気仙茶の花見と茶会 大盛況でした !

 11月9日(日)、「北限の茶を守る 気仙茶の会」の主催で、気仙茶の花見と茶会が開催されました。
 今回の花見と茶会は、クラウドファンディングReadyforのディープな気仙茶サボーターを対象に、支援のお礼として企画されました。
 お茶の花の鑑賞会は、全国的にもすごく珍しく、とても楽しみにしておりました。

 以下、簡単に、当日の様子を報告をします。


 

 陸では米崎リンゴが、広田湾では牡蠣が、出荷シーズンまっさかりの陸前高田




 朝10時、陸前高田市米崎町のJAの製茶工場に集合。
 岩手県内をはじめ、秋田や東京、そして関西から計40名!も参加されました。それを15名の現地スタッフがおもてなしする一大イベントでした。


 菊池会長のご挨拶です。

 スタッフは気仙茶の会メンバーで、ほとんどが陸前高田大船渡の方々です。一人ひとり紹介していきます。
 この後、マイクロバス2台に分乗して、気仙茶の茶園へ向かいます。

 2号車のバスガイドさんは前田事務局長、ドライバーは伊藤さんでした !
 「いない人はいませんね。ハイそれでは出発します」(笑)。

 

 まず米崎町の茶園に向かいました。
 柿と竹林、そして気仙茶の花という組み合わせは、とても美しいです。


 可憐な気仙茶の花



 茶園の隣にはナツメの古木。
 地面に落ちたナツメの実をいただいてみたら、美味 !
 実の形は、茶道のにそっくりでした。



 続いて、小友町三日市の茶園を訪れました。気仙茶の会が再生作業を行ってきた茶園です。こちらのブログを参照。

 「ここは、両側から津波が押し寄せたところで、あの椿の樹のあたりまで津波を被ったんです。そして、この気仙茶の樹も」
と菊池会長、前田事務局長が説明してくださいました。

 津波をかぶっても、なおも生き続け、花を咲かせ続けている気仙茶の樹。

 「2012年から、気仙茶の会で、この茶園の剪定や草取りの作業を続けております」。

 小友町での農地再生事業や米づくり再開の説明をする菊池会長。



 気仙茶の花をきっかけにして、
 陸前高田の復興の現状を知る、
 人柄・土地柄や歴史・文化を知る、
 あの津波が奪いとっていったものの大きさに思いをはせる。

 「花を見る」活動は、陸前高田の復興にとっても、大切な活動だと感じました。



 昼食は、小友町の両替漁港の近くにある「カキ小屋 広田湾」。



 津波の爪痕が今も残っています。
 震災直後の小友町・両替地区の状況については、千葉 望『共に在りて―陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』講談社、2012年をご参照ください。


 防潮堤工事が行われていました。


 外の景色を見ると悲しい気持ちになりますが、カキ小屋の店内に入ると、全国の支援者からの大漁旗がいっぱい飾られていたり、元気の良い親切な店員さんばかりだったりで、とても温かい雰囲気でした。
 この日は、気仙茶の会のために、1時間貸し切りです。

 よく見ると、国際ボランティア団体NICEが贈った大漁旗でした!
 NICEさんは、震災後、陸前高田に拠点を構え、カキ養殖の支援をはじめ、気仙茶の畑の再生作業にも尽力されてきました。(こちらを参照)

 

 皆さん、お待ちかねの牡蠣です !
 5個もペロリといただいてしまいました。
 実は私、震災前は、牡蠣ほど嫌いな食べ物はなく、普段ほとんど口にすることはなかったのですが、震災後は、陸前高田の皆さんとのBBQのおかげで、大好きになりました。



 美味しい牡蠣でお腹一杯になった後は、いよいよ、気仙茶のお茶会です。
 小友町にある気仙大工左官伝承館に移動します。
 

 伝承館スタッフの及川さんに館内を説明していただきます。
 まずは、阪神淡路大震災被災地・神戸から分灯された「希望の灯り」。

 碑文には、以下のことが書かれています。
 「一・一七 希望の灯り
 一九九五年一月一七日 午前五時四十六分
 阪神淡路大震災
 震災が奪ったもの
 命 仕事 団欒(だんらん) 街並み 思い出
 ・・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・・
 震災が残してくれたもの 
 やさしさ 思いやり 絆(きずな) 仲間
 この灯りは
 奪われた
 すべてのいのちと
 生き残った
 わたしたちの思いを
 むすびつなぐ」


 「この伝承館は、気仙大工や左官の技法を後世に伝えるために建設されました。明治初期の気仙地方の民家を想定し、当時の建築様式で、材料はすべて、気仙杉などの地元材を使用しています。」

 「この戸袋に気仙大工の技が詰まっていますので、よ〜くご覧ください」

遊び心のある凄腕大工。それが気仙大工。

 母屋の中へ入ります。
 こわーい顔をしたカマドの神様に見つめられながら、気仙茶の会の千田さんが、今回の参加者の支援金のおかげで復元できた気仙地域の昔の製茶道具の説明や、手揉み茶づくりの説明をしてくださいました。
 もともと、千田さんの「大小迫(おおこばさま)つむぎの家」(大船渡三陸町綾里)に代々伝承・保存されてきた製茶道具をベースに復元されました。
 
 普段は、綾里地域の子供たちと里山保全活動に汗を流しておられる千田さん。最近は、みんなで協力した炭窯を設置したそうです。こちらが「大小迫つむぎの家」のブログ。とっても楽しいブログです!

 皆さん、熱心に質問されていました。


 お茶会が始まります。
 「紅茶席」「煎茶席」「手もみ茶席」の3つに分かれて、順番に味わっていきます。
 まずは紅茶席。

 紅茶席の亭主は、及川副会長さんです。
 「紅茶席へようこそお越しくださいました」
 「私たちは、試行錯誤を重ねながら、気仙茶で紅茶づくりに取り組んでいます」

 気仙の方は、いつも、必ず、「あんまり出来は良くないかもしれないんだけれども...」と謙遜されながらお茶を淹れていきますね(笑)。

 でも、なんだか、とってもうれしそうな及川副会長(笑)。

 気仙茶の会の佐藤さんと菊池さんが、静かに聞香杯に注ぎます。
 そこに、小山副会長さんが小ネタをもって登場。

 紅茶を杯に移して、聞香杯の香りを楽しみます。


 余談になりますが、実は、個人的には、「気仙紅茶」(と勝手に命名しておきます)の味と香りがとても好きです。

 及川副会長は「今回の紅茶は、萎凋→酸化発酵が長かったかも」とおっしゃられていましたが、それがかえって豊かな味や香りをかもし出していて、気仙茶の「古くて新しい魅力」になっている、もしくは、なって行くのではないか、と秘かに感じております。

 緑茶の場合、摘採後は素早く蒸機にかけ殺生しますし、生葉コンテナ自体にも送風機が着けられていて酸化発酵が進まないように工夫されています。

近年、「日本茶に香りがなくなった」と言われています。それで、新しい香り高い緑茶品種に注目が集まったり、和紅茶ブームが起こったり、香り高いチャ品種の研究開発が産地で進められたりしています。

 昔のお茶、特に自家用茶は、手摘みにも時間がかかるし、摘採後も、すぐに蒸したり湯通ししたりしなかったのではないか、もっとのんびりお茶づくりをしていたのではないか、そのために、自然萎凋→酸化発酵が進行してしまいますが、かえって豊かな香りや味になっていたのではないか、気仙地域のお年寄りが、皆さん、「おら家で作ったお茶は香りがあって美味しかった」、「製茶工場ができてから美味しくなくなった」とおっしゃる理由の一つは、そのあたりにあるのではないか(農協の製茶工場のオペレーター云々の問題ではない)、と勝手に想像しております。
※まだ、きちん検証しておらず、直感的な仮説にすぎません。とりあえず今は、静岡県茶業会議所の権威をお借りしておきます。こちらです。このHPによれば、香りが少なくなった原因は、(1)蒸し時間の長い「深蒸し」が一般的になり香り成分(揮発性成分)が製造中に揮散すること、(2)(香りが強い)在来種が減ったこと、(3)収穫から製造までの時間の短縮などです。

 「気仙紅茶」は、昔の自家用茶のいいところと、紅茶のいいところとを兼ね備えた「(二刀流の大谷翔平選手みたいな)期待の大型新人」ではないかと感じています。
 「和紅茶ブームへの便乗」「伝統からの逸脱」とお叱りを受けるかもしれませんが、前にもこのブログで書いたように、明治末期の気仙郡では、紅茶や烏龍茶が製造されていました。『岩手県統計書』によれば、約110年前の明治38年(1905年)に、気仙郡で、紅茶 3貫、烏龍9貫が製造されています。また、岩手県全体では、郡は不明ですが、明治38年に紅茶15貫、烏龍 9貫、明治39年に紅茶9貫、烏龍72貫が、明治40年に紅茶8貫が製造されています。それ以降は統計に登場しなくなります。

ということで、私は、
 「気仙紅茶」=「遅れてやってきた期待の大型新人」
 今年の新茶シーズでの製茶工場での「事件」=「怪我の功名」
だと考えています。
 これに、東京下北沢の茶師十段・大山さんの仕上げ技が加えられているのですから。
 「大きな可能性を秘めた逸品」です。

※「リンゴの香りがする気仙紅茶」なんてのもいいと思います。実際、奈良の月ヶ瀬健康茶園の岩田さんのご指導のもと、紅茶づくりの特訓をした学生たちが「萎凋をするとリンゴの香りがする」、「リンゴだ、リンゴだ!」と熱弁していました。(こちらのブログ記事参照)気仙地域でも、リンゴ農家の菊池会長宅の手づくり紅茶はリンゴの香りがして美味しかったような...(笑)。

 余談が長くなりすぎてゴメンナサイ。



 さて、部屋を移動し、次は、前田事務局長が亭主の「煎茶席」へ。

 いつも笑顔の前田さん。

 「今日、皆さんにおだしするお茶は、今年5月31日と6月1日に、先ほど訪問した米崎町の茶園を含めて、陸前高田2か所、大船渡2か所の計4か所の茶葉を手摘みし、ブレンドし、JAの製茶工場で製茶したお茶です。どれも在来種で無施肥のものです」


 「これが、皆様のご支援をいただいて、今、気仙茶の会メンバーで鋭意作成中の聞き書き集の原稿です。この表紙に写っているのはHさんご夫妻で、笑顔がとても素敵ですね。Hさんの茶園のお茶も、今日お出しするお茶に入っていますので、ぜひ、じっくりとご賞味ください。」

 「Hさんご夫妻からも聞き取りをさせていただきましたので、聞き書き集のほうも楽しみにしていてください!」

 気仙茶のお茶請けは、さつまいも。
 皆さん、「そういえば、昔はこれが一番ぜいたくだったよね〜」と感激しておられました。



 最後の席は、菊池会長自ら亭主をつとめる「手もみ茶席」です!

 補佐役は、会長の奥様のとよこさん、千田さん、中村さんです。

 よっ、真打ち登場!という感じで、会長のお人柄なのか、補佐役のお人柄なのか、笑いの絶えないお茶席でした。

 お茶請けは、とよこさんお手製の「がんずき」(あまりに美味しすぎて、写真を撮るのを忘れてしまいました)
 地域の方々が手摘みし、昔ながらの製茶道具を用い、昔ながらの製法でつくった自家用「手もみ茶」、
 「がんづき(雁月)」も、それぞれの家庭で味が異なる。
 これこそ、気仙地域ならではの最高のおもてなし、とっても贅沢なウエルカム・ティーです。





 「日々是好日」。

 震災後、気仙大工左官伝承館で今日のような茶会が開催される日が来ることを、想像できなかった時期もありました。

 地元の方々が案内人や亭主となった茶会が実現できて、本当に良かったです。

 もっともっと陸前高田が復興して、みんながここで茶会をする日が来ますように。

 そう念じました。


【追記】
発掘わが町 すみたプロジェクト」さんによるYouTube動画です。