経済学者アマルティア・センの言葉

 仮設住宅での暮らしが長期化している被災者のことを想像するとき、私は、アマルティア・センの経済学を参考にするようにしています。
 以下は、センの『正義のアイデア』からの引用です。


 「功利主義的な幸福や欲望充足の計算※は、長く貧困状態に置かれた人々に対して非常に不公平になりうる。なぜなら、我々、特に逆境にある人は、暮らしを耐えうるようにするために、精神構造や願望を環境に合わせようとしてしまうからである。
 伝統的な社会的不正義の犠牲者(例えば、不寛容なコミュニティにおいて抑圧された少数者、搾取的な産業において悪条件で働かされる労働者、不確実な世界で不安定な分益小作制度の下で働く農民、非常に男女差別主義的な文化の下で服従を強いられる主婦など)が自分の暮らしをいくらかでも耐えうるようにするのは、希望の持てない自分の苦境を『甘んじて受け入れること』によってである。希望の持てないほど虐げられた人々は、急激な変化を求める勇気を欠き、自分自身の願望や期待を、実現可能なわずかばかりのものに合わせてしまう傾向がある。彼らは、小さな慈悲にも大きな喜びを見いだせるように自分自身を訓練しているのである。
 慢性的に逆境に置かれた人々がそのような適応をすることの現実的なメリットは容易に理解できる。それは、永続的な貧困状態でも穏やかに生きていくことを可能にする一つの方法だからである。
 しかし、そのような適応は、幸福や欲望充足という意味での効用尺度に歪みを生じさせるという結果を伴う。希望の持てない社会的不正義の犠牲者たちが置かれた不利な状況は、喜びや欲望充足で見れば、貧困や不自由に関するもっと客観的な分析に基づいて示されるよりもずっと軽く見えるだろう。
 期待や認識を現実に適応させることは、女性の相対的貧困を含め、社会的不平等を永続させる上で特に重要な役割を果たしている。」
(Amartya Sen, The Idea of Justice, pp.282-283、アマルティア・セン『正義のアイデア』池本幸生訳、明石書店、2011年、406頁)※

※「功利主義的な幸福や欲望充足の計算」とは、ごく簡単には、効用を重視した伝統的経済学による分析、という意味だと解してよいと思います。


 ここに掲げた文章と同じ内容のものは、
 アマルティア・セン福祉の経済学:財と潜在能力』(鈴村興太郎訳」、岩波書店、1988年、35-36頁、原文は、Amartya Sen, Commodities and Capabilities, Oxford India Paperbacks, 1987)
 同上『自由と経済開発』(石塚雅彦訳、日本経済新聞社、2000年、69-70頁、原文は、Amartya Sen, Development as Freedom, Oxford University Press, 1999,pp.63-64)にもあります。


「食物に欠乏し栄養不良であり、家もなく病に伏せるひとですら、彼/彼女が『現実的』な欲望をもち、僅かな施しにも喜びを感じるような習性を身に着けているならば、幸福や欲望充足の次元では高い位置にいることが可能である。ひとの物理的条件は、幸福の精神的態度や欲望によって間接的に捉えられることを除けば、幸福や欲望充足に全面的に基づく福祉の見解のなかには占める位置をもたないのである。
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 われわれが敢えて欲するもの、またそれを得られないときにわれわれが痛みを覚えるものは、『実現可能性』や『現実的な見通し』をどう考えるかによって影響される。われわれが実際に獲得するもの、また入手することを無理なく期待できるものに対して示す心理的反応は、往々にして厳しい現実への妥協を含んでいるものである。極貧から施しを求める境遇に落ちたもの、かろうじて生延びてはいるものの、身を守るすべのない土地なし労働者、昼夜暇なく働き詰めで過労の召使、抑圧と隷従に馴れその役割と運命に妥協している妻、こういったひとびとはすべてそれぞれの苦境を甘受するようになりがちである。かれらの窮状は平穏無事に生延びるために必要な忍耐力によって抑制され覆い隠されて、(欲望充足と幸福に反映される)効用のものさしには、その姿を現さないのである」
(『福祉の経済学』邦訳34-36頁)