陸前高田合宿レポート (1)〜仮設住宅

森島 (3回生)

 2回目の岩手県陸前高田市ゼミ合宿。
 行きのバスから見た外の景色は、半年前からほとんど変わっていないように思えた。
 土砂を運ぶためのベルトコンベアが本格稼働しているなと感じる程度だった。
 そして、雪で覆われていた2月とはまた違い、ところどころに生えている草たちが、より寂しさを増長しているように感じた。


 仮設班1日目の企画は「カラオケ大会」。
 準備を進めていた段階から、参加人数が少ないのでは、と心配していたけれど、いざ始めてみると、皆さんノリノリで歌ってくださり、見ていて本当に楽しそうだった。


「ストレス発散になるよ〜!!」
と、タンバリンを鳴らしながら笑顔で言ってくれたおばあちゃん。
 仮設住宅での暮らしでは、なかなか大きな声を出して発散するような機会はきっとないだろう。

 最初はカラオケで盛り上がるのか不安に思っていた。
 けれど、そんな心配なんてしなくていいほど、皆さんの笑顔を見ることができて、私も自然と笑顔になれた。
 そして元気をもらえた。
「明日の手巻き寿司も行くね!」
と言ってくださる方ばかりで、満足そうに帰っていかれたのが印象的だった。



 夜は気仙茶の会の方々が歓迎会を開いてくださった。
 新鮮な秋刀魚に帆立、そしてゼミの時間に何度も調べた牡蠣もご馳走になり、こんなに豪華な海の幸のBBQは始めてで、本当に美味しかった。
 歓迎会の途中、菊池会長が自宅の中に招いてくださり、伊達ゼミの先輩方との写真を貼っている部屋へ案内してくださった。
 壁にはもうスペースがないほどの写真でいっぱい。
 そして、うれしいことに、菊池会長が、
「今回のゼミメンバーの名前もぜひ書いてほしい」
と言ってくださり、私達3回生の名前もこの部屋に貼って頂いた。

「この部屋は伊達ゼミ専用の部屋になってきたよ!」
と笑って話してくださり、改めて気仙茶の会と伊達ゼミとのつながりの長さを感じた。



 仮設班2日目の企画は、前回も好評だった手巻き寿司パーティー。

 来てくださった方の顔ぶれも懐かしかった。
 前回の手巻き寿司パーティで仲良くなり、それからもちょこちょこメールでやり取りさせてもらっていた方がいた。
 前日に、「今回も手巻き寿司パーティーをします!」と連絡すると、今体調が悪く、集会場に行くことができないかもしれないという返事。
 残念な気持ちが強かったけれど、体調ばかりは仕方がないことなので、期待はしていなかった。
 それでも、当日、見るからに顔色が悪いなか、集会場に足を運んでくださった。
 前回に比べて明らかに元気がなく、思わずこちらが体調を心配してしまうほど。
 そんななかで言ってくださった
「しんどいけれど、会いにきたよ」
の一言が本当に嬉しかった。

 それだけではない。
 来てくださった方みんな、最初に必ず「ありがとう」という感謝の言葉を口にしてくださる。
 たった一度しか会っていない、話していない。それでもこうして関わることのできるこのつながりは本当に貴重で、ずっと大切にしていきたいと改めて思った。



 9月11日の14時46分。
 震災からちょうど三年半という節目のとき。
 私の中での気持ちの変化があったのは、黙祷が終わってからだった。
 長い黙祷のなか、目をつむって頭に浮かんだのは、このゼミでの活動が始まった頃に見た津波が押し寄せるビデオでの映像。
 一瞬にして街がのみこまれていく様子、それを見ていることしかできない人々の悲鳴とはまた違う落胆するような叫び声。
 黙祷の間、急にその映像がずっと頭に流れてきて、なんともいえない気持ちになった。
 さっきまで楽しくお話ししていたはずなのに、黙祷が終わってからかける言葉が見つからなかった。
 そして、おばあちゃんがぽつんと一言、
「早かったなぁ」。
 正直いうと、そのあと話してくださった震災の様子の話はあまり覚えていない。
 誰も泣いていないところで私一人泣くなんて絶対だめだと思って、堪えるのに必死だった。
 その話を聞いて、ただ頷くことしかできなかった。
 自分がどういう行動をとれば正解だったのかは今でもわからない。
 もっと話を聞いてあげればよかったのか、なにか励ます言葉をかければよかったのか。
 私は話を聞くことしかできなかった。
 今まではなんとなく震災の話は自分からしないように避けていた部分があったように思う。
 だからこそ、その現実をまじまじと黙祷の時間を通して感じ、直面すると、言葉が出てこない自分がいた。
 やっぱり震災と向き合うことは難しい。
 心の底からそう感じた瞬間だった。


 15時頃になると学校終わりの子供たちも遊びに来てくれた。
 前回同様、親子で飾り巻き寿司にチャレンジしたいということで、一緒に挑戦した。

 変わらない子供たちの笑顔が見れて、うれしかった。



 陸前高田で過ごす最後の夜は、車屋酒場さんへ。

 たぶん、今までこんなに飲んだことはないだろうなと思うほど、飲んでしまっていた(と思う)。



 いい意味でも悪い意味でも、そんなお酒の力を借りて店主の熊谷さんとも、普段の人見知りが出ることなく、喋ることができた。

 美味しいご飯とお酒、そしてその場の楽しい雰囲気もあり、全ての記憶がはっきりしているわけではないけれど、熊谷さんが真剣な眼差して話してくださったことだけは鮮明に覚えている。

 津波が去ったあとの街の様子。
 遺体があちらこちらに転がっていたという生々しい現場。
 そこには何人もが重なり合って亡くなったり、逃げ遅れたのか、窓から半分外に体が出たままの状態の人達がいた。
 全員、高校生の女の子。

 そして、ここまで話してくださった熊谷さんが、
「夢をもって生きていけよ!」
とおっしゃった一言がとても重く感じた。
 まだ高校生。
 たくさんの夢があったはずだ。
 生きているだけで夢を持てるということを、心の片隅にとどめて過ごしていこうと思った。



 前回のゼミ合宿は、メディアだけでは知ることのできなかった震災の現状を初めてしっかりと目の当りにした印象が強かった。
 けれど、今回は、被災した方々の心の声を感じることが多かった。
 たった2回しかこの地を訪れていない私が、被災した方々の気持ちを理解できたなんて、まだまだ思えない。
 それでも、この楽しそうな笑顔の裏側にある3年半前の記憶は、今もずっと残っているということを、ほんの少しだけれども感じることはできた。


 まだまだ復興にはほど遠いけれど、前に進もうとしている被災地。
 陸前高田とのつながりは、これからもしっかりと大切にしていきたい、
 そう改めて思えた合宿だった。


 今回の合宿で、震災から三年半という節目のときに、仮設住宅で一緒に黙祷させていただいたことが、私にとってはいちばん心に残るものがあった。
 自分から震災の話をすることによって、あの日の辛い記憶を思い出させてしまうかもしれないと思ったり、私たちがここに来たときくらいは、少しでも明るい気持ちでいてほしいということもあり、わざとあまり触れずにいた。
 けれど、今回、黙祷を通して、震災の現実をまじまじと実感し、直面すると、さっきまで笑顔で話せていたはずのおばあちゃんにかける言葉が見つからない自分がいた。
 そんなわたしに、おばあちゃんは、津波がきたときの様子を静かに話してくれた。泣かないようにと堪えるのに必死で、正直、話してくれた内容はあまり覚えていない。
 前回もこの陸前高田を訪れて、いろんな方と触れ合ったけれど、しっかりと震災と向き合ったのは、たぶんこのときが初めてだったと思う。

 震災から三年半。
 月日が流れたからこそ、今の被災者ひとりひとりの復興の捉え方が違ってきていると感じる。
 津波で流された町に、住宅やお店が立ち並び、再び人が戻ってこれる環境が整えば、復興したと言えるのか。
 確かに、形として、目に見える復興は進んでいるかもしれないけれど、ひとの心はそんなに簡単なものではないと思う。
 わたし自身もどうすれば“復興”と呼べるかは分からない。
 被災者の気持ちを考えれば、“復興”ということばでは、一生かたづけられない気もする。
 難しくてわからないからこそ、これからも被災地に行き続けたいし、陸前高田とのつながりをずっと大切にしていきたい。
 それが今の私たちにできることだと思う。