陸前高田合宿レポート 4回生 (3) 仮設住宅

中川(翔)
 今回で、陸前高田を訪れて3回目になりました。
・1日目 (9月12日)〜ばあちゃんと
 2日間の活動の中で、1日目は私だけ別行動で、「ばあちゃん」(あえて、こう呼ばさせていただきます)の家を訪れました。
 ばあちゃんとは、去年に陸前高田を訪れた時に仲良くなり、それ以来ずっと手紙や電話のやり取りをしています。
 ばあちゃんは津波で左足を悪くし、ずっと心に闇を抱えておられましたが、今は散歩や仕事もするほど前向きになっていると手紙などで聞いていました。

 ばあちゃんの家に行くと、私を待ちきれなかったようで、家(仮設住宅)の前で待ってくれていました。
 一年ぶりに会え、本当に嬉しくて、自然と涙がこぼれました。
 そして、ばあちゃんの家に上がらせてもらいました。
 大人二人分ほどの小さな玄関からすぐにある台所は、大人一人が通れるほどのスペースしかありませんでした。
 そしてその奥にテレビやベッド、タンスがある4畳半の部屋が一つだけでした。
 部屋のいたる所に段ボールがあり、日用品から食べ物、衣服などが詰められていました。
 仮設住宅の生活を目の当たりにした私に、ばあちゃんは、
 「仮設住宅の暮らしは、本当に狭くてね。今はもう慣れたけど、初めは押しつぶされそうで怖くてね…。本当に息が詰まるのね」
と笑いながら、朝ご飯を作ってくれました。
 私は何も言えず、ただ、料理をするばあちゃんの背中を見ていました。

 ばあちゃんの朝ご飯は、ハンバーグ3個に、魚の煮つけ、しょうが焼き、サラダにお漬物、ご飯、お味噌汁。
 他にも、こんにゃくと昆布のたき物、ポテトサラダ、さんまの煮つけを頂き、お腹がはち切れそうでしたが、すべて笑顔で完食しました。
 ばあちゃんは、
 「翔太君のために作って、いっぱい食べてもらえて、こんなに幸せな事はないね。ありがとう。」
と、とても嬉しそうでした。


 食事を終え、コーヒーを飲みながら話をしていると、
 「『お孫さん』来てるんだって?(笑)」
 「どれ、翔太君の顔みせて〜」
と、ばあちゃんの家を多くの方が訪れてきました。
 血の繋がっていない私を「孫」と紹介してくれ、恥ずかしいのもありましたが、とても嬉しかったです。
 「これお菓子のおすそ分け、食べて」
 「この服、新しいんだけど、私は大きいから、着ない?」
などといった会話が飛び交っていて、地域というか「仮設住宅のコミュニティ」を感じました。
 ばあちゃんが言うには、
 「震災当初はモノがなくて、早いもの勝ちのように、なんでも欲しくてね。でもね、翔太くん、それは違うんだよ。モノはね、争えばすぐになくなるの。でも、分け合えば残るんだよ。こうやって皆で分け合って、皆で助け合って生きて行くのが一番大切なんだよ。ここに来て、それに気づかされたの」
と、とても優しい表情で言われました。
 そして、お菓子とコーヒーを持つと、「翔太君、外に行こう」と言われ、外に行くと、ベンチでさっきの方々が井戸端会議をしていました。
 毎日、皆で集まって話をしているようで、
 「こうやって皆で話をするのが、楽しみなの。仮設住宅の暮らしは辛いけど、ベンチに座って太陽にあたると伸び伸びできて、とても気持ちいの」
と、皆さん笑顔で話されていました。

 そして部屋に戻り、のんびりしていると、私がプレゼントしたチューブや重りなどがありました。
 私は、足の悪いばあちゃんのために、運動プログラムを定期的に送っていたのですが、ちゃんと毎日やってくれていたそうです。
 すると、ばあちゃんが、私に、「見せたいものがある」と言って、前後開脚を見せてくれました。
 「翔太君の送ってくれたチューブや運動のプログラムのおかげだね。今は筋肉もついてきて、『歩くのも速い』って言われるの」
と自慢気に話していました。
 たとえ距離は離れていても、人と繋がり、支えになることはできる。
 一番大切なことは、相手のことを想う気持ち。
 それこそが、被災者の「心の復興」に繋がると感じました。
 今後も、ずっと、このばあちゃんに寄り添って行こうと思います。


 ・2日目 (9月13日)〜A子ちゃんと
 集会所で敬老会のお手伝いをさせて頂きながら、「秋のパン祭り」として、開店したばかりの木村屋ベーカリーさんのパンを配りました。
 皆さん本当にお元気で、こっちがビックリするほどでした。


 しかし....
 集会場の前で遊ぶ子どもたちに、「一緒に中でご飯を食べよう」と言っても、「おじいちゃん、おばあちゃんが居るから」と言って、中に入ろうとしませんでした。
 敬老会はそれはそれでとても楽しかったのですが、外に居て集会場に入ろうとしない子どもたちを放って置くことが心苦しくなり、「ずっと子どもたちと遊ぼう!」と決めました。

 
 ある小さな女の子(以下「A子ちゃん」と呼びます)は、初めは、ゼミ生たちがお菓子できっかけを作り仲良くなろうとしましたが、心を開いてくれませんでした。
 そこで、私は、A子ちゃんを観察し、彼女の性格や気持ちを知ろうとしました。子どもであろうと、一人の人間として考えなければいけないと思ったからです。
 そして気づいたことは、A子ちゃんは一人で遊びますが、ちらちら人を見ながら遊んでいることです。
 そこで、A子ちゃんから話しかけてくれるまで横で黙って一緒に遊ぶ。つまり傍にいるだけにすると、いつの間にか心を開いてくれ、自然と一緒に遊んでいました。
 A子ちゃんに、「いつも遊んでいる所(遊び)を紹介して下さい、隊長!!」と言うと、嬉しそうに案内してくれました。
 木が腐りかけた平均台、草むらでの石投げ、倒れたサッカーゴールに紐を結んだブランコ、鬼ごっこ、石集めなど、本当に多くの遊びをしました。

 A子ちゃんと遊び疲れ、ベンチに一緒に座って、「他には、どんな所で遊ぶの?」と聞くと、不思議そうな顔つきで、
 「ここからは出ないよ。だって、外は危ないし。ここが一番楽しい。」
と無邪気に言った時に、私は言葉を失ってしまい、彼女の頭を撫でることしかできませんでした。
 それは、A子ちゃんは、物心がついた時から高田第一中学校のグラウンドの仮設住宅で暮らし、ずっと遊んできたのだと気づいたからですし、また、今まで気づけなかった自分も悲しく思えたからです。
 今まで、津波で全てを失い仮設住宅の暮らしをされている方の話を聞くのはとても心が痛かったですが、今回のように仮設住宅の暮らししか知らない子どもたちの話を聞くのは、とても辛かったです。
 今まで「今日だけでもA子ちゃんといっぱい遊ぼう。A子ちゃんに少しでも楽しんでもらいたい」と思い、ずっと遊んでいましたが、今はそれだけでは足りないと考えます。
 仮設住宅を出たときに、
 「あの時は、あの時なりに私は楽しかった !」
 (言い換えてみると、「多くの人たちに支えられて、けっこう楽しい人生を過ごしていた」「私の人生は『不運』や『不幸』、『失敗』や『選択ミス』などではなかった」)←伊達の補足
と思ってもらえるように活動したいです。

 私は、今まで、
 「(その瞬間、瞬間)少しでも(苦しみが軽減されて)笑顔になってほしい、喜んでほしい」
と思い活動してきましたが、今後大切にしていきたいのは、
 仮設住宅を出られた時に
 「あの時は楽しかった ! またあの人たちに会いたい !」
と思って頂くこと、
 一緒に(人生の)思い出を作っていくこと
だと思います。

 私はまた必ずこの場所に足を運び、同じ時間を過ごして行きたいと思います。