陸前高田合宿レポート (3)

梅川

 2月9日から12日の4日間、私たち伊達ゼミ2回生は岩手県陸前高田市へ行きました。
 私自身、陸前高田へ足を運ぶのは初めてでしたし、今まで東日本大震災被災地を訪れたことはありましたが、仮設住宅は初めて行きました。
 先生の話や授業で見た映像でしか情報を得ることができなかったので、早くこの目で確かめてみたいという気持ちでいっぱいでした。
 住民のニーズを充分把握できていない中で、企画考案や事前準備を行ったので、不安が募るばかりでした…。

 1日目は飛行機と高速バスを利用し、半日かけて陸前高田に着きました。
 その日は雪が降っていて、夕方から夜にかけて暗くなる時間でもあったので視界が悪く、イマイチ場所が把握できませんでした。
 ただ、高速バスが陸前高田に入ったところで海が見え、ほとんどが更地で土が高く盛られており、白くて高い巨大ベルトコンベアが長く続いていて、ここが津波の被害を受けた場所だということを実感しました。
 津波の被害を受けなかった高台であっても、プレハブのような簡易な建物が多かったように思います。
 2階がなく1階だけの建物も多く、震災後に早急に造られたものが多いと感じました。
 そして、何よりも、想像以上の交通量で、その多くが大型トラックやダンプカーでした。
 それは復旧、復興のためのものであり、まだまだ復興はされていないと実感し、今のままだとこれからも時間がかかるように思えました。
 また、道路を歩いていて、すれ違うのは、人ではなく車ばかりでした。
 それほど、陸前高田の人々は車中心の生活になっていました。
 私たちも利用したBRT(バス)やタクシーがなければ、自分で車を運転することのできないお年寄りや子どもたちは、行動範囲が限られ、生活が不便になることが想像できます。
 これが陸前高田に着いて初めに感じたことです。

 2日目は漁業班と仮設住宅班に分かれて活動しました。
 仮設住宅班として、高田一中仮設の集会所で手巻き寿司パーティーとチョコ作りを行い、ダンスも一緒に踊りました。
 私から声をかける前に、笑顔で声をかけてくれるおばあちゃん。
 これまで陸前高田を訪れた私たちの先輩のことを楽しそうに話すおじいちゃん。
 血が繋がってるわけではない、初めて会う私たち学生のことを“孫”と呼んでくれるおばあちゃん。
「大学はちゃんと卒業しなさいね。将来はどうするの?」
と人生相談に乗ってくれるおばあちゃん。
 座って食べてもらうはずだったのに、学生に、
「ほら、いっぱい食べて。」、
「好きな具材を言って、作ってあげるから。」
と、自ら立ち上がって手巻き寿司を巻いてくださるおばあちゃん。
「孫にバレンタインのチョコレート渡すために作らなきゃ。」
と、張り切ってチョコを丸めたりお絵かきするおばあちゃん。
 等々、私が思っている以上に明るい皆さん。

 あるおばあちゃんが、
「幸せな1日にしてくれてありがとう」
と、私にさりげなく言ってくれた“一言”が頭から離れません。

 私たちが経験したことのない苦しみを味わった方々に少しでも気持ちを和らいでいただけるよう笑顔で皆様を幸せにできたら…と思っていたはずですが、反対に私たちが皆さんからの笑顔で“生きるためのエネルギー”をいただきました。


 チョコ作りが終わり一息ついているときに、おばあちゃんたちから、
「名前と住所と電話番号を書いて」
と、紙とペンを渡されました。
 書いている最中に、1人のおばあちゃんが、
「今でも○○君から手紙届くの。とても嬉しいの。」
と、今でもゼミの先輩と連絡を取り合っているそうです。
 私も遠慮なく書かせていただきました !
 ここでの出会いを一度きりにしてはいけないし、これからも繋がっていこうと思います。


 漁業班も合流し、AKB48の“恋するフォーチュンクッキー”を全員で踊りました。
 ダンス班が考えた“言葉で覚える”簡略的なダンスのおかげで、あっという間に踊れるようになり、学生たちは皆、びっくりしていました。
 また、この曲の歌詞には、「人生捨てたもんじゃない」、「悲しい出来事忘れさせる」、「ツキを呼ぶには笑顔を見せること」など、前を向いて生きていこうという気持ちが表現されている曲なので、おばあちゃんと一緒になって踊っている最中、いろいろと考えさせられました。


 3日目は、前日に来られたおばあちゃんたちのほかに、祝日ということもあって、多くの子どもたちや男性が来られました。
 餅つきを一緒になってついてくれるおじいちゃん。
 本当に助かりました。
 子どもたちも、最初は室内でそれぞれ遊ぼうとしていましたが、外に出ると大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃんに全力で向かっていき、楽しそうに遊んでいました。
 その姿を見て、普段は遊び相手がいない→遊び相手がいないから1人で遊ぶ→1人で遊ぶので室内が多くなる→外に出たいけど遊び場がなく遊び相手がいない。と、悪循環に陥る環境になってしまっているのだと感じました。

 その日は11日。
 月命日でした。
 14時46分に1分間の黙祷をしました。
 その1分の間にいろいろなものが込み上げてきて、涙が止まりませんでした。
 私は、高校1年生の時に宮城県東日本大震災を経験しました。
 津波によってクラスメイトが亡くなったり、家が流されたり、つらい思いをした人たちを目の前で見てきました。
 そのような人々が多く存在することを知っている私が、同級生たちと違う環境で生活して、普通に暮らしていて良いのか、と考えることが多々あります。
 被災地から離れ、月日が経つと忘れられてしまうかもしれませんが、私は常に忘れずに、
「まだまだ復興はされていない、復興に終わりはない」
と思いながら、ありのままの事実を多くの人に伝えていきたいです。


 集会所でおばあちゃんたちとの別れのとき、再び涙が止まりませんでした。
「元気でいてね。またおばあちゃんに会いに来るよ。ありがとう。」
と言い、再会の約束をしました。