『消防団の見た巨大津波』のDVD

 2回生ゼミでは、NHKのDVD『証言記録 東日本大震災 第1回 岩手県陸前高田市消防団の見た巨大津波』を見て、感想を出し合いました。

証言記録 東日本大震災 第一回 岩手県陸前高田市 ~消防団員の見た巨大津波~ [DVD]

 収録時間が43分と、講義の中で一度で見るには長いし、精神的にもキツイので、11月13日と20日の2度に分けて見ました。
 震災発生直後からの陸前高田市消防団・高田分団の活動記録(ブログ)はこちらです。


●若林
 (1)前半
この前の津浪映像と同様、衝撃ばかりだった。
 津波が押し寄せたとき、もっと人の叫び声が聞こえてくるものだと思っていたが、映像を見る限り、そうではなかった。
 あまりの衝撃で声を発することができないのか、声を発そうにも、もう水にさらわれてしまっているのか、あるいはその他なのかはわからないが、不思議だった。
 消防団員が聞いたらしい「助けて」の一声は、きっとその人が最後に発した希望と絶望の言葉だろう。
 最期の力を振り絞って。
 きっと、こんな場面を、多くの団員や、団員でない人も経験したのだろう。
 この声を振り切っていくのはどういう気持ちなのだろう。
 もし自分が同じ立場なら、その声には応答できないと思う。
 それでも消防団員は、自分の命の保証はなくとも、市民を守ろうと果敢に救助活動を行った。
 もしかしたら自分の判断は間違っているかもしれない、という思いを抱えながら。
 どのような状況においても、震災は、自分と他人の生死が一瞬の自己判断によって変わる。
 恐ろしい。
 最適かつ迅速な判断を強いられる。
(でも、何に強いられているかはよくわからなかった。)
 今でもあの時の・・あの判断が・・と後悔している人もいる。
 目に見える悲しみ、つまり、破壊された町をもとに戻すという意味での「復興」が現地の人の喜びにつながる大切なことだろうが、目に見えない悲しみ、つまり被災者の傷ついた心を癒す「復興」がより大切なのだと思う。
 前の津波映像は、ただただ悲しいもので、これから被災者とどう接していけばよいか全くわからなかった。
 被災者の方々の「もとに戻りたい」と思う気持ちを、私たちが受け取り、それを形にしていくことが、すべての「復興」につながるのではないかと思う。
 
(2) 後半
 警報がなれば半纏を羽織る。
 災害のことは誰よりもよく知っているだろう。
 そんな消防団員の方でも、128人のうち28人の方が命を落とされている。
 改めて津波の脅威を感じた。

 大坂団長が妻子を亡くされたにもかかわらず、「仲間に気を遣わせるから、このことは言わないでおこうと思った」。
 そこまで気がまわるのか。
 相手が大切な仲間だっただからだろう。

 避難所であった市民体育館。
 天井まで水が来た。
 その後、水が引き、「死んでもいい」と思いながら、約2メートルの高さから飛び降りた女性がいた。
 生死の選択。
 人の強さを感じた。
 女性は発見され、消防団員たちと約2時間もの時間を歩いて高台に行った。
 その間ずっと団員が元気づけていた。
 誰もがつらいであろうときに、人を元気づけられる団員は偉大だと思った。

 ある団員が言ったことが気に留まった。
 「いい街だった」、
 「自分の居場所だった」。
 過去形の言葉であり、陸前高田市は変わってしまったということを暗に示していたのだろう。
 すごく寂しかった。

 何とか少しでも自分の力を被災地に届けたいと強く思った。
 この映像から、人の強さと弱さをたくさん見た。
 この強さや弱さこそ、私たちが糧として受け止めて、今後に生かすべきだろう。


●山本
(1) 前半
 “黒い壁”や“腰が抜けるほどだった”など、津波の状況をお話しているのを聞いて、前回のビデオに引き続き、改めて津波の凄まじさを感じました。
 私は水の音やガレキの音はもちろん、市民の叫び声 叫び声も町中で聞こえているのを想像していましたが、大坂さんが言っていたように、実際は人の叫び声は一切なくて“静寂”だったというのが驚きでした。
 印象的だったのが、熊谷さんの奥さんが家の庭で立っていたのに、早く逃げろとは言わなかったことです。
 恐ろしい津波を目の前にして言葉がでなかったのか、それとも、市民、地域を守らなければいけないという使命感で精一杯だったのか、本当のところは分かりませんが、あの慌ただしい状況の中で、自分の命、消防団としての自分がありながら、 家族のことを考えるまでにどのくらいの時間がかかるのだろうと思いました。
 幸いにも家族が無事だった熊谷さんと、失ってしまった大坂さんは対照的ですが、 二人とも家族のことが頭によぎった時は、今すぐ助けに行きたいという気持ちと、消防団として、家族を置いて、水門を閉めに行かなくてはいけないという二つの葛藤があり、苦しかったのではないかと思います。
 家族、仲間、地域に支えられて生きている強いコミュニティが崩れることは、すごく悲惨で、一生、跡が消えない辛いことだと思いました。
 またそのコミュニティを、一瞬にしてさらっていく津波を止めることができないことにも、なんとも言えません。

(2) 後半
 3月というまだ寒い時期に、津波で全身ずぶ濡れの状態で、救助する人も、それを待つ人も、環境面で見てもすごく厳しい状態だなと見受けられた。
 寒さに震えながら、一人で生きるか死ぬかを賭けて、2メートルの高さから飛び降りることを決意した女性はすごく印象的だ。
 人間が究極の状態になり最後の力を振り絞る感じなのか。

 大坂さんはすごく仲間を大事にし、責任感が強い人だなと思った。
 しかし、その分、自分の指示が招いた結果に、団員やその家族にまで、申し訳なさを感じて、自分を責め続けていた。
 あの大津波での判断は、何が正しくて何が誤りかは誰も分からない。
 誰も経験したことがないのだから。
 しかし大坂分団長の判断で、多くの人が助かったことも事実だ。
 そこは忘れてはいけないことだし、誇りに思うべきだ。

 家族の死を受け入れられないまま、非日常の光景を目の当たりに救助に向かっている裏側には、“消防団だって一般市民・・”だと熊谷さんも語っていたが、なくてはならない組織の在り方って何だろうと思った。

 しかし、熊谷さんの仮設住宅にはいつもの半纏がかけられてあった。
 見違えるほどに変わってしまったが、団員にとって守り通したいものは、いつまでも陸前高田なのだと感じた。
 最後に、「写真っていいものだ」とすごく伝わってきた。
 人と人とがつながっていた証というか、なんというか、、。
 流されずに残ったあの写真は、すごく貴重で素敵なものだなと思った。



●脇坂
(1) 前半
 今回の映像は、先日みた津波映像とはまったく違った印象を受けた。
 実際に体験談等を話してもらっているからであろう。
 消防団という最小限のコミュニティ組織。
 自分の担当区の人をすべて知っているだけに責任感がとても強くなってしまうのだろう。
 私の住んでいるところにも消防団があり、小さいころから行事があるごとに遊んでもらっていた。
 この映像で、お話していただいているお二人の話を聞いていると、もし自分が消防団に加わったときに、このような活動ができるのか、と思った。
 自分の目で津波の大きさを目の当たりにし、人に避難を呼びかけていては自分が飲みこまれてしまう。
 しかし、すぐそこにはまだ助かる人がいる。
 そこでの判断は想像もできない難しさがあるだろう。
 自分が生き残った場合、先生のおっしゃった「サバイバーギルト– 生き残った者が抱く罪悪感」が残るだろう。
 だが、現実にはそんなことを考えている時間は与えられないのだと分かった。
 その場で思いついた行動をすることしかできないのだと。

 お話の中で、「妻や子のことをふと思い出した」とあった。
 おそらく普段であったら、妻子のことは常に頭の中にあるだろう。
 あの状況の中ではそれすらも忘れさせてしまうことを知った。
 それほどまでに、津波という自然災害に直面したときに、普段の冷静さ、判断力というものが消え去ってしまうことに驚きを覚えた。
 この映像から学んだこと、そして、お二人の言葉から学んだことをしっかり胸に刻み、陸前高田へ訪れたときには、ぜひ挨拶をしたいと思った。

(2) 後半
 後半では人の大切さ、希望について考えることができた。
 生き残った消防団の方々が生存者を助け、避難指定所である体育館へ向かうシーン。
 「生きている人を見つけるとホッとする」
 「ほかにも生存者がいると希望がもてる」。
 消防団の歩いていく道には、亡くなられた方のご遺体がいくつもあっただろう。
 その中には知っている人も大勢・・・。
 それを見てしまえば、「自分たち以外に生存者はいないかもしれない」と思ってしまう。
 そのような中、生存者を発見したときの感情は、“希望”、“安心感”で溢れているだろうと思う。
 市民体育館で生き延びたおばあちゃん。
 一人だけ助かってしまったときの気持ちはどうなのだろう。
 孤独感であふれていたのではまいだろうか。
 その後、肋骨を折りながらも助けを求められたのは、「まだ助けに来てくれる」という希望を持っていたからであろう。
 大坂団長は、親元を訪ね、嫁と娘の安否について聞いた。
 そのお話の中、映像には、仏壇のなかに遺影が映し出されていた。
 それが映るたび大坂団長の気持ちを考えてしまう。
 大切な二人を亡くしながらも、ほかの生存者の救出のために、また消防団の仕事をしなければならない。
 私自身のこれまでの人生、曾祖母の死以外に身近な人を失ったことがない。
 このような映像、お話を聞くたびに、「もし家族が他界してしまったら」と考えさせられる。
 私は結論を導き出すことができない。
 それほどに重い悲しみが降りかかっているのだろう。
 熊谷さんは「消防団はなくてはならないが、自分も市民だ。何が正解か分からない。」とおっしゃった。
 本当にその通りだと思う。自分も一人の一般市民立場にありながら、どうしてわざわざ危険な目にあいに行かなければならないのか。
 しかし、自分たちのような消防団もいなければならない。
 とても難しいことである。
 この考えの答えをだすことはできないと思う。
 これについて考え続け、どのようにすればよいのかを考えていくことも、私たちのゼミで必要なことだと思う。
 前半と後半に分けてみたこの映像から得たもの、考えたものをしっかりもう一度整理し、今後のゼミ活動、自分の人生に役立てたいと思う。



●戸上
(1) 前半
 「半纏の重み」を感じた。
 地域の消防団は職業ではなく、ボランティアである。
 しかし、消防団の方は。命の危険があるとわかっていながら、消防団としての活動を続けていた。
 それは、「陸前高田に生まれた男としての誇りや義務」と考えたからではないかと感じた。
 熊谷さんが「消防署の人が、近所のおばあちゃんを知っているか。知るわけがない。」と言っていた。
 コミュニティの団結の強さが特徴である消防団だが、それが逆に消防団員を動かしてしまったのだと思う。
 大坂さんには淡々と当時の状況を語っておられたが、罪悪感のようなものを強く感じておられる印象を持った。
 大坂さんは指揮を執る立場にあり、指示をするのは当然なことである。
 今回の震災は、誰の予想をも凌駕する津波が襲い、避難所である市民体育館も壊滅した。
 消防団は28人もの死者、行方不明者を出してしまった。
 消防団は究極のボランティアであり、その人たちが命をかける姿に戸惑いを感じた。
 誰かがやらなければならないことではあるが、消防団の在り方を見つめなおすべきだと思う。
 田舎のコミュニティの強さや、消防団としての活動が逆に作用したことが、悔しくてならない。

(2) 後半
 やはり消防団の半纏の重みを感じた。
 消防団は町にはなくてはならない。
 しかし、一般市民の人で構成されている消防団の在り方は非常に難しいものだとつくづく感じさせられた。
 「子どもは消防団には絶対にいれない」と熊谷さんがおっしゃっていた。
 そう思わせるほど、津波は壮絶で、生死をかけた活動なのだと思った。
 しかし、そう思った後でも、消防団の方は生存者の救出活動を続けていた。
 正解はないのだろうが、一人一人が自分の考えのもと動いていたのだと思う。
 私が同じ立場でも、救出に向かっていったと思う。
 地域や町はボランティアに支えられていることを忘れてはならないし、このビデオを見て感じたことを我々の今後の活動に生かしていく、つなげていくことが大切だと思う。
 陸前高田に行った際はぜひ、お話を伺いたいと思う。


●高垣
(1) 前半
 高田の消防団である熊谷氏と大坂氏へのインタビューは、はっとさせられる言葉がありました。
 地元の消防団は「究極のボランティア」。
 消防団になじみのない自分にとっては、消防団が地元コミュニティの最たるものなのだろうと感じました。
 また、震災の日の夜に聞いた「がれきが軋む」という言葉も深く印象に残っています。
 大量のがれきがあるシチュエーションがなかなかありませんし、そのがれきがゆっくりと動いて軋むというのも聞いたことがありませんでした。
 実際にその場面に立ち会ったら、きっと私は恐怖を感じると思います。
 大坂氏は震災の時に起こったことを、落ち着いた様子で語っており、中でも印象に残っているのは、津波が襲い掛かってきているにもかかわらず、一種の静寂感を感じたというところです。津波の規模の大きさとその静寂感との違和感。
 警報の声で腰を抜かした住民の方々もですが、津波をその目で見て腰を抜かした大坂氏の恐怖は計り知れません。
 お二人の話の共通点として、津波を見たときにそれが津波だと瞬時に判断が出来なかったという点です。
 真っ黒い砂嵐に見えたり、壁が迫ってくるように見えたりしたそうです。
 海岸沿いに住まう彼らでさえそう感じるということは、私たちが想像する津波と本物の津波ではかなりのギャップがあるようです。

(2) 後半
 大坂さんは待ち合わせとしていた場所に自分の家族が来ていないことを知り、安否のはっきりとしない中、消防団としての行動に切り替えられたそうです。
 いまだ発見されていない被災者の方もいらっしゃいますが、平時の気持ちに切り替えることは非常に難しいことだと思います。
 大坂さんのように、「理解はできても納得はできない」という方がほとんどでしょう。
 大坂さんがそのことを団員に言えなかったのは、心の内で心配されていても、分団長として団員とともに消防団の仕事をしなければならないという強い意志があったからこそと思います。
 熊谷さんは、心配だった家族の方たちと無事再会でき、「これでこれから何とかやっていける」と安堵したそうですが、熊谷さんと同じような心境で再会を果たせなかった方がたくさんいるのも事実です。
 そのような心境の方が多いなかで復興を始めていくことは非常に辛いことだろうと思います。
 この映像を企画したプロデューサーの意図、その一つは、年月とともに風化していってしまう震災を出来るだけ新しい状態でこの先も残していきたかったということ。もう一つは、ニュースなどで震災の映像が流される機会が減った今、震災がフィクションに感じられる人々に生の映像と生の声を届けたかったのではないでしょうか。
 風化とフィクションという二つのベクトルで、震災の現実味が薄れていくのを防ぎたいという、現地の方々の願いを代弁したかったように感じられました。


●梅川
(1) 前半
 高田分団の2人のお話をDVDでみて、生死の境は本当に僅かなものだと感じた。
 熊谷さんの目の前に妻がいたのにもかかわらず声をかけなかったのは不思議であったが、逃げた後に家族のことを思い出すぐらい“家族よりも住民”という分団員としての責任があるのだと感じた。
 想定を遥かに超える大津波が来たため、日頃から築かれたコミュニティが麻痺してしまったのは致し方ないと思うが、自分がその立場だとしたら、目の前の津波にどう立ち向かええるか、死の恐怖から逃れてしまおうとするのではないかと思う。
 熊谷さんの「妻さえ生きていれば、この先どんなことでもやっていける」という一言は、津波によって全てを奪われた絶望の中での唯一の希望であると感じた。
 大坂さんは、「自らの指示によって、市民体育館に逃げた仲間を死なせてしまった」と思い、生きることを諦めたにもかかわらず、九死に一生を得た本人が最も“サバイバー・ギルト(生き残った人の罪悪感)”を感じていると思った。
 分団長としての責任、家族の大黒柱としての責任を果たせなかった無念さが強いように感じる。


(2) 後半
 大坂分団長が点呼をとった際に、「12人生き残った」と言っていて、28人が亡くなったことを言わなかった。
 生と死を考えた時に、生の望みを切らしてはいけないから後ろを振り返らないようにしたのではないか。
 まだ生きているかもしれない部下のために、亡くなったとは考えたくない気持ちが感じ取られる。
 普通なら絶望で何もできないはずだが、喜怒哀楽を出さずに、気持ちを押し殺して生存者の捜索にあたるところが、分団としての責任以上のものを抱えて動いていたように思う。
 熊谷さんが「息子を消防団(分団)に入れたくない、でも分団はなくてはならない組織であるしサイレンが鳴れば動き、(活動を)やめることはない」と言った。
 それほど分団には思い入れがある。
 仕事ではないし、無給で動き、死の危険に立ち向かうことに対して、息子さんなど下の世代にもその精神、思いを伝えていけるのか。
 大坂さんの「写真ていいなぁ、その瞬間が見える、形に残る」の言葉には、分団長としてではなく写真家としての姿が見られ、とてもいい表情だったと思える。


●西川
(1) 前半
 DVDを見る前のゼミの明るい雰囲気から、DVD初めのメロディーで一気に空気が変わりました。
 今回は実際に津波の被害にあった方たちの話で、私の心にすごく重くのしかかってきました。
 熊谷さんが「まさか自分の家までは津波は来ないだろうと思っていた」や「まだ非難してない人がたくさんいる」など、津波の当日でも、多くの人が、あれほど巨大な大きな津波が来るとは思っていなかったのだなと思いました。
 実際あれほどの津波が来るとは想像できないと思います。
 大阪さんは、津波を「真っ黒い砂嵐」と言っていて、実際に津波を目の当たりにした人の見方は違うのだと思った。
 目の前に津波が来た人の表現にすごく恐怖を感じました。

 共感できる部分もありました。
 熊谷さんも言っていましたが、家族の心配です。「奥さんいれば何とかなると思っていた」。
 DVD後半もしっかり受け止めていきたいと思います。


(2) 後半
 市の指定避難所に逃げるのが当たり前だと思っていました。
 まさかそれが裏目に出るなんて、誰も想像できない。
 市の指定の避難所は市民体育館で、ここに津波が押し寄せた。
 津波は大きな体育館の天井付近までに達して、運よく上の隙間に出られて生還できた方もいる。
 市が指定した避難所で大きな被害が出るのは、とても悲しい。
 が、指定した人間を責めることはできない。
 こんなにも大きな津波が来るなんて誰も考えないと思う。
 しかし、「大きな自然災害は来ないだろう」と思っている人が多数いたからこそ、指定避難所で大きな被害が出たのだと思う。

 「消防団に息子二人は絶対に入れない」。
 熊谷さんの奥さんが言った言葉が印象に残っている。
 自分の息子を危険な目にあわせたくないと思うのは母親として当然だ。
 消防団は職業ではなくボランティア。
 消防団は地域になくてはならない存在。
 さまざまな思いがあると思うが、母親の思いが一番大切だと思う。

 被害にあわれた方たちの話を聞くと、やはりとても胸が重くなる。
 しかし、このような機会を与えてもらわないと、こういった気持ちにもなれない。
 世間は何も知らない。
 今風化しつつある東日本大震災被災者を、私たちの手で、少しでも支援したいと思います。


●深来
(1) 前半
 2年生前期の基礎演習の授業でも1度見たことのある映像で、先の展開もすべてわかっているにもかかわらず、見ていると胸が締め付けられるようなものであった。
 熊谷さんの言葉で、「高田生まれの人間として消防団に入って神輿を担ぐことは義務だと思っていたが、この震災をきっかけにそうは思えなくなった」というのがあった。
 義務、つまり「必ず果たさなければならないこと」とまで思っていたことが、果たすべきなのか考えることになるくらい心への衝撃が大きく、一瞬にして人の心までも変えてしまう津波の恐ろしさをひしひしと感じた。
 大坂さんのインタビューで、これもまた、私の中で引っかかる点があった。
 彼の言葉で、「消防団の半纏を着ている以上、どんなに動きがゆっくりでもおじいちゃんおばあちゃんを抜かして逃げることはできなかった」というのがあった。
 この時、大坂さんはかなり葛藤していたと思う。
 自分の身を守るために目の前のおじいちゃんおばあちゃんを抜かしてでも逃げるのか、あるいは波に飲まれるのを覚悟の上で消防団員の一人として目の前で逃げ遅れているおじいちゃんおばあちゃんを助けるか。
 結局、後者を選び、その後、逃げた背後に津波がやって来たと思いきや、横からやって来た別の波に吸収され、一命を取りとめた。
 この場でこのような言葉を使うのは大変失礼かもしれないが、不幸中の幸いではなかったのではないかと思う。
 この映像を見て、先生がいつもおっしゃる「"絆"という言葉は、被災地のことを考える上で、容易に使用してはいけない」という意味がようやく分かったような気がした。

(2) 後半
 喜怒哀楽を出さないいで、ただひたむきに生存者の救出活動。
 あちらこちらに遺体がある中で、果たして自分の気持ちを押し殺すことなんて出来たのだろうか。
 そのような中で、1人の消防団員が言っていた、無理に明るく振舞うことが彼らの中で精一杯の団員同士の励まし合いであるとともに、気の使い合いだったのではないかと思う。
 団員も各々に家庭があり、その家族を置いてきてまで救助活動にあたる。
 救助活動とは言いつつも、彼らは消防署員ではなく消防団員であって、あくまでも一般市民である。
 言わばボランティア活動である。
 そのボランティアは必要だとわかっているものの、将来、自分の子供には消防団に入れたくないと言う熊谷さんの正解の判断に迷う気持ちは、わたし自身も答えに迷ってしまった。
 大坂さんも熊谷さんも、ともに、津波が来た瞬間、納得できないとはいえ家族は亡くなったことを確信したことをおっしゃっていた。
 我々が想像できないくらい凄まじい光景だったのであろうが、少しでも家族の無事を祈ることはなかったのだろうか。
 そこには消防団員としての覚悟があったのではないかと思った。
 私が住む大阪市にも消防団はあるが、陸前高田消防団と同じような役目が果たせるかと聞かれたら到底そうは思えないのが本音である。
 地域の強い結びつきは、今回は裏目に出てしまった面もあったが、比較的、結びつきの弱い大阪市は、同じような事態が起こってしまった時に、家族を置いて心を殺して救助活動ができるかと疑問に思った。



●江崎
(1) 前半
 熊谷さんと大坂さんの二人の話は、前回、津波映像を見た時とは違ったものを感じた。
 熊谷さんは、昔から消防団員に憧れを持っていて、お祭りではお神輿を担ぐことを考え、そのコミュニティで貢献しようという強い義務を感じているのではないかと思った。
 また、周りの人々とのコミュニケーションを大切にし、仲間意識が強く、コミュニティでのつながりが存在していた。
 このようなつながりは、私の地域ではここまでは強いわけではなく、とても良いことなのではないかと思っていたが、津波が迫ってきているという危機的な状況のときに、自分の命を守るための行動を選ばずに、消防団員としての義務を選ばなければならない状況が生まれるという、「コミュニティの逆機能」について考えさせられた。
 今後震災が起き、このような自分の置かれている立場での義務を果たすべきなのか、それとも一人の人間として、まずは自分の命を大切にしていくべきなのか考えたい。
 今までは、震災や津波について考えたときは、恐ろしさを感じることが多かったが、今回の映像のように、人とのつながり方をはじめとする、ヒトということに関しても考えなければならないと思った。

(2)後半
 改めてこの震災が起きたことで、私たちの身のまわりには、まだまだ考えなければならないことが多く潜んでいるように感じた。
 大坂さんは、妻と娘の死を覚悟し、すぐに自分の役割に全うしようとしていた。
 このような現実の中、他の団員の前では気を遣わせることを懸念して言うことができなかった。
 自分の立場があるがゆえに、他の人に迷惑をかけられないという責任感が生まれてしまっていた。
 また、捜索をしていく中で、多くの遺体に直面したときは、感情を押し殺し、生存者を見つけたときは、ホッとして、他にも生存者がいるはずだと思うことができていた。
 津波への恐怖感を抱いているのにも関わらず、自分の立場や役割を最優先させなければならない環境ができてしまっている。
 もちろん、私たちのような一般市民の安全を守ってくれる警察や消防隊員の存在は必要であるが、今後も震災が起きることを考えれば、それぞれの立場や役割の在り方について向き合わなければならない問題だと思った。


●平井
(1) 前半
 熊谷さんの言葉で特に印象に残っているのは、
「祭りと消防団に入るのは高田の男の義務だと思っていた、けど震災が来て分からなくなった」、
「あいつさえ生きていたらこの先何があってもやっていけるのにな」
という本音です。
 大坂さんの体験した「人の声は一切しない、水の音だけの静寂」とはどんなものだったのでしょうか。
 「生きるのをあきらめた」の一言には、言葉が出ない、何とも言えない気持ちになりました。
 震災が起こった日、その後も、眼の前で起こった現実を受け入れるにはあまりにも失ったものが多く、冷静な心ではいられなかったはずです。
 しかし、証言記録では、熊谷さんも大坂さんも、自分たちの身の回りに起こった出来事や正直な気持ちを冷静に話してくれました。
 プロデューサーは、この証言記録を通して、今回の震災を過去のものにしてはいけないということを伝えたかったのではないでしょうか。
 震災にあった人々のそれぞれの本音や今の心情を感じ取ってほしいという想いでこの記録に取り組んだのだと思います。
 この映像を見て、1回目も2回目も思ったのは、震災を客観的にしか知らない世間は「がんばれ」の言葉で溢れていて、またそれはすべての場面でいい意味では使えないのだということも感じます。
 このような映像を見て、震災にあった方々に対して「がんばれ」とは思わないし、言えません。
 「東北で悲惨な震災・津波被害があった」と、一括りで済ませることは絶対にしてはいけないと思いました。
 熊谷さんや大坂さんのように、同じ仕事人でも震災に対する感情や思いは一人ひとり違うので、そこに目を向けることが大切だと思います。
(2) 後半
 大坂さんが最後に発した「写真って、いいですね」という言葉が後半で特に強く印象に残っています。
 そう言いながら少し嬉しそうに懐かしみ、しかしもう戻れないのだという感情の入り混じった大坂さんの表情が忘れられません。
 「○○の奥さん」
 「○○おばあちゃん」
と、一人ひとりの名前を呟いている大坂さんを見て、この町のコミュニティの深さを思い知りました。
 この大坂さんの奥さんが撮った写真1枚の中に、町の皆さんのコミュニティや、大坂さんの気持ちが生きているのだということが分かりました。
 証言記録の後半部分では、より消防団であることに対しての本音が伝わってきました。
 熊谷さんの奥さんは「息子は絶対に消防団に入れない」と。
 その時にそう思ったのも当然だと思います。
 大坂さんや熊谷さんたち消防団自身も、「消防団はなくてはならない組織である」ということは分かっていながらも、「自分たちも一般市民で、けれども最終的には出動するけどね」という彼らの本音がはっきりと分かりました。
 この証言記録だからこそ、彼らも、生のそのままの気持ちを語ってくださり、私たちも、消防団そして一般市民としての彼らの本音が知れたのかなと思いました。
 「いい町だった、居心地が良かった。」
 そんな町が、町の人々が、彼らの原動力となっているということが分かりました。


●寺岡
(1)前半
 津波で街がのまれていく映像を見るだけでなく、実際に被災した人に話を聞くと、より生々しく、当時の状況がどれほど悲惨だったのかが想像できました。
 熊谷さんと大坂さんは、消防団としてすごく責任感の強い人だと思いました。
 しかし、話しているときはすごく複雑そうな顔をしているように見えました。
 特に大坂さんは、消防団の団長として、震災が起こった日の自分の判断は正しかったのか、と高田町の住民を助けることができなかったことに対して、すごく後悔しているようでした。
 大坂さんのインタビューの背景に仏壇が移っており、遺影が二枚飾ってありました。
 一番大切な家族を失った悲しみは計り知れないものだと思います。
 しかし、震災直後、ほとんどの人がそんなに大きな津波が来るとは思っていなかったんだと思います。
 きっとだれもが、津波が来ても防波堤で止まる、家が壊れることがないだろうと、本当に大きな波がくるまで「やばい」と思わなかったのではないでしょうか。
 熊谷さんにも、何か後悔のようなものがあるように感じました。
 熊谷さんが避難したスーパーで話しているとき、どこか遠くをみて話しているようでした。
 自分の生まれ育った町が破壊されていくのを見るのは本当につらいことだと思います。
 3/11の夜は余震が何度も続き、真っ暗闇の中、波でがれきが動く音だけが鳴り響き不安でしかたなかったと思います。
 住民の7人に1人が亡くなって人口が減り、更地となった高田町に対して、いま私たちには何ができるのか、また現地の人が何を必要としているのかを考えていきたいと思います。

(2)後半
 大坂さんが家族と決めていた避難場所についたとき、そこに避難しているはずの家族がいないと分かった時の衝撃は何とも言えないもので、ずぶ濡れのまま再び家を出たのはそれほど頭が真っ白で動揺していたのだと思います。
 その後も、団員の安否を確認するために集合場所に向かった大阪さんは、本当に責任感の強い人だと思います。
 団員が12人しか集まらなかったのは本当にショックで、団員それぞれが動揺したのではないでしょうか。
 それぞれ、次にいつ津波が来るのだろう、家族は無事なのかという不安が募る中、集合場所に来なかった団員、生存者、それぞれの家族を求めすぐに行動したのは、団員それぞれに守りたい、助けたいという思いがあったからだと思います。
 生存者の捜索中、きっとたくさんの瓦礫と遺体を見たでしょう。
 知り合い、友人、近隣の住民の変わり果てた姿をたくさん目にしたと思います。
 一人の団員が、
「遺体をみても泣かないように、喜怒哀楽しないように、感情を押し殺していた」
と話していたのがすごく印象に残っています。
 言い方が悪くなりますが、遺体一人ひとりと向き合っていちいち悲しんでいたらなかなか前に進めず、助かる命も助けることができなかったかもしれません。
 団員一人ひとりの使命感と責任感、精神の強さが伝わってきました。


●關
(1) 前半
 津波の影響は、モノだけではなく、人の心にも大きな傷を残したように感じた。
 大坂さんは分団長としての責任、救えなかった命への罪意識がすごく感じられた。
 これが「サバイバーズ・ギルト(生き残った者が抱く罪悪感)」だと感じ、この問題のことの重要さ、今でも強く残っているであろうと再認識しました。
 熊谷さんは、消防団のことを「究極のボランティア」と言っていた。
 「究極のボランティア」であるからこそ、団員の被害が拡大したということが熊谷さんの体験談から想像できた。
熊谷さんの「もうダメかもしれない」という言葉。
 「妻さえいればなんとかなったのに」と思ったとき、あの時、車に乗せていればととても後悔したと思います。
 消防団としての責任が、あの時車に乗せることを拒否したのだろう。
 家族としての顔、消防団員としての顔がはっきりと見えました。
 大坂さんの、津波がきた時の表現。
 「モノトーンに見えた」、
 「静寂感があった」
という言葉が響いてきました。
 周りは、人の悲鳴が聞こえているはずなのに聞こえない、聞こえるのは水の音と、モノを壊す音。このギャップが強く印象に残りました。
 
(2) 後半
 大坂さんが、「わたしの責任です」と言っていた。
 この言葉にはすごく重みがあった。
 消防団という、必要で、なくてはならない存在。
 津波の犠牲になった団員。
 「消防団の意味が分からなくなった」と言う熊谷さん。
 自分の責任を強く感じている大坂さん。
 「コミュニティの逆機能」を強く実感した。
 東日本大震災がもたらした人的・物的被害。人への被害は、私が思っていたスケールとは大きく違うことを再認識されました。
 プロデューサーは、地震津波などの「自然」災害のことだけでなく、「ヒト」に注目して震災を見て欲しかったのではないかとおもいました。


●加藤

 消防団員は、たくさんの遺体と対面しなければなりませんでした。
 地域コミュニティの強い陸前高田ですから、知っている顔もたくさんあっただろうと思います。
 そのような中、感情を押し殺すのがどんなに辛かったのか、私には想像ができません。
 消防団員とはいえ一般市民。
 経験したことのない震災と多くの死は、団員たちをどれだけ苦しめたでしょうか。
 市民を守ろうと必死に動いたたくさんの消防団員が犠牲となりました。
 熊谷さんは、「何のために消防団があるのか分からなくなった」とおっしゃっていました。
 市民を助けるためになくなった命が多くあったからだと思います。

 大坂さんは、分団長として多くの一般市民を助けましたが、かけがえのない大切な家族を失いました。
 家族として、死を悲しむことすら許されませんでした。
 消防団とはいったい何なのか、という大きな疑問が私にはあります。
 消防団員も一般市民であり、消防団員の死は一般市民の死なのです。
 消防団という存在は正しかったのでしょうか。
 私は、「コミュニティの逆機能」という言葉を想像しました。
 そして、消防団員たちは、助けられなかった命に対して悔やみ、申し訳ないと感じたと思います。
 市民を助けるための自分の命であるのに、と。
 「サバイバーズ・ギルト」。
 市民からこのような感情が生まれてしまっていいのか、と考えてしまいました。


●藤野
 津波が去った後、家族がどうなっているのか、街の状態がどうなっているのか、大津波警報が出ていてまた津波が来るかもしれない、そういった心細さや不安を抱えながらも救出活動を行った消防団の地域を思う気持ち、繋がりの深さを感じました。
 死体がたくさんある中を感情を押し殺しての捜索。救出活動がいかに壮絶なものだったかということを痛感しました。
 消防団は地域コミュニティの究極のボランティアであり、消防団に入ることは高田の男の使命、なくてはならない組織であるとまで語っていた熊谷さんが、避難所で家族と再会した時、「息子は絶対に消防団に入れない」「入れたくない」そう思ったとおっしゃったのがとても印象に残っています。
 奥さんと娘さんを津波に流された大坂さんが、「津波に流された。想像はできても納得できなかった」とおしゃった時、家族を失った被災者すべての人がそう思っていたのではないかと思いました。

 最後に、奥さんが撮ったお祭りの集合写真を見ながら、「居場所がここにあった」と言った後、写真に写っている一人一人の名前を呼んでいる姿が脳裏に焼きついています。


●前川
(1) 前半
京都は都会だ。
消防団が必要な理由を熊谷さんが語った時にそう感じた。
僕は隣に住んでいる住民を知らない。
マンションの一室に家族で住んでいるのにも関わらず、である。
家族の誰かが隣の住民のことや、他の階層に住む人のことで話すのを聞いたことが無い。
陸前高田では、それを知っているのが当然だと熊谷さんが言うから驚きだ。
人々の結びつきはとても強いと感じた。
京都で災害が起きたらどうなるかは想像しやすい。
 個人が、それぞれの家族なり大切なものを守るために奔走する姿が視える。
 陸前高田ではそうではなく、人を助けるために戻って、そして命を落とした方々が大勢いた。
 「絆の逆作用」なんて、そんな恐ろしい言葉を知らないままでいれたらどれだけよかったかだろうか。
 熊谷さんも大坂さんも、市民を守るために津波が来るギリギリまで避難勧告を呼びかけ続けた。
 きっと怖かったと、その場を想像して震えている。
 これは僕が部外者だから言えることで、実際に体験していない身としては言いにくいことではあるが、言わせてほしい。
 みんながみんな、答えのない問を求めすぎている、と番組の前半部分から感じた。
 過去の指示が正しかったか、
 仲間のこと、危険のことまで考えられなかった、
 本人にとっては確かに大切かもしれない。
 だが、それを考えることは今本当にすべきことなのだろうか。
 違う、と僕は思う。
 結局、私たちは過去の選択の末に立っているのだから、過去に囚われたっていいことなんてありはしない。
 僕の少ない経験から断言したい。
 前半部分は、あの日起きたことが淡々と述べられ、災害がいかに想像を超えたものであったのかを伝えていた。
 見ている間、自分でもよくわからないものがこみ上げてきて悶々としていた。
 後半部分では、これからの復興に向けての明るい話が聞ければと思っている。

(2)後半
 「みんながみんな、答えのない問を求めすぎている」と番組の前半部分から感じた。
 過去の指示が正しかったかどうか、仲間のこと、危険のことを考えられなかったと。
 本人にとっては確かに大切なことかもしれない。
 だが、それを考えることは、今本当にすべきことなのだろうか。
 違う、と僕は思う。
 結局、私たちは、過去の選択の末に立っているのだから、過去に囚われたっていいことなんてありはしない。
 僕は本気でこう思っていたし、くよくよしていることに意味はないと考えていた。
 だが、後半部分を観ていて、僕は正直、泣きそうになった。
 僕がセンチメンタルになったわけでは決してない。
 ただ、圧倒されたのだ。
 「絆の逆作用」という言葉に恐怖を覚えたのが前回。
 「絆の力強さと頼もしさ」に安心したのが今回。
 笑みさえこぼれた。
 集合できた消防団員は、本当に数が少なかった。
 その場にいた全員が、恐怖で身体をうまく動かせなかったのではないだろうか。
 その時の状況を想像した。
 真っ暗な闇の中で彼らが持っていたのは、これから向かう地に助けるべき生きている人がいる、という希望だった。
 助けたいという気持ちと不安な気持ちがごちゃごちゃになって彼らを襲っていた。
 「不安な気持ちを拭うために行動していた」とまで言っていた団員もいた。
 当時の状況は、言うところの「死に包まれた町」だったと思う。
 そんな中に、己の危険を顧みずに飛び込んでいく団員達が持っていた「助けたい」という思いは、絆の強さそのものだったように感じた。
 僕はどうしようもなく安心した気持ちになった。
 最後に、大阪さんが、「いい町でした。私には住みやすかった」と、すべて過去形になっていて、とても悲痛な響きだった。
 僕は、「ここはやっぱりいい町だな」って思ってもらえるように、復興支援に取り組みたい。


●中村
(1) 前半
 先生が言われていた「助かった人達が罪の意識を感じている」ということがとても伝わってきました。
 消防団長の方は、特に、団員としての責任、団長としての責任、そして1人の人間としての自分の命、といったように、津波の際に、とてつもない葛藤があったことが目に見えるようでした。
 前回に見たビデオで、地震が起こった瞬間の映像を見たとき、人の叫び声や「助けて」という声が全く聞こえなかったので、わざと消されているのかなと思っていましたが、実際はそうではなく、建物が壊れる音や流れる津波の音がすごくて、そのような叫び声などが聞こえなかったことに、震災の凄まじさを改めて実感しました。
 実際に、津波の被害にあわれた方の声を、このようにしっかりと聞いたことが初めてだったので、今まで思っていた以上に震災の恐ろしさが伝わり、胸がぎゅっとなりました。
 私たちは2月に実際に現地に行きます。
 私は、被災された方と会うこと、そしてお話することが初めてです。
 どのような表情でお話を聞いたり、どのように接したらよいのか正直わかりません。
 私の今のメンタルでは、お話を聞いて、泣いてしまう気がしています。
 しかし、私は、現地に行き少しでも被災された方々に元気になってもらいたいという思いがあるので、これから実際に現地に行く2月までに、ゼミを通してしっかりと震災について学び、自分のできることを現地で精一杯できるよう努力していきたいと思います。

(2) 後半
 私が一番印象に残っている言葉は、消防団長である大坂さんの「死んだのだろうなと、想像はできても、納得はできない」という言葉でした。
 この言葉から、家族の死を受け入れれない、そして受け入れたくないという大坂さんの思いがとても伝わってきました。
 そのような中で、消防団の団長として、団員の前では辛い素振りを見せず、団員に指示をだし、生存者の救出を行った大坂さんに感動しました。
 大坂さんは、「家族の納骨ができたので、まだ幸せなほうだ」と言っておられ、家族を亡くされたにも関わらず、「まだ幸せなほうだ」と言われていることに、津波の威力を思い知らされました。
 団員の方の中には、「町の状況、家族の安否、団員の安否がわからないまま、生存者の救出にあたり、その中で多くの遺体と対面し、感情を押し殺した」と言っておられた方もいました。
 この場面を想像しただけでも、胸がいっぱいになり、心が痛み、団員の皆さんのことを考えると、なんともいえない気持ちになりました。
 最後に、大坂団長が、記念写真を見ながら、亡くなられた方々の名前を読み上げておられる姿に、この震災でどれだけの命が奪われてしまったのかという現実がぐっと押し寄せてきました。
 日々が過ぎてゆくにつれて、東日本大震災が起こったという事実が記憶から薄れていってしまっていた自分に腹が立ち、情けない気持ちになりました。
 現地の風景は、がれきなどが片付けられ、日々きれいになっているとは思います 
 が、被災された方々の心の傷は時間が経っても癒えることは難しいことが、このビデオを見て改めて実感しました。
 現地に実際に行った際には、簡単なことではありませんが、被災された方々の心の面で何か自分にできることを精一杯やりたいと思いました。


●横田
(1) 前半
 映像を見るのは二回目でしたが、キーワードでの一つである「コミュニティ」を考えながら見ていました。
 消防団は、私の住んでいる地域でもありますが、地域の人で構成されています。
 そこで熊谷さんが、消防団について「地域の究極のボランティア活動であり、なくてはならないもの」とおっしゃられたのですが、中でも、「家族構成が分かる」とおっしゃられていて、心の中で、その通りだと感じました。
 私の住んでいる地域にも消防団があり、消防団の方も、どこの家にどんな人が住んでいるかなど必ず知っていると思います。
 避難誘導の際に、あそこの人が居ないと分かると、助けに行き、どちらも命を落とされた方もたくさん居られると聞きました。
 分団長の大坂さんは、はんてんを着ているからには逃げることはないと言われていました。
 そのような思いを抱かせる消防団とは、地域の人は消防団を頼りにしていると思うし、消防団の方もそのような思いを感じていたと思います。
 普段から、祭りなどで地域内での団結ができているためにそれが逆に機能してしまったのこと感じます。
 私もとても田舎に住んでいて、大学を卒業すると、おそらく消防団に入ることになると思います。
 なので、消防団の有無とかではなく、そういった「逆機能」に至ってしまったことは、とても難しい問題だと感じました。

(2) 後半
 今回の映像は、前半に見た時と同じ感情を持ちました。
 今まで自分自身がイメージしていたような、「助かって良かった」という感情が大坂さん、熊谷さんにも見られた一方で、「あの時あのような行動をとっていれば」とか、「あの時に・・・すれば」といったことも言われていました。
 分団長の大坂さんは、家族を津波で亡くされています。
 大坂さんの気持ちを考えると、言葉が出ません。
 しかし、大坂さんは、分団長であるために、命を落とされた団員の責任は自分にある、と言われていました。
 確かにトップが責任を負うのは社会でもよく見られることですが、今回のケースは、違うのではないかと思います。
 このような想いを一般市民の方々がしなければいけないのか。
 消防団は本当に必要なのか。
 熊谷さんは、消防団に息子は入れたくない、あの経験をしてしまったから、自分ももうやりたくない、とも言われていましたが、映像の終わりに、仮設住宅の熊谷家の入口には、消防団のはんてんが掛けてありました。
 それを見ると、自分の考え方は、間違っているのだろうかと思いました。


●山縣
(1) 前半
 生き残った人には生き残った人の辛さや苦しみがあり、津波から3年と8ヶ月経った現在でも、その時の恐怖や不安や後悔は残り続けているのだろうなと感じました。 熊谷さんや大坂さんの表情やリアルな話、ぼろぼろになった写真、閑散とした景色、映像の中にあった何もかもが私の胸を締めつけるようでした。
 熊谷さんの涙ぐんだ面持ちと大坂さんの「判断が正しかったのか」という言葉が特に印象に残っています。
 消防団員である熊谷さんと分団長の大坂さんが、その活動にどれほど誇りを持っていたのかは、私もしっかりと感じ取ることができました。
 誇りを持っていたからこそ津波が起こったときに必死の行動ができたのだと思います。
 今回見た映像からは、「津波の恐ろしさ」というよりも、震災後の「陸前高田の悲しみ」というものが強く伝わってきました。
 津波が、環境だけでなく、多くの人の心にも残した傷跡がどれほど大きく深いものなのか。
 それは私の想像を上回るものだと思います。
 その悲しみにどのように向き合い接すればよいのかを考えていくことが、今後の私自身の課題であるとひしひしと感じました。

(2)後半
 私にはとても辛い映像でした。
 身近な人が一気に何人も亡くなってしまうという悲しみや、そんな中、感情を押し殺し、逆に明るく振舞いながら救助活動をするという苦しみは想像を絶するものだと思います。
 消防団の方々の言葉や表情は、私の心に重く突き刺さるようでした。
 その中でも特に「助かってくれて助かった」、「納骨することができて幸せ」という言葉が印象に残っています。
 おそらく、平和の中で暮らすうちは感じることがないであろうこの言葉で、私の中の津波に対するイメージは、よりリアルに、鮮烈になったように感じました。
 また、「息子は消防団に入れない」という熊谷さんの言葉がありましたが、私はそう思って当然だと感じました。
 私の地元にも消防団がありますから、そこで活動することがどれだけ誇らしく、人々の信頼に繋がるかということはよくわかります。
 ですが、やはり、この津波のときのように、万一の事態が起これば、死と隣り合わせになってしまう。
 自分の命と、コミュニティ内の人の命を天秤にかけなければならない時もあると思いますし、心身共にひどく傷つけられてしまうかもしれない。
 人命救助の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
 市の指定避難場所すら被害に遭ってしまったということも、とても恐ろしかったです。
 最悪の場合を想定することが大切だということはもちろんわかりますが、自然は想定した最悪よりも大きな被害を出すかも知れない。
 そのことを常に肝に銘じておかなければと感じました。


●谷
(1)前半
 震災後の問題として、一番に「瓦礫」の問題に目が行きがちであるが、このDVDはそうではなく、目を向けるべきは「ひと」であることを伝えてるように思います。
 熊谷さんや大坂さんの証言をもとに、人の声を聞き、いろいろ考えることがありました。
 田舎出身の僕は、家族や地域のつながりに対して強い思いをもっています。
 熊谷さんや大坂さんの言葉には、家族や地域のつながりをとても感じたので、この声に向き合わなければと思います。
 二人ともが語る「消防団」には多くのコトがありました。
 熊谷さんが語る消防団とは、一番末端のコミュニティ組織で究極のボランティアというもので、なぜそこまで?と聞かれれば、「消防署の人が、うちの隣のばあさんを知っているか?」とおっしゃられました。
 「消防団は高田の男の義務だ」とされていましたが、今回の津波のことで、それがわからなくなったとも話しておられ、それだけの大きなコトが起きたのだと感じました。
 大坂さんは、分団長として懸命に現場を指揮されましたが、自身も津波の威力に腰が抜け、「生きるってことを諦めた」と話されていて、さらに28人の団員の命を助けられなかったことを、「責任をとる」と、とても自分を責めておられました。
 あのような状況の中で、なにが正解でどうするべきかなどわかるはずはないと思います。
 ただ、僕であれば何もできなかったであろうし、考えることも困難であると思う。 お二人の行動、言葉は、その日を語る大きな意味があると思いました。

(2)後半
 大坂さんは、ずっとずぶ濡れで寒かったと話されていました。
 その中で奥さんと娘さんを必死に探したが、死んだかもしれないという絶望を感じながらも、分団長として、また屯所に戻られました。
 この体験、言葉は、津波の恐怖とリンクして、さらに事の重さを感じました。
 想像を超える瓦礫の山を前に、消防団は町へ生存者の確認をされましたが、津波警報や、消防署の指示がない状態での活動は、何を思い、どんな気持ちであったかは計り知れないことだと思いました。
 多くの遺体を見ることになり、「感情を押し殺して」活動されていましたが、その中にいた生存者には「ほっとした」と、とても極限の状態で作業をされていたのだと、その活動に思うことが多くありました。
 彼らの活動から思うと、消防団はなくてはならない組織であるが、一般市民である自分たちが消防団である意味は正直わからないことだと、人として家族を守りたい気持ちと、消防団としての市民を守る義務の二つを、緊急時には判断が難しい。
 日ごろからの対策・連携が必要だと思いました。