『つなみ〜被災地のこども80人の作文集』の感想 (2回生)

 最近の2回生のゼミでは、『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(文藝春秋、8月号増刊、2011年8月)を読み、感想を出し合っています。
 同書の「完全版」(福島県を含む)もあります。こちら文藝春秋社のHPをご参照ください。


 アダム・スミス道徳感情論』の「共感 (sympathy)」を出発点とし「震災復興の経済学」の構築をめざす本ゼミにおいて、「感想」とは、

 被災地の子供たち一人ひとりが、あの日、何を「感」じたのかを「想」うこと、
ではないか、と思います。
 アダム・スミスは、こう言っています。


 「他人が何を感じているか、我々はそれを直接体験することができないから、他人が心を動かされる仕方を知る方法は、同じ状況にあれば自分が何を感じるか想像する他にない。」(アダム・スミス道徳感情論』講談社学術文庫、30-31頁、岩波文庫 [上]24頁)
 そして、この「想像」とは、「想像上の立場 (境遇) の交換」だ、とスミスは述べています。
 「共感 (sympathy)」は、「想像上の立場(境遇)の交換」によって生じるのです。

 ●「我々は、想像によって自分自身を彼の立場に置き、同じ拷問のすべてに耐えると思い浮かべ、それをまるで彼の身体であるかのように理解し、こうしてある程度まで彼と同じ人物になる。」(アダム・スミス道徳感情論』講談社学術文庫、31頁、岩波文庫 [上] 25頁)

 ●「この想像上の交換は、自分自身の身体と人格のなかで私に生じると想定されるのではなく、自分自身が共感する人物の身体と人格のなかで私に生ずるものである。
 私が一人息子を亡くしたあなたに慰めを言うとき、もし私に息子がいれば、さらに、もしその息子が不運にも死んだとすれば、私・・・が被るはずのことを考えて、あなたの悲哀をくみ取ろうとするわけではない。
 そうではなく、もし私が実際にあなたであったら、私が被っていただろうことを考えるのであって、したがって私は、あなたと境遇を交換しているだけではなく、身体と人格をも交換しているのである。」(アダム・スミス道徳感情論』講談社学術文庫、585-586頁、岩波文庫[下]339-340頁)


 「私が感じたこと・思ったこと」も大事なのですが、
 「彼・彼女」の言葉を「私」の言葉が奪い取っていないか、
 「彼・彼女」と「私」との《つながり》を、「私」の言葉で断ち切っていないか、
という観点は、とても大事だと思います。


佐藤 圭祐
 陸前高田市のO君(高田小3年生)の書いた作文が心に響いた。
 読んだあとになにも言えない自分がいた。
 もしも、なにか声をかけてあげられるとしたらと考えても、何も浮かんでこなかった。
 それほどまで破壊力のある作文だったからだ。
 O君はあれからどうしていて、今どうなっているのかというのが気になる。
 一度、彼と会ってみたいと思う。
 だからといって、なにかできるのかと問われると、答えは否である。
 まだまだ知識の浅い自分としては、右も左もわからない状態である。
 失礼だと思われるのではないかと思ってしまう。
 今の我々には話をしっかり聴くこと、このあたり前のことをできるようにしなければならない。


吉川 陽菜
 Oくんの「まつの木一本」という作文について感想を書きます。
 この子の小学生ながらの言葉で紡がれた作文を読むと、当時の状況がこの子にとって全く想像がつかなかった事態だったということが伝わってきて、言葉が出ませんでした。
 何をどういう風に書けばいいのかもハッキリしないままに書かれたようにも見える文は、やけに淡々としていて、違和感に似た怖さが読んでいて感じました。
 左下の解説の部分を見ると、両親が助からなかったことが書かれていて、やっぱり作文で本当の悲しみには触れられないものだと改めて認識しました。
 もしかしたら、この子には弟がいるので、自分がしっかりしないと、という意識が強いために、悲しみを振り返る余裕がないのかもしれないと考えさせられました。


梅本 康介
 Oさんの作文からは、想像するだけで胸が痛くなるくらいの感情が伝わってきました。
 作文には、何度も何度も消して書き直すような跡が残っていました。
 下の解説を読んでみて感じたのだが、及川さんは、この時どんな思いで作文を書いていたのかということを考えさせられる内容だったと思います。
 Oさんは、当時の感情を表には出さずに、その時に起こった出来事を述べていた。
 これは、他の方の作文にも共通していたと考える。
 まつの木一本しかのこっていなかった、という言葉が津波地震の恐ろしさを物語っていると感じた。
 Oさんは、この時の景色を見て、気持ちの中ではこれからどうしていけばいいのかという戸惑っていたのではないかと考えました。
 しかし、父の火葬を終えた時、涙を見せなかったと解説に書かれていて、心の強い方だなと感じた。
 僕がこの立場なら、恐らく泣いてしまっているかもしれないと思うからです。
 今回、当時の被災者の子供達の作文を読んで、様々な形から津波について考えることができたと思います。
 これから風化などをさせないことなど、支援できる方法を考えていきたいと考えます。


杉本 一郎
 私がこの作文集で心に残ったのは、O君の作文である。
 はじめに、なぜこの作文を選んだのか。
 その理由として、O君は他の子の作文と違って、家族・友人のことを作文に綴っていなかったこと、また、震災当時の心境が綴られていなかったこと。
 この二つが主に挙げられる。
 一つ目に、家族・友人綴られていないことについては、恐らくこの震災で両親を亡くしたことが関係しているのであろう。
 解説では、父の火葬では、涙を見せず「オレ、安心したよ。」と言っていたらしい。
 私がもし同じ立場でも、同じように涙を見せずにいられただろうか。
 到底、正気ではいられないだろう。
 そのように考えると、この震災で人知れず失われていったものが、どれだけの数であったかを考えさせられた。
 また、決して忘れてはならない事だと再確認できた。
 二つ目に、当時の心境があまり綴られていなかったことについては、正直、はっきりとした理由は分からない。
 ただ、一つだけ、最後の文に、「おそろしい」と綴られている。
 私は、この「おそろしい」という文字に、O君が当時経験した震災の恐怖のすべてが込められているのではないかと考えている。
 O君は、「あの電柱がこっちに倒れてきたら、オレここにいなかったよ」とも振り返っていたそうだが、当時小学校三年生の子が死に直面していたという事実、また、これはO君に限らず何人もの方が経験していたという事実に、改めて驚愕したとしか言えない。
 最後に、この作文のなかで感じたことがもう一つある。
 それは、唯一この作文の中で出てくる「僕たち」というO君以外の人物を示す言葉があるが、果たして、この「たち」に含まれる方たちは、一体どうなったのか、生きているのか、津波に流されてしまったのか。そういったことも気になる一文でもあった。
 O君の作文に限らず、すべての作文から考えさせられることが多々あった。
 「つなみ」という作文集を読めたことがいい経験になったと思う。
 この作文を書いてくれた方・「つなみ」の製作に携わった方など、様々な方々に感謝しなければならない。


森下 愛弓
 子供の津波に対しての作文とは、こういうものなのかと感じた。
 というのも、最も気になったYちゃんの作文を例にとると、状況は詳しく書かれているが、感情というものはあまり書かれていない。
 想像していたものとは違っていた。
 もっと悲しみや辛かったなど書かれているのではないかと思っていた。
 ましてや、彼女の場合、「お母さんダメかもよ。」と言われて、普通でいられたはずはないだろう。
 しかし、その時の感情は一切書かれておらず、状況だけが綴られていた。
 後半にいくにつれ、前向きな表現、または感謝の気持ちが書かれており、彼女の性格であるのか、悲しみを作文で表現するべきではないと考えているのか、またその時の感情を書きたくないのか、気になるところであった。
 本当の感情は綴られていないのではないかとも感じた。
 「今も津波のことは話たがらない」と彼女の母は語っているが、当然であると思う。
 幼いながら彼女たちは人生で一番の悲しみを味わってしまう事となってしまった。
 地震津波とはこれからたくさんの楽しみがあったはずの子供達の命を簡単に奪ってしまうものである。
 子供達のために私達は何ができるのだろうか、少しでも力になってあげることができるのだろうか。
 この作文集を読み進めるにつれ、不安が募ってしまったが、2月に訪問する際、少しでも喜んでもらえたらなと思う気持ちも強くなった。


川嶋 あやの
 私の心に最も突き刺さった作文は、高田小学校五年生のYさんが書いた『失ったものと得たもの』だ。
 小学五年生というとまだ10才くらいの年齢だろう。
 それにもかかわらず、彼女は壮絶な震災の記憶を詳しく淡々と書いているのだ。
 作文の内容には出来事だけが書かれていて、彼女の心情が読み取れる内容が書かれていないことが印象に残っている。
 後半の方に、彼女の祖父や大切な友達が行方不明になっていると書かれているが、そこにさえ「悲しい」などの感情が書かれていないのだ。
 このことについて、私は、感情が書かれていないからこそ、一層心が苦しくなった。
 作文の欄外に書いてある補足を読むと、彼女は震災についての話を母親にさえもしないそうだ。
 憶測でしかないが、話しをすることや感情を表に出してしまうことは、彼女にとってタブーのようなものになっているのではないだろうか。
 最後の段落の「今の私にできる事は前をむいて進んでいく事だと思う。」という一文は、唯一の彼女の思いだ。
 きっと本心なのだろうが、唯一の書かれている思いが前向きなことなのだ。
 後ろ向きな思いが書かれていないからこそ、前向きなことが空元気に感じてしまう。
 何度か作文を読んでいくうちに、このことを何と表現したらいいのかわからないが、息が苦しくなるような、そんな気持ちになった。


木村 真吏奈
 「失ったものと得たもの」 陸前高田市 高田小学校五年Sさんの作文を読んで
 私が小学五年の頃の記憶は、ほとんど曖昧であるが、この頃大人へと近くので、あの時苦しかったこと、怖かったこと、辛かったこと、その記憶は鮮明に覚えている。
 もし全てを覚えていなかったとしても、体が恐怖を覚えているものである。
 マイナスな経験は、大人になる過程でとても心に深く刻まれる学習だと私は思う。
 この作文には、その時の状況が細かく綴られていて、文章を読んでいくにつれ、その時の気持ちを考えさせられた。
 そして、お父さんの「お母さんダメかもよ。」という言葉には、お父さんと友梨さんの間には違う感情があったように感じた。
 両親や祖父母を失うという経験はまだないが、その辛さは、失った時を考えると自分が壊れてしまいそうなくらい、想像のつかない辛さであると思う。
 お母さんを失ったかもしれないという不安を抱えていた時間は数時間かもしれないが、家族にとっては、何日も過ぎたように感じたに違いない。
 その間も様々な情報が飛び交い、友梨さん達の心に沢山の傷を付けたと、わたしは思う。
 あの震災でたくさんの人が家族や友達を失い、思い出も失った。
 その気持ちを分かりたい、知りたい。と言う人もたくさんいるが、そう簡単に踏み込めることではないと思う。
 「沢山の人に支えられて生きている、前向いて進んでいく」という気持ちに、私達がもっとできることはないのか、気持ちに接する前に、たくさんの知識を得ることから始めたいと思った。


亀村 萌
*「大津波」〜失ったもの・得たもの〜*
 私は、Sさんの作文を前回の演習で読んだ時、とても衝撃を受けました。
文面があまりにも淡々としていたからです。
あまりにも大人びていて、小学校5年生の子が書いた作文だとは到底思えませんでした。
震災が起こった時の描写もあまりにも細かく書いてあるため、とても生々しく感じました。
母親の生存が確認できていない時のこと、親戚が亡くなってしまったこと、普通なら書くのを躊躇ってしまうようなことも多く書かれていて、読んでいて東日本大震災の壮絶さを改めて実感しました。
しかし、Sさんの作文を時間をかけて読んでいると、友梨さんの感情があまり書かれていないように感じました。
他の子の作文には震災が起きて「心配だった」、「こわかった」など自分の気持ちが書いているのにも関わらず、Sさんの作文にはまったく見当たらなかったからです。
私の憶測になるのですが、Sさんが震災で受けたショックはあまりにも大きく、あまり震災について話したり考えたりするのが嫌なのだろうなと思いました。
最後に書かれている「今の私にできる事は前をむいて進んでいく事だと思う」という一文が、Sさん自身に言い聞かせているような印象をうけました。
 Sさんは、自分の感情を表に出さずに、周りを冷静に見れる強い子だなと思う反面、自分の感情を吐き出せる場所がなく、誰よりも苦しんでいるのではないかと思ってしまいました。
 東日本大震災被災された方一人ひとりに失ったものや痛みがあり、それをどう和らげるのか、私達には何ができるのか…。
 復興とは簡単なものではないとSさんの作文を読んで痛感しました。


白須 寛城
 僕はこの作文集を読み進めていて、Sさんの「失ったものと得たもの」という作文のタイトルに興味というより疑問を感じました。
 それは、震災が発生し多くの人やものが失われたが、得たものとはなんだろう?といった疑問でした。
 結論からいうと、作文の最後のページの「その反面〜支えられて生活している。」というのが、一番それらしい文でしたが、イマイチ自分の中では腑に落ちませんでした。
 僕はもう一度Sさんの作文を読み返してみて、最初から最後まで、震災が発生してからの状況が詳しく書いてありで、その時の自分の感情などを書いていないことに気付きました。
 友梨さんは、本当はこの作文を書きたくなかったのではないだろうかと思いました。
 大事な親友や父方の祖母が亡くなったときの日のことを思い出して書きたいとは思いません。
 しかし、Sさんがなぜ書いたのかと考えると、世界各国、全国の人たちへの感謝の気持ちと、より多くの人へ今回起きたことを知ってほしかったから書いたのではないかと思いました。
 だから、自分の感情は押し殺して当日に起きたことを克明に書き、支えられているという感謝にもとれるようなことを書いたのかなと感じました。
 結局、自分では最初に疑問に思ったことの答えを見つけ出すことはできませんでしたが、この作文は、震災の実際の状況をニュースなどで見聞きするよりも恐ろしいほど伝わってきました。
 今後、震災について学習するにあたり、このように感じたことは忘れてはいけないと思いました。


西岡 良
 私が今回の感想文に選んだ作文は、Sさんの『「大津波」〜失ったもの・得たもの〜』です。
 私がこの作文で気になった点は、作文のタイトルが『失ったもの・得たもの』であることです。
 私は二回生の基礎演習の授業の時に、動画で『大津波』が町を破壊していく過程を見てきました。
 その時、私は、『大津波』は町を破壊し、潮が引くのと同時に風景を消し去るものだという印象を持ちました。
 そのような理由で、私はこのタイトルを見た瞬間に違和感を覚えたのだと思います。
 本文を読んでいく中で、Sさんの得たものとは『自衛隊の人、医療関係の人など世界各国・全国の人達』の支えであることが分かりました。
 また、Sさんがタイトル上で『失ったもの』と『得たもの』を同列に置いていることからも、人の温かみの偉大さを痛感しました。
 人々の助けという『得たもの』と対照的なのは、大事な人・大事な家・大事な思い出……という『失ったもの』です。
 これらの喪失については、短い事実報告のように書かれているだけで、どのように感じたのかまでは触れられていません。
 本文に書かれていることの半分以上は、Sさんが体験した震災の実況的な文章です。
 なので、Sさんは、悲しい出来事を悲しいと思っているのか、それとも喪失感しかないのか、それすらもわかりません。
 いずれにしても、悲しみを悲しみと認知できなければ、それを乗り越えることはできないのではないかと思います。
 Sさんは、作文を『今の私にできる事は前をむいて進んでいく事』であると締めくくっています。
 この一言は、悲しみを乗り越えようとする一言ではありますが、支えてくれる人たちに対する(精神的に)大丈夫ですよ、というメッセージでもあるように思います。
 これは、無理をして頑張っているわけではないと考えたいです。
 淡々と状況がつづられた作文とは裏腹に、作文を書いたときにはまだこころは整っていないのではないかと想像されました。


森家 麻悠子
 Sさんの作文には淡々と当時の状況が書かれていた。
 当時小学5年生だった子供が書いた作文なのかと思うくらい冷静に書かれている印象を受けた。
 しかし、その作文には彼女の本当の悲しみは書かれていなかった。
 私がもし同じ経験をしていたら本当の悲しみを書くことはできないと思う。
 文面にすることで受け入れたくない事実、忘れたいけど忘れてはならない事実がはっきりと表され、「もしかしたら立ち直れないかもしれない。逃げてしまうかもしれない。」と封じ込めてしまうだろう。
 私は、以前まで、復興とは壊れた建物を再建したり町を元の姿に蘇らせることだと思っていたが、人々の心のケアをすることも復興なのだと感じた。
 しかし、その復興が1番難しく、私たちの課題にもなると作文を読んで感じた。


石生 幸久
 Sさんの「失ったものと得たもの」を読んで感じたことは、感情を表す言葉が一切使われておらず、「悲しい」などを簡単に言い表すことができないぐらい悲惨だったということを表現していると感じた。
 しかし、小学五年生という年齢を考慮すれば、震災によって引き起こされた現状を受け入れられていないようにも捉えられる。
 私にはSさんがどのような思いでこの文を書いたのか、想像で理解することしかできないが、私たちが被災者の気持ちを理解するのが難しいように、被災者の人たちも思っていることや、考えていることを文章にして伝えることは難しいことだと感じた。


中川 将利
 私は『つなみ 被災地のこども80人の作文集』を読んで、震災時から数か月のリアルな様子と様々被災した子どもの心情が読み取れた。
 行方不明の親族がかえってくるということを信じる子どもや、津波によって多くのものを失ったが得るものもあったという子ども、地震津波の恐ろしさに気づかされた子どもなど、作文によってさまざまな情景が読み取れる。
 この作文集を読んでいて一番印象に残った作文は、陸前高田市高田小学校3年のM君の作文である。
 前半から中盤にかけては、地震が起こり避難した時の様子を綴っており、後半は避難した後の周囲の様子を物語っている。
 その中で、私は、最後の「お母さん、むかえにこないかな!」という文が非常に強く印象に残った。
 この文の直前には、避難後に親が迎えに来て海岸にある家等に行ってしまったために命を落としてしまった人も多数いたという状況が書かれている。
 そのような状況を書いた直後に、母親が迎えに来ないかという心情を綴っていることに深い意味合いを感じたからだ。
 地震が発生し、その後、周囲の人の親が迎えに来ているなか、自分自身が親に会ってこの状況下における不安を取り除きたいのだという心情。
 震災が発生して、少ししてから知った、親が迎えに来て海沿いに行ったことによって命を失った人がいる中、自分の母親は無事なのかという不安な心情を読み取った。
 この作文のみでは来夢君の置かれていたリアルな状況やその後の様子、親に無事に会えたかなどのことはわからない。
 また、私がこの作文を通じて読み取れた内容は、本当に来夢君が思っていたことなのかもわからない。
 来夢君以外の子どもたちも、この作文にはあえて綴っていないが、親の安否や本当の心情や、リアルな状況は本人にしかわからない。
 私は実際に震災を体験していない。
 そのような私でも何かできることはないのか。
 震災によって想像以上に恐ろしい体験をした被災地の子どもたちに対し、このゼミを通じ関わっていく中で、一緒に遊んだり話したりすることを通じ、少しでも子どもたちの心の拠り所になれればと考える。


坂井 友紀
 私が、印象に残った作文はT君の『ガレキの中に立っていました』です。
 文中の「校庭は、地割れが起きて副校長先生の話が、いつも以上に長く感じました。」や、大津波警報のサイレンが「いつもは、ゆっくり、はっきり言っていたのに、今回はそわそわして、あせっているように聞こえました。」の表現から、当時のとても緊迫した状況が伝わってきました。
 この作文を読んでいる私までもが、どこか落ち着かなくなってしまいました。
 やはり小学校6年生にもなると、周りの状況をかなり察していたのだと思います。
 また、町の悲惨な状況を目の当たりにして「これから、どうしよう」という思いが書かれており、現実をあまり受け入れられない気持ちと将来への不安が感じ取れました。
 最後の段落で「学校にも通わせてもらい、野球もすることができました。」や「野球ができる事に改めて感謝しています。」というのを読んで、おそらく野球少年であるT君が好きな野球ができること、つまり好きなこと・やりたいことができるということは素晴らしいことなのだと気づかされました。
 私たちが当たり前のようにできることが、被災地では私たちの想像以上に難しいことを改めて思い知りました。


大西 優
 誰もがいつも通りの日常を過ごせると思っていた3月11日、起きてしまった非日常を書いた作文を読んだとき、私は胸が痛くなりました。
 Tくんの作文は、震災時の臨場感を鮮明に伝えるものでした。
 揺れ始めは、なんだ地震か、と私たちも普段軽い地震が起こったときに感じる気持ちであったのが、次第に揺れは大きく、長い間揺れ続け軽い気持ちが恐怖へと変わっていきました。
 私が生まれてから起きた日本での大地震東日本大震災のみです。この日を境に私は小さな地震が起きた時、それまでと同じような軽い気持ちになることはなく、大きな地震ではないかという恐怖を感じています。
 ただ、Tくんら被災者の人たちの恐怖とは比べ物にならないのだ、と作文を読んだとき、思わず身震いしてしまいました。
 胸の中がなくなる、穴が空いたような、何とも言い表すことができない気持ちになりました。
 私は改めて、この東日本大震災のことはみなが知り、忘れてはいけないことだと感じました。
 被災者の人たちもそれを望んでいることを作文を読んで知ることもできました。
 作文では言い表すことができない、言いたくないことも沢山あったと予想されます。
 まだ自分には何ができるのかわかりません、話を聞くこともまだまだままならないと思います。
 この授業を通して、何ができるのかを考え、できるようになっていきたいです。
 まずは、震災の影響で彼らの生活が、家族がどうなってしまったのか、しっかりと知るところから始めたいです。
 少しでも、何かできないかを考えるためにも。


鍋島 明日香
 私が一番印象に残った作文は、鈴木麻子さんの『消えたもの、もらったもの』です。
 がれきの山や火事の火など、震災で起こったことが詳しく書かれていて、これからもずっと記憶に残るような衝撃的な体験をされたのだと思いました。
 「これからどうなるんだろう」という文に、被災者の不安が大きかったことを感じました。
 鈴木さんは、震災の何日か後におばあさんを亡くされています。
 一気にふたつの大切なものを失ったその悲しみは、想像できないくらい大きなものだったと思います。
 しかし、たくさんの人や物をもらったこともまた、大きなものだったのではないかと思います。
 最後の「世界の人にありがとう、がんばりますと言いたいです。私達は負けません。だいじょうぶです。」という文に強い決意を感じました。


室井 勇人
 改めて子供たちの作文を読みまず考えたのは、子供の苦しみ方です。
 当時の様子を淡々と綴り、弱気な言葉は一切書かず、「がんばっていこう」や「応援よろしくお願いします」と前向きな言葉を書いています。
 ただ、作文で自分の苦しみ、悲しみを素直に書き、表現する方が実は難しかったり、勇気のいることなのかもしれないと思うし、また子供からすると、親に心配をかけたくないという気持ちが一番大きくあると思います。
 これが子供の苦しみ方なのかな思います。
 一方、大人は、「あの時こうしておけばよかった」、「助けに行くべきだった」というような、後悔という苦しみ方をしているのかなと思っていて、その中で、Sさんの『消えたもの、もらったもの』の文中には、「私たちは負けません。だいじょうぶです。」という前向きな言葉と、「もっと、ああしておけばよかった」という後悔の言葉もあり、二つの苦しみ方がある気がしました。
 子供と大人の狭間に立つ中学生という年頃は、とてもつらいものなのではと思いました。



永尾 香織
 私が印象に残った作文は、松野 礼さんの「あれが高田なのか」です。
 はじめに、作文の題名から、震災が発生して地震津波などの被害を目の当たりにした人々の心境を如実に表していると感じました。
 そして、津波で流されている町を「町が海のようになっていた。」と表現していて、どれだけの海水がこの町を襲ったのかがわかるような文章であるとともに、それを目撃したMさんの心情はどんなものだったのだろうかと思いました。
 そして、それらのすべてが「あれが高田なのか」に繋がるのだろうなと思いました。
 Mさんの作文の中では、当時の状況や自身のとった行動を綴っていますが、あまりその時に感じた自身の感情などを書いていないことがあるなと思いました。
 私自身の勝手な憶測になってしまいますが、この震災で受けた心の傷をあまり表に出したくないのかな、と思いました。
 そして、憶測でもう一つ考えたことは、なぜこの子は「つなみ」に載せる作文を書いてくれたのかということです。
 これは、個人個人で様々な理由があると思いますが、震災が起きてからの自身の心の整理をするために作文を書くことを決めたのかもしれないと思いました。
 なぜそう思ったかというと、作文を書くことで、自身に起きた出来事を振り返ると同時に、その時に感じた感情は作文に書かなくとも自分自身は思い返すことができるからだと思いました。


西澤 美緒
 私は「つなみ」を読んで、陸前高田市高田小学校三年生のNちゃんの作文が一番印象に残りました。
 その理由は、彼女の作文が、地震が起こった当時の状況を事細かに綴っており、小学生らしいストレートな言葉の表現がよりその情景を鮮明なものにしていると感じたからです。
 私の住んでいる、震災の被害を何も受けていない地域では、当時津波が家や車をさらっていく映像が淡々とテレビに映し出され、被災された方々がどれほど怖い思いをして、どれほど生死が隣合わさった状況の中で過ごされていたのかなど知る余地もありませんでした。
 しかし、この作文の中で、津波が来たときのNちゃんの「街がなくなる」いう心の描写がとてもリアルであり、また”ドミノのように”電柱や建物が倒れていくという表現も、その状況が頭の中で再生できるほど、地震津波による被害の大きさ、深刻さが伝わりました。
 また、いとこや親戚などとみんなでリビングで毛布たった一枚で寝たり、電球の代わりに懐中電灯を逆さまに立てて過ごした、という文章から、地震津波という経験をした後、さらにそのような過酷な生活を強いられていたのかと思うと、胸が痛くなりました。
 これだけ大勢で寝るのなら毛布一枚だと絶対足りなかっただろう。
 懐中電灯の明かりだけなら、夜、小学生のNちゃんなら怖くなるほどの暗さだったのだろうと思いました。
 「地震”なんか”起きなきゃよかったのに」。
 友達を亡くしたり、転校によって離れ離れになったりしまったNちゃんの津波「なんか」という言葉は、とても重く響きました。
 「震災の記憶を風化させてはいけない」。
 その意味が、今回、分かった気がしました。


立花 慶太
 Cちゃん(大槌町)の作文を読むと、津波の鬼気迫る状況がとても伝わってきました。
 津波の出す地鳴りと襲ってくるときの津波の特徴を描いていたので、とても想像しやすかったです。
 私がこの作文を読んで、一番津波に恐怖した場面が、誰かが山の頂上から津波が来た町をみて「山に火がついている」と言った場面です。
 この文章を読んだときは驚きました。
 なぜなら、町には津波という水が来ているのに、それを「火」と例えていたからです。
 津波に火がつくなんて、今まで見たことも聞いたこともなかったので、火がついている津波を想像するだけで恐ろしくなりました。
 実際にその津波を見た子供たちは、私が恐ろしく思ったことよりも、どれほど恐ろしく感じたか。
 とても想像できません。
 Cちゃんの作文を読んだことによって、津波の恐ろしさが、今まで思っていたよりもはるかに恐ろしく思えることができました。
 地震が来た時には、必ず津波にも気を付けなければならないという大切さを学ぶことができました。


竹内 寛樹
 私が一番印象に残った作文はYさん(大槌町)の「お母さんを必ず見つけます」でした。
 Cさんの「お母さんを必ず見つけます。」という言葉、必ず見つけたい、また仲良く暮らしたいと思う気持ち。
 そして、その言葉を最後に書いて、みんながんばろう、と。
 小学生5年生という小さな子供の精いっぱいの言葉なのかなとおもいました。
 ただ、お父さんにさえ口を閉ざしてしまうというのは、自分には理解できませんでした。
 震災にはこういう形の被害がまだまだ数多くあるんだろう。
 人の心までをも引き裂いてしまうような悲しみを、読んだ自分だけのものにしては絶対にいけない。
 「震災を風化させないために」とよく言いますが、この本の中にたくさん詰まった悲しみも風化させないために、明日へ繋いでいかないといけないと感じました。


【参考】
 『岩手日報』2015年10月21日付「心安らぐ暮らし急務 高田小(陸前高田)


 高田小 陸前高田市高田町にある小学校。東日本大震災津波で校舎1階と校庭が浸水した。震災時にいた児童437人のうち273人の自宅が全壊。家族と避難する途中で児童7人が犠牲になり、親を亡くした児童は58人(11年4月調べ)に上った。震災に伴う市外への転出などで児童数が減少し現在は222人。学校のインフラは既に復旧し、校舎前には災害公営住宅・下和野団地が完成。仮設住宅から下和野団地に移った児童もいるが、現在も47人が仮設住宅から登校している。(同上『岩手日報』より抜粋)