陸前高田合宿から戻りました。

 2月9日〜12日、2回生のゼミ生21名が岩手県陸前高田市でゼミ合宿を行いました。
 うち20名は、初めて陸前高田を訪れる学生です(1名はなんと3度目!)。

 仙台から高速バスで陸前高田到着後、いきなり猛吹雪と寒さの大歓迎 !
 まずは、市の観光協会さんに「今日からお世話になります」とご挨拶。
 すると、ある学生の荷物を高速バスのトランクから取り出し忘れるというハプニングがいきなり発生。
 早速、観光協会の皆さんに対処方法を教えていただき、BRTに乗って盛の岩手県交通の営業所へ向かいます。
 別行動・第1号。

 
 その後、高田一中仮設にご挨拶に行く班、鶴亀鮨さんに手巻き寿司の打合せに行く班、マイヤ買い出し班とに分かれて、いざ行動開始 !
 全員、市役所から徒歩。(BRT竹駒駅からマイヤに戻る道は大人数で歩きにくく、トラック通行量も多く危ない。市役所からの道は歩道が広い)

 が、路面凍結でツルツル滑ります。
 道中、身の危険を感じた学生たちは、長靴を購入。

 高田一中組は、あの急な坂の上り下りに四苦八苦。地元の軽自動車も下り坂で立ち往生していました(一中の生徒さんたちは「この砂をタイヤの下に敷いてくださいっ !」と手伝ってました。エライっ!)。

 「これからどうなることやら」
 不安がよぎりました。

  以下、速報いたします。
仮設住宅班】

 高田一中仮設の皆さん、大変お世話になりました !
 ありがとうございました !

《10日 火》

 10日朝、9時前に集会場に到着し、まずは一緒にラジオ体操。
 前日の吹雪がウソのようです。

 

 クッキーも元気そうでした !


 手巻き寿司パーティ。
 今回も鶴亀鮨さんにご協力をいただき、おかげさまで大盛況 !


 バレンタインデーが近いので、チョコづくり教室。



 AKB48恋するフォーチュンクッキー」にチャレンジ !
まずは学生がお手本を。
 最初は、
「オラにはムリだ。高みの見物だ」
と、皆さん、ネガティブな発言をしておられましたが....。


 10分も経つと、もうノリノリです(笑)。



 上半身だけでも踊れるように工夫をしました。「わき わき !」


 「おにぎり〜、おにぎり〜」


 「つ〜え(杖)、つ〜え」


 お疲れ様でした !


 みんな踊れるのか、かえって自信喪失させてしまわないか...と不安でした。
 が、ダンスの本質的な部分を抽出して簡略化し、さらに、「おにぎり」「杖」「ウフッ わきわき」「右、左、左」など、動作系の言葉に置き換えた替え歌を作り、それを何度か繰り返して覚えてもらえば、年配の方でも充分AKBを踊れることがよくわかりました。(歌詞を覚えなくても踊れるというのは「恋チュン」の長所ですね。秋元康氏の戦略なのか?)
 もちろん、大勢の若者が、年配者と同じ向きで、間に入ってモデルになったり、「はい、次、右いきますよ〜」などと事前の声掛けをしてあげることも大切です。

 高田一中仮設の「踊りの会」メンバーもそうですが、陸前高田には民謡や日舞の素養のある方が多いので、ちょっと工夫をするだけで上達は速いです !
 ぜひ、お孫さんに、「じつは、おばあちゃんもエーケービー踊れるのよ〜」と自慢していただきたいです !
 シンガポール国民からの支援でもうすぐ完成するコミュニティホールでも、みんなで踊って披露してください !


《11日 月命日》

 本日もラジオ体操から始まります。


 餅つき大会。
 TV局の取材については、末尾に書きます。

 餅つき大会は、仮設団地自治会の皆さんと協働して行いました。
 

 臼、杵、蒸籠、そしてガスも、すべて自治会の皆さんに準備していただきました !
 皆さんの割烹着姿を見ると、自治会の班長会議で事前に話し合ってくださっていたのだとヒシヒシ感じました。

 ついたお餅で京風のお雑煮もつくりました。キナコやアンコ餅も。


 「今夜、鈴木旅館で食べなさい」と、22人分のオニギリも握って持たせてくれました。
 こちらがボランティアされているような気分....。

 

 子どもたちとチョコづくり。


 おばあちゃんたちとチョコづくり。



 一人暮らし世帯を訪問し、直接チョコを手渡しに行きます。
 このような居室訪問活動は難易度がかなり高いので、まずは、伊達ゼミの催しに毎回必ず顔を出してくださる方から訪ねていきます。方言や話題などの感じをつかみます。


 仮設住宅からの引っ越しのお手伝いです。窓ふきをしています。
 引っ越しや掃除のボランティアに対するニーズは、現時点では、この仮設団地では少ないようですが、シルバー人材センターに頼むとお金がかかるので、必要とされているのかもしれません。
 が、震災からもうすぐ4年。「応急仮設住宅」の使用年数もかなり長期化して、床や壁、アコーデオン・カーテン、レンジ周りなども相当に傷んでいるので、「仮設の中は絶対に人に見せたくない」という方も多いそうです。
 市のボランティアセンターに仲介していただいて、引っ越しや掃除を望んでいるお宅を訪ねていくことは可能かもしれません。


 子どもたちと縄跳びで遊んでいます。
 みんなで遊ぶとゲームより楽しいようです。


 そして14時46分。
 集会場の中で、皆さんと静かに黙祷をしました。


 高田一中の坂の下にある仮設グラウンド。野球部が練習していました。

 合宿で毎回お世話になっていた大石沖のファミマも、嵩上げ対象区域になっており、15日に閉店するそうです。
 「このあたりに1軒コンビニがあってよいとは思うんですが...」と従業員の方が残念そうにおっしゃっていました。



【漁業班】

 長部漁港にて。



 エゾイシカゲ貝 ! まるまると順調に育っています。
 ただし、今度の夏に出荷されるエゾイシカゲ貝は、稚貝があまり採れなかった年のものなので、「今度9月に来た時には、もう全量、出荷し終わっているかもしれないよ」とおっしゃっていました。



 今回は、牡蠣の作業を中心にお手伝いさせていただきました。
いったい何の作業なのかは、今後、このブログに掲載予定の漁業班のレポートをお楽しみに !








 薪ストーブで牡蠣ざんまい。
 なんて豪華でダイナミックな昼食なんでしょう !

まさに広田湾の海の幸 !

 いただきま〜す !



【合宿を終えて】

 「忘れないで来てくれるだけで、とってもうれしいのよ〜」。

  この言葉がとても嬉しくて嬉しくて涙が出そうになる反面、「忘れられている」「取り残されている」と日々感じておられるのかなと思うと、悲しい言葉のようにも聞こえるようになりました。

 たった年2〜3回にすぎないけれども、仮設の皆さんに気遣いと迷惑をたくさんおかけしてでも、「○○子さん、また来ましたよ !」とファーストネームで、学生たちの笑顔と元気とを、ただひたすら、届け続けていくことも大切な活動なのかな、とも考えました。

 あの日から3年と11か月。
 2011年9月にゼミ学生たちと初めてこの高田一中仮設住宅に訪れてから、もう3年半。ゼミとしては8回目の訪問になります。



 「被災者を元気づけようと思って来たのに、逆にこちらが元気をもらった !」
 2011年、学生達がそろって口にしていた言葉。
 もはや、こういう言葉ではほとんど何も言い表せないほど、被災者が抱えている現実は複雑になりました。
 それだけ長い時間が経ったのだと感じました。

 私利私欲なしに無心で被災者に寄り添おうと活動した若い学生達の率直な感想を否定しているのではありません。「逆に元気をもらう」はボランティアやケアの基本の一つです。

 ただ、「ボランティアで笑顔になる被災者」や「ボランティアに感謝する被災者」「かえって元気をもらうボランティア」という平時の言葉で被災者を語ることはできないほど、「時間が経ちすぎた」ことが悲しいのです。

 法令では、応急仮設住宅の供用期間は2年と定められています(法的手続きを経て延長措置が取られてはいますが)。
 約4年も経った「応急仮設住宅」は、もはや「応急」とは言えません。

 何度も仮設住宅に足を運んでいること自体「異常」な現象だ、と捉える視点が重要だと私は感じています。
 震災後にいただいた高田一中仮設の皆さんとの御縁は、言葉では言い尽くせないほど、とてもとても有難いことであり感謝しておりますが、誤解を恐れずに、あえて、この「異常さ」を強調したいと思います。

 皆さんとは、新居で再会したいです。

 子どもたちとは、広い遊び場で遊びたいです。




 漁業班は、漁師さんに送っていただいたので、この巨大ベルトコンベアや奇跡の一本松をはじめ浸水地の状況を近くで見てきましたが、仮設住宅班は、見ることができませんでした。ちょっと残念そうな顔をしていました。
 私自身は、
被災者が『あの日のことを思い出すから行かない』と言っているような場所に『行きたい』と思うほうがどうかしてる」
「その場所でみんなでピースサインで記念写真を撮りそれをフェイスブックにあげたら、被災者はどう思うか」
仮設住宅で直接うかがうお話のほうが何千倍も重要だ」
などと言ってはきたのですが、それにしても、昨年、かさ上げ工事が始まって以降、外部の人間が、喪われた命のこと、津波の恐ろしさを少しでも想像できるような場所が高田にほとんどなくなってしまったように思います。
 以前は、高田一中仮設の建つ高台の裏手から、市街地や海を一望し、海と市街地との近さを感じることができたのですが、立ち入り禁止になってしまいました。

 かつて人びとが生活を営んでいた場所、津波で多くの命が喪われた場所、ご遺族が献花をされていた場所も、今では、土の下になってしまいました。

 今回は、「みんなの家」の屋上から市街地を眺めてみましたが、やはり、嵩上げ工事の様子と巨大ベルトコンベアしか見えませんでした。
 また、私が説明すると、どうしても、「あの山を削って宅地を造成し、工事で出た土をベルトコンベアで浸水した市街地に運んで、そこを10メートル以上も嵩上げをし、商店街をつくる」だとか、「しかし、住民の多くは高台に住む予定なのだが.....」、「嵩上げ市街地の中に住宅再建予定地はあるが希望者が....」云々といった、震災後に策定された「復興計画の難しさ」にまつわる土建的な話になってしまい、とても複雑な話になってしまいます。
 亡くなられた方々のこと、生き残った方々のお気持ちを伝えることができません。
 (次回は、30人乗りバスを用意して観光協会の語り部さんにお願いしてみようか、とも考え始めました。ただ、それはそれで、バス代もかなり高騰しているため、お金と時間が必要になり、大ごとなのですが。)




 仮設住宅でのTV局の取材は、もちろん私達ではなく、「災害公営住宅(昨年度までに190戸分が完成)入居者募集に空きが出ているのは何故か」に関する取材でした。
 東京からいらしたディレクターも、丁寧に取材をされていました。
 陸前高田では災害公営住宅の建設は遅れていますが、今後、たとえ進んでいったとしても存在し続ける問題です。

 ディレクターのお話を伺って、私自身は、「住民の選り好みや努力不足の問題ではなく、今の被災地の住民が共通して直面している深刻な経済的問題であり、日本社会の縮図=貧困の問題そのものだ」と感じました。
 2004年12月のスマトラ沖大地震インド洋津波災害の際、スリランカで語られていた言葉を思い出しました。
 津波は貧しき人に襲いかかる。

 この言葉は東日本大震災被災地でも当てはまります。
報道関係者の方々には、ぜひ、被災地の生の声を東京の政治家、官僚たちに届けていただきたいです。
 ゼミでも研究していきたいと思います。この問題は、被災者一人ひとりが価値を置く人生、そして喪失感にも深く関わっています。
 おカネと心とが複雑に絡み合い、一人ひとり違う難しい問題です。
 「失業率」や「生活保護受給世帯数」などの政府統計だけでは捉えにくい問題です。研究の方法も大きな課題となります。

 陸前高田では、家や土地という、個々の庶民が持つことのできる「資産(ストック)」が津波で奪われ、「所得(フロー)」の低さが顕在化し、被災者に襲いかかっているのではないでしょうか。
 一人暮らしの高齢者の年金は、いくらでしょうか。
 そのわずかな年金の中から、光熱水費、医療費、病院に通うための交通費は出せるのでしょうか。

 震災前は、「所得」の価値の低さを、先祖が代々残してくれた「資産」の価値でなんとかカバーしていたのではないでしょうか。
 例えば漁業者であれば、家・土地・船などの「資産」に加えて、海・山・川の「自然資産」からの「贈り物」(漁獲物、フロー)でカバーしていたのではないでしょうか。
 それら「資産」がすべて津波で流されてしまいました。

 「自然」は、津波という形をとり、人間に猛威をふるい、多くの命を奪いとっていきました。

 他方で、「自然」は、人間に「恵み」を与え続けている「資産」であることもまた事実です。流されてしまわなかった唯一の資産が「自然」。「自然」は自己回復力をもっています。
 ここに、陸前高田市の経済社会の「希望」を見出していきたいです。
 もう一度、漁業班の学生たちが撮影してきた「薪ストーブと牡蠣」の昼食の写真をじっくりご覧ください。都会の人間が羨むような「豊か」で「贅沢」な昼食ではありませんか。


【参考】陸前高田市の市町村民所得
 市町村民所得は、かなり粗い統計ですが、市の経済の全体像を「所得(フロー)」面からおおまかに掴むことができます。GNP(国民総生産)や国民所得の市町村版です。GNPやGDP(国内総生産)では「人間の真の豊かさ」は計れませんし、GDPの成長を自己目的化してはならないことは当然ですが、GDPが減少し失業者が増大すると(男性の)自殺者が増えるのもまた事実です。
 さて、2012年度の陸前高田市の市町村民所得は417億円です。市町村民所得の内訳は、雇用者報酬、財産所得、企業所得ですが、同市の構成比(%)は、雇用者報酬61%、財産所得3%、企業所得36%です。
 就業人口が大きくなると市町村民所得も大きくなるので、通常、他の市町村との比較をする場合には、人口数で割って、「人口1人あたり市町村民所得」を見ます。
 2012年度の陸前高田市の「人口1人あたり市町村民所得」は212万円です。


 2010年度(左)と2012年度(右) 陸前高田市の人口1人あたりの市町村民所得(単位:千円)

(注)大槌町の市町村民所得は2012年度に減少しており、とても心配です。
(出所) 岩手県「市町村民所得推計」平成22年度、24年度(平成27年1月17日公表)


 震災後の2012年度、陸前高田市の「人口1人あたりの市町村民所得」は、2010年度に比べて確かに増大し、市町村ランキングも上昇してはいます。

 しかしながら、これにはいくつもの留保が必要です。
 1) まず、一番大切なこと。分子の「市町村民所得」は、2010年度の396億円から12年度の417億円へ5%ほど増えましたが、分母の「人口」は、震災の犠牲(直接死・行方不明・震災関連死)と自然減や転出増により、23,300人から19,707人に減少しました。そして、その結果として、「人口1人あたりの市町村民所得」は、170万円から212万円に増大したのです。
 「人口1人あたり市町村民所得」の増大は、所得の増大によってだけではなく、震災によってたくさんの尊い命が失われたことによっても、もたらされました。このことは、絶対に忘れてはならないと思います。「人口1人あたり市町村民所得」の増大は、悲しむべき数字でもあります。

 2) 次に、2012年度の市町村民所得の増加の要因を見ると、雇用者報酬がマイナス11%、財産所得がマイナス17%、企業所得が59%増です。
 市町村民所得の増加は、企業所得の大幅な増加によってもたらされたことがわかります。

 雇用者報酬の大部分を占める賃金・ボーナスは、243億円から212億円へとマイナス13%で、大幅に減少しています。経済産業省『経済センサス』(2009年度と2012年度)の調査結果にもとづけば、震災による事業所数の減少や従業員数の減少が大きく影響していると考えられます。

 企業所得について詳しく見ると、企業所得全体では95億円から151億円へ59%増加していますが、その内訳を見ると、民間法人企業は15億円から83億円へ451%の大幅増加、公的企業が16%増、個人企業がマイナス16%です。
 企業所得の増大そして市町村民所得の増大は、民間法人企業の所得の大幅増によってもたらされました。
 

 3) 現在、陸前高田市では、総事業費1600億円と言われる、信じられないような巨額の財政資金を投じた巨大復興プロジェクトが実施されています。1600億円とは、震災前2010年の陸前高田市の市町村民所得のほぼ4倍、4年分です ! それゆえ、陸前高田市が「巨大な市」かのような錯覚をおこしてしまいがちです。
 しかし、上の図に示すように、震災前の2010年度も震災後の12年度も、同市の「人口1人あたりの市町村民所得」は、岩手県の市町村平均以下、沿岸広域振興圏の平均以下であることを忘れてはならないと思います(平均との差は縮小)。
 復興工事の着工が進む2013年度の市町村民所得のデータに注目していきたいと思います。(ただし公表は来年1月?)

 4) 巨額の資金が投じられる復興工事は陸前高田市の経済を発展させるのでしょうか。先行事例を見ると、阪神・淡路大震災の際には、震災発生から5年間(1994年度〜98年度)で、兵庫県で7.7兆円の復興需要が発生し、その分、県内総支出が増大しましたが、そのうちの6.9兆円、89%は県外に流出してしまったことがわかっています(永松伸吾『減災政策入門』弘文堂、pp.128-129)。
 今後公表されるデータを見てみないと現時点ではなんとも言えませんが、少なくとも、先行事例から推測すると、震災復興は、被災地域の経済をびっくりするほど発展させるということは、経済学的にまずないと見てよいと思います。

 この阪神・淡路大震災の経験を踏まえて、関西在住の経済学部1年生に「陸前高田高田市の経済」を語るとすれば、私は、以下のように始めると思います。
 「まず、皆さんが住む滋賀県奈良県和歌山県などの『人口1人あたりの市町村所得が平均以下の市町村』をイメージしてください。その地域の鉄道やバスの本数、シャッター商店街農林水産業の状況や若者流出の度合い、高齢者比率を思い浮かべてください。『他力本願』の大企業誘致や大規模土木開発による『一発・大逆転』はとうてい期待できないことが理解できますね。
 ・人間らしく生きるために必要な、子育て、教育、医療、福祉、交通そして自然環境などの『社会的共通資本』(宇沢弘文)を作り上げていくこと(こちらを参照)、
 ・海・山・川の自然環境(社会的共通資本)が生み出すサービス(豊かな恵み)を維持・管理する農林水産業を大切に守っていくこと等々、
 『等身大』の取組みをいくつも作り上げ、コツコツと地道に続けていくことが大切だと思います。
 『1人の100歩』と『100人の1歩』とでは、地域経済に与える影響は大きく異なります。」
(文責 伊達浩憲)