陸前高田合宿レポート (12)〜エゾイシカゲ貝

荒島(3回生)

 今回の合宿は二日ともエゾイシカゲ貝のお手伝いをしました。

 9月10日水曜日(1日目)

 待ち合わせ場所に着くと、Oさんが迎えに来てくださりました。
 車に乗ると、
「作業場が変わったんだよ」
と話してくれました。
 前回2月に訪れた作業場はもう使用しておらず、今年の春に新しい今の作業場に移動したそうです。
 前の作業場を横目に、新しい作業場へ向かいました。


 作業場に着くと、出荷真っ盛りのエゾイシカゲ貝を食べさせていただきました。



 剥いていただいき、海水で洗っていただきます。
 味はやはり甘みが強く、今まで食べたことがない甘みです。
 貝が大きいこともあり、こりこりとした食感が特徴。

 寿司ネタにすると、「一貫400円」という値も、納得できました。


 私たちは、前回の合宿以降、「広田湾の牡蠣は、他県産の牡蠣と比べてどのような特徴があるか」を調べていたので、今回、ぜひ牡蠣養殖の現場を見せていただきたいとお願いしていました。

 気仙川から流れ込む植物プランクトンを食べて育った広田湾の牡蠣は、身が大きいのが特徴。
 牡蠣と言えば、木で組んだいかだを海に浮かべ海中につるすイメージがありますが、このあたりは潮の流れが速く、黒い浮きにつるしています。

 同じ広田湾でも、反対側は、潮の流れは穏やかでいかだで養殖をしています。
 同じ広田湾でもかなりの違いがあり、それに加え、気候による環境の変化があるのだから、養殖はすごく大変な仕事だと感じました。


 これが温湯駆除の設備。
 温湯駆除とは湯につけて牡蠣に着く付着物などをとるというもの。
 「温湯駆除をするのもこの辺だけかな」
とOさんがおしゃっていました。
 これも広田湾の牡蠣の特徴です。

「広島の牡蠣もそうだけど、牡蠣を育てるためにはやっぱり川が必要で、気仙川が豊かだからここで養殖できる」
とおっしゃっていました

 その後は2グループにわかれての作業。
 私はY家のチームにお世話になりました。
 仕掛けに砂を入れていく作業。

 砂の山をスコップですくい、バケツにいれていきます。
 すると、ハマのおばあちゃんたちがバケツの砂をいれていきます。
 おばあちゃんたちはかなりのハイペースで進めていきますが、ついていくのはなかなか大変です。
 後から聞いた話ですが、この作業は将来機械化が考えられていて、現在試作品を作っているとのことでした。
 みなさん普段から鍼灸院や整骨院などに通っているようで、腰の負担が大きいこの作業は、早く機械化してほしいと思いました。


 お昼。おにぎりを用意していただきました !


 中身はなんとウニ。
 スープは、広田湾でとれたワカメのスープです。
 うまいっ !
 お弁当までも用意していただき、とても豪華な昼食となりました。
 ありがとうございました。

 昼食中、「今年の春に船を買った」と、船の話になりました。
 「車なら値段を想像できるんですけど、船ってどのくらいするんですか?」
と聞くと、
「ゼロが一つちがうわね〜」
と笑いながらおっしゃっていました。
 中古船ではあるものの、機械類はすべて最新のものに取り換えているそうです。
 

 作業再開。

 午後からも同じ作業をし、ハイペースで仕掛けづくりをして終了しました。


 9月11日木曜日(2日目)
 この日の作業は午前中のみ。
 今日もチームYにお世話になりました。

 朝にエゾイシカゲ貝の出荷があったので、私たちは、出荷後の仕掛けを再利用するため分別、洗浄していきます。
 まずは容器へ付着物がつかないように覆っていたビニール、網、容器を分別していきます。
 分別後、容器は洗浄に、網は破損があれば修理、ビニールは付着物を取り除き廃棄処分します。
 なぜビニールの付着物をとるのかたずねると、
「そのままでは(ゴミの業者が)持っていってくれんのよね」
とおっしゃっていました。

 作業をしていると、海から帰ってきたYさんの息子さんが話しかけてくれました。
「前に来たときからだいぶ変わりましたね」
と言うと、
「変わったって、土を山から運んで積んだだけだ」
と言われました。
 今の陸前高田はベルトコンベヤが完成し、土がどんどん運ばれかさ上げされた場所が増え、復興が一気に進んだような印象を受けましたが、実際は土を移動させただけ。
 これを復興とは呼べない、と実感しました。
 

 来年の春には、震災前の作業場へ戻れるそうです。
 今の仮設の作業場ではなく、震災前のように作業場も建つ。現在、工事中とのこと。
 震災から4年が過ぎようやくスタート地点に立てる。
 Yさんはとても嬉しそうに話してくれました。


 私が今回の合宿で一番感じたのは、Yさんの喜びです。
 船を購入したこと、来年には新しい作業場に移ることを、とてもうれしそうに私におっしゃってくれました。
 その喜びは私にも伝わってきました。

 帰り際に、Yさんに、昨日のおにぎりの中にはいっていたウニをいただきました。

「また、必ず来ます」

 この思いは、合宿に行けば行くほど強くなると感じました。


【現地視察】
 2日間とも、作業が終わるとOさんが車でいろいろなところへ連れて行ってくださりました。
 1日目は広田湾での養殖を一望できる箱根山(小友町)の展望台へ連れて行ってくれました。
 こうしてみると手前の小友・米崎地区では牡蠣がいかだで養殖されているのがよくわかります。



 2日目は大船渡へ連れて行ってくださいました。
 大船渡の市街地に着くと、陸前高田よりもかなり復興がすすんでいました。
大船渡では浸水地域に家を建てるのは自己責任。陸前高田は、いち早く浸水区域には家を建てないと決めたから、そうはいかない」
とおっしゃっていました。
 「陸前高田はかさ上げやっているけど、完成する頃に、はたして、それに見合っただけの人口が残っているのかどうか…」
というのが本音だそうです。
 山を切り崩して高台の宅地を造成し、元あった浸水地をかさ上げする。
 人口は減少しているのに宅地面積は増えることになるのではないか。
 かさ上げした土地をどのように活用するのだろうか。
 疑問に思いました。


 車の中で、いろいろなことを話していただきました。
 「地元の新聞社が大船渡に押し寄せる津波の映像を残しているけど、その映像は今でも見られない」こと、
 「震災から3年が経って子どもが仮設住宅のことを『おうち』と呼んでいるのを聞いて、子どもにとっての3年半はとても長いものなんだと感じ、早く自分の家を建てたいと思っている」こと
 「仮設住宅は不便だけど、3年も経つと、その不便さも自分たちのほうで直していっている」こと。
 「借金も財産のうち、なんて言うけど、漁業復旧のために国にお金を借りているんだから、これからが本当の勝負」
とおっしゃっていました。


 世間では、震災から3年半経って、人々の記憶からだんだんと薄れかかっているけれど、被災地はようやくスタート地点に立っただけ、ということをもっと知ってほしいと思いました。

 最後に、Oさんが、
「夢を持って生きろよ!」
と言ってくださったのがとても印象的でした。