陸前高田合宿レポート (14)〜気仙茶

前田(3回生)

 9月9日から9日12日、岩手県陸前高田市でのゼミ合宿に行きました。
 2回目となった陸前高田ゼミ合宿。
 2月のときに一度行かせてもらったときは、多くのことを学ばせてもらいました。
 震災が起こってからの復興のようす、実際に震災の被害に遭われた方々との交流。
 実際にその場に行かなければ分からないことが、そこにはたくさんありました。
 今回の合宿でもそれは同じで、実に多くのことを学びました。


 1日目 気仙茶
 今回、僕は、「気仙茶班」として、一日目は、茶の樹の周りに生えている雑草を刈る作業をしました。
 作業をするにあたって、今回、気仙茶の会の前田さんから、
「ここは、津波で一度全部流されてね。そこから、雑草を手入れしたら、お茶の樹がまた生えてきたんです」
というお話をしていただきました。


 作業をしていると、実際に、津波で流された残骸がいまだに雑草やお茶の樹の間に挟まっていました。

 僕は、ただお手伝いをしにきたわけではない、と改めて感じたのと同時に、僕がここに来た意味を再認識しました。

 そして、絶対に津波のことを忘れてはいけないと思いました。


 休憩時間に前田さんが気仙茶を淹れてくださいました。

 初めて飲む気仙茶。
 「どんな味がするのだろう」
と思いながらいただくと、口のなかに香りがぱっと広がり、何煎かいただくごとに、味(渋み)が増していきました。
 今回お手伝いさせていただいた気仙茶の樹がすくすく大きくなって、美味しいお茶になっていってくれたらなと思いました。


 前田さん、佐藤さん、小野さん、本当にお世話になりました。


 夜は、気仙茶の会の皆さんが、僕たちのために、歓迎会をしてくださいました。
 新鮮なさんまやイカ、そして牡蠣などの魚介類や、ホルモンなどのお肉類など、普段食べられないような、豪華な食材ばかりを用意していただいて、凄く楽しい時間になりました。

 どの食材もうまい!
 こんな新鮮な魚介類を食べたことがなかったので、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 今年していなかった花火までさせていただき、これ以上にないくらい貴重な思い出になりました。



2日目 気仙茶・米崎りんご収穫
 二日目の午前は、一日目と違う場所で、気仙茶の周りの雑草を刈る作業を午前中に行いました。
 午後からは、菊池会長が育てている米崎りんごの収穫のお手伝いをしました。
 りんごを収穫したことがないので、会長から収穫の仕方を教えていただきながらの作業。
 会長の育てるりんごは色がすごく赤く、1個500円するのだとか。
 なので、落とさないように、一つ一つ丁寧に収穫していきました。

 昼の休憩時間に、奥様のとよ子さんが、ある部屋に案内してくださいました。

 ここは、震災後、多くのボランティアたちと交流してきた記録が詰まった部屋。

 伊達ゼミの先輩方の名前が書かれた紙や写真も貼られていました。

 菊池会長、とよ子さん、本当にお世話になりました。


最後に
 今回のゼミ合宿を終え、人との出会いは本当に素晴らしいものだと改めて感じる合宿でした。
 前回の合宿に引き続きお世話になった自治会長さんをはじめ、中村区長さん、鶴亀鮨の阿部大将など、実際に震災の被害にあわれた方々との交流は、時には辛いと感じる部分もありますが、それ以上に現地の方達は明るく、今を全力で生きておられると強く感じました。
 合宿に行くときは常に、ボランティアするという気持ちが強いけれど、実際はそうではなくて、むしろ僕たちがおもてなししてもらっているので、感謝の思いでいっぱいになりました。

 合宿中の9月11日は、震災からちょうど3年半の日でした。
 14時46分、黙祷をしている最中、様々なことが頭に浮かびました。
 (さいとう製菓さんが撮影した)津波の映像、津波が押し寄せてきたときの被災者の声。
 ゼミの時間に学んできたことが、黙祷の間、浮かびました。

 実際に震災を経験していないので、実際に経験された方の気持ちを、全て理解することはできません。

 でも、僕にできることはたくさんあります。
 震災の被害に遭われた方々の話を聞く、
 実際に陸前高田市に行って学んできたことを、他の人たちに伝えていく。

 それを精一杯頑張っていきたいと思います。


◇まとめ
 今まで二回、ゼミ合宿で、岩手県陸前高田市に行かせてもらい、実に多くの方々と交流をしてきた。
 その交流のなかで、僕が思ったことをここに書いていく
 まず、“復興”ということについて。
 「復興」とは「いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態にかえること。また盛んにすること」と、辞書に記されている。
 「復興」を、仮設住宅に暮らしている人一人一人に当てはめて考えてみると、辞書の復興の意味とは違うと思う。
 なぜなら、震災で家族を亡くされた方たちは、その心におった傷を一生抱えて生活していかなければならない。
 深い傷がある限り、「再びもとの盛んな状態にかえる」ことはないと考えられるからである。
 では、「復興」とは何なのかと考えると、僕は、仮設に住む人達一人一人が、何の不満もなく、毎日を楽しく生きられるようになることがだと考える。
 一度心に深い傷をおってしまったのも、元の状態に戻すことは、僕たちにはできない。
 せめて、少しでも日々の生活が楽しく暮らせれるようにしてあげれたら。
 それが僕たちにできる復興なのではないかと思う。
 次に、「ボランティア」について。
 ボランティアとは、「自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人」と辞書で記されている。
 では、何のためにボランティアをするのか。
 それは人によって様々な理由があると思うが、僕は、被災した方々を少しでも助けたい!その方たちの笑顔が見たい!そう思うので、ボランティア活動をしている。
 ボランティア活動をすることによって、多くの方が少しでも来てもらってよかったと思ってくれたなら、それだけで嬉しいし、僕自身も学べることがたくさん学べるので、ボランティア活動をしているのだと思う。
 でも、いつまでボランティアをすればいいのかと考えると、それは、一人一人が復興するまでだと思う。
 「一人一人が復興するまで」とは、上記に書いた通りであるが、ボランティア側が決めることではないと思う。
 被災した方たちはそれぞれ抱えているものが違う。
 まわりの環境が整備されてきて、住みやすくなってきたと判断できても、それがその人にとって復興になるかが重要で、その人でないとわからない。
 だから自分自身が決めることではない。
 もっと被災者の方たちの思いというのをこれからは、尊重していかなければならないと思う。