陸前高田合宿レポート 3回生 (11) 仮設住宅

藤野
 9月14日(月)から17日(木)までの4日間私たち伊達ゼミ3回生は、岩手県陸前高田を訪問した。
 私にとって2回目の訪問となる。
 前回の訪問は、今年の2月9日〜12日の4日間で寒い時期でした。

 今回も、前回と同じように、関西空港から仙台空港へ飛び、そこから電車で仙台駅へ。
 仙台駅前はたくさんの人で賑わっていた。
 そして、仙台駅から3時間ほどバスに揺られ陸前高田に向かった。
 陸前高田に向かう途中、景色が一瞬にして変わる瞬間がある。
 それは、あの巨大なベルトコンベヤーが見えた瞬間だ。

 このベルトコンベアは、今泉地区の山を削って出た土砂を、かさ上げ用や防潮堤用の土砂として高田地区に運ぶために作られたものだ。
 ベルトコンベアが見えたあたりから、住宅街がなくなり、かさ上げの景色が開けてくる。
 私が感じたのは、「変わったな」ということだ。
 2月に訪問したときは、まだかさ上げが始まっていない更地のようなところが多かったのだが、今回訪問した時には、ほとんどのところがかさ上げされていた。


 陸前高田市役所の前にバスが着き、そこからBRTに乗り換える。
 ここでも以前と「変わった」ところがあった。
 それはBRT乗り場だ。
 前は、停留所のポールがあるだったが、デラックスな待合室と乗り場が消防署の前にできていた。
 その「駅」から高田一中仮設住宅へ行くには、大型トラックが行き交う横の歩道を歩いて長い階段を降りするしかなかったのだが、消防署のわきに、「駅」から高田一中の坂の下に続く道ができていた。
 これによって、だいぶ、陸前高田駅まで行きやすくなったように感じた。
 【現時点では、一中の仮設住宅の住人がこの道を使うためには、まず、急な坂道を降り、次に、大型トラックが行き交う(学生にとっても)とてもキケンな道路を横断し、大坂写真館側に行かなければならない。将来、災害公営住宅が完成し、仮設にいる方々がそこに入居されたときには、意味があると思います。―伊達の補足】


1日目。
 陸前高田で買い出し班、挨拶回り班、鈴木旅館班に別れて行動した。
 私は鈴木旅館班たっだので、BRTで陸前矢作に向かった。
 そして、夜は、2日目のミーティングを行い終了した。

2日目
 仮設班は、10時ごろから、二人一組になり、一人暮らし世帯の健康チェックを開始した。
 加藤さんとペアになり、Aさんのお宅を最初に訪問した。
 Aさんは、突然訪れた私たちに、最初は、
 「なんだ?」
という顔をされたが、明日のイベントのチラシを見せながら、鍋パーティーのことを話すと、
 「あぁ、前にチラシをもらったよ」
と、にこやかに返してくださった。
 「最近、外に出かけていますか?」
と尋ねると、
 「毎日、買い物に出かけている」
とおっしゃった。
 Aさんは、毎日、ご飯を自分で作っているそうだ。
 また、お風呂も、毎日、外に入りに行っているそうだ。
 「仮設に設置されているお風呂は、狭くて入れたものではない。今は物置にしている」
とのこと。

 私たちが宿泊していた鈴木旅館にも、お風呂に入りに来る仮設住宅の方がたくさんいる。
 きっとAさんと同じ理由なのだろうと思った。

 玄関先に水飲み場を置いてスズメの世話をしている話や、家の周りにある花壇についてお話をした。
 初めての仮設訪問で、緊張しながらだったが、Aさんはとても親切にお話をしてくださった。


 2軒目に訪問した方は、Aさんのお宅の2軒隣のBさんだ。
 Bさんは、玄関先で、チラシをみていらっしゃった。「こんにちは」とあいさつする私たちを見ると、少し怪訝そうな顔をされ、
 「何ですか?なんかのボランティア?」
と尋ねられた。
 「京都から来た龍谷大学の伊達ゼミです」と話すと、
 「昨日もあそこ(集会所)でなんかしてたね」
と、伊達ゼミのことを知ってくださっていた。
 なので、「明日、鍋パーティーあるので、もしよかったら...」
というと、
 「行かない。」
と即答されてしまった。
 少し粘ってイベントに興味を持ってもらおうとしたのだが、
 「行かない。そういうのは行かないの。」
とおっしゃり、それ以上お話を聞くことが難しそうだったので、そこで失礼をした。
 「調査」や「ボランティア」にうんざりしているように感じた。


 3軒目にお話を伺ったのは、Cさん。
 息子さんと二人暮らしをされている。
 鍋パーティーのことを話すと、「仕事の都合で行けない」とおっしゃった。
 京都にも仕事で訪れたことがあるそうで、「観光をしたかったが、仕事が終わるとすぐに岩手に帰らなければならず、京都を見ることができなくて残念だった」と、お話をしてくださった。
 「ご飯はどうしているんですか?」
 「コンビニ弁当を食べている」
 「自炊はされないんですか?」
 「女房が津波で流されてからは、作れる人がいないから」

 言いたくないことを言わせてしまった。
 ものすごく後悔した。
 何も言葉がでてこない。
 「健康チェック」の活動は、(意識の面を取り扱わないようにしているとはいえ)やはり、とても難しい活動だ。


 お昼頃になると、フラワーロードの花畑のボランティアから帰宅してきた人や、生協の訪問販売車で人通りが多くなった。
 いろいろな方と出会うたびに、「どこから来たの?」と声をかけてくださり、「京都からです」と答えると、「あ〜伊達ゼミの!」と私たちを覚えていてくれている人もいて、とても嬉しく感じた。
 前回の手巻きずしパーティに参加していた方にも何人か再会することができた。

 集会所に戻ろうとしたときに、「はまらいん!はまらいん!」と手招きをされた。
 「はまらいん」とは、陸前高田の方言の一つで、「おいで、仲間にはいって」という意味らしい。
 私たちを呼んでくれたのは、Dさんだ。
 Dさんは、前回のイベントに参加していただいた方で、他にも、Eさん、Fさん、Gさんがいらっしゃり、外のベンチでゼミ生と一緒に「お茶っこ」をしていた。
 そこに私たちも混ぜていただき、しばらくおしゃべりをした。
 Dさん達は、私たちにお菓子やお茶をたくさん振る舞ってくださり、とても歓迎してくださった。

 私は、Gさんの隣に座った。
 Gさんは、ご飯を毎日作っていて、この日の朝は、知り合いからもらったマイタケでご飯を炊いたそうだ。
 移動販売で売られているお総菜やお弁当は、「美味しくないから食べない」らしい。


 そうやって外でワイワイお茶っこをしていると、テレビ局が取材に来た。
 取材の内容は、
 「9月15日でベルトコンベアの運転が終了し、かさ上げの49%が完了したことについてどう思うか?」
というものだった。
 インタビューを受けたDさん達は、
 「ベルトコンベアの運転が終了しても、いつ仮設から出られるかわからない...」
と、「先の見えない生活に不安を抱いている」ということを回答されていた。



 お昼を過ぎてからは踊りの会の方たちとで〝モルック″で対戦し、そのあと踊りを教えていただいた。
〝高田音頭″、〝チャオチャオ″などの陸前高田の盆踊りや、〝東京音頭″を一緒に踊った。


 今回の健康チェックの内容である「生活不活発病」は、外に出る機会が減り、家の中でも動くことが少なくなり、全身の機能が低下してしまう病気だ。
 「仮設暮らしによって、外出の機会が減り、家にいることが多くなっているのでは」という仮説のもとに、このチェック活動を行ったのだが、私の個人的印象では、そんなことはないのではないかと思う結果だった。
 私がお話を聞いた方たちは、毎日買い物するために外出していた。
 しかし、今回、わたしがお話を伺った人達がお元気な方が多かったせいもあるから、そう感じただけなのかも知れない。
 次はもっと色んな方とお話ができればと思った。


 2日目の夜は、〝気仙茶″の会の菊池会長のお宅で、バーベキューをご馳走になった。
 菊池会長のお宅に向かうため、陸前高田からBRTで脇ノ沢というところまで移動した。
 前回は、陸前矢作陸前高田の往復のみだったので、初めていく場所にわくわくした。
 脇ノ沢のある米崎町は、山のふもとのようなところで、急な坂がたくさんあった。
 気仙茶の茶園も多いそうだ。
 京都・南山城村の木野さんの茶園も山の近くで、急な坂が多い土地だったので、お茶づくりに共通しているのかもしれないと思った。
 菊池会長のお宅に到着すると、気仙茶の会の方々、町内の方々、伊達ゼミ・気仙茶班のメンバーが準備をしてくれていた。
 菊池会長のあいさつで始まったバーべキューは、とても楽しかった。
 会長から〝気仙茶″について、少しお話を伺ことができた。
 〝気仙茶″は自家用。
 木野さんのお茶と違うところは、「お茶の花を咲かせている」というところ。
 花を咲かせてしまうと栄養分を取られてしまうため、ふつうは咲かせないそうだ。

 木野さんの茶畑では花は見たことがなく、お茶の花の存在自体も知らなかった(笑)ので、とても驚いた。


 3日目。
 集会場で鍋パーティーと棒サッカーを行った。
 鍋パーティでは、たくさん魚介類を使った海鮮鍋をみんなで食べた。
 鍋はしょうゆ味と塩味を用意。
 陸前高田の方々は濃い味が好みという話を聞いていたので、美味しく食べてもらえるか心配だったが、村上食品さんが魚のアラなども持たせてくれたおかげで、良い出汁がでて、とても美味しい海鮮鍋を作ることができた。
 「塩味は普段食べないけど、こんなに出汁がでるとは思わなかった」、
 「美味しい」
という感想が聞こえてきたときは、とてもうれしかった。
 私は、前回も来てくれていたEさんと一緒に鍋を食べた。
「普段は一人で食べているけど、こんな風に学生さんと一緒に食べれるなんて…」と、嬉しそうにおっしゃっていた。


 同じテーブルには、ノルディック・ウォーキング協会の方もいらっしゃった。
 その方は、高田一中仮設住宅などで、〝ノルディック・ウォーキング″をお年寄りの方たちに教えているそうだ。
 仮設住宅を回った時にスキーの棒(ポール)を持って歩いている方をよく見かけたのだが、それが〝ノルディック・ウォーキング″だったようだ。
 しばらく、ノルディック・ウォーキングや赤十字の活動についても教えていただいた。
 貴重な体験ができた。

 鍋パーティが終わった後は、棒サッカーを行った。
 棒サッカーとは、椅子に座り、棒を使って行うサッカーで、高齢者や車いすの方でもできるスポーツとして、関西を中心に行われている。
 今回は、集会場という狭い場所で行うため、棒サッカー協会からアドバイスをもらい、少し改良を加えた形で実施した。
 はじめ、棒サッカーについての説明やビデオを見てもらい、準備体操をしてから、3チームに分かれて対戦した。

 最初は、棒サッカーという馴染みのないスポーツに、皆さん、どこか不安そうな顔をされていたが、いざ試合が始まると、夢中でボールを棒で追いかけていた。
 おしゃべりをしていた時の穏やかな顔から、一変して、真剣にボールを追う姿に、こちらも熱くなって声援を送った。
 棒サッカーは、予想以上に盛り上がり、椅子に座っていなければならないルールなのに、椅子から立ち上がってしまう方が続出した(笑)。
 何よりも、今まで見たことのない、皆さんの白熱した姿を見ることができて、嬉しかった。
 そして、最後は、みんなで「お茶っこ」をして、私たち仮設班の活動は終了した。


 2回目の合宿を終えて、1回目、2月に陸前高田を訪れたときは、どこか観光気分なところもあったが、今回は少し落ち着いた目線で見ることができたと思う。


 今回、仮設住宅を訪れて驚いたことがある。
 それは、仮設住宅の〝老朽化″の深刻さだ。
 合宿前に、仮設住宅が老朽化しているという話を聞いてはいたのだが、実際訪れたときに工事が行われている真っ最中だったのだ。
 お話しを伺ったときに何の工事をしているのか教えてもらったのだが、その工事内容は衝撃的だった。
 それは、仮設住宅の基礎が腐ってしまい、その補強工事をしているそうだ。
 仮設住宅の想定使用年数は2年。
 それで、皆さん、「2年で仮設から出れるのでは」とも考えていた。それが「3年」となり、その後、高台の宅地造成や土地のかさ上げ等の工事の遅れなどで、もう「5年目」を迎えている。
 一中仮設住宅に住む人達の多くは、災害公営住宅や高台への移住が決定しているが、工事が終わらず、いつ仮設から出れるかわからない状態で日々を過ごしている。
 私は、「かさ上げが49%完了した」と聞いたとき、「すごい!あと半分だ!」と思っていた。
 しかし、宅地造成が完了し、さらに、そこから住宅を建てて実際に移住するまでの道のりは、まだまだ長いのだ。
 私が初日に「変わった」と感じたことも、そこに暮らす人達からすれば、ほんの小さな変化であり、やっとここまでか…という感覚なのかもしれない。
 復興への道のりは、私たちがおもっている以上に、長く不透明だ。


【参考】