(昨日まで陸前高田に行っていてブログ更新が滞っていました。すいません。)
6月18日に大船渡市綾里で開催された、気仙式の手もみ製茶法の体験講習会の続きです。
■「蒸籠(せいろう)」で蒸す
蒸籠への投入準備の様子。

「葉は前日に摘んで、(乾燥しないように)畝みたいにしておく。午前に摘んだ葉には霧吹きする。午後に摘んだ葉は、霧吹きしないで、畝にしておく。」(道子さん→前田事務局長)

平山道子さんが、ひとザルずつ蒸籠に投入していき、長箸でかき混ぜています。
「昔は薪の火だからね。もっと強いんだけんどね」(道子さん)
「お茶の香りがしてくっからさ」(道子さん)
■「揉み板」で粗揉み

すぐに揉み板で粗揉み。
平山伊志雄さんによる揉み方指導
「(蒸籠から取り出した葉は)ウチワであおがなくてよい」(道子さん)
「(手の加減は)往きは強め、戻りは弱め」(伊志雄さん)。
「粗揉みの時は、縄の目も粗いほうがいい。土風炉さ行ったら目が細いのを使う」(道子さん)
Q.【何年くらいまで、こうやって手もみでやってたんす?】(会員)
A.「40年以上やったな」(道子さん)
Q.【体が覚えているんですね】(会員)
A.「うん。だから、こんなの[新しい縄を巻いた揉み板]も作ったのす」(伊志雄さん)。

こちらの、縄の目が細かい揉み板は、千田家で保存されてきたものです。
茶渋が着いていて、かなり使い込まれたものです。

親の代から子の代へ 子の代から孫の代へ
手から手へ伝承されてきたお茶
それが気仙茶。
■「せいろ」の上にセットした「もみ板」でもみ・乾燥

せいろの底の温度を手で確かめている道子さん。
温度が低いと葉がひっついてしまうので、少し炭を足しました。

粗もみの終わった葉をせいろに投入。

せいろの全体に葉を広げ、ほぐし、乾燥させます。
その後、揉み板で揉んでいきます。
「もみは伊志雄さん! こんどは あなた 一生懸命 稼いでくだせ〜」(道子さん)。

この千田家の揉み板は、せいろの寸法と、もみ板の縄巻部の寸法とがちゃんと合っていました。
また、揉み板の端には木のストッパーもついていて、もんでも、板がせいろからずり落ちないような構造になっていました。

もみ板を2枚使って、せいろの両側から4人で揉んでいます。

「けいさつ なずみっこ すばるように やんの」(道子さん)

「ん??? 道子さん、もう一回、言ってくれますか?」(前田事務局長)
「んだから ちからっこ いれねぇで やること」(道子さん)
揉み方のコツの話だそうです。
菊池会長の通訳によれば、道子さんは、
「警察が馴染みの人を縛る時のように優しくやる」
と仰っていたのだそうです(笑)。

「昔は、もみ板は、こういう小さいやつじゃなくて、もう少し幅が大きかった。」(伊志雄さん)


「そろそろ、いい香りがしてきた〜!」(一同)

「アロマテラピーみたいだね〜」(一同)
家族や親戚がつどい・つくる「クローズドな自家用茶」から、
よそ者も参加し地元の年配者に教わりながらつくる「オープンな自家用茶」へ
新しい気仙茶のカタチが見えてきたような...予感 !

平山さんの手。

しばらくしたら、せいろからもみ板をはずして、ほい炉+助炭の上で、手もみ作業に移ります。
■「助炭」の上で揉み・乾燥

道子さんは、両手で揉み切りをした後、片手で葉を軽くつかみ、もう片方の手で上に引っ張って伸ばしています。
「ぎっちり掴まねえんだよ。」(道子さん)


「ねばり きたら こころ ゆるすな」(道子さん)。
「おきゃくさんきても おちゃっこ いれるな」(道子さん)
「葉に粘りが出てきたら、より一生懸命に揉め」ということだそうです(前田さんの通訳による)。
「茎が入ればお茶の味が良くなるの」(伊志雄さん)。
「茎を入れないと、お茶の味が出ない。葉っぱだけだと香りが足りない」(道子さん)。


ほい炉の側面です。
平山さん宅のほい炉は「大工さんが作って、左官屋を頼んで」製作されたそうです(伊志雄さん・道子さん)。
気仙大工さんが製作したのですかね。

道子さんの足元。
モンペと小学校指定上履き、短めのソックスとをコーディネート。
少しだけ素足を出すのがチャームポイント。
岩手のおばあちゃんは、めちゃめちゃオシャレでクールです!
関西でも流行らせようと思います(笑)。

学生達の足元。
こちらは、モンペと地下足袋とのコーディネート。
この地下足袋は留め金が多いのでマイナスポイントですね。
履きやすさでは、断然、小学校の指定上履きのほうが勝ります。
岩手のおばあちゃんに軍配があがりそうです(笑)。

そうこうしているうちに、だいぶお茶らしくなってきました。
いい香りです!
■自分で摘んで手もみした気仙茶を淹れて味わう !

南部鉄瓶の出番です。

前田さんが淹れてくださいました。

下記は永井レポート。
「そのお味は…口に含んだ瞬間、じわーっと何かが流れ込んでくるような、そしてふわっと湧き出てくるものがあって、最後にうるっときてしまいました。
こんなお茶は初めてです。
その後、前田さんが、『震災後いろいろありましたが...』のお話をされているとき、何故だか私までもが今までの出来事を走馬灯のように感じ、涙してしまいました。
気仙茶は、人と人とをつなぎ、今までの歴史をいっしょに感じながら飲むお茶なのかもしれませんね。
こうした体験は、お茶の本当の深みを味わえるものだと感じました。」
【追記】
気仙地域で継承されてきた手もみ製茶法は、伝統的な手揉みの「宇治製法」とどう違うのでしょうか。
この問題に答えるには私の乏しい知識ではとても難しいですが、少しでも手がかりを探るために、まずは、京都府が「農の匠」として認証している辻四朗氏と山下壽一氏の技をYouTubeでご覧ください。こちらです。
この動画を見て最初に気づくことは、「気仙地域ではもみ板が使用されているのに、宇治製法には使用されていない」ということでしょう。
(1) 宇治製法の特徴とその歴史
まずは、日本茶のスタンダードな製法と言われている宇治製法の特徴とその歴史についてですが、京都府茶業会議所のHPには、下記のような記述があります。
「江戸時代中期(18世紀中頃)には、宇治田原湯屋谷の永谷宗圓により、蒸した茶の新芽を焙炉の上で揉み乾燥させる、画期的な宇治製法(青製煎茶法)が生み出された。
この製法によるお茶は、まず江戸で売り出され評判になりその後、全国各地で好評を博すとともに、宇治製法も、全国の産地に広められ、現在も日本茶製法の主流となっている。」
見られるように、「新芽」を「蒸し」「焙炉の上で揉み乾燥させる」「煎茶」が宇治製法の「画期的」な点だと理解することができます。
(2) 永谷宗圓による発明以前の製茶法
では、永谷宗圓による発明の以前には、どのような製茶法が普及していたのでしょうか。
中村羊一郎『番茶と日本人』(吉川弘文館)は、蒸して揉む製法について、永谷宗圓による発明の前に、それを予感させるような様々な工夫が無名の人によって積み上げられている、と指摘した上で、享保17年(1732)頃に刊行された三宅也来『万金産業袋』の記述に注目します。
「也来は煎茶の製法をおおよそ次のように記している。
煎じ茶の作り方は、三月下旬から四月下旬にかけて茶園の芽の様子に応じ
て摘み、生葉を笊甑で蒸し、それを揉み盤といって、竹に縄をあみつけた
ものの上で力を入れて揉みたて、筵に広げて日に干し、ついで焙炉にかけ
る。
・・・宇治茶の歴史に詳しい若原英弌氏が指摘しているように、じつは宗円以前に蒸し製煎茶の作り方は、すでにほぼ開発されていたということになる。ただし、宗円の製法との大きな違いは、まだ揉み板の上で揉み、かつ天日に干している点である。天日乾しの茶にはどうしても独特の臭い、専門の茶商の言によると、日向臭さがつくという。また縄の上で揉めば藁臭さも付着する。こう考えると、宗円はこうした諸問題を解決するために、種々の工程を整理して、蒸して和紙を貼った焙炉の上で揉む、という今日の蒸し製煎茶製法の原型を作り上げたということになろう。」(pp.148〜149、ちなみに、中村氏による『万金産業袋』の要約には不正確な箇所が含まれていますのでご注意を)
三宅也来『万金産業袋』は、日本経済叢書刊行会編『通俗経済文庫 巻12』(1917年)に所収されており、その写しは、国立国会図書館の近代デジタルライブラリー上で閲覧することができます。こちらです。「巻の六」に、中村氏が要約した「挽茶幷(ならびに)煎茶」の章の原文があります(コマ番号は120-121、p.225)。
また、『生活の古典双書5 万金産業袋(三宅也来、吉田光邦解説)』八坂書房、1973年もあります。
形式的な話ですが、生活の古典双書版の『万金産業袋』で「挽茶幷(ならびに)煎茶」の記述の分量を見てみると、全体でわずか2頁強、煎茶の製法に関する記述だけを見ると半頁(数行)です。
吉田光邦氏の解説によれば、異本が多数あり、刊行年次は不明で、著者の三宅也来がどのような人物なのかも不明です。
中村羊一郎氏が『番茶と日本人』で展開された所説には賛同できる点がたくさんあるのですが、『万金産業袋』を根拠に何かを裏付けるのは難しいのではないでしょうか。
また、そもそも、永谷宗圓による「宇治製法の発明」以前の製茶法を問うのならば、『番茶と日本人』において、『農業全書』(1696年刊)に関する言及が「湯びく茶」と「唐茶」の製法のみで、(宇治茶に関する記述と考えられる肝心要の)「上茶」の製法について言及されていないのはなぜなのでしょうか。
私にとっては、こちらのほうが大きな疑問です。
(続く)










