陸前高田合宿レポート 4回生 (8) 仮設住宅

馬場
 一年ぶりの陸前高田
 活動1日目は挨拶周り。1年ぶりにお会いできる喜び、懐かしさを胸に、仮設住宅の集会場を訪れました。
 そこには、去年と変わりなく、元気な方々がいらっしゃり、世間話をしながら再会を喜び、去年の思い出話で話が弾みました。
 私の顔を覚えててくださった方がいらっしゃり、大変嬉しく感じました。

 ですが、話の中で、仮設住宅から出て行く人と、まだ仮設住宅にとどまる人との2極化が進んでいることを知りました。
 仮設住宅を出ることは、幸せなことだけではありません。
 仮設住宅を出るということは、今あるコミュニティから離れることでもあります。新しい人間関係の構築や、新しい生活への順応に苦労される方も少なくないようです。
 また、仮設住宅に住まい続ける方は、夏の暑さ、冬の底冷えに悩まされ、となりの家との壁が薄いため生活騒音が限界に達しているとのことでした。


 仮設住宅にお住まいの方の中には、震災直後と同じ様に、心が落ち込んでいる方もいらっしゃるそうです。
 最初はこの言葉の意味を理解できずにいましたが、話が進むにつれ、少し理解が深まってきました。
 高台の宅地造成やかさ上げ工事により、震災前と同じ街ではないという喪失感や、慣れ親しんだ土地が全く別のものに変わってしまう寂しさで、胸がいっぱいになってしまう、とおっしゃっていました。



 2日目、最近新たにパン屋も始められた木村屋さんに協力していただき、「パン祭」を行いました。

 その日は仮設団地の敬老会もあったため、並行して行いました。多くの方が木村屋さんのおいしいパンで笑顔になっておられました。

 いつも私の名前を呼んで飛んできてくださる方(Aさん)がいらっしゃいます。
 毎回、伊達ゼミのイベントに参加していただき、いつも陸前高田の町のことを詳しくお話しをしてくださいます。
 「敬老会にもおいで!」
と言っていただいたので、参加して、たくさんのお話をしました。

 Aさんの口数が少ないのが気になりました。
 前回お話した時、「重い糖尿病を抱えている」とおっしゃっていたことも、とても気がかりでした。
 それ以外にも病気をお持ちで、とても心配になり、体調にお変わりないか聞こうとと思っても、勇気が出せないでいると、お話して下さりました。
 昨年よりも病気が悪化しているとのことでした。
 ですが、「病気の悪化を、仮設住宅に住んでいて生活が不便だからなどと言い訳をしたくない」
 「こうやって伊達ゼミや他のボランティア団体が仮設住宅に来てイベントをしてくれるから、それが唯一の楽しみで、仮設住宅から出たくないという気持ちもある」
とおっしゃっていました。

 私の就職活動の話をすると、
 「おめでとう!来年から社会人だね。馬場くんのおかげでとても元気が出たし、毎回すごく楽しみだった。でも、社会人になったら、忙しいから、もうこっちに来れないかもしれないね。」
とさみしそうな顔をしておっしゃられました。


 私はゼミ活動だけの縁であるとは思っておりませんし、ゼミ活動だから仲良くお話させて頂いたのではありません。
 Aさんを「被災者」という大きな枠組みで捉えるのではなく、遠く離れて暮らす家族のように思っています。
 また、必ず、陸前高田に会いに行きます。

 ですが、今回が最後のゼミ合宿であるのは確かなので、とてもつらい気持ちになります。社会人になると陸前高田に行く機会が減ると思うと、地球の反対側にまで行ってしまうような気持ちになりました。
 Aさんの病気の進行がとても心配です。

 最後に、Aさんは、
 「いつまで生きていられるか、わからないからね。仮設住宅で死んでも、他のところで死んでも、それが運命だから」
とおっしゃいました。
 私は「必ずまた会いに来る」と心に誓いました。



 「本当は自分の家でゆっくり生活したい。けれども今の歳を考えると、そう贅沢は言ってられない。」
そうおっしゃっていました。
 「自分の家でゆっくり暮らす」ことはそんなに「贅沢」なことなのでしょうか。
 仮設住宅を出て自分の家に住むことを「贅沢」と感じるほど、「復興」は進んでいません。

 私のことを「本当の孫のようだ」と言ってくださった方はAさんが初めてで、私も実の祖父のように感じているので、また、そばにいって、肩たたきでもしながら、お話したいです。