陸前高田合宿レポート (21)〜米崎りんごとエゾイシカゲ貝

桑木野 (4回生)

1.米崎りんご
 今回、私は、気仙茶ではなく、米崎りんごの作業を手伝わせていただきました。

 午前中にやったことは、ネットを張る作業と葉を摘み取る作業でした。
 ネットを張る作業は、強風の被害を避けるためにやります。
 ネットがあるのとないのでは被害の大きさが全然違うそうです。

 青いネットの上と下を留め具で固定していきました。

 上の方は脚立を使って固定していきました。

 脚立の上からは、りんごの木、山、海が入った、自然溢れる素敵な景色を撮影することができました。



 葉を摘み取る作業は、りんごに赤い色をつけるためにやります。

 りんごを覆っている葉を摘み取ることで、直接太陽の光が当たり、赤くなります。 消費者はやはり、まだらに赤いりんごより、まんべんなく赤いりんごを好むそうです。
 作業中、りんごをよく見てみると、葉で覆われた部分だけ綺麗に色がついていませんでした。

 葉は摘み取り過ぎるとりんごの糖度が落ちてしまうため、2、3枚だけ摘み取ります。
 葉が何枚もついているときは、どれを摘み取るべきか悩みました。
 りんごの木は何本もあり、その1本1本にりんごがいくつも実っているため、本当に大変な作業であると実感しました。

 菊池会長の美味しいりんごには、やはりそれだけの手間暇がかかっているということが改めてわかりました。


 お昼休憩中、菊池会長のお孫さんの写真を見せていただきました。
 目がくりくりで本当に可愛いお孫さんでした。
 初孫だそうで、とても嬉しそうに話しておられたのが印象的でした。



 夜に伊達ゼミ歓迎会を開いてくださるということで、午後からは気仙沼へ買い出しに行きました。

 カツオを購入したお店の隣には、俳優の渡辺謙さんがオーナーであるK-portというカフェがありました。

 被災地である気仙沼に灯りをともしたいという想いで立ち上がったこのお店。
 K-portのKは気仙沼のKであり、渡辺謙のKであり、絆のKでもあるそうです。


 夜は、本当に楽しい歓迎会を開いてくださいました。


「今の時期は戻りガツオで美味しいんだ!」
と菊池会長が絶賛していたカツオ。

 今まで食べたカツオの中で一番美味しかったです。

 他にも新鮮なサンマ、ホタテ、イカなどの魚介類、きゅうりやトマトなどの野菜、ホルモンやおにぎりまで、どれも美味しくてお腹いっぱいになりました。

 本当にありがとうございました。


2.漁業
 作業場がお引っ越ししていました。
 BRTの「長部」からOさんの車で移動、少しだけ離れた位置にありました。

 約1年ぶりに見た、本当に立派になったエゾイシカゲガイを見て感動していると、Yさんが殻を割ってくださいました。

 その場に一緒に引き上げられたトリガイがあったので比べてみましたが、色も味も全然違いました。

 トリガイの身の色は黒で、味もエゾイシカゲガイほどの甘みは感じられませんでした。
 エゾイシカゲガイが高値で取り引きされる理由がわかった気がしました。
 作業場にいるたくさんのウミネコやカラスも、エゾイシカゲガイを狙っていました。

 今回も前回訪れたときと同じように、
 発泡スチロール容器にビニールを敷いて網をかけるしかけ作り、
 しかけの中に貝の寝床になる砂を入れる作業、
 使用した発泡スチロール容器やビニールを洗う作業
などを手伝わせていただきました。

 前回と違うのは、出荷を迎えたため、エゾイシカゲガイを出荷する箱に詰める作業が加わっていたことです。
 発泡スチロール製の箱にビニール袋を敷き、その上から水とエゾイシカゲガイを入れ、袋に包んでゴムで結び、箱に蓋をします。
 私は、その箱の蓋をテープで固定する最後の作業を手伝わせていただきました。

 漁師さんは、くるくると箱をまわしながらテープを貼っていたので、私もそのやり方で挑戦してみました。
 しかし、「5kg」と書かれている、水とエゾイシカゲガイが入った箱は、私には重たすぎて、結局、箱ではなく自分がまわりながらテープを貼っていくことになりました。
 ハマの方々の力はすごいと思いました。


 私は伊達ゼミに入ってから2年間、ずっと漁業に携わってきました。
 しかけ作り、貝の仕分け、出荷まで、ひと通りの作業を経験したので、Yさんに、
「もう全部できるね。だからまた来てね。」
と言っていただきました。
 更に、
「泊まって行けばいい。」
「嫁いできたらええ。」
とまで言っていただけて、本当に嬉しかったです。

 Yさんには本当にお世話になりました。



 休憩中、お手洗いの場所を聞くと、作業場にもあったのですが、上にあるYさんのお宅までわざわざ車で連れて行ってもらったりしました。
 そのとき、素敵なお庭から見える海を眺めていたのですが、
「あそこの赤い屋根の家まで津波が来たんだよ。」
と教えていただきました。
 現在建っている赤い屋根の家は、震災後に新しく建てられたそうです。

 漁師さんは物知りで、ウミネコが大量発生する島や、空飛ぶ団子のお店など、様々なことを教えてもらいました。
 楽しい話が多かったですが、そんな中で、「ここで暮らすには車が絶対必要だけど、ガソリン代が高くなっているから、苦しい。」というしんどい話もありました。



 作業が終わった後は、Oさんのご厚意で、様々な場所に連れて行っていただきました。

 一番印象に残っているのが、陸前高田市街地、広田湾、広田半島、太平洋、大船渡湾が一望できる箱根山の展望台です。

 冬はここに来るまでの路面が凍結するので、車ではなかなか来られないそうです。
 今でこそ穏やかな海が広がっていて、とても素晴らしい景色でしたが、Oさんから「両側から津波が来て、広田半島が陸の孤島になってしまった」という話を聞いて、絶句しました。
 陸前高田は、他の市と比べて、津波の影響をもろに受けてしまう向きにあったそうです。
「復興しても、もう、オラが知っている元の陸前高田ではない。」
という言葉がとても悲しかったです。

 帰り際、Oさんは、
「あと10年経つと、まちも大きく変わっていると思うよ。いつかまたおいで。」
と言ってくださいました。

 車の中で、鈴木旅館のお風呂の話になり、Oさんは、
「あそこのお風呂は熱いけれど、不思議と、湯冷めしないところがいい。」
と言っておられました。
 確かにそうです。
 私も、この日、朝に入って来たのですが、外の気温が低かったのに、全然寒く感じません。

 箱根山展望台の他にも、穴通磯という岩がある碁石海岸、Oさんの昔の職場にも連れて行っていただきました。

 本当にありがとうございました。


3.その他
 私は今回の合宿で、「津波到達地点」と書かれた標示や看板などをよく見かけました。
 最終日、帰りの飛行機までの空き時間に、日本三景の1つである松島を訪れました。
 ここでも、津波の標示や立て札を見つけました。
 松島では、立て札の場所から、海は、遠くの方に見えました。

 Oさんが言っていた、津波の被害をもろに受けてしまった陸前高田の状況がわかった瞬間でした。【震災前の高田松原のイメージも】



 約1年前に訪れたときと変わっていたのは、高台造成や盛り土工事のための土を運ぶベルトコンベアができていたことや、お店が増えていたことでした。
 少しずつ変わってきてはいますが、工事はやっと本格化したばかりという段階でした。
 高台をつくるだけでなく、他にも、漁港や防潮堤、道路をつくったりと、様々な工事が同時進行で行われています。
 祠が建っている部分だけを残して土を運んでいる所もあり、神様を簡単に移動できないなどの複雑な問題があるのだと思いました。
 まだ震災直後のままという建物もあり、「復興」と呼ぶにはまだまだ遠いと感じました。



 そのような中で、私たちができることは何だろう。改めて考えさせられた合宿でした。


 今回の合宿で陸前高田に訪れるのは3回目でしたが、何度来ても、陸前高田の方々は本当に温かいと感じます。
 毎回、「どこから来たの?また来てね。」と言ってくださいます。
 鈴木旅館に泊まっていた方の犬(ナナちゃん)と遊んでいたとき、通りかかる方全員が気さくに声をかけてくださったことを覚えています。
 永山くんのリュックサックのGLAYのキャラクターが「くまもん」と間違えられていました。

 陸前高田でも「くまもん」は人気なのだと思いました。


 今回の合宿を通じて、どの方も
陸前高田はいい所だ」
と言っておられたことがとても印象に残っています。
 Oさんも、
「山と海、両方あるところは少ない。陸前高田は本当にいい所だ」
と言っておられました。
 私も心からそう思うので、またいつか、必ず訪れたいと思います。

 本当にお世話になりました。ありがとうございました。