陸前高田合宿レポート 3回生 (8) 仮設住宅

高橋
 今回のゼミ合宿は9/14〜17の4日間で行われた。
 前回2月に陸前高田に行き、今回は2度目だったため、向こうの空気や復興状況などが少しわかっていたので、2月に行った1回目よりは緊張感や不安な気持ちは少なかった。
 緊張感や不安感が無さすぎるのもあまりよくないと思い、当時の映像をもう一度見てから行くことにした。
 そのためか、2回目ではあったが、緊張感がないわけでなく、1回目に近い気持ちで行くことができたように感じた。



【1日目】
 関西国際空港で1泊してから飛行機で仙台空港へ向かう。
 前日から空港へ行き夜を明かした。
 空港に泊まるのは初めてだったが、飲食店やコンビニなどの施設も完備されていたため、特に不自由はしなかった。
 仙台空港に着いてからは、空港アクセス線を利用して仙台駅に行き、昼食を食べた。
 仙台は、自分たちの来る少し前まで、豪雨で交通機関が止まったりしていたが、そのようなことがあったとは思えないほど快晴で、よい合宿になりそうな予感を感じた。
 昼食後はバスに乗り、3時間かけて陸前高田へと向かった。
 前回は、緊張感や不安から来る疲れからか、バスの時間の間ずっと寝ていたが、今回は気持ちに余裕があったからか、外の風景を見ながら過ごしていた。
 陸前高田に近づくと、土砂を運ぶためのベルトコンベヤーが見えてきた。
 7ヶ月前に見たからか、以前よりコンベヤーの数が増えているように感じた。
 後述するが、このベルトコンベヤーは役目を終えたため徐々に撤去されていく予定らしい。
 高田一中の近くでは、生徒たちが仮設運動場で部活動をしていた。
 以前来たときは、学校の下駄箱の前のわずかなスペースで活動をしている姿しか見られなかったので、広いところで一生懸命に部活動をしている姿を見たとき、少し復興の兆しを感じ取ることができた。


 バス到着後、自分はイオンで鍋やガスコンロを調達する係だったため、久しぶりのBRTに乗り、「高田病院前」というところで降りてイオンへと向かった。
 以前はこちら方面へは来なかったため初めて見たが、病院前の薬局が4年以上経った今でもプレハブなことに驚き、復興に不安を感じた。
 備品の調達後、イオンから再度BRTの駅に向かっているときに、ふと空を見上げると星がとてもきれいで、汚れていた空気も元に戻りつつあるように感じた。
 宿泊は前回と同じく鈴木旅館さんにお世話になり、着いてからは翌日のミーティングを行い就寝した。



【2日目】
 この日は、仮設班の全員でいくつかの班に分かれ、仮設住宅を周り、住んでいる方に生活不活発病のチェックを行った。
 このときに、仮設住宅には自分の思っていた以上に1人暮らしが多いことや、被災された方だけでなく、派遣公務員の方が住んでいるなど、初めて知ることも多かった。
 健康チェック活動では、最初にAさんという女性の方にお話を伺った。
 Aさんは生活不活発病とは無縁な方で、震災前も仮設にいる今も、変わらずに畑仕事をされているらしく、バイクで畑まで通って作業をされている。
 Aさんいわく、
 「この地域は風が強いから、夏は外の方が涼しいし、太陽の光を浴びないと人は健康でいられない。」
とお話をされていた。
 その言葉通り、自分たちが声をおかけしたときは、自分の仮設の前で軍手をつけて作業をされており、とても健康で元気な方という印象を持った。

 その後も何軒か周ったが、鍵が開いていなかったり、鍵は開いているが中にいるかどうかがわからないといったことが続き、なかなかチェックが思うように進まなかった。


 時間を変えた方がよいと考え歩いていると、他のゼミ生と住民の方々がベンチでお話をしていたので、自分も参加した。
 そこでは、おばあさんたちとお菓子などを食べながら、普段の楽しいお話や日常の中での不便なことなど、色々な話をした。
 楽しい話とは、ゼミ生の出身地がバラバラなことから、みんな、それぞれの地域の方言を披露していたこと。
 不便な話とは、「杖がないと自由に歩くことができないのに、杖が壊れてしまったので、新しいのが欲しいが手に入れにくい」ことだった。
 それから少しすると、テレビ局の方がこられて、取材をしていた。
 テレビ局の方は、いくつか質問され、1つ目が、
 「土砂運びの作業が終わりベルトコンベヤーの撤去が決まりました。また復興に一歩進んだと思うのですが、どうお考えですか?」
 これに対し、Bさんは、
 「ベルトコンベヤーの運転が止まっても、自分の土地の区画が決まっていても、そこの岩盤が固いという理由で、結局、『高台移転の完了にはさらに時間がかかる』と役所の人に言われてしまった。できることなら、一刻も早くここから出たい。」
と答えられていた。

 2つ目の質問は、
 「ベルトコンベヤーの撤去が次の復興の足掛かりになると思うのですが、どうお考えですか?」
という質問で、これには、Cさんが
 「若い人たちはいいが、オリンピック等で復興工事が遅れると、年寄りは不安。だけど、震災はいろんな人との交流の機会をくれたので、悪いことばかりではないと思う。」
と答えられていた。
 仮設の住人の方々の本音を垣間見ることができた。
 そのまま2時間弱くらいお話をした後、チェック活動を再開した。

 Dさんのお宅にお邪魔した。
 Dさん夫妻からは、震災前や当時の話をお聞きした。
 奥さんは、
 「震災前は、孫の世話や親の介護ばかりに時間を取られていた。今はそれをしなくてもよいので、楽しい。理由はほかにも、様々な人とコミュニケーションが取れるし、次の目標(仮設を出ること)があるから。」
と話され、一概に「仮設暮らし=嫌」とは言えないことがわかった。
 また、震災当時のお孫さんの話をされていて、
 「震災時、自分たちや息子夫婦は逃げられたが、息子の長男と連絡が取れなくなっていた。1日以上連絡が取れなかったので、正直、死んでしまったと思っていた。しかし、先輩の家にお世話になっていて無事だったことがわかり、再会することができた。家族が全員無事だったお宅はほとんどなかったから、本当にうれしかった。」
 目を潤ませながら、お話していただいた。
 前回と違い、ご飯を食べながらでなく、じっくりお話をしていただいたので、今まで聞いたものよりずっと当時の臨場感を感じ、強く心に残った。

 最近の報道では、ベルトコンベヤーの撤去が大々的に取り上げられているため、一見すると、広い意味での復興は着実に進んでいると思われるかもしれない。
 しかし、いつ仮設住宅を離れられるかわからない一中仮設の方々にとっての復興はまだまだ先のことなのだと感じた。
 当初、想定されていたよりもずっと長い仮設生活を強いられている方々が「遅れ」を宣告されたときの脱力感や憤りは、自分には想像もできないものだ。
 東京五輪のような国際イベントも大事だが、もっと被災地のことを考えるべきではないかと思った。


 【3日目】
この日は、集会所で鍋パーティーと棒サッカーを行う日。
 自分と何人かは、朝から買い出しに行っていた。
 買い出し後は、集会所でみんなと合流し、鍋の準備にとりかかった。
 全員で鍋の準備を進め、12時ごろになると、続々と仮設住宅の方が来て、鍋パーティーが始まった。

 昨日のチェック活動の際にお話ししたおかげか、前回より全体的に会話が弾んで、楽しい雰囲気が集会所の中にあふれていた。
 また、「鍋をみんなで囲んで食べる」ということも、この雰囲気づくりに一役買っていたと思う。


 鍋の後は、食材や机を片付け、棒サッカー大会を行った。
 前回のAKBダンスとは違い、今回はスポーツだったので、足の悪い方や運動をしない方々が盛り上がってくれるか、不安なところもあったが、自分の予想に反して、みなさん興奮して大盛り上がりだったの。
 「準備をしてきてよかった」と思った。

 結果は、赤チームの優勝だったが、自チームが得点したときや自分で点を入れたときの笑顔は今でも覚えていて、今回、一番の「笑顔」だったように感じた。


 棒サッカーを終えた後は仮設の方々にお礼と別れを告げ、鶴亀鮨へと向かい晩御飯を食べた。


 今回の合宿で一番の得られたことは、当事者の口から当時の状況や今現在思っていることを聞いたことだ。
 Aさんからは、どんな状況でも元気に活動できる秘訣を、Cさんからは、先延ばしになる復興工事への本音を、Dさんご夫妻からは当時の凄惨な状況、全員無事でよかったというお話を聞くことができた。
 わかりやすい復興報道に満足せず、今回うかがったお話しを絶対に忘れないようにしようと思った。