神戸新聞「阪神・淡路大震災20年 こころの復興とは」(7)

神戸新聞の連載記事です。
 「阪神・淡路大震災後、被災者の心はどのような軌跡をたどったのか。震災を機に広まった『心のケア』は成熟したのか。20年の歩みを追った。」
こちらです。


 震災20年 次代へ 第7部 こころの復興とは (7)
 それぞれの曲線 生きる意味を探る過程

 京都大学防災研究所の特定研究員、宮本匠(30)が被災者に「復興曲線」を描いてもらう試みを始めたのは、2008年のことだ。04年に発生した新潟県中越地震被災地だった。
 集落に入り込み、一人一人に体験を聞いてきたが、その内容だけで他の研究者に復興過程を説明することは難しい。一方、多数のアンケートでは個々の体験が埋もれてしまう。そこで考えたのが、グラフのような曲線で示す方法だった。
 阪神・淡路、東日本大震災被災者にも同じ手法で話を聞き、宮本は「復興過程の多様さ」をあらためて実感する。
 「同じ出来事でも、人によってプラスと感じることもあれば、マイナスと感じることもある」
 十三回忌を「一区切り」と捉える遺族もいれば、「余計につらくなった」という遺族もいる。住宅再建は多くの場合、前向きになる転機だが、安堵感からか、途端に体調を崩す人も少なくない。
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 阪神・淡路からの20年はどんな線になるのか。
 神戸市長田区の元そば店経営、Y(59)が描く復興曲線は、震災直後と17年後の2012年に大きく落ち込む。
 震災で新築の自宅兼店舗が半焼。近くの義父母宅は全壊し、義母=当時(66)=が亡くなった。再開した店を区画整理で建て替えざるを得なかったが、商売は軌道に乗り、初孫の誕生などうれしい出来事も続いた。
 ところが2年前、夫のT(63)が脳梗塞で突然倒れ、右半身にまひが残った。「老後の生活を考えようとしていた矢先。震災直後よりきつかった」とY。夫婦でリハビリに励む今、曲線は再び上向く。「私たちは生きているから頑張れる。震災で亡くなった人はそれすらできない」
 神戸市兵庫区の元飲食店経営、M(64)の場合、曲線は震災8年後から下降に転じる。
 震災で自宅兼店舗が全壊。父=当時(75)=と義父=当時(83)=を関連死で相次いで亡くした。2年後に商売を再開したが、03年、大腸がんが見つかった。ローン完済まで2年残っていた。
 再発を繰り返し、店も休みがちになった。ここ7〜8年の曲線は、低い位置で平らに伸びる。
 「どん底までいったから怖いものはない。頑張るのではなく、病気を受け入れるという気持ち」。今年、廃業届の提出という区切りを付けた。
 
 「曲線が示すのは、その人が人生の中で震災をどう意味づけるか、ということ」と宮本は話す。
 被災者は多くのものを連鎖的に失う。住まいや仕事を失えば、人間関係の喪失につながる。被災後に健康を損ねる人も多い。そんな状況の中でも、人は新たな出会いや役割を通し、「生きている意味」を見いだす。
 「その意味を見いだせない人は、なかなか線にならない」と宮本。線の形はどうあれ、それを描き、人生を言葉にできること自体が重要という。
 一人一人の曲線はこれからも続く。20年を経て、ようやく描ける人もいる。こころの復興は命ある限り、終わることはない。=敬称略=(磯辺康子)
 (出所) 神戸新聞2014年12月27日付 朝刊1面