陸前高田合宿レポート (9) 漁業班

清水
 「震災復興ボランティア」というと、瓦礫の片づけを手伝ったりすることしか今までは考えたことがありませんでした。
 伊達先生のもとでいろいろ勉強していく中で、“心の復興”ということを知りました。
 僕たち学生にもできることだと思いました。
 今回の合宿では、とにかくコミュニケーションをいっぱいとろうと心がけました。
 現地の人たちは「震災が風化することが悲しい」と言っている、と学んできたからです。


 2月9日、仙台駅からバスに乗り、高速を降りると、風景がガラリと変わり、「自分は被災地に来たのだ」という気持ちになり、気が引き締まりました。
 気仙沼を通り、陸前高田に入ると、海岸線もよく見えるようになり、また仮設住宅も初めて見ました。
 気仙川の河口には、津波被害を受けた気仙中学校の校舎がありました。この中学校は生徒全員が避難できたということで、市が「震災遺構」として後世に残すことにしました。校長先生は、赴任当時、なぜこんなに海の近くにあるのかと疑問に思い、講師を招いては避難訓練や避難経路の見直しに取り組んだそうです。
 私の地元・和歌山の小学校は、山の一部を削って避難通路を作っています。
 必ず来る南海トラフ地震津波に備え、「海から離れているから大丈夫」、「防潮堤があるから大丈夫」といった先入観は捨てていきたいです。


 漁業班として、Oさんにお世話になりました。
 車で現場まで送っていただいている途中、Oさんが津波について話してくれました。
 私がこの合宿で1番心に残った言葉がありました。
 「みんな、変わっていかないとだめ」
 災害公営住宅を見ておっしゃった言葉でした。
 この言葉の本当の意味は私にはわかりません。

 
 作業小屋に到着すると、エゾイシカゲ貝と牡蠣の種付けを見学しました。
 その後、私と脇坂君は、Yさんの指導のもと、牡蠣の種付けのお手伝いをさせていただきました。
 作業は、固く編まれたロープに、牡蠣種がついたホタテの殻を等間隔で付けていくというものでした。
 ホタテの貝殻は、形と大きさがほとんど同じで作業しやすいので使っています。
 最後に付ける貝殻は二つ重ね、重くします。海に沈めるとき、沈みやすくするためです。
 種付けの作業は、かなり時間がかかってしまいました。


 休憩時間には、たくさんの方とお話できました。
「あの家の高さまで津波がきた。」
「わしは船で海に逃げた。」
など、津波がきた瞬間の話でした。
 津波の大きさは相当なものだったようで、怖くなり、また沿岸の山を見ると、津波の威力を感じました。
 私の祖父(漁師)は、昔、「津波が来たら船を沖に逃がす」と言っていて、私はその行動の意味がわからなかったのですが、ここに来て、現実味のある話だとわかりました。
 ですが、今度、もし祖父が、津波から船を逃がそうとしたら、止めようと思いました。
 沖に逃げて助かった人もいますが、あまりにリスクが高すぎると思います。


 Yさんをはじめ、漁師さんたちは皆、広田湾、それも長部地区の牡蠣にすごく誇りを持っていました。
 種付けの間隔や一本のロープに付ける個数、夏には温湯駆除といって牡蠣に付着する菌を駆除すること、食中毒の検査には毎年すごいお金と時間をかけていること等々。
 「築地市場で、広田湾の牡蠣の取扱量が1番なんだ !」と笑顔で教えてくれました。

 昼休みには、手間のかかった牡蠣をたくさんいただきました。
 いままで味わったことのない味でした。
 「もっと食べて、もっと食べて」
と、現地の人の温かい心に感謝の気持ちで一杯です。

 作業が終わり、Oさんに高田一中仮設住宅まで送っていただきました。
 途中、お話をしてくださいました。
 浸水地では、嵩上げする工事をしています。そのための土は、山を削って、巨大ベルトコンベアで運んでいます。削った山は、宅地に造成します。
 巨大ベルトコンベアの設置には100億円以上もかかっているそうです。が、コンベアのおかげで10年かかるところを3年まで短縮できます。
 新しい防潮堤の工事も進められていました。完成時の高さは、なんと12.5メートルだそうです。あんなに大きいのは初めて見ました。

 少し沈黙があり、Oさんが
「震災から4年経つけど、どうだ?復興進んでいると思うか?」
と聞かれました。
 正直、想像していたよりも進んでいるとは感じられませんでした。
 この問いかけに、この目で現地を見たからこそ正直に答えられますが、京都人や被災地から遠く離れた人たちは、「4年も経っているし、ある程度復興しているだろう」と思っていたり、震災のことを忘れている人もいるかもしれません。
 そんな人たちに、少しでも被災地の実情を伝えるのが私たちの役割だと感じています。
 また、Oさんは、
「今は、工事関係者等で陸前高田に人がいっぱいいるが、復興が終わると人がいなくなるのではないのか」
と心配されていました。

 
 仮設住宅の集会場に到着すると、元気いっぱいのおばあちゃんがAKBのダンスを踊っていました。
 本当にびっくりしました。
 おばあちゃんの笑顔から元気をもらいました。

 仮設住宅の壁に貼ってあった千葉大学の調査結果。
 被災者の生の声にはいろいろ考えさせられることがありました。
 中でも、思わず写真を撮ってしまったのが、
「オリンピックよりもまず復興を進めてほしい」
という声でした。
 まさにその通りだとおもいます。もっと復興が進むのではないか、仮設から出られる人を増やせるのではないか、と考えました。

 仮設住宅でお別れするとき、皆さんが
「またおいでね」
と声をかけてくださいました。
 こちらが元気をもらいに来た感じがしました。


 今回の訪問を終えて、まず、復興には莫大な資金と時間がかかることを改めて感じました。
 津波の大きさと威力を目で見て感じました。
 避難訓練の大切さ、先入観の怖さも感じ、それらを地元・和歌山の人たちに発信していきたいと思いました。

 また、日ごろスーパーで見る牡蠣は広島産ばかりなので、広田湾の牡蠣の素晴らしさを知ってもらいたいです。

 陸前高田の皆様には貴重な話を聞かせていただきました。
 本当にありがとうございました。
 また勉強して、夏に戻ってきます。



 二重に付けたカキ種付のホタテ貝が上に来るように巻きながら、カゴに入れていきます。(二重に付けたホタテ貝は、先に沈めるので上に置きます。)


 スピードがすごく速く、かつ丁寧でした。その技術を盗もうとしましたが,,,,


 初めて食べた生ガキ。海のしょっぱさで、何もつけなくても食べられました。(写真は醤油をつけています。)


黄色い○印で囲った家の高さまで津波が来たそうです。




 2日間お世話になったYさんと漁業班とで記念撮影。
「また来てね」と言ってもらえたのが、本当にうれしかったです !