『震災トラウマと復興ストレス』・『アダム・スミス』・陸前高田

 3回生ゼミでは、12月3日開催の経済学部ゼミ研究報告会に向けて、
1) 宮地尚子『震災トラウマと復興ストレス』(岩波ブックレット)、
2) アダム・スミス道徳感情論』(日経BP)、堂目卓生アダム・スミス』(中公新書)、
そして、
3) これまでの陸前高田ゼミ合宿で被災者のお話を聞く中で、何を考え、何を学んできたのか、
の3つの接点を探っています。
 
震災トラウマと復興ストレス (岩波ブックレット)  トラウマ (岩波新書)

日経BPクラシックス 道徳感情論  アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
アダム・スミス道徳感情論』についてはこちらのブログ記事も参照。

 この3つの「接点」は、私自身にとってもかなり難問です。

 いま、私たちは、以下のように問いを立てています。


 被災地から遠く離れた地に住む私たちは、心の中に闇を抱えた被災者一人ひとりに「共感」し続けることができるのか

 宮地氏が指摘しているように、被災者が抱くトラウマ感情は、本人が言葉にすることがとても難しいので、他者が「共感」することも、やはりとても難しい。

 しかし、声をあげることのできる被災者や、支援者までもが口をつぐんでしまえば、声をあげることのできない被災者の苦しみ・悲しみは「不可視化」され、沈黙の中に埋もれていってしまいます。

 今後、仮設住宅から出ていく人が少しずつ増えていくと、このような「不可視化」は少しずつ進んでいくかもしれません。

 「不可視化」が進むと、自らが責任を問われるいわれのない津波災害が原因であるにもかかわらず、そのこと自体も忘れさられ、「いつまで学校のグランドに居続けるのか/子供たちが可哀そうだ」、「自助努力が足りないのでは/甘えているのでは」などといった歪められた議論が起こってくるかもしれません。

 そんな最悪の事態に陥らないように、自分ができること、「可視化」(=問題化)し続けること、関心を持ち続けることを精一杯やりたいと思っています。


 とはいえ、震災後、3年8か月という年月が経ち、その間、自然災害が日本全国で頻繁に発生することに驚き、また、南海トラフの被害想定の大きさに驚きつつ、さらに、「被災者」という言葉が必ずしも東北3県の方々のことを指していない周囲の状況を目の当たりにし、かといって東北3県の復興はちっとも進んでいない現地の状況も目の当たりにしてきて、このあたりで一度、
 「自分達が陸前高田被災者たちから学んできたことは何か」、
 「『人類愛』『慈恵心』『慈悲の心』のような崇高で利他的な徳を持つわけでもない、精神科医のような『心のケア』や治療ができるわけでもない、被災地に利害関係を持つわけでもない、毎月被災地に通えるわけでもない、フツーな私たちは、今後どのように考えていけばよいのか」
を、理論的に整理したいと思っています。(支援する側も、「ボランティア」「つながる」「笑顔に」「寄り添う」「関心の輪」「自分の専門性をいかす」「課題先進地」などといった、漠然とした抽象的な言葉では、内部の意思疎通が難しくなっているのではないかと危惧しています。他方で、ふわっとした言葉にしないと外部への広がりをもたないというジレンマもあります)

 その第一歩が、「遠く離れた地に住む私たちは、心の中に『闇』を抱えた被災者一人ひとりに『共感』し続けることができるのか」という問題を考えることだと思っています。

 まだ、その答えはなかなか見えてきません。

 しかし、下の宮地氏の言葉、とりわけ、
「人間の存在自体の脆弱性への認識」→「他者への寛容さ、優しさ」→「人間の復元力への信頼・尊重」
というループが、この難問に対する手がかりとなり、私たちに、東北へ向かい続ける勇気とチカラを与えてくれるような気がしています。

 
 「トラウマはたくさんのことを教えてくれます。まず第1に、人間の弱さと不完全さを認識させてくれるということです。圧倒的な外力に対して、『同じ人間として』『人が傷つくのは同じ』という事実は、何があろうと揺らぎません。たとえ個人の気質や体力の差や、周囲の反応や使える資源によって、傷からの回復の程度が実際には変わるとしても、人間の存在自体の脆弱性(ヴァルネラビリティ)は、誰もが共通して持つものです。
 ・・・・・・人間には、一人では生きられないにもかかわらず、一人であるという弱さもあります。私たちの身体は共有不可能です。『誰かの身になってみる』ことは、本当の意味ではできません。痛みに苦しむ人から、痛みを分けてもらうすべはありません。自分が苦悩に耐えているときも、それを誰かに預けることはできません。そんな孤独な存在でありつつ、人間は根本的に社会的な存在であり、誰かとのつながりなしには育ちもせず生きてもいけません。そして、そのつながり、関係性の中で傷つけあってしまうという弱さもあります。
 人間は皆、不完全です。弱さだけでなく、愚かさや身勝手さを抱えています。そもそも、人は皆、人生の初心者です。
 ・・・・・・こういった弱さや不完全さの認識は、自然や宇宙に対しての謙虚さ、他者への寛容さ、優しさ、ひいては平和な社会への希求にもつながりうるはずです。
 第2に、トラウマは、人間の持つ復元力(レジリエンス)への信頼と尊重をも学ばせてくれます。レジリエンスとは、苦難を跳ね返していく力、つらい経験をしながらも前向きに生きて行く力、困難を適切に切り抜け、乗り越えるような力です。」
(宮地尚子『トラウマ』岩波新書、2013年、pp.224-226)

 「人間の存在自体の脆弱性」は、私たちにはどうすることもできないけれど、それを「認識」する努力を重ねることによって、被災者一人ひとりに対して「寛容さ、優しさ」を持つことはできるし、それは、被災者一人ひとりの「復元力」を「信頼」し「尊重」することにつながるのではないか。


【追記】
 3回生の皆さん、下の本、一度、読んでみるとよいと思います。発表会の前に出版されていれば....(笑)。