陸前高田合宿レポート (4) 〜気仙茶、仮設住宅

 この調子で続けていくと、3回生22人+4回生14人で第36話まで行ってしまうことになりますが(笑)、陸前高田シリーズが延々と続くことは震災の風化防止にはとてもいいことですし、2回生の新ゼミ生へ継承し発展させていく上でとても大切なことので、とりあえず続けてみます。


久戸瀬 (3回生)
 9月9〜12日の4日間、ゼミ合宿で被災地の岩手県陸前高田市に行った。
 今回で2度目。
 高速バスで陸前高田市に到着してまず感じたことは、大規模な工事が着々と進んでいるなということだった。

 市役所前にセブンイレブンができ、コミュニティホールと消防庁舎などの工事が進められていた。
 しかし、4日間、陸前高田で過ごしてみて、市民の生活は大変なままで、復興はまだまだだと感じた。


1.気仙茶の茶園再生活動

 10日は気仙茶班として活動を行った。
 先輩方のレポートから、気仙茶は、京都の宇治茶とは大きく異なり、自然な栽培法であることは知っていた。
 しかし、実際に気仙茶の木が生えている場所に着いて驚いた。
 雑草でお茶の木がどこにあるのかわからない状況になっていたからだ。

 この日の作業は、前田事務局長・佐藤さん・小野さんと気仙茶班5人の計8人で、午前と午後ともに草刈りを行った。

 茶の木の周りの草を鎌で刈っていくうちに、木の根元に多くの貝殻や瓦礫の小さいものを見つけた。
 この茶畑の場所は、大津波の被害にあった。
 津波の塩害により茶の木も枯れてしまい、この茶の木も全滅かと思われたが、かろうじて生き残っていたそうだ。
 確かに、根元のほうには太い幹があり、かつてはもっと大きな木だったことわかった。

 また、茶の木に花が咲いていたり実がたくさんなっていたりすることに驚いた。
 京都のお茶は、余分な養分をとられないように花を咲かせないように育てるし、実ができた木は「産業の役割としては寿命が近い木」として見ていると学んだ。
 しかし気仙茶は、「今年もきれいな花が咲いたね〜」などと、昔から花も楽しんでいる。
 そして、樹齢何十年という茶の木が多い。
 気仙茶が、京都・南山城村ででお世話になっている木野茶園とは異なり、商品としてではなく「地元の人が家で飲むために育てていた」からだ。
 そう小野さんに教えていただいた。

 気仙茶のいいところではないかと感じた。


 午前と午後の除草活動により、作業の前とは見違えるようにすっきりとした。

 作業の休憩時間、前田事務局長が、今年収穫したばかりの気仙茶を淹れていただいた。
 香りは、ほっと落ち着くようないい香りで、味は渋みが少し強い感じがした。
 とてもおいしく、作業で疲れている私達をリラックスさせてくれた。

 「気仙茶は、昔から地元の人が家で飲むために育てていたもので商品ではない」ということについてだが、日本茶検定の公式テキスト『日本茶のすべてがわかる本(農文協)』にも、茨城県大子町新潟県村上市を結んだ線が、お茶の栽培・生産が産業として経済的に成り立つ地域の北限だと記載してあった。
 近代的な機械製茶の北限は、岩手県陸前高田市(気仙茶)だとも記載してあった。


 ここの気仙茶の木は、震災後、気仙茶の会の方や伊達ゼミの先輩方によって守られてきた。(「北限の茶を守る気仙茶の会」 や「Making of Ryukoku-cha」 のブログを参照していただきたい。)

 今回の作業で、自分たちも、雑草をきれいに刈り取ることができた。
 今後、被災地の復興とともに、この気仙茶の木がしっかり成長していってほしいと思った。

 気仙茶班で一緒に活動させていただいた、前田局長・佐藤さん・小野さん、このたびは貴重な気仙茶を私たちに飲ませていただき、ありがとうございました。
 また、急にお腹の痛くなった私を近くのトイレまで車で連れて行っていただくなど、ご迷惑をおかけしてすみません。
 皆さんと数時間いるだけで、温かさや素敵なお人柄を感じることができました。
 今回、気仙茶のおいしさを知ったことで、今まで以上に気仙茶を守ることの大切さを感じました。
 ありがとうございました。



2.仮設住宅集会所での手巻き寿司パーティ

 11日は、高田一中の仮設住宅集会所で、手巻きずしパーティーを行った。
 手巻き寿司は、前回同様、鶴亀鮨さんに協力していただいた。
 前回大好評だったこともあり、今回は開始直後から多くの方がこられ、あっという間に集会所がいっぱいになった。
 鶴亀鮨さんのネタ・シャリのおいしさや、みんなで集まって話す楽しさからか、多くの方の笑顔を見ることができた。
「あなたたちもしっかり食べなさい」
と、何個も手巻き寿司をつくってくださり、自分もお腹一杯になってしまった。

 とても心地よい時間が過ぎていき、14時からゼミ生によるストレッチ体操が始まった。
 学生の1人がスポーツジムでアルバイトをしているからこそできる企画だ。
 前回同様、狭い仮設住宅で生活をする方々にとっては、とても良い企画だと感じた。




 体操の後、14時46分。
 東日本大震災から3年半ということで、私は黙祷の合図をさせていただいた。
 震災当時の自分は高校2年生で、自分にとっての3年半はとても長く、昔のような感じがする。
 しかし、被災者の方々はこの3年半をどのように感じておられるのだろうか。

 黙祷の後は、畳に座って、お茶とお菓子を楽しんだ。
 菅野さんという女性に、震災当時の話をしていただいた。
 「いま奇跡の一本松がある場所には、震災前は、多くの松の木が植えられていた。しかし、津波によってバキバキと大きな音をしながら折れて流された。みんなは松の木や建物が津波によって破壊されていく音にも、恐怖と絶望を感じながら必死に逃げた。」
 そうおっしゃっていた。
 以前ビデオでみた津波の映像に、そのような音を想像するだけで恐ろしくなった。


 2月の合宿で仲良くなった子どもたちとも、学校が終わってから遊ぶことができた。
 前回はかまくらを作ったり、鬼ごっこ、かくれんぼなどをしたりした。
 半年ぶりに会ったというのに、自分たちのことを覚えていてくれた。
 前回の活動が子どもたちの中に楽しい記憶として残っていることに喜びを感じた。 今回も、時間は短かったが、楽しむことができた。
 自分達が帰る時間になったとき、高田一中の坂の下まで見送ってくれた。
 そして、少ししてから、手を振りながら大声で、
「ばいばーい!」
と、言ってくれた。
 本当にうれしくて、幸せな気持ちにしてくれた。
 滅多に会うことは出来ないが、また来た時にはいっぱい遊べたらいいなと思った。


 今回のパーティーでは、集会所に来られなかった高齢の一人暮らしの方に手巻き寿司をつくって訪問させていただいた。
 その時、仮設住宅の中を見せていただいたが、あまりの狭さに驚いた。
 狭いというのは聞いていたが、実際に見てみると、ここで生活するのは不便で大変だろうなと感じた。
 最近になって、災害公営住宅が一棟完成した。
 仮設住宅よりは何倍も生活しやすいだろうが、まだまだ一部の人しか入居できないし、仮設住宅を出ることによって人とのつながりが減ることも心配だ。
 また、被災地の地価が上がってきていることも問題だ。
 高台の土地や被災を免れた土地へ移転する需要が根強く、地価の上昇が続いているそうだ。
 今年の「都道府県地価調査」では、住宅地の地価上昇率の上位10地点のうち8地点は岩手、宮城、福島が占めていた。
  地価上昇は被災者が仮設住宅から出ることを妨げることにもつながるため、何か対策がないものかと考えさせられた。


 前回同様、ネタとシャリは鶴亀鮨さんにお世話になりました。

 途中で追加注文をするなどご迷惑をおかけしてしまったが、大将のおかげでパーティーをなんとか成功に導くことができました。

 ありがとうございました。


3.伊達ゼミ歓迎会(気仙茶の会)

 10日の夜は、気仙茶の会の皆さんに「伊達ゼミ歓迎会」をしていただいた。
 牡蠣、帆立や、秋刀魚、ホルモンなど、普段はなかなか食べることのできない食材がずらりと並んだ。
 そして、これが何とおいしいことか。
 学生のバーベキューで、魚介類を今回のように食べることはない。
 新鮮な魚介類をたくさん食べることができて、とても幸せだった。


 今回の歓迎会で、「陸前高田は漁業の町だ」と改めて感じることができました。

 おいしい味噌汁を作ってくださったお母様方。
 どうもありがとうございました。




まとめ

 今回の合宿では、さまざまな方々との再会や出会いがあった。
 私たちが陸前高田に行く意味。
 それは、私達が行くことによって、楽しんで笑顔になっていただくこと、大変なことや不安なことを一瞬でも忘れていただくことではないだろうか。

 被災地の復興はまだまだで、被災者の方々の苦労も続く。
 そのような状況でも、私たちに出来ることは本当に少なく、無力さを感じることもある。
 また、自分たちは陸前高田で何か役立つことができたのかという不安な気持ちもある。
 少しでも、一瞬でも陸前高田の方に楽しんで笑顔になっていただくことができたならば、とてもうれしい。

 今回のゼミ合宿では、多くの方の笑顔を見ることができた。
 次回は、今回以上の方々に笑顔になってもらえるような活動にしたい。
 そして、できる限り陸前高田の方々とつながっていきたい。
 多くの方に感謝する貴重な3泊4日だった。


◇まとめ
 「震災」や「復興」。
 いっしょくたに見ることはできない。
 一人ひとり被害状況や受けたダメージが違うからだ。
 被災地の復興はまだまだで、被災者の方々の苦労も続く。
 震災の影響や仮設住宅での生活で、今まで以上にストレスが溜まる状況。
 運動によってストレスを発散する環境も少ない
 そのような状況でも私たちに出来ることは本当に少なく、無力さを感じることもある。
 また、自分たちは陸前高田で何か役立つことができたのか不安な気持ちもある。
 そのなかで「私たちが陸前高田に行く意味」、それは私達が行くことによって、楽しんで笑顔になっていただくこと、大変なことや不安なことを一瞬でも忘れていただくことだろう。
 しかし、今回、私たちのイベントに来て下さった方とは何かできても、来られなかった方には何もできていないのではないか。
 『一人ひとりの復興』という面では、意味がない。
 来られなかった人も多くいるからだ。
 今回の手巻きずしイベントでは、集会所に来られなかった高齢の一人暮らしの方に手巻きずしをつくって訪問させていただいた。
 仮設住宅でのイベントが成功したからそれでよしではなく、参加できていないひとにも何かできれば、というのが私たちのすべきことだ。
 そして、「一人ひとり」に目を向けて取り組むことが伊達ゼミナールの目標だ。
 今後も、『一人ひとりの復興』ということを意識しながら取り組んでいきたい。

 

【参考文献】
日本茶検定公式テキスト『日本茶のすべてがわかる本』農文協、72ページ

・北限の茶を守る気仙茶の会「小友町・Kさんの茶畑のこと」http://kesencha.exblog.jp/20728259/

・Making of Ryukoku-cha「陸前高田合宿 (4) 津波の被害をうけた茶畑の再生」
http://d.hatena.ne.jp/ryukoku-cha/20120910/1347265120

都道府県地価調査 国土交通省東日本大震災被災地における地価の状況〜沿岸域市町村の地価動向〜」
http://tochi.mlit.go.jp/chika/chousa/2014/42.html