陸前高田合宿レポート (11)〜エゾイシカゲ貝と米崎りんご

永山(4回生)

 今回で3回目となる陸前高田合宿。

 仙台から高速バスに乗り、目指すは陸前高田市役所前。
 気仙沼を通り、BRT長部を通過すると陸前高田の市街地へと入る。
 橋をつくる工事?と一瞬思うような、土を運搬するコンベアが。
 「今後、この街がどうなるか わからない」と地元の方々は言っていた。


1. エゾイシカゲ貝
 青い空。潮の匂い。ミネラルたっぷりの溢れる海藻。そして「ドシ、どや!?」といわんばかりの大きさに育ったエゾイシカゲ貝。
「ありがとう 豊穣の海、ありがとう 漁師さん」

 以前訪れた時から1年。
 今回もOさんにお世話になり、エゾイシカゲガイの養殖作業に携わることができた。

 「今日も頑張ろう!」と、さっそく仕掛けの掃除に取りかかろうとすると、自分の横には大きな水槽があった。
 しかも、澄んだ水が止まることなく循環している。
 「これはもしや」
と思わず駆け寄った。
 出荷を待つエゾイシカゲガイたち!!
 しかもこのサイズ。
 私は目を疑った。
 関西からブログを見ながら、成長をヒシヒシと感じていたが、現物はまたちがった。
 出荷基準となる4.5センチまであともう少しという状況から1年。
 「今では、こんなに大きくなりました」と言わんばかりに、5〜6センチにまで成長していた。

 手のひらで「ズッシリ ドン」と感じさせられるこの迫力は、生で見る価値あり !
 「ズッシリ ドン」という表現は、昨年の報告でも使ったが、さらにパワーアップ。
 今年は、「ドシ、どや!?」と訴えるほどに。
 初めて訪れたときは、手のひらでいっぱいある稚貝だったのに・・・と、水槽にへばりつきながら、私自身も感慨に浸っていると、
「食べてみるべ」。
 貴重なエゾイシカゲガイを一粒実食させていただくことに。
 身はプリップリッにこの厚さ。
 こんな貝は食べたことがない。
 あの有名なグ○コのキャラメルが「一粒300メートル」なら、エゾイシカゲ貝は一粒1キロメートルはいける。
 そんな食べ応えのある貴重な貝を、お昼休みにも試食させていただきました。ありがとうございました。


 国の「がんばる養殖支援事業」に参加しているため、毎朝入る注文量に応じて東京・築地へ出荷するそうです。
 この日は、1箱あたり5キロを計19箱出荷。
 私は、ビニールテープで封をする作業を手伝わさせてもらいました。

 これが意外にきれいにできず、難しかったです。


 漁師さんとハマで食べるお弁当はものすごくおいしく、会話もはずんだ。

 毎回話題になることは津波への心構えだ。
 「陸で仕事する人と海で仕事する人とでは、全然意識が違う」、
「おらたちは、震度4以上の地震が起きたら、とりあえず逃げる」。
 「津波てんでんこ」という言葉を思い出した。
 津波が来たら、家族がばらばらになってもかまわず、自分で高台に逃げろという意味。
 漁師さんは「津波てんでんこ」の言い伝えを継承しているのだと思った。

「防潮堤があるから大丈夫と思っていた人も多かった」、
「防潮堤は、津波が陸まで到達する時間を稼ぐもの」
とおっしゃっていた。

 今、三陸沿岸では、莫大な建設費を投入し、巨大防潮堤の建設が行なわれている。
 巨大防潮堤で海がまったく見えなくなり、人びとの防災意識を低下させる恐れもある。
 森・川・海この3つの連環こそが、この三陸沿岸を豊かにしてきた、と去年学んだ。
 巨大防潮堤への疑問と、震災後初出荷の喜びと。
 複雑な気持ちでいっぱいだった。


2.米崎りんご
 気仙茶の会・菊池会長の米崎りんご畑での作業に参加させていただいた。
 実は、リンゴも気仙茶も、参加するのは初めて。
 どんな作業なのかドキドキ。

 最初はネットをかける作業。
 「怪我だけは気をつけて」と会長の号令のもと、テキパキとネット張りを進める。

 途中、風が吹くと、ネットは流されてしまうが、そよ風が肌にあたると涼しくなり、秋を感じた。

 その後、別の畑で、りんごに均等に光が当たるよう、光を遮る葉を取り除く作業へ。
 この作業、力を入れすぎると大切なりんごを落とすことになりかねないので、最後までドキドキ。(落とさなくてよかった)。

 休憩では、りんご皮むき対決やリンゴ丸ごと1ついただいたりした。
 産地で食べるみずみずしさと甘酸っぱさが印象的で、お昼ご飯前にお腹いっぱいに。



 夜の歓迎会では、気仙茶の会のAさんが、獲れたて海の幸を持ってきていただき、会の皆さんと大盛りあがりに。

 Aさんから、とてもためになるお話を教わった。
 今の奥さんとのなれそめ、結婚までの道のり。
「人生 何度失敗しても、次は必ずいいことがある」。
 そう考え、若い頃、今の奥さんと出会えたことを、本当に喜び一杯の笑顔で教えてくださった。

 ずっと東京暮らしで、60歳を過ぎてから高田へ移り住んできたBさんのお話も伺った。 
 印象的だったのは、
 「海派か山派か」。
 Bさんは、海が近くにあるところに住みたい、と言う。
 一方、旦那さんは、岩手の山の近くで育ったので、山が近いところがいい、と言う。
 両者の意見が分かれ、どこに住もうかと考えたときに出た案が、山も海もある陸前高田だったという。
 「山も海もある土地は日本でも珍しい」。
 それで、陸前高田に移り住むことになり、現在、Bさんは看護師のボランティアをされている。

 人生の大先輩のお話や高田へ移住する話などを伺って、私はまた陸前高田の方々から元気をもらう。

 それぞれ苦しみを抱えながら懸命にがんばっている。

 私も負けてはいられてない。

 「また来いよ!」と言われると、「また来ます!」と言ってしまう。

 陸前高田はそんな街だ。

 被災者の「最後の1人」が希望を持てるようになるまで、自分ができることを続けていきたい。