気仙大工伝承館で手もみ製茶 !

 6月2日(月)、陸前高田市小友町の気仙大工・左官伝承館にて、仮設住宅にお住いの方々が、伝統的な手もみ製法で、新茶づくりを行いました !
 主催は「北限の茶を守る 気仙茶の会」です。
 私たちはそのお手伝いをさせていただきました。

 気仙大工・左官伝承館と「3.11 希望の灯り

 気仙地域の人びとの誇りを感じとることができる、私の大好きな場所です。

 美しい広田湾が見えます。

 展望台に登ると、小友浦や広田半島が一望できます。(昨年7月に撮影)




 朝、まずは、気仙茶の会の佐藤さんが火おこし
 さすが職人!
 

 土風呂(どぶろ、ほい炉のこと)に炭を投入



 今回は、生葉を「湯通し」する方法でやってみます。

 さっと湯がいた後、さまします 

 気仙地域では、ほかに、「蒸篭で蒸す」方法も行われていました。
 この伝承館には、いろいろな生活用具がきちんと保存されているので、全国的に見ても、手もみ製茶の場所として最適です !
 米崎町にある、自動化された製茶工場と使い分けていけば、いろんな可能性が切り開けますね。

 縄だってラクラクつくれちゃいます(私にはできませんが...)。
 陸前高田、なんかスゴイぞ〜。

 ちょっコワいカマドの神様の下で、みなさん、若い頃の暮らしを懐かしむように、「もみ板」でワイワイと揉んでいました。

 「ほれ、これが "ネコガキ"っつーんだよ〜。」
  この気仙地域には、このネコガキでお茶を揉む方法もあるそうです。伝承館、ホントになんでもそろってます。

 もみ板でもみながら、あの日のことを話してくださいました。
 優しいお顔からは想像もできないような、つらい話でした。
 1日も早く、震災前の暮らしをとり戻してほしい、
 心からそう思いました。


 米崎町の「手もみ気仙茶づくり名人」ウメコさんの登場です !
 60年前まで、実際に、自宅で気仙茶を手もみ製法で作っていらした方です。
 今日はウメコさんが大きく見えました !
 小林幹事長は、ウメコさんのお話を録音する担当でした。ボイスレコーダーが焙炉の隅っこに置かれています。

 正直に告白すると、失礼ながら私は、「自家用茶」=「田舎のばあちゃんの漬物のような、素朴なお茶」というイメージを持っていましたが、ウメコさんの手さばきを見て、お話を伺っていると、気仙茶は、「かなり丁寧につくり込まれた繊細なお茶」だったことがよくわかりました(反省)。
自宅で飲むだけでなく、「お茶っこでも飲んで〜」と、おもてなしや贈り物にもつかわれるお茶だからですかね。
家に伝わる味、姑の目、隣近所の目等々、厳しい規律の側面も、気仙茶の品質と関係があるような気がしました。



 「クチばっかり動かしてね〜で、手〜さ 動かせ〜」


 「あははは♪♪」
 おしゃべり上手の前田事務局長が輪の中に入ると、まさに「火に油を注ぐ」感じです(笑)。
 昔は、嫁の悪口、姑の悪口、男連中の悪口とかで盛り上がったのでしょうね。
 奥のほうでは、炭の火加減を調節しています。

 手もみ気仙茶 完成です!

 お茶淹れ人は前田事務局長

 出来立ての気仙茶の新茶で、お茶っこサロン !
 「あ〜 やっぱり美味しい !」

 仮設暮らしの皆さんの笑顔を見たとき、
 「今まで頑張ってきてよかった これからも頑張ろう!」
 「気仙茶の長い歴史の中で、今ほど気仙茶が必要とされている時はない」
と率直に思いました。





 この日、盛岡から大勢の方々が伝承館を訪れました。


 皆さん、カメラ片手に、
「手で揉むお茶は初めて見た!」
「これが(うわさの)気仙茶の本物かぁ〜!」
と感激されていました。



 三輪芳裕・名古屋市会副議長も視察に訪れました。
 案内人は、西尾健人さん。名古屋市役所から陸前高田市役所に2年間派遣され、1年目は就労支援、2年目はオンデマンド交通や福祉タクシーなど地域交通システム整備にご尽力された方です。3年目も希望されていたそうですが、この3月に名古屋市役所に帰任されました。

 仮設住宅の方が、三輪副議長に、
「ほんとに一番つらいときに、名古屋市の皆さんは私たちを助けてくれました」
と、涙ながらに感謝の気持ちを伝えていたのがとても印象的でした。
 「一番つらいとき....」とおっしゃったところで、声を詰まらせておられました。今もつらいのだろう、と感じました。



 「日々是好日」

 今日、こうして、この伝承館で、気仙茶をみんなで手もみして、みんなで美味しく飲めたのは、仮設暮らしの方々が、「一日一日、一時一時を大切にして、生きていきたい」と願い頑張っているからですし、また、「それを少しでも応援したい」「傷ついた心を少しでもお茶で温めたい」と願う「気仙茶の会」の皆さんの気持ち、両者の賜物だと思います。

 気仙茶のチカラをあらためて実感しました。



【追記】
 6月6日、この気仙大工伝承館で、大船渡東高校・農芸科学科3年生が、地元の年配者から気仙式の手もみ製茶法を教わる講習会が開催されました。
 岩手日報の記事はこちら
 IBC岩手放送のニュース動画はこちら
 FNNローカルタイムのニュース動画(Youtubeより)

 東海新報の記事はこちら

 この生徒たちは、5月30日に、仮設住宅に暮らす年配者と「大茶摘み交流会」をしました。こちら(岩手日報)を参照してください。

 仮設に暮らす大勢の年配者がワイワイと、茶摘みの仕方や「お茶づくりのある暮らしが、かつてここにあったこと」を若者に教えている光景は、とても興味深いです。



 「陸前高田大船渡の伝統ある気仙茶を後世に守り継ぎたい!」(READYFOR)にご協力をお願いします !





【余談−気仙茶が私たちに問いかけていること (自分ノート)】
 宇治茶の産地では、「手摘み」も「手もみ」も、今日でも存続しており、イベントなどで「茶摘み体験」「手揉み体験」として、ほんのわずかのプロセスだけですが、体験することはできます。


(昨年10月の「全国お茶まつり京都大会」での宇治茶製法手もみ技術保存会による実演。ちなみに、写真中央は「おけいはん」です)

 「手もみ」は、私たち庶民にとっては、「イベントの時に鑑賞・体験するもの」、「日常生活とかけ離れた縁遠いもの」になってしまったように思います。京都府無形文化財に指定されているだけに、なおさら敷居が高いです。出来あがった手もみ茶を味わっていただくこともしていません。これに「感動」するのは難しいと思っています。



(先日5月31日に南山城村で開催された「茶畑コンサート」の様子←伊達ゼミも毎年お手伝いさせてもらっています)
 「手摘み」についても、新茶シーズンに「茶摘み体験」が行われていますが、「摘んだ新芽は持ち帰って天ぷらにしてください」と言われることが多いです。新芽の天ぷらはとても美味しいのですが、せっかく丁寧に摘んだ茶なのに飲むことができず、ちょっとガッカリしてしまいます。

 また、「手摘み」の玉露は、最高級の宇治茶ですが、贈答品として使われる機会もめっきり減り、京都の老舗茶舗でも売れなくなってきていますし、担い手の茶農家さんも減少しています。

 庶民が口にすることができるのは、「急須で淹れたような」「玉露のような」味がするペットボトル茶です。「緑茶」とは別カテゴリーの「緑茶飲料(清涼飲料水)」=ドリンクです。
 安価な「ペットボトル緑茶飲料(清涼飲料水)」が、アメリカ式ライフスタイルを世界中に伝播普及させる象徴のような超多国籍企業の日本法人と、宇治御茶師の後継の老舗茶問屋とがタッグを組んで、大量生産・大量販売されています。
 「ペットボトル緑茶飲料(清涼飲料水)は、20世紀的なお茶ライフの「極み」であり、宇治茶のモノ化、お茶づくりのモノづくり化だ、と私は思っています。モノ化のことを経営学では「コモディティ化」といいます。コモディティとは商品の意味ですが、「均質化された、単なる商品」という意味が込められています。

 いったんモノ化されてしまうと、模倣と差別化のいたちごっこ(モデルチェンジの自己目的化)を始め、新製品を投入しては、ちょこっと味を変えてみたり、「ワンランク上」にしてみたり、(商品自体にはほとんど差がないので)オマケをつけたり、増量したりするようになります。本来的価値とは無関係なところで差別化が展開されています。

 「なにも好き好んで飲料メーカーに茶葉を提供しているのではない。最近の若者は急須すら持ってない。困ったものだ....」と嘆く茶業関係者の話を聞いたことがあります。「茶業界自らが『急須で淹れたような』を謳い文句にした商品を推奨・販売しているのに、それはないでしょう」というツッコミは後回しにして、進化を続けるコーヒー業界の事例(例えばアメリカ西海岸オークランドのBlue Bottle Coffee)をご覧ください。かつての日本の喫茶店にあったようなサイフォン式コーヒーの「価値」が再評価されていて、とても興味深いです。日本にも進出するみたいですね。こちらです。

追記: 「ペットボトル緑茶飲料」をうっかり「安価」と書いてしまいましたが、消費税率の引き上げ後は、私も、「¥160は高い !」と感じるようになりました。喉が渇くたびにコンビニや自販機で買ってゴクゴク飲んでいたら、せっかく稼いだお金がムダになってしまいますね。そういうライフスタイルのバカバカしさを、若者は敏感に察知しているのだと思います。近年、キャンパスで、水筒(弁当も)を持ち歩く学生の姿をよく見かけます。日本経済が「失われた20年」に陥っている間に、お茶は「節約の対象」になってしまいました。モノ化の宿命です。顧客が支払ってもよいと考える価格と、商品の持つ本来的価値とが見合わなくなっているのだと思います。(リーフ茶も同様です。煎茶、そのワンランク上の玉露....といった商品ラインナップに顧客は反応しなくなりました。)
 「最近の若者は消費そのものをしなくなった」と言われていますが、自分の潜在能力を高めてくれるようなことには、お金と時間をふんだんに使っています。語学留学、途上国で貧困問題を学ぶスタディー・ツアー、楽器、ボイストレーニング等々。
 ペットボトル緑茶飲料は、自分の潜在能力をちっとも高めてはくれません。(もちろん、他人のことをとやかく言う前に、「自分の講義は学生の潜在能力を高めるような内容になっているのか」と問いかけなければなりません。)

 「緑茶飲料」の市場規模も、下の図のように、近年、頭打ちの傾向を示しています。今年は「緑茶飲料発明 30年」(伊藤園)ですし、もう21世紀になったのですから、製品ライフサイクルの衰退期に入ってしまうのも、当然かもしれませんね。

(出所) (株)伊藤園のコーポレートブックより作成。
(伊藤園は、陸前高田市仮設住宅でのお茶っこ会開催など、東北各地での被災地支援を精力的に展開されています ! 敬意を表してリンクを貼らさせていただきます。)


 自分の潜在能力を高めること、これが21世紀の消費社会のキーワードだと思っています。(貧乏な)若者だけを見ているとわかりにくいですが、(相対的に裕福な)中高年を見ていると、登山、マラソン、そのためのシューズやウエア等々にカネを使っている傾向がここ数年見受けられます。


 さて、本来的価値の減退が著しく、顧客が支払ってもよいと考える価格とかい離してしまった「商品としてのお茶」の話はこれくらいにして、「自家用茶」気仙茶の話に戻ります。

 ご先祖様が植えた畦畔茶園でみんなで手摘み→古民家の土間でみんなで手もみ→囲炉裏端で淹れてみんなで味わう、という一連のプロセスを陸前高田で体験してみて、このような、高度成長期以前まで連綿と続いてきた気仙茶ライフスタイルは、21世紀の消費社会において、ひょっとしたら「周回遅れのフロントランナー」なのではないか、と感じました。

 新茶を「買って飲む」のではなく、「新茶の季節に、自宅の畦畔茶園でみんなで手摘みし、みんなで手もみし、みんなで淹れて味わう」。
 どちらが、より「豊か」でしょうか?
 どちらが、自分の潜在能力を高めてくれるでしょうか?
 新芽の息吹、実生から育った樹のチカラを五感で感じることができる(ような気がする)後者のほうだ、と答える人が増えているのではないでしょうか。 

 手もみの気仙茶は、単なる「イベント化」「観光商品化」「特産品化」の話にとどまらない意味内容を持っている、と感じました※。

※もちろん、地元の方々が、一方では気仙茶ライフスタイルを大切にしつつも、他方で、観光ツアー化も志向するのであれば、ドンドンやるべきだと思っています。気仙茶とかかわることで、陸前高田大船渡のよさを感じることができるのは間違いないからですし、震災の風化防止にもつながるからです。客観的に見れば、私たち自身も、「ボランティア」とか「支援」とか言いながらも、実は、それを口実にして、「気仙茶を通じて 気仙人の心意気にふれる旅」のリピーターになっていたり、「エゾイシカゲ貝の養殖作業のお手伝いを通じて 広田湾の浜人の心意気にふれる旅」のリピーターになっていただけなのかもしれません。少なくとも、私自身はそんな感じです。幸いにして、お茶は、老若男女あらゆる世代がワイワイと関わることができますし、しかも健康や美容にもよい。かなり有望です。


 「大量生産・大量販売される工業製品=モノとしてのお茶」という従来の20世紀的発想を転換させることで、超高齢化時代の新しい消費社会の在り方のヒントが見えてくるかもしれません。


 ほんの限られた時間でしたが、仮設住宅に暮らすおばあちゃんたちが手もみ気仙茶をつくり、生き生きとしているお姿は、お茶の「消費」の仕方に対してのみならず、アメリカ式ライフスタイルを熱狂的に導入してきた戦後日本の「消費社会」の在り方に対して、いや、超高齢社会・日本の在り方そのものに対しても、重大な問題を提起しているように思います。

 2011年、初めて覚えた岩手の言葉は「お茶っこ」。とても新鮮なひびきでした。震災後、全国の多くのボランティアの協力もあり、東北各地の仮設住宅の集会所で「お茶っこ飲み会」や「お茶っこサロン」がひんぱんに開催されたことを私はとても重視しています。
 「被災地・東北では、こんなふうにお茶が使われるのだ」と感動しました。「人びとの心と身体を温め・癒す」というお茶の本来的価値がこれほど発揮されたことは、近年、なかったのではないかと感じています。
 今まで自分が使ってきた「おもてなし」という言葉が、とても白々しく思えました。「茶師」(ブレンダーとか鑑定士の意味)という言葉も同様でした。


 昨年、『上野千鶴子が聞く、小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(朝日新聞社、2013年)を読みました。
 「小笠原先生」とは、日本在宅ホスピス協会会長で、僧侶の小笠原文雄氏のことです。

 内容は、タイトルの通り、どうしたら「おひとり様」が「ピンピンコロリ(PPK)と在宅死」を逝く時の選択肢の中に入れ込むことができるか、をテーマにしています。
 同書は、「在宅ホスピス緩和ケア」について、とても印象的な定義をしています。


 「『具合が悪くなった時に、その都度、患者からの要請で医師が家に来て診る』という、いわゆる往診とは異なり、具合が悪くならないようにあらかじめ病態をコントロールし、計画的に患者の自宅を訪問するのが訪問診療です。この訪問診療に歯科医師、薬剤師、看護師、ケアマネージャー、ヘルパーなど多職種が加わり、必要に応じて適切に組み合わせ(ケアマネジメントし)ながら、連携して患者を支えていくのが在宅医療の根本です。ここに緩和ケアが加わると、在宅緩和ケアとなります。緩和ケアとは、『緩和=痛みや苦しみを和らげること』と、『ケア=互いの心が通い合うことで、温かいものが生まれ、生きる希望や力がみなぎること』とを合わせたことばで、在宅医療の核になるものです。ここに、いのち・看取りの哲学でもあるホスピスの理念や死生観などを加えたものを在宅ホスピス緩和ケアといいます。」(p.14)
 よく考えられた素晴らしい定義だと思いました。
 歯科医師や薬剤師は、上野氏が「ユーザー側からすれば付け加えてほしい」職種です。弁護士、税理士も入ってほしい、とも述べられています。
 「緩和=痛みや苦しみを和らげること」+「ケア=互いの心が通い合うことで、温かいものが生まれ、生きる希望や力がみなぎること」という「緩和ケア」の定義にも感銘を受けました。

 茶師が「在宅緩和ケア」のチームに加わることはできないでしょうか。
 苦しんでいる人のところへ行って、人間一人一人の「生老病死」に寄り添い、お茶で「互いの心を通い合わせ」、「痛みや苦しみを和らげ」、「温かいものが生まれ、生きる希望や力がみなぎること」ようにしてくれる茶師。
 一人ではとても重たいですが、チームならばどうでしょうか。
 日本に一つくらい、緩和ケアに使われ、それを本来的価値とするお茶があってもいいのではないか。
 今はそう思うようになりました。



 とはいえ、陸前高田市の人口減少問題はかなり深刻です。高齢者対策だけではなく、若者対策も同時に考えていかなければなりません。
 陸前高田市の将来推計人口を下に掲げます。

(出所) 国立社会保障・人口問題研究所「地域別将来推計人口(2013年3月推計)」.

 高齢化の問題もさることながら、生産年齢人口(15〜64歳)の減少が急速に進行します。雇用を創出して、若者の流出をくい止めたり、UターンやIターンを促進し、仕事そのものを持ってきてもらったりすることは、次世代の陸前高田市の経済・社会を考える上での大前提ですし、喫緊の課題だと思います。

 島根県出身のゼミ生がいるせいか、最近、島根県隠岐海士町の「町ぐるみの徹底したIターン促進策」が気になっており、猛勉強中です !
  隠岐島前高校には、「島留学」のための寮もあるし、国公立大学への進学を目指す特進コースもあります。
 耳吊り方式で養殖するイワガキもあります。
 定置網の漁師さんの募集でも、こんなふうに町のホームページでIターンを呼びかけていて、とても新鮮な印象を持ちました!

 住む場所すらままならない今の陸前高田市において、この海士町Iターン促進策が、実際の政策レベルでどのくらい参考になるのか不明ですが、何かヒントが隠れているような気がします。
 少なくとも、これくらい大胆にやらないと島民がいなくなる、という危機感はヒシヒシと伝わってきます。


(文責:伊達浩憲)