陸前高田合宿レポート (10)

寺岡
 2月9日から12日の4日間、岩手県陸前高田市へ行きました。
 仙台から陸前高田へは高速バスで3時間ほどでした。
 仙台駅は都会で人も多く、活気づいていました。
 バスに乗り2時間半ほどたったあたりから窓から見える景色や街の雰囲気が変わったことに気が付きました。
 道を歩いている人はほとんど見当たらず、見渡す限り、土が積み上げられている更地で、大きなトラックやベルトコンベアが動いていました。
 道路は土で汚れ、走る車も泥にまみれていました。
 この風景を見て、ついに陸前高田に来た、と実感しました。


 陸前高田市役所でバスを降り、買い出し班、鶴亀鮨班、仮設住宅班に分かれ、私はダンス班を代表してまず高田第一中学校の仮設住宅へ向かいました。
 一中へと続く上り坂から見える景色はやはり更地で、心が苦しくなり、改めて津波の恐ろしさを実感ました。
 いろいろな考えが頭の中で巡る中、一中の運動場の仮設住宅に到着しました。

 私は、これまでに宮城県石巻閖上などの津波被災地には行ったことがありましたが、仮設住宅を訪れたのは初めてでした。
 中学校には部活の生徒が何人かいて、みんなすれ違う時に挨拶をしてくれました。
 被災地に行くと、いつも、人とどう接していいのかわからなくなるので不安になるのですが、明るく接してもらえたので、いつも通りの私でいいんだ、と自信がつきました。
 その日は、集会所がどのくらいの大きさなのか、次の日からここでするダンス、手巻き寿司、餅つきができるのか視察をしに行きました。
 ダンスをするには狭く、本当にここでみんなでダンスが出来るのか、ちゃんと教えることができるのか、人が集まるのか、すごく不安になりました。

 夕飯は、手巻き寿司でお世話になる鶴亀鮨で海鮮丼をいただきました。
 一中から鶴亀鮨に向かう道中、道に街灯がなく車が通らなければ真っ暗だということに気が付きました。
 鶴亀鮨のお店の皆さんはすごく明るくて、「ナイアガラの滝」の紙テープで歓迎してくださいました。海鮮丼にはたくさんの大きな具がのっていて、本当においしかったです !

 陸前高田での主な交通手段はBRTというJRバスでした。バスの本数は少なく、車がなければ生活ができない環境だと思いました。


 2日目、いよいよ仮設住宅での活動です。
 朝、到着後、仮設住宅のみなさんとラジオ体操をしました。一回目は普通の音楽、二回目は高田弁バージョンでした。
 おばあちゃんたちもすごく元気で、ジャンプもしていました。

 その後、少しバタつきましたが、開始時間までに手巻きずしとチョコの準備を終えることができました。
 開始早々からたくさんの人が来てくれて、椅子が足りないほどでした。
 お茶を出したり、席に誘導したりしながら他愛ない会話をして、一緒に手巻きずしを作りました。
 みんなすごく楽しそうで、集会所は賑やかでした。
 手巻き寿司を作るとき、「次は何を巻こうかな」、「○○さんの好きな具をのせて」など、はじめから心を開いてくれて、たくさんお話ができました。
 また、私のために手巻き寿司をつくってくれて、普段の生活のことや学校のことなど、たくさん話を聞いてくださって、逆に私が元気づけられました。

 「家族にも食べさせてあげたい」と、たくさん作って持ち帰る人もいて、家族の存在の大切さを改めて実感しました。


 手巻き寿司のあとはチョコレート作りです。
 みんな、「お父さんに」、「おばあちゃんに」、「孫に」と、大切な人のために一生懸命作っていました。
 初めに仲良くなったおばあちゃんは、少し前に旦那さんを亡くされたそうで、
「独りぼっちで寂しかったけど、こうして、今、ここに来て、若い人とたくさん出会えてよかった」
と言ってくれました。
 チョコのデコレーションにも、「お父さん」と書かれていて、旦那さんへの思いを強く感じました。


 ダンスの時間になりました。ダンスの開始時間を伝え忘れるというミスがありましたが、予想以上に多くの人が集まってくださり、ものすごく盛り上がりました。
 「ダンスみんなできるかな」、「うまく教えられるかな」と、かなり不安に思っていましたが、こんなにダンスが楽しいと思ったのは、普段踊っている私自身でも、久しぶりでした。


 3日目も、まずラジオ体操から始まりです。
 この日は、餅つきとお雑煮とチョコレート作りとダンスでした。
 休日だったので、子どもたちも数名来てくれました。
 もち米を蒸すのとお雑煮を作っている時間に、外で、子どもたちと、妖怪ウォッチのゲームや縄跳び、鬼ごっこをして遊びました。
 普段あまりこんな風に走り回ったりすることができない環境のせいか、始終笑顔で一緒に遊んでくれました。

 企画が始まってからは、男性は餅つき、女性はお雑煮つくりと分業し、すごくスムーズに作業が進みました。
 この日は、ダンスの振り付けの中に一番難しいところがあり、ダンス班で「どうしようかなぁ」と頭を抱えていましたが、ダンスを一度見てもらい、できるかどうか聞いたところ、皆さん、口をそろえて、「がんばる!」と言ってくれて、見事、完成しました。
 動画もたくさん撮影でき、一緒に踊ってくれた人みんなが「楽しかった!」と言ってくれて、本当にうれしかったです。
 参加してくれた一中仮設住宅の皆さんとダンス班のみんなに、心から感謝しています。
 ダンスが終わり、少し落ち着いた頃、おばあちゃんが震災当時のことをぽつりと話してくださいました。
 「津波でなにもなくなっちゃった。あの時は突然すぎて涙も出なかった。でも震災からしばらくたって春になって桜が咲いたときは、何も無くなっちゃったのに、ちゃんと咲くんだって、なんだか不思議だった。」。
 被災してない私たちにとって、震災の恐ろしさは想像を絶するものだと思います。

 黙祷の時、いろんな考えが頭の中を巡りました。
 突然の死を迎えたとき、何を思ったのだろう。
 自分の命は助かったけど、大切な人を失い、すべての財産を失ってまったら、どうやって生きていけるのだろう。


 今回のこの合宿でたくさんの人と出会い、今当たり前のように住む家があり、家族、友達がいて、好きなことを自由にできる生活がどれだけ幸せなことか、実感しました。
 当たり前の生活を一瞬にして奪い去った東日本大震災から早くも4年がたとうとしていて、世間では徐々に忘れられつつあります。

 今でもあの日を思い出して涙を流している人がいるということを、私は決して忘れません。

 また、被災地で一人で暮らしている人と、もっと関わりたいと思いました。
 人は一人でいると、どんどん生きる気力を失います。
 そんな人たちのために、少しでも役に立てるような人間になりたいと思いました。

 残りの2年間の学生生活の中でできることは限られてはいますが、今回学んだことを、今後のゼミ活動、また私自身の「踊りなはぁれ」の活動の中で活かしていきたいです。

 3月11日に「踊りなはぁれ」のイベントがあるので、陸前高田の現状をみんなに伝えたいと思います。