陸前高田合宿レポート 3回生 (6) 仮設住宅

山本
 2度目の陸前高田
 7か月ぶりの訪問でしたが、つい最近来ていたような、不思議な感じがしました。
 2月の合宿が終わった時から、早くまた、高田一中仮設のおばあちゃんたちに会いたくてたまらなくて、この合宿を心待ちにしていました。


 今回の合宿では、仮設住宅班、茶畑班、漁業班の3つの班に分かれて活動しました。
 私は仮設住宅の担当でした。
 今回の集会所での企画は、地元の海の幸を使ったお鍋と、棒サッカーの2つです。
 合宿の前にも事前にみんなで集まり、企画の内容を詳しく考えたこと、そしてゼミ生と前より仲良くなれたことが、私の中ではかなり嬉しくて、合宿に行く前からすでに「合宿の思い出」となっていました。


1日目
 陸前高田に着いてから、私は、村上食品店さんへ挨拶に行きました。
 村上食品店は、鍋に入れる具材を提供してくださる魚屋さんで、ご夫婦と、その息子さんの三人で営業されています。
 事前にも、「高齢者も大好き・食べやすい鍋の具材」について、いろいろと親身になって相談にのってくださり、とても助けられました。


 市役所前から歩いて向かったのですが、町並みは前と何も変わっていないような気がして、復興工事の終わりはなかなか見えない感じがしました。
 

 通行止めも多数あり、Googleの地図で示されているとおりには歩けなくて、お店に行くまでがかなり苦労しました。
 お店の場所は、もう少し下に行ったところでした。

 八百屋を30年やっていたそうなのですが、店が津波で流され、今の場所で魚屋を中心に営業しているのだそうです。


 品揃えが豊富です!


 挨拶を終えると、ご主人が鈴木旅館まで車で送ってくださいました。
 「津波が来て、この車に助けられた」
と震災当時のことを語ってくださいました。
 屋根の上にふり積もった雪までもかき集め、食品の保存用に使用していたことなど、今の私たちでは思いつかないような知恵で難局を乗り越えてこられたことが感じられました。
 「人間、何とかしようと思えばなんとかなる」
と、おっしゃっていた言葉がとても印象に残っています。
 その後も話は膨らみ、言葉の由来やら、日本の政治のこと、世界の戦争のことまで教えてくださいました。
 話がどんどん湧いてくるそのご様子は、知識が自身の血となり肉となっているのだと思いました。

 陸前高田についても教えてくださいました。
 「陸前高田は食が豊富で、そのまま食べても十分においしく食べることができるので、食文化が発達しない」。
 「それは良いことでも悪いことでもあるが、陸前高田の人たちはそのことを当たり前だと思っている」
 「あなたたちのような、他所から見ている若者が、陸前高田の良さについてもっと教えてほしい。」
とおっしゃっていました。
 かれこれ1時間以上も話をさせていただき、なんでも知っているご主人が、最後に、
 「テレビやネットではなく、本を読んで苦労して調べて、その事が正しいか正しくないかの判断力を身に付けるのが大事だ」
と教えてくださいました。
 車の中にも本も何冊かありました。
 わからないことだらけのこの世の中。
 勉強は一生続くのだ、ということを実感しました。


 2日目
 仮設住宅で、一人暮らし世帯を中心に、健康(生活不活発病)に関する聞き取りチェック。
 合宿の中でこの日が一番不安でした。
 ドアを開けるところから、話を聞いているところまで、なかなか自分の中でイメージができなかったからです。
 二人一組になり、とりあえず笑顔を意識して、自分たちの担当のお宅へと向かいました。
 が、空室だったり、留守かそうでないかもしれないが、声をかけても反応がなかったりと、全部、反応なしで、とても落ち込みました。

 その後、少しぶらぶらしていると、洗濯物を干しているAさんを発見し、声をかけてみることにしました。
 Aさんと、玄関の外で少しお話しすることができました。
 「足の手術をして、二日前に退院したの」
と、まだ歩くのが少し大変そうでした。けれど、
 「仕事には週5日行っているし、洗濯物を干すときに、家の裏まで歩くのをリハビリ代わりにしているのよ」
と、積極的に体を動かしておられる様子でした。
 「仕事以外で体を普段動かしていますか?」と聞いてみると、
 「ここは本当に何もすることがない、でも、趣味で家庭菜園をしているの。楽しいし、また違う植物も植えたい」
とのことで、立派なジャガイモを見せてくださいました。
 自家製のレタスもあるそうです。
 素敵です。
 退院したばかりということもあり、少し不自由ではありますが、自分で動く意思は見えました。
 「隣人との関わりがない」のが少し気になりました。


 道路の片隅のベンチでは、2月の合宿で仲良くなったおばあちゃんたちとゼミ生とで、にぎやかにお茶会が開かれていました。
 私を見つけると、すぐにみんな握手してくれて、「さきちゃん!」と声をかけてくれました。
 覚えてくれていたことが、とても嬉しかったです。
 次から次へと食べものがでてきたり、お互いの方言を教えあったり、楽しく会話しました。
 「私も前にトマトを育てていたのだけれど、実がなる前にとられちゃった。」
と話すBさん。
 料理の話になると、
 「山のキノコや栗をもらうので、ご飯にする」
と、今朝のマイタケご飯のおにぎりをいただくことに。
 Cさんの家の前にも大葉が育ててあったりと、花や野菜を育てている人が多く、驚きました。
 言われるてみると、仮設住宅の周りには植物が多いような気がします。
 何か新しいことを見つけて生活している様子をうかがうことができて、良かったと思います。


 昼からは集会所の中で、踊りの会の方々と「モルック」というゲームで遊びました。
 ボーリングみたいですが、ルール的にはダーツに似ている、そんなゲームです。

 ルールが分かってくると、コツを掴み、女子学生チームは3連勝しました。
 とても熱く盛り上がり、楽しめました。
 「“疲れた”じゃなくて、“頑張ったね”というのよ」
と、口をそろえて言う踊りの会の人たち。
 休む間もなく踊りが始まりました。
 東京音頭やチャオチャオ、そして私が気になっていた高田音頭を輪になって踊りました。
 私たちでも息がきれてくるのに、おばあちゃんたちはとても元気です。


 夜は、気仙茶の会による伊達ゼミ歓迎会でした。
 Tさんと一緒に、たくさんのおにぎりを協力して作りました。
 おにぎりの具のニンジンは、ご自分の畑のものだし、漬物、梅干しなど全て手作りでした。

 鍋のだしについてもアドバイスをいただきました。
 (漁業班のお土産の規格外)エゾイシカケ貝からとったダシは、とてもおいしかったです。
 鍋のダシが一番の懸案課題でしたが、「『それをよく知る人』から教えてもらい、最善の努力をし、その時点で最高のものをめざす。それが伊達ゼミの目指すところ」と先生から教えていただきました。
 Tさんのご協力のおかげで、自信をもって明日の本番を迎えることができました。



 3日目
 いよいよ仮設住宅・集会場でのイベント当日。

 私を含め3人は、まず、買い出しに行きました。
 村上食品さんは、立派で新鮮な魚を、さらにはアラの部分までも用意してくださいました。
 ありがとうございました !

 鍋パーティは大好評で、とても嬉しかったです!
最後には、
 「これで雑炊にするの〜」
と、鍋のダシを持って帰る人も少なくありませんでした。
 昨日、Bさんは、
 「自分で料理はするけれど、一人で食べるご飯はおいしくない」
とおっしゃってました。
 この鍋パ企画は、みなと一緒に食事をすることができたいい企画になったのではないかと思います。


 鍋を食べながら話したDさんは、前日が誕生日だったとか。
 イオンや生協の移動販売は聞いたことがありましたが、月に一回、移動図書館がくることは初めて聞きました。
 「編み物の本を借りて読むんだけど、5分で目が痛くなっちゃう!」
と笑いながらおっしゃっていました。
 「集会所に編み物の先生が来て、いろいろ作るの」だとか。



 「月に何度か病院に行かなければならない」という人たちも大勢いました。
 Eさんの話によると、
 「陸前高田に診療所や県立高田病院はあるけれど、そこにはない診療科の病院となると、大船渡の病院にまで行かなければならず、タクシーで片道6000円もかかるのよ」。とても深刻な問題です。みな、病院に行かなくなるのではないでしょうか。
【注: 岩手県被災地では、国民健康保険加入者を対象とした医療費の窓口負担の免除措置がとられています。来年12月末までです。こちら(河北新報2015年10月3日付)を参照】
 また、一中仮設のあの急な坂道に加え、さらに遠い場所となると、「外に出るのが億劫になる」というのもわかる気がしました。自家用車がないと、本当に不便です。
Eさんは、杖をついていたり、私たちの滞在中も、「帯状疱疹かもしれない」と病院に行かれていましたが、本人は「大丈夫」だとおっしゃっていました。。


 鍋はあっというまになくなり、続いて棒サッカーへ。
 外で話していた、FさんとGさんは、
 「運動なんて、若くないからできない。」、
 「棒も短いんでしょ、見えないし、私にはできないよ。」
と言い張って、なかなか集会所の中に入ってくれませんでしたが、何とか勧誘することができました。
 やり終えると、「楽しかった!」と満足げな様子。
 棒サッカーは、私たちも、設営の段階から何回もシミュレーションし、考えに考え抜きました。
 チームで団結し、予想以上に盛り上がりました。

 そして、何より、今まで見たことのない表情というか、普段とのギャップに大変驚きました。
 あのおばあちゃんたちが全員パワフルで激しくゲームに参加している様子には、圧倒されました。
 すごく生き生きしていました。
 点を入れればハイタッチ、笑顔が途切れることはありませんでした。
 本当に楽しかったです。


 お別れの時間もすぐにやってきました。
 握手をして一人一人の顔を頭に焼き付けました。

 今回感じたことは、趣味を見つけて何かに取り組んでいる人、運動している人、思っていたよりもみなさん毎日を楽しんでいることです。
 しかし、「何もすることがない」と感じている人もたくさんいるだろうし、きっとまだ部屋に閉じこもったきりの生活をしている人はたくさんいるのだろうと思います。

 食事の面だけで考えてみても、自炊する人と移動販売の弁当などを購入する人とに、大きく分かれます。
 細かいところまで見ていくほどに、生活の格差がはっきりと明らかになります。
 この違いは、震災から年を重ねるごとに目立ってくると思います。

 15日にはベルトコンベヤーの運転は終了し、もうすぐ公営住宅も出来ると聞きました。
 陸前高田もようやく変わり始めているのが目で感じられるようになりました。
 しかし、また新しい環境になって、今までの人とのつながりや生活はどうなるのだろうかと心配です。
 仮設住宅を出て、皆さん良い方向に向かうのか、私には想像もできないです。
 明るい未来がくることを願うばかりです。


 行き交う人との挨拶が絶えない陸前高田
 行く回数を重ねるたびに、どんどんこの土地が好きになります。
 次に訪れた時も、笑顔で皆さんとお会いしておしゃべりしたいです。
 それが、私の幸せでもあります。