東日本大震災を忘れないために〜津波の記録映像をみる

 今回の基礎演習では、津波の記録映像を見て、感想を出し合いました。
 以下は、大学2年生の報告です。
 彼ら・彼女らは、2011年3月11日当時、中学3年生でした。

 「体験した者にしかわからない」ことがあるのは事実ですが、「体験していない若者に、何をどのように伝え、それを彼ら・彼女らがどのように受け止め、考えていくのか」も、今、最も大切なことの一つだと思います。


東日本大震災から4年」
阪神・淡路大震災から20年」
「JR福知山線 脱線事故から10年」
「敗戦から70年」
 そこで喪われた命のことを忘れないために。


今井
 今回、東日本大震災の映像を見て、津波の想像以上の威力と恐怖を感じました。地震が来てからあまり時間がたたないうちに近くまで津波は押し寄せていました。地震の恐怖で津波から逃げるという行動にすぐに出るのはとても難しいと思いました。津波は高波で勢いよく来ると思っていたので、少しずつジワジワと来る波に最初は気づきませんでした。堤防も意味がなく、津波で車や船、家が流れている様子は本当に怖く衝撃的でした。自分の住んでいる町がどんどん壊れていく姿を身近で見続けるというのはとても辛いことだと思いました。
 震災から何年経っても絶対に忘れてはいけないし、他人ごとではないと改めて感じました。
 自分にできる支援をしていきたいと思います。


梅本
 今回の映像を見て、改めて津波の恐ろしさを感じた。津波が僅か30分の間に、町を一瞬にして流されて変わり果てていく映像は見ていられなかった。テレビで見た当時の映像と比較すると、圧倒的に今回見た映像が、津波の被害が町を襲う恐ろしさを物語っていた。また、その時に津波が町を襲っている映像が流れた時の被災者の方々の悲痛な声が、言葉に出来ないくらい衝撃を受けた。
 津波が来る前の相当な揺れを見て、感じたのがあれほどの揺れであったにも関わらず建物の倒壊が目立つほど倒壊していなかったように見えた。しかし、一部分の場所を映像で見ただけなので、古い家や建物の被害もとても多かったのだろうと感じている。
 今回映像を見て、改めて風化させてはいけないと感じた。


大西
 私が今回の映像を見て一番初めに思ったことは、
「思っていたよりも津波の勢いが緩やかだな」
でした。陸と海の境界線がなくなり、少しずつ、でも確実に水が浸入していきました。その様を見て、意外と勢いがないと感じました。しかし、水が陸に入り始めてからわずか二分足らずで、さっきまで住宅街が見えていた大船渡町の一帯が水しか見えない状態になっていました。緩やかだと感じた津波だからこそ、異様な恐怖を感じました。
 映像の初めに起きた地震では、ほとんど建物には被害がなく、津波での被害が大きいことを知りました。
 今回の授業で、改めて風化しつつあるこの出来事を、しっかりと伝えていくことが大切だと思いました。


岡原
 今回の映像を見るまで、どこかで他人事だと感じていた自分が恥ずかしいと思いました。
 震災が起こってから何度も見てきたテレビのニュースなどの津波の映像とは全然違い、実際に地震が来てから津波が襲って来るまでの初めから終わりまでの映像を見たのは初めてで、言葉を失いました。
 とても印象に残っているのは、映像を撮影していたさいとう製菓の方や周りにいた人の言葉です。
「何が防波堤だ」
 家が流されてしまった時の
「終わりだ」
が心から離れません。
 改めて他人事ではなく自分たちの身にも起こりうることなのだと思いました。
 私たちは、この震災を忘れないようにしなければと思います。
 そして、私たち一人一人にできることは何かを考えていかなければならないと強く感じました。


岡本
 東日本大震災における津波被害の映像を授業で見たが、想像していたよりも遥かに衝撃的な映像だった。映像からその時の状況をメモ書きしてまとめるよう指示があったが、僕を含むクラスほぼ全員の手が止まっていたことからも、どれだけその映像が衝撃的なものであったことがわかる。
 最初に津波の警報のアナウンスが流れてから約1分ほどで港が水没し始め、それからたった30分ほどで元の町の姿はなくなってしまった。僕がイメージしていた勢いよく襲い掛かってくる津波とは違い、映像の津波はじわじわと町を飲み込むようなもので、押し寄せてくる波と海に引いていく波があった。
 この映像を通して津波の恐ろしさがわかった。
 映像の後半にあった復興に向けて頑張る現地の方々の姿を見て、僕にも何かできることがあるなら力になりたいと思った。



角野
 地震が来たときの対策は事前に考えることができるけれど、実際の津波の速度はあまりにも速く、流された家がバキバキと音をたてながら他の建物にぶつかっていたり、まだ下だと思っていた水位も気がつけばすぐ足下まで迫っている様子をみて、ただ津波が押し寄せる様子を見ていることしかできない人間は無力なんだなと思いました。
 また、津波が引いていっている間は、人が亡くなる被害は少ないとは思うけれど、見ている人からすれば、一番虚しい時間なのかなと感じました。
 今回の映像を見て、津波が来た時に冷静な対応をとれるように、自分たちはどのように行動するべきなのかをもっと社会に普及させていくことが大事だと思います。



金沢
 地震発生直後、映像を撮影していた社長さんが社員に対して「早く逃げろ!」と冷静な対応をしているのがとても印象的でした。
 また、車で逃げようとしていた人達は渋滞に巻き込まれ、多くの方が命を落とされたんだろうなと考えました。
 始めはゆっくり押し寄せてきた波が、数分で勢いを増して町を襲う様子はとても恐ろしく感じました。
 実際に津波が町に押し寄せてくるスピードは被災された方にしか解りませんが、とても速かったのだろうと思います。
 日本は地震に対して適切な対策を考えていたのか、津波に対して認識が甘かったのではないかと感じました。
 東日本大震災で多くの方が亡くなったことを後世に伝えていく大切さを感じました。


金平
 こんなにも長く、しっかりと津波の映像を観たのは初めてでした。
 ほんの数分で車や船が流され、波が防波堤を超えて住宅街に押し寄せ、一瞬にして家を破壊する様子を観て、身近にある水がこんなにもあっという間に人の命を奪ってしまうものになるのだと感じました。
 「自分がその場にいたら…」
などと簡単に考えられることではないけれど、もし津波が来ると分かれば、私は、自分のことに必死で、冷静な対応をとれないと思います。
 映像を撮影していた社長さんのように冷静な対応をし、速やかに高い場所へ避難することが大事だと分かりました。
 残されたぐちゃぐちゃになった町を、どのような思いで被災された方々は見ていたのだろうと思いました。


亀村
 カメラの焦点が定まらないほど強い揺れの中、社長さんの「逃げて!津波来る」という言葉がとても冷静に聞こえて、自分は同じ境遇に立った時、同じ対応がとれるのだろうかとても考えさせられました。
 数分で水位が上がり、住んでいた町が変わり果てる姿を見ていることしかできない虚しさ、津波から逃れようと建物の屋根に登っていた方々、被災された方の恐怖を考えると、胸を締め付けられる思いでした。
 私には淡々とながれる警報の音がとても恐ろしく聞こえました。
 映像から聞こえた泣き声や悲鳴が、地震津波がたった数分で今までの生活環境を変え、心に大きな傷を負わせてしまう恐ろしいものだとあらためて思いました。


岸本
 東日本大震災の日がちょうど高校受験の時期だったので、震災の映像をこんなにもしっかりと観たのは初めてでした。
 地震が来た時、始めはゆっくり波が押し寄せていたけれど、時間が経つにつれて波は勢いを増し、スピードや波の高さも上がり、自分の思っていた津波とまったく違っていてとても驚きました。
 津波によって多くの物が流され、家が屋根しか見えないほど高い波が押し寄せている残酷な状況の中、家族とも離ればなれになってしまった方がたくさんいることを想像すると胸が張り裂けそうになりました。
 津波が海へ引いていく際、さらに被害が広がってしまっているので、想像していたより、津波が大変酷いものだということがわかりました。


 こんなに長く、しっかりと津波の映像を観るのは初めてでした。
 津波のスピードがこんなにも速いことや津波が引いていく際の被害や虚しさは今回の映像を見なければ分からないないままだったと思います。
 また、3月12日の朝日の美しさがとても悲しく感じた人も多くいたでしょう。
 地震津波の本当の恐ろしさをこの映像を観て実感し、地震に対する対策や被災された方々の気持ちをとても考えさせてくれました。
 これから私達がどのように東日本大震災を受け止め、考えていくべきなのかを知ることができる映像でした。
 今回、この映像から多くのことを学べたことを嬉しく思います。



木村
 大きく長い地震の後、あっという間に津波がやってきて町をのみこんでいった。
 一気に映画のような大きな津波が来るより、私には徐々に水の量、勢いを増して様々な物をのみ込んでいく津波のほうがとても怖いと感じた。
 どんどん黒くなって、家や車までも壊し流され、目の前からたくさんの思い出たちが消えていくことを考えたら、胸が張り裂けそうだった。
 私は、震災について、まだほんの一部しか知らないと痛感させられた。
 こんなにも一瞬で人々から当たり前の幸せを奪った津波を、私たちはもっと深く知っていくべきだと感じた。
 対策を考えながら、当たり前の幸せが人々に戻るように、日本中、世界中の人が考えていければ良いと思う。




坂井
 そのビデオカメラは、非常に激しく長いゆれから始まりました。
 社長さんは「津波が来る!」と社員たちに呼びかけ、高台へ逃げました。
 もし、私が社長さんの立場であったらと考えると、こんなにも冷静かつ賢明な判断ができる自信がありません。
 川の水、海の水がみるみるうちに引いていき、それからじわじわと町へ押し寄せた波は、気が付くとあらゆるものを飲み込むほどの高さまで達していました。
 こんな状況で、無機質に流れる警報に、何か違和感を覚えました。
 建物が壊され、物が流れている音はすさまじく、そんな中で人々が、
「もうやめてくれ」
と泣き叫ぶ声に、胸が張り裂けそうでした。
 震災後の町の上空写真で、沿岸部が白くなっていたのが印象的でした。
 津波の恐ろしさ、ふるさとが破壊されていく虚しさ、人の非力さがカメラ越しに伝わってきました。


坂野
 映像を見て、津波のイメージが大きく変わりました。
 私は、津波といえば大きくて高い波が覆いかぶさってくるようなイメージを持っていました。
 サーフィンするような大きい波です。
 しかし、実際の映像は全然違いました。
 海が沸いてきている、と思いました。
 ほんの数分で街が海になり、速すぎて現実味がありませんでした。
 私は、今まで、命に関わるような災害に被災したことはありません。
 東日本大震災の日は中学校の卒業式で浮かれていて、震災のことを聞いてもどこか他人事でした。
 だから、映像の社長さんのような冷静で迅速な判断ができる自信がありません。
 しかし、その判断ができるかできないかで生死を大きく分けることがよくわかりました。
 津波地震も待ってくれないです。
 自分の身を守れるのは自分だけなんだと思いました。


西川
 東北を襲った大地震は、凄く激しく、なおかつ長い間揺れていて、本棚などから物が崩れ落ちていました。一見、最初だけ見ていれば案外津波はゆっくり沖に押し寄せていて、たいして威力はないのかなと思いましたが、時間が経つにつれて止むことなく、むしろどんどんと水かさが増し、一気に沿岸部を侵食していきました。
 おそらく最初の波の勢いで油断し、避難が遅れた人もいたのではなかろうかと思います。そして、あっという間に海水が地表に流れ込み、家が軽々と流されていき、自分がこのビデオを見る前より思っていたよりも「がれき」の量が多く、特に家が潰れてできた木材の「がれき」が多く見受けられました。
 いざ自分の住んでいる町が目の前で映像のようになってしまうと、頭が真っ白になって言葉も出ないような気がします。
 被害は町や家だけでなく、人命にも及ぶので、ちょっと言い方はおかしいですが、自然の力を恨んでしまいました。


森家
 津波は波の高さと勢いで町を覆い潰すと思っていたが、実際の映像を見てわかったことは波の量が少しずつ、しかし着々と町に流れ込んできて建物を流していた。
 たった5分でほぼ家は流され、30分後には「かもめのたまご」の看板の七分目程の高さまで浸水していた。映像で見ている分では波の音はあまり聞こえなかったけれど波の音と建物が破壊される音で実際は想像以上に凄い音だと思う。
 水が引いてしまうと、浸水していたときとまた違う残酷さが浮き出てくる。
 家具だけでなく遺体も出てくる。
 被災した人はそれを間近で見てしまったのだから、きっと心が痛むし、忘れられない記憶になってしまっていると思う。
 津波が発生した前後の写真を見ると、町が無惨にも変化してしまっていることが私でもわかる。
 それを、地元の人たちにとって思い入れのある町の変化を目の前でみてしまったことを考えると、言葉にできない。
 私の想像以上に計り知れない辛い思いをしていたのだと改めて実感した映像だった。

畑中
 私が思っていた津波は、高波で激しい勢いを伴ったものでした。
 実際の映像では、ゆっくりと防波堤をこえ町へと流れ込んでいきました。
 その様子に私は胸が苦しくなりました。
 自分の目の前で大切な場所や人が流されていく被災者の方々の気持ちは、私には考えられませんでした。
 流れ込む海水が茶色く濁っていくのが、色んな思い出を飲み込まれていくように感じられ、被災者の方々のあきらめたような声は自分自身が津波の被害の大きさを痛感しました。
 大切な人を失ったことやご遺体が流されてしまったこと、家屋のローンなど、生き残られた方々にとっては、いくら町が少し復興してもまだまだ東日本大震災の大きな爪痕が残ったままなのだと感じました。


西村
 地震が発生して数分の間に津波が来て、家や車、自動販売機がおもちゃみたいに流されていて、日本で起こったことだとは思えませんでした。
 上空からの写真を見ると、町が戦争の時の空襲による焼け野原みたいに跡形もなく何も無くなってしまっていて、津波の強さが想像以上のものだと思いました。
 津波は思っていたよりもジワジワ港に押し寄せていて、そのせいで逃げる人に油断を与えてしまったのかなあと思いました。
 もし、自分がその場にいたら、地震が発生して津波が来るまでの間に素早く冷静な行動ができたかどうかを考えると、正直自信がありません。
 今回の映像を見て改めて、日頃から災害に対する知識を持ち、備えることが大切だと思いました。


室井
 この映像から感じた津波の恐ろしさ、それは街を飲み込む速さです。津波警報がアナウンスされてから数分で徐々に海面が上昇し堤防を越えはじめ、そして水が流れてきたと思ったら、あっという間に家が流されるほどの波が押し寄せていました。
 津波到達からこの間5分。
 多くの人はまさかこんなにもはやく津波が押し寄せてくるなんて思っていなかったのではないかと思います。
 また、津波というのは、実際に迫りくるまでは迫力がないのだろうとこの映像から思いましたし、その分早急な非難への意識もそれほどなく、逃げ遅れてしまう人が出てしまったと考えると、この津波で多くの犠牲者が出た原因としては、やはり誰もがこれほどのものを予想できなかったからだと思います。


森下
 最初地震が起こった時、本はなだれ落ち、家電は様々な場所に移動しており、家の中は散々な状態ではあるが、家屋が崩壊している様子はなく、もし地震だけであったなら被害はそう多くはないのではないかと感じた。
 しかし、地震が起こった後、動揺している時間はなく、すぐさま高台に逃げることが生死の分かれ目だと感じた。
 何故なら、津波は3分後に街を飲み込み、4分後には家屋が流れはじめ、5分後にはほとんどが流され、街が崩壊していた。
 津波の被害にあわない為には1分1秒でも早く冷静な判断が必要とされる。
 私は南海地震の被害にあうとされている徳島県出身であり、この映像を照らし合わせてしまい、途中目を背けてしまった。
 しかし現実であるので、理解を深めることが大事だと感じた。


中川
 最初、地震が発生してから「津波が来る」という判断をされ高台に避難、津波で家屋や車などが流されているという流れの中で映像をとっていた方、周りにいた方の危機感や絶望感が肥大していくのが手に取るように感じた。
 津波がきて潮位が上昇しているときはまだ津波が来ていることもわかっていたと思うが、本当に危機感しかないような感じではなかった。
 しかし、数分後、津波が車などが流されだしたころには、悲鳴や「やめてくれ」という声、また言葉を失った人がいるという絶望感がすごく伝わるようになった。
 この映像で、津波は数分で今まであったあらゆるものをすべて奪い去ってしまうのだと改めて感じた。
 特に3:05と3:35分の同じ地域の写真が衝撃的だった。
 今後、このような衝撃的な事実を後世に伝え、対策をもう一度見直し、実行する必要性を改めて感じた。



竹内
 もし、自分が地震にあったら。もし、津波にあったらどうなるんだろう。
 そう思いながらこの映像を見ました。
 地震が起きた途端「逃げろ!逃げろ!」と必死に指示する人、ただ茫然と立ち尽くす何もできない人。そして息をつく暇もなくすぐに津波が。止まるはずもない津波を「止めてくれ!止めてくれ!」と叫ぶ声を聞いたとき、いきなりの出来事に受け入れられていないんだなと、本当に被災した人にしかわからない想像もできないほどの危機感が迫っている様子がそこにはありました。
 大きな津波はあっという間に家までも流してしまうほどで、だんだん悲鳴は聞こえなくなくなり、
「終わりだ。」
 そう聞こえました。
 家が流されたということは流された人がいていたということで、ただただ驚くしかできなかったです。
 もし自分なら、もし大切な人を失っていたら苦しくなりました。
 困っている人がいることは確かですが、被災された人のために、助けようとする人がたくさん映っていたことが少し光が見えたように心が温かくなりました。


永尾
 今回の映像を見て私が最初に思ったことは、社長の「津波が来る!早く逃げなさい!」と言って従業員の方々を避難させていたところです。
 ただ単純に判断が早いなと感心しました。
 高台に避難したかどうかで津波の被害で命を落としていたかもしれないからです。しかも、あの状況なら地震の大きかったこともあって、私ならただ茫然としていたと思います。
 次に驚いたことは、津波の最初の陸へと接近する様子です。
 自衛隊が撮影した映像は沿岸部から大きな波が一直線に陸に向かっている映像を見たことがありますが、撮影された海岸では、大きな波が来るのではなく徐々に水位が上がっていき、そして堤防を越え、街を襲っていった。
 高台以外で救助作業や避難をしている人が見たら、まだ津波は来ないから大丈夫だろうという油断を生みかねないなと思いました。
 街を襲う津波を見て、
「止めてくれ」
と言う男性の声が、何とも人間の無力さを感じさせました。
 自然の驚異はこれほどまでに人間が作ったものを簡単に壊していく。
 映像なので、実際に五感で感じたわけではないですが、潮の匂いが蔓延し、家屋などの津波で流されていく木材がひしめく音、寒い冬の北陸の気温と風、誰かの泣き叫ぶ声、そんなところで自分がさっきまでいた街が見るも無惨な姿に変わっていく、私だったら恐怖と虚無感もしくは絶望感を抱くと思います。
 海面の水位の上昇は早かったです。
 5分で建物の1階部分に到達し、7分後には家屋の屋根部分にまで達していました。
 たった30分で街の殆どの建物を流していきました。
 そして、引き波とともに瓦礫も一緒に沖のほうへと引いていきまた。
 あとのグループディスカッションで教えてもらったのですが、去年は潮の流れの関係上アメリカやカナダの太平洋沿岸部には、今回の津波で流されたもの多く漂着する年だと教えてくれました。
 もしもご遺体などが流されたのであれば、陸にたどり着く前に身元不明の状態で漂着する可能性が高いなと思いました。
 津波が去った後の街は奇跡的に残った建物は映像を見る限り、コンクリート製が多く木造家屋は殆ど流されていました。
 海岸にあった漁船は陸に打ち上げられ、あるところでは屋根に車が乗っていたり、私が想像できる範疇を超えていて何とも言えない思いがしました。
 この状況下での人命救助で来たドクターヘリが街中を飛ぶ写真がこの上ない虚無感を感じさせました。
 しかし、若狭消防隊はいち早く駆けつけたり、関西の消防隊は水を担当したりなど支援をしている写真がありました。
 今回の映像を見た後で、学生にできる支援は何だろうと改めて思いました。
 今は、仮設住宅の方も多いかもしれないですが、衣・食・住は大抵はそろっていると思います。
 しかし、地震が起こった場所、福島原発の近く、放射線などの情報からくる風評被害であまり経済面では震災以前のように復興したとは考えにくいですし、地域経済についてどのように活性化させるのか、そしてどれだけそれを持続させるのかが、これからの課題ではないのかなと思いました。


西岡
 波がせりあがってくる中で充満する、不安を含んだざわめきとは対照的に、感情のこもらない無機質な放送が周囲に響きわたっているのが、私には怖かった。
 あっという間に波が建物を飲み込み景色が一変し、初めにみた景色と同じ場所であると思えなくなった。
 波が引いた後に残った、無秩序に散乱している本来の役割をはく奪された材木や衣類、自動車などを見ていると、ジグソーパズルが一瞬でバラバラになってしまったような虚無感を、何百倍にも増幅したような感覚にとらわれた。
 「つなみ」という三文字は、その自然現象のみを指し示すのであって、ひとのこころまでは表現しえないのだと改めて認識された。