景には、つらい状況にいる家族やまわりの人々を励ますために書いたのかもしれません。
 実際のことは、少年にしかわかりません。
 しかし、前を向いて歩んでいこうとしている少年の強さに、私は心を打たれました。


山本 紗季
 地震がきて他の子が泣く様子や、電線が倒れていたり、家族とすぐに会えなかったり、当時の恐ろしさがすごく伝わってきました。
 お父さんはちょっと会社に行くと言いましたが、お互いこれが最後の別れだと思ってもなかったはずです。
 1ヶ月後に、変わり果てた姿を見て、それを現実として受け入れることは、当時のその年齢では苦しすぎる事実です。
 その1ヶ月の間、どれだけお父さんを信じて、再び会えることを待ち望んでいたことか。
 それを考えれば考えるほど、
「とてもざんねんでした」
という言葉の裏側には、様々な感情があるように感じました。 
 お父さんの仕事を間近で見ていて、憧れ、尊敬などはたくさんあったはずです。
 生きている自分ができることは、お父さんの分まで生きること。
 そして、自分なりに出した答えが
「おとうさんにまけないせんしゅになる」
ということなのではないかと考えました。
 この作文で、自分も頑張ろうという気持ちになったし、きっとたくさんの人にも勇気をあたえてくれるのではないかなと思います。


 
藤野 優祐
 あらためて智幸くんの文章を読んで、智幸くんの当時の気持ちってどんなものだったのだろうと考えてみました。
 勝手な憶測ですが、お父さんが一ヶ月後に遺体で発見されて「残念だった」と書いているので、智幸くんは本当に悲しかったのだと思います。
 しかし、今まで当たり前だった存在が、急にもう会えなくなるということを智幸くんはまだ実感できてなかったのではないかと、そう思いました。
 「おとうさんにまけないせんしゅになりたい」
と、智幸くんは書いていますが、数年後も同じ気持ちでいるのか心配です。
 人によっては、この震災のことはもう思い出したくないというほどトラウマになっている人もいると聞きました。
 お父さんを津波でなくした智幸くんも例外ではないと思います。
 地震津波は、発生直後は直接的に被害をもたらしますが、その後も長きにわたって人びとの感情に影響を及ぼすものだと思います。
 過去を忘れろというわけではないですが、智幸くんにはそんな気持ちに負けず、目標を達成できるよう頑張って欲しいと思いました。


清水 椋也
 前回の授業で、皆の意見を聞いて変わったところは、本当に、智幸君が前向きに生きて「お父さんみたいな選手になりたい」と書いたのか、ということです。
 周りの大人が、頑張って生きていこう、お父さんの分もしっかり生きようなど、智幸君の前で言っていて、それに影響されて智幸君は書いたのではないでしょうか。
 それとも、お父さんを亡くして悲しんでいるお母さんを元気づけるために書いたのでしょうか。



野原 弥生
 生々しい当時の状況が子供の作文から真っ直ぐに伝わってきます。
 鈴木くんの作文では、地震が起きた直後、お父さんに会っているのに、会社に行ってしまい帰らぬ人になってしまいました。
 それを鈴木くんは
「とてもざんねんでした」
と表現していますが、どんな気持ちだったのでしょうか。
 まだ拙い日本語での精一杯の表現が伝わってきます。

 平塚くんの描いた絵では、あらゆる建物、車などが流されているのが表されてます。
 建物も逆さを向いたものがあったり、車が波に飲み込まれているのがわかります。
 津波の恐ろしさが伝わってきます。
 被災してから二ヶ月以上電気も水道も使えない、靴がないからどこにも行けない、空気が汚い、と悲惨な状況が作文からわかります。
 こんな悲惨な状況だといったい何人が知っていたのでしょうか。


尾崎 公紀
 おとうさんみたいなせんしゅになりたい。
 これは、父を失って1ヶ月後に小学生が書ける言葉とはとてもおもえませんでした。
 何度も、自分がこの立場なら、と考えましたが、大学生でも立ち直れる自信なんてありません。
 何気ない親子の日常を一瞬にして破壊する自然の力を改めて怖いとおもいました。
 けれども、このような辛い思いをした方々がまだまだたくさんいると思うと、少しでも何か力になれないか、私にできることはないのかを考え、他人事として考えずに、少しでも力になれるようになりたいです。




石巻市湊小学校3年・石川幸菜さん「にげろー!」
谷 一記
 小学三年生という幼いながらに見たもの、感じたものはいろいろあって、とてつもない恐怖を感じたはずなのに、不安の中にも強い気持ちを持とうとしていることに感心しました。
 彼女の作文を読むと、当時の光景がみえてくるほど、訴える力、伝えようとする力がありました。
 自分のこと、周りのみんなのこと、家族のことや震災のことも辛いはずなのに、伝えるために書いてくれていて、この出来事がどれほど大きくて衝撃的で、鮮明な記憶を与えたのかと思いました。
 三日間もの間、母に会えない緊迫感に、僕も息をのみました。
 大震災の中、母に会えない三日間というのはとても長く、大きな不安を彼女に与えていたと思います。
 彼女のお母さんは幸い無事で、再会したときの
「だきつきました」
には、彼女の大きな喜びを感じました。
 大震災に遭い、いままでの生活とはいきませんが、
「毎日が楽しいです。」
と言った彼女は、強いなと思いました。
 この大震災を大人になっても一生忘れないと誓う彼女に、僕も出来る最大限、力になろうと思います。


戸上 幸太
「この津波のことを、大人になっても一生忘れないと誓った」
という言葉がとても自分に響きました。
 被災されて、いつも当たり前に使っていた電気、水道などが使えなくなり、自分はこんなに便利な生活をしていたのだと、小学生ながらに強く感じさせられたと思います。
 自然災害はいつくるかわかりません。
 当たり前にできていることが、いつ当たり前でなくなるかと考えると恐ろしかったです。
 今、自分が何不自由なく生活し、友達や家族と笑いあって生活できていることがどれだけ幸せかということを再認識させられました。
 災害が起きたときは、その当たり前というものが、一瞬で破壊されます。
 常に、当たり前という捉え方ではなく、感謝する気持ちが大切だと思いました。
 今回の東日本大震災をいかした震災対策、津波対策をすること、風化させないことが本当に大事だと考えさせられました。


西村 さつき
 一番印象に残ったのは、湊小学校の石川さんの作文です。
 なかでも印象に残っているのは、
「毎日が幸せになりました」
「毎日が楽しいです」
という言葉です。
 被災地や、被災者の方のことを考えると、悲しくて辛いというイメージが強いなかで、「幸せ」「楽しい」という言葉がとても印象的でした。
 心の中には津波への恐怖や、言葉にできない思いもたくさんあると思います。
以前と同じ生活が出来ている訳でもないでしょう。
そんな状況のなかで、どういう気持ちで、「幸せ」という言葉を書いたのか考えさせられました。
 私がいくら想像したところで、彼女の気持ちを推し量ることはできませんが、この「幸せ」は、ただ単純な言葉とは思えません。
小学生といっても、周囲の大人、特に親の苦労や、大変な様子を感じとっているかと思います。
 だからこそ、親に心配をかけたくないという気持ちから、明るい言葉を口にするのかもしれないと思いました。


高垣 秀征
 これらの作文はどれも印象に残りました。
 小学生の子供たちということで、技巧を凝らした文章を作るのは難しいかもしれませんが、それが逆に生々しく感じられました。
 Iさんを取り上げてみます。
 Iさんは、そろばん教室で地震に遭遇し、学校へ避難されたそうですが、一つ目に印象的なのは、
「二日間も食べれなかった」
という部分です。
 文章から見るに二日間水だけで過ごしたようです。
 簡単に書かれていますが、ものすごく辛いことだと思いますし、ましてや小学生の子供なら非常にしんどかったと思います。
 もう一つは、
「トイレが水洗になって、(中略)電気もついたので毎日楽しいです。」
という部分です。
 陳腐になりますが、私たちにとって当たり前のことは失ってから初めて感じるものなのだと思いました。
 大人であれば様々な知識があるので、どうしても悲観的になってしまいますが、「楽しいです」と書くあたりが胸が痛くなります。




石巻市湊小学校1年・工藤祭くん「くうきがきたない」
深来 舞香
 この作文を初めて読んで、前回、私が衝撃を受けたことを感想として書いた内容には、それはそれで私の素直に思ったことで嘘偽りはないのですが、前回の授業でもう1度読んだ上でグループで意見を交換し合った結果、1度読んだだけでは見抜くことができなかった新たな発見がありました。
 それは、彼の文章に「前向き」に頑張っていくという表現が一切見受けられないことです。
 他の4人の作文は、今は大変だけれどこれから頑張っていくというような内容が書かれているのに対して、彼の文にはそれが一切ないことに、何回も読むことでようやく気づかされました。
 彼は震災後の惨状を伝えることに精一杯で、この先のことなんて考える余裕なんてものがなかったのかなと、地震津波の恐ろしさを改めて感じました。


平井 里実
 わたしが工藤くんの作文を読んでて心に響いたのは、
「すわってまってたら、かあちゃんがきました。じぶんはかあちゃんがもののしたじきになってなくてよかったな、とおもいました。かあちゃんがきたときあんしんしました。」
という言葉です。
 地震が来て、避難して、お母さんに会えるまで、工藤くん自身もとても怖かったと思うし、ほんとうに心配と不安でいっぱいだったと思います。
 お母さんが無事かどうかという不安が解けた瞬間のこの3文の言葉で、心から安心した様子がとても伝わりました。
 また、工藤くんの作文は、自分の感想よりも、状況を細かく書いている部分が多かったのですが、もしかしたら「津波」という言葉もまだ知らなかったかもしれない小学校1年生の子が、感じたことや目で見た様子・情景など当時の状況をそのまま素直に書いているのかなとも思いました。



梅川 翔太
「かあちゃんがきたときあんしんしました。」
と、家族に会えたときの気持ちをストレートに書いていて、本当にそうだなと思いました。 
 私自身、家に1人で居たときに地震がきたので、少しの間とても孤独でした。
すぐに家族のことが心配になりました。
 連絡手段が途絶える中、実際に会えたときは本当に安心しました。
 そのため、祭くんのストレートな気持ちが印象に残りました。
 また、お母さんに会えた祭くんが家族に会えていない友達のみずほちゃんの気持ちを察していて、1年生ながら心が大人だなと感じました。



關 惠介
 大震災を実際体験していない僕にも、その時の様子のイメージが強く湧きました。
 この講義を受け始めてからずっとなのですが、自分の思っていたものとのギャップ、勘違いがすごくあって、本当の東日本大震災を知らなかった自分が情けなく感じてきました。
 東日本大震災での津波被害の大きさは、死亡者数、行方不明者数などある程度は知っていたのですが、今僕が想像しているものよりずっと考えられない、ありえないものだったと感じました。
 文章でこれだけ伝わるということは、実際に現地に行き被災者の方々に生の声で聞いたら、相当なショックをうけるのだろうと感じました。
 工藤くんの作文に書いてあることは、実際起きていたこと、つまり工藤くん自身が見たもの、感じたものだったと思います。
 僕自身が震災に直面した時に平常心を保てるのか、震災時の恐怖を思い出し、勇気を出してこのような作文が書けるのかと思いました。
 作文を書いてくださった人々に、本当の意味での東日本大震災をこうやって知ることのできることを感謝し、尊敬します。



女川第二小学校4年・平塚真人くん「たいへんだった日」
加藤 麻耶
 この男の子は、家や車が津波で流されているところを目の当たりにし、さらに、自分を育ててくれた祖母が行方不明になりました。
 きっと不安と恐怖でいっぱいだったと思います。
この文章のすごいなと思った点は、被災された方を励ますような言葉が何度も書かれていたことです。自分自身も大変なおもいをしているはずなのに、「前向きに頑張ろう」とみんなを励まそうとしていることにとても感動しました。
 しかし、これは、辛い現実を受け止めることができていないからなのかな、とも思いました。
 震災の状況や、おばあさんのことを思い出すのが怖くて、無意識に、辛かった出来事を避けているのかなと感じました。


女川第二小学校6年・平塚俊彦くんの絵(連作)

橋本 優子
 最も印象に残ったのは、女川第二小学校6年 平塚俊彦さんの絵です。
 なぜなら、弟さんが作文を書いて、お兄さんが絵を描いたからです。
 絵をパッと見て津波の様子が感じられて、心が痛くなりました。
 何かが襲ってくるのはすぐにわかるし、下から二枚目の人が逃げていく姿や、右側の絵は波が家を襲うって見た瞬間にわかります。
 授業で見た時の津波の恐ろしさが改めて感じられました。
 なぜ、兄弟が二人とも作文ではなく兄が絵の連作で弟が作文だったのか、本当の理由はわかりません。
 ですが、兄さんは、作文ではなく、見て津波が表現できるようにしたかったと思いました。
 見たそのままを表現したのだと感じられました。
 もし、私が同じ状況にあったとき、絵も作文も書けるとは思えません。
 それだけ、子供たちが周りの人たちに伝えたいことがあるのだなと思いました。