陸前高田合宿レポート (3)〜エゾイシカゲ貝

重田 (3回生)
 9月9日〜12日まで陸前高田でゼミ合宿を行った。
 今回で2回目の陸前高田
 前回2月に訪れた時と同様に、エゾイシカゲガイ養殖のお手伝いを2日間させていただいた。
 漁業班4人で参加。
 漁港につくと、すでに作業されていた。
 私たちも早速作業を開始しようとしたが、今年、震災後初出荷となった獲れたてエゾイシカゲガイをその場でいただいた。
 前回来た時よりも大きくなっていて、甘く肉で、とても綺麗な色をしている。
 おいしくいただきました。ありがとうございました。


 食べ終わった後は、牡蠣の養殖現場を見学させていただいた。

 広田湾の牡蠣について、ゼミの時間でみんなで文献調査をしたが、それでもわからないことが多くあったため、今回は直接教えていただいた。

 まず1つめに、稚貝について。
 陸前高田で牡蠣養殖をされている方のほとんどが、ホタテ貝についた牡蠣の稚貝を購入されているそうだ。
 広田湾の中でも潮の流れが比較的速い長部地区の養殖方法は、米崎・小友地区のような筏ではなく、ブイ(浮きのようなもの)からロープをつるす方法だ。重りをつけて流されないようにしている。
 広田湾ではどこの牡蠣養殖も筏を使っているというイメージがあったので、とても驚いた。

 2つめは、親潮黒潮の海流の影響。
 長部漁港付近での潮の流れが速いせいもあって、親潮黒潮の海流は牡蠣の生育や品質にあまり関係がないそうだ。
 牡蠣の養殖において1番大事なのは、気仙川から流れ込む植物プランクトンだとおっしゃっていた。
 筏ではなく固定をした状態で養殖を行うので、筏方式のように、時期によって養殖場所を移動させたりすることはないそうだ。
 1年ものと2年もの牡蠣を実際に見せてもらったが、私たちでもわかるほど、大きさに違いがあった。
 これこそが、わが故郷・広島の牡蠣との一番大きな違いだ、と感じた。




 その後は、Oさん一家とYさん一家の2班に分かれ、エゾイシカゲガイの作業を開始。
 私は、今回もOさん一家にお世話になった。
 まず初めに、仕掛けの汚れをおとす作業を行った。

 仕掛けは発泡スチロールでタライ状の形をしており、海に沈めているので、かなりの汚れがついている。
 それをきれいにして、再度、次の仕掛けとして使う。
 この作業は、今の時期、毎日行われている。


 午後からは、エゾイシカゲガイの仕掛けに砂を入れていく作業を行った。

 前回も行った作業だが、やはりかなりの重労働。

 震災後、今年が初出荷となったエゾイシカゲ貝だが、私たちは単純に「この貝を多くの消費者に知ってもらいたい」という考えを持っていたが、Oさんの考え方は少し違っていた。
 多くの消費者に知ってもらうことはもちろん大切だが、知名度が上がりすぎてしまうと、需要と供給のアンバランスが生じてしまう。
 現在、気仙地区では、Oさんを含めて5人の漁業者がエゾイシカゲ貝を養殖されている。
 もし、貝の知名度があがり、他県でも養殖者の数が増えてしまうと、貝の供数量が増えてしまう。(→増えすぎると価格低下要因にもなる)
 だからといって、まず知ってもらわないと、そもそも買ってももらえない。
 「そこのバランスがとても難しい」
とおっしゃっていた。


 今回、Nさんという方にお会いした。
 Nさんは石川県出身の方で、震災直後からボランティアとして3年以上も住み込みで漁業のお手伝いをされている。
 奥さんも子供さんもおられる。
 定年をむかえられたが、今まで漁業関係のお仕事はしたことがなかったそうだ。
 Oさん一家も、「家族と離れて長期間ボランティアをされる方はなかなかいないので、Nさんにはとても感謝している」
とおっしゃっていた。
 震災直後から今までボランティアを継続してこられているNさんは、ただただスゴイ人だ。
 行動にうつすことの大切さをNさんから学ばせてもらい、今回の出会いを活かしていきたいと感じた。



 作業を終えると、広田半島や太平洋を一望することのできる箱根山展望台へ連れて行っていただいた。

 想像以上の絶景だった。
 「箱根山展望台が陸前高田の観光名所になって、多くの方に訪れてもらいたい」
とおっしゃっていた。
 そして、指で津波被害を受けた地域を教えていただいた。
 Oさんが言われていたとおり、陸前高田で最も被害をうけた地域は、山の上から見るとよくわかった。
 津波の恐ろしさを改めて感じた。
【気仙茶の会の小野さんが、箱根山展望台からの360度パノラマを作ってくれました。こちらです】
※ ※ ※ ※ ※ ※


 2日目は、エゾイシカゲ貝の仕掛けづくり。

 発砲スチロールの仕掛けに青色のビニールシートをかぶせていく。
 仕掛けは海に沈めているため、どうしても汚れがついてしまう。
 その汚れが発泡スチロールのタライに着くのを防ぐためにビニールを使う。
 この作業も前回やらせていただいており、スムーズにできたほうだと思ったが、やはりOさん一家のスピードにはかなわなかった。

 2日目の作業終了後も、Oさんのご厚意により、大船渡まで連れていって下さった。
 初めて行った大船渡の印象は、津波の被害を受けた建物が今も所々残されていたが、陸前高田よりも復興のスピードが速いように感じた。浸水地でのかさ上げの有無、建築制限のかけ方が両市で異なることも影響しているようだ。大船渡には、海に近い地域にも新しい建物がたくさんあった。

 この日は震災からちょうど3年半。「復興のスピードが地域によって差が出てきている」と教えていただいた。

 Oさんとの会話の中で1番印象に残っていることがある。
 それは、最近、子どもとの何気ない会話の中で、
「お家に帰ろうよ」
と言われたこと。
 Oさんにとっての「家」とは、応急仮設住宅ではなく、「昔住んでいた家」のことだ。が、子供にとっての「家」とは、今住んでいる「応急仮設住宅」になっている。
 震災当時に幼かった子供さんにとっては、「仮設住宅=家」という印象のほうが強いのだろう。
 3年半という時間の流れを感じた。



 陸前高田訪問は今回で2回目だが、半年前に来たときよりも、ベルトコンベアが延長されていたり、漁港の復旧工事が進んでいたり、震災後初のエゾイシカゲガイ出荷が行われたり、などなど、復旧・復興に向けて少しずつ変わっていっていることを感じることができた。
 その一方で、地域によって復興のスピードに違いがあることや、嵩上げ工事や高台移転のための工事などはまだまだ時間がかかることも数多くある。
 私たちにできることは、メディアで取り上げられることが少なくなった、今の陸前高田の現状と現地の人の声を、多くの人に伝えていくことだと思う。
 震災に対するとらえ方は1人1人違う。
 もちろん、「三年半」という月日の流れの感じ方も違うだろう。

 最終日、車屋酒場でお会いしたKさんが言われていたように、
「震災の被害をうけた人はみんな、忘れられない過去を抱えながら生きている」。
 震災から3年半という月日が流れたが、絶対に風化させてはいけないと改めて感じた。



 今回も陸前高田の人たちに大変お世話になりました。
 特にOさんをはじめハマの方々には、普段では経験することのできない作業をさせてもらい、作業終了後も陸前高田大船渡の現状を見につれて行っていただき、貴重な体験をさせてもらいました。
 エゾイシカゲガイもいただきました。ありがとうございました。

 豪華なバーベキューパーティを開催していただいた気仙茶の会のみなさん。
 仮設住宅での手巻き寿司パーティを手伝っていただいた鶴亀鮨さん。
 いつも大人数のゼミ生を快く収容していただき、私たちを激励してくださる車屋酒場さん。
 たくさんの方々にお世話になりました。
 ありがとうございました。
 陸前高田の人たちとのつながりをこれからも大切にしていきたいと、前回よりもさらに感じた合宿でした。