陸前高田合宿レポート 3回生 (9) 仮設住宅

高垣
 9月14日から17日にかけて、岩手県陸前高田市へボランティアに行きました。
 前回に引き続き仮設班だった私は、高田一中仮設住宅を中心に活動を行ってきました。

14日。
 この日は夕方に陸前高田市に到着し、買い出しや仮設訪問に分かれ翌日の準備をした後、16日に予定されていた鍋の試作を行いました。
 合宿へ行く前にも鍋の試作をし、その際に出汁の問題など改善点がありましたが、それをもとに、この直前の試作では、かなり美味しくすることができました。

15日。
 仮設班の私は、生活不活発病の聞き取りチェックを行いました。
 朝のラジオ体操にも参加する予定でしたが、この日は仮設住宅の皆さんが「フラワーロードの草とりボランティア活動をする」とのことだったので、そのまま聞き取りに入りました。

 最初は話を伺うのにしどろもどろとしていましたが、私以外のメンバーも含め、だんだんと慣れていきました。


 最初にお話を伺ったAさんは、夫婦で2DKの仮設住宅に住まわれており、仕事に忙しい生活を送っておられるようでした。
 Aさんは手術を受けた後であまり歩けず、少しどんよりとしているご様子でしたが、高田一中に通うお孫さんの話になると、嬉しそうにしながら、お孫さんと一緒に取った立派なジャガイモなどを見せてくれました。
 また、「日々のお買い物はどうしているのですか」と尋ねると、「(震災)前はすぐ近くに店があったけど、今は仕事帰りに車で買いに行く」とのことで、仕事以外で歩く機会はあまり無いそう。
 しかし、もともと畑仕事が好きだそうで、そのおかげか、足腰に特に不便を感じているようには思えませんでした。


 Aさんへの聞き取りが終わった後、何人かで外に椅子を並べてお茶会をしているところに呼ばれ、そちらに合流。

 ほかのメンバーもいて、最終的には10人を超える大茶会となりました。

 お話を聞きながら、持ってきていただいたお茶やお菓子を食べていると、テレビ局のカメラマンとインタビュアーが来て、仮設住宅の皆さんに「陸前高田市のベルトコンベアーが運転終了しましたが、どう思われますか?」という質問をしていました。
 住人の方々は、「高台への移転は決まっているが、岩盤などで工事が遅れている。(仮設を)早く出たいです。」
 「オリンピックの工事のために復興が遅れているんじゃないかと不安を感じる」といった焦りや不安を述べる一方で、「悪いことばかりじゃない。こんな風に知らなかった人とも交流を持つことができた」と前向きな方もいました。
 皆さんに共通なのは、復興工事に「遅さ」を感じているという点でした。

 お昼には、集会所で「モルック」で遊びました。
 モルックとは、数字の書いたピンをボウリングのように倒し、その点数を競うもので、私は審判兼計算係をさせてもらいました。
 女子学生チーム対おばあちゃんチームに分かれて、学生チームの3連勝。
 学生もおばあちゃんたちも、非常に楽しむことができました。


 その後は、お茶休憩をし、「高田音頭」などを一緒に踊り、教えてもらっていました。


 聞き取りも終わりに差しかかり、まだ帰ってきていないメンバーを探しに、Bさんの仮設住宅に伺ったところ、私もその話の中へ。
 飛び入りだったにもかかわらず、コーヒーとお菓子をいただきながら、Bさんに陸前高田の歴史を聞かせていただきました。
 Bさんのお話と、そのあとの気仙茶の会によるバーベキュー交流会のときのお話を聞いていると、みなさん、「陸前高田の歴史」にかなり詳しく、陸前高田という場所が好きなことが伝ってきました。
 私たちの学習の範疇では、日本史は習っても、近畿史、京都史などを一貫して学ぶことはほぼないと思います。
 その点、この方たちは、自ら図書館などで歴史の本をめくっているのだそうで、感心しました。

 気仙茶の会によるバーベキューも、ホタテやサンマなど多彩な魚介類からホルモン肉までご馳走してくださいました。
 ありがとうございました。


 16日。
 仮設班はラジオ体操に参加し、お昼の鍋の準備へ。
 座席数も再調整し、何とかあふれることもありませんでした。
 鍋も、ほぼ試作通りに作ることができ、鍋そのものに関しては準備万端でのぞめたと思います。
 塩味としょうゆ味どちらも好評で、私がいた塩味の鍋も、「海鮮の出汁が美味しい」と言っていただけました。
 あるおばあちゃんが、隣の方に「○○さん、お鍋よそおうか?」と言った際、 
「いんや、私は孫によそってもらうから」と言ってもらえたのが、すごくうれしかったです。
 おばあちゃんたちが私たちを孫のように見るのと同じように、私も自分のおばあちゃんのように接することができました。


 ぽつぽつと帰宅する方が出てきたころ、Cさんとお茶の話から話題が膨らみました。
 Cさんは代々農家だったそうで、高田一中のある土地は、昔は、Cさんの家の畑だったそうです。
 イモ類や自家用の茶畑など、手広く育てていたことなど教えていただきました。

 ほかにも、Cさんが今まで過ごしてきたいろいろな場所の美味しいものを教えてもらったり、陸前高田の実家に戻ってきてすぐに震災に遭われたことを聞きました。


 今ふりかえってみると、合宿前に準備していた「話の聴き方」は実践はできていたように思います。
 特に、相手の話を聞いていることを「言動で示す」ことは確かに重要だと感じ、相手の言ったことを繰り返したり、しっかりと相槌を打つと、話し手は安心して話を続けられているという実感を得ました。


 鍋のあとは、少し時間を空けて棒サッカーへ。
 棒サッカーのセッティングは、前日に最終調整をしておいたので、スムーズに設営することはできたと思いますが、それでも開始時間は少し押してしまいました。
 開始時点では、住人の方は10名ほどだったと思いますが、始まってからも、声を聞きつけたのか、何人かの方が集会所に集まってくださいました。
 私は鍋の後片付けや荷造りなどの担当だったので、あまりじっくり観戦する時間はありませんでしたが、おばあちゃんたちが非常に楽しく棒サッカーをしていたことは歓声からよくわかりました。


 棒サッカーが終わり、お茶休憩をした後、学生だけで後片付けや荷造りを終わらせる予定でしたが、ごみの分別のことなどを聞いているうちに、住人の皆さんも片づけに参加してくださっていました。


 ほかの学生やおばあちゃんたちの手際の良さにも助けられ、片づけも定刻通りに終えることができ、非常にありがたかったです。


 仮設住宅の方々に別れを告げ、鶴亀鮨さんへ。
 海鮮丼をいただき、帰りにはテープ?で華やかな写真にしてもらい、大将さんお手製の名刺兼表彰状までいただきました。
 突然の予約にもかかわらず、2階の部屋を貸し切りにしていただき、その心意気に感銘を受けました。
 ありがとうございました。
 

 前回の仮設住宅訪問では、あまり現地の方と交流する機会が持てず、深く話をすることができませんでしたが、今回は一つ進歩できたと思います。
 今回は話をすることに焦点を当てて、聞き取りやみんなで囲んでの鍋などをして、話す機会を多く持つことができました。もちろん楽しい話ばかりではありませんが、現地の方々の「話したい」という感情に、ほんの少しですが応えられたように思います。


 私が初めて陸前高田市を訪れたのは2014年の夏で、今回の合宿で3度目になりました。
 この約1年間を比べてみて考えると、復興は確かに進んでいます。
 少しずつではありますが着実に進んでいます。
 ですが、その復興に「遅さ」を感じているのも事実です。
 復興というと、元あったような住宅街などが立ち並んでゆくのをイメージしてしまいますが、実際は新たな防波堤や高層の災害公営住宅ができています。
 高台に移転することで、もともと暮らしていた土地、風景には被災者の方々は戻ることができません。
 「復興」が意味するところは、元に戻すのではなく、新しい風景で街を再開させようとしている、そう感じるまでに私はかなり長い時間を要しました。
 そして、そのことに、期待よりも大きな不安を抱えているのは、現地の方々です。
 災害公営住宅ができるという報道を聞いたときは、「復興が一歩進んだな」と手放しに思っていましたが、公営住宅の入居の抽選に外れてしまい困っている方を見たときに、ある言葉を思い出しました。

 「これは2万人が亡くなった一つの災害じゃない。一人の人間が亡くなった2万件の災害だ」。

 被災しなかった私たちは、震災を第三者的に一つにまとめて見てしまいがちですが、「それぞれの震災」があることを思い知りました。

 今回の合宿では、そのいくつかについて触れる機会となりましたが、陸前高田の人々も、報道で見たように、困窮していることは同じだと思います。
 しかし、私が出会った方々は、それを「乗り越える」とまでは行かなくとも「受け容れようとしている」と感じました。
 震災から年月が経ったこともありますが、その上で、ほとんどの方は、諦めずに何とか生きていこうとしています。
 私が訪れたこの1年間で比べても、その姿勢は衰えてはいないように感じました。