■平井
伊達ゼミ3回生一同は、9月14日(月)〜17日(木)に2回目のゼミ合宿に行ってきました。
場所はもちろん前回と同じく岩手県陸前高田市です。
バスから見えた巨大ベルトコンベヤーのある景色。
まもなくベルトコンベヤーは撤去となるようですが、私が思った限りでは、半年前に見た風景と変わっていたのは、土地の高さと所々に花や植物が植えられていることで、あまり大きな変化は見られませんでした。
初日はイオンに買い出しに行き、今回もお世話になる鈴木旅館に帰り、鍋の試作やミーティングをしました。
2日目
朝、仮設班でミーティングをし、集会所に着いて、再びミーティングで共有や確認をしました。
2人1組に分かれ、私は、若林さんと、震災前後の健康変化のチェックをするために、まずは仮設で1人暮らしをしている方を訪問する予定でした。
はじめに訪問に向かおうとしたAさんとBさんが仮設前のベンチに座ってお話しされていたので、私たちもそこに入れてもらい、半年ぶりの再開から話も盛りあがりました。
AさんとBさん、Cさん
AさんとBさんは、日常的に陽に当たったり、歩くことは欠かさずしているとのことでした。
Aさんは、とても生き生きとしてらっしゃって、かわいい孫たちの自慢をたくさん話してくださったことが印象的でした。
大学生と社会人のお孫さんは、遠くに住んでおり、あまり会えないのが残念そうです。
Bさんも、お子さんの話をしてくださいました。
話が進むうちに、
「いつも万歩計をつけて歩いてるけど、最近は体を動かすことがちょっとしんどく思う。料理も洗濯も、何もかも面倒臭くなってしまった。カラオケとかは好きだねぇ。万歩計があるから、頑張って歩いているけど、一中前の急な坂はさすがにしんどい」
と、本音も語っておられました。
2月の合宿の時と比べ、少し元気がなくなったようにも見え、少し心配になりました。
震災当時の話もしてくださいました。
「避難当時、3日から1週間近く、食料が不足していた」。
「いま茨城で家が流されたりしてるでしょう。それ見てると私達は幸せなのかなぁってね。私達も大変だったけど、今はね・・・」と、「幸せ」とまでは言えないが、震災直後と比較すると「だいぶ幸せだ」と言っておられました
少し肌寒かったので、日なたに移動すると、お互いの方言の話になり、教えてもらいました。
「お茶っこ」、「あめっこ」のように「〜っこ」とつけたり、日射病(熱中症)は「火に通される」と言ったり、ポスターにも書いていた「はまってけらいん、かまってけらいん」は、「みんなで話しましょう、輪に入りましょう」といった意味があるようです。
さて、日なたの目立つ場所に移動したこともあり、教えてもらったばかりの「はまらいん」を使う機会が増えました。
はじめ4人だった輪は、ゼミ生も近隣に住む皆さんも来て、どんどん広がり、朝のお茶会が始まりました。
お茶やお菓子、パンなど、皆さん家から何回も持ってきて、おもてなしをしてくださいました。

そこに集まっていた皆さんは、自力で歩けたり、基本的には毎日歩くようにしているという方がほとんどでした。
Cさんは、震災前に一度寝たきりの状態になったことがあるそうです。
しかし、その時に、整骨院に通い、頑張った甲斐あって再び自分の足で歩けるようになったと教えてくださいました。
残念ながら、その整骨院は、津波により流されてしまったそうです。
Dさん
いろいろな方と話しているうちに、Dさんという方ととても仲良くなりました。
「足はとっても元気で、病気もほとんどしたことないんだけど、目は昔から良くなくて、左目が今ほとんど見えない。」
と教えてくださいました。
また、DさんがAさんにひそひそ話をはじめ、
「何と言ったのですか?」
と聞くと、
「みんな可愛いから、『養子縁組で、孫にもらいたいわ』って言ってたの。」
と冗談交じりで答えてくれました。
時々、手をぎゅっと握ってくれたのがうれしくて、心が落ち着きました。
お茶会は、昼ご飯時になっても続き、お漬物やおにぎりを握って持ってきてくださいました。
とてもたくさん食べたので、お腹がパンパンになりましたが、美味しかったです。
モルック
昼過ぎ。「モルックが始まるから、おいで!」
との声を聞き、集会所へ向かうと、あの懐かしい「踊りの会」の皆さんがいました。
「モルック」という、ボーリングとビリヤードを足したような新感覚のゲームを教えてもらい、そこに居合わせたゼミ女子VS踊りの会の皆さんで3ゲームもしました。
予想以上の白熱ぶりで、両者とも本気のプレーでやったので、本当に楽しかったです。
モルックを終え、お茶っこ休憩を皆さんととった後、「東京音頭」「チャオチャオ」「高田音頭」の3つの踊りを教えてもらいました。
チャオチャオには「元気?元気だよ!」という意味が込められています。
3曲とも、ある程度までいくと繰り返しがほとんどなので、踊りを覚えるのが得意でなくても、みんなで楽しく踊れました。
最後に、Fさんが、(私は洗い物をしていて、直接受け取っていませんが)手作りの動物や果物の刺繍を私たちに手渡してくださいました。
GちゃんとFさん
夕方。
外に出ると、ちょうどGちゃんが帰ってきました。
「私のこと覚えてるかな?」と聞くと、
「うん。」
と答えてくれてうれしかったです。
GちゃんとFさんと話していると、Fさんが、
「Gちゃんは何になりたいとか決まってる?下の孫はね、4歳の時、『お医者さんになる』って言ってたんだよ。」
と明るい声で、でも少し悲しげな様子で、そうおっしゃいました。
Fさんは、震災で伴侶と2人の孫を亡くされたたそうです。
10分ぐらい話していると、BRTの時刻が迫ってきたので、
「また明日ね!」
と言って、集会場をあとにしました。
1日目。目的・趣旨とはちがうこともしてしまいましたが、前回の合宿では一人ひとりの方の話しをたくさん聴いたり笑いあったりがあまりできなかったので、今回、一日を通して深く関わることができて、とてもよかったです。
気仙茶の会
BRTに乗り、脇ノ沢で降り、少し坂道を上って、気仙茶の会の皆さんと先生とゼミ生全員と合流し、交流会が始まりました。
はじめのほうはあまり話に行けなかったのですが、及川さんのところに行くと、この地域と産金の歴史を語ってくださいました。
その後も、勉強の話つながりで、
「私はいつもギリギリセーフを生きてきたちょっとずるい人間なんだよ。でも勉強の基礎は必ず大事にしてきたから今がある。勉強も、社会も、震災が起こっても、何があっても基本に帰ることが大事だよ。」
という言葉をいただいて、なんだかすっとした気持ちになりました。
同時に、とても大切なことを教えてもらったと思いました。
「なんか説教じみた話になって、すまんね。」
というところや雰囲気、生きる上での大事なことを教えてくれるところなど、私の祖父によく似ていたので、及川さんと話しをしていて、私は勝手に親近感を持ちました。
最後のほうは小山副会長さんと話し、名刺をいただきました。
その名刺には2本の松の幼木の写真がありました。
「命名してくれた人の名前、見てみ〜。」
と言われたので、よく見ると、アンパンマンの作者やなせたかしさんの名前があり、とても驚きました。
やなせさんにお願いすると、快く引き受けてくださったそうです。
小山さんは、震災直後から、毎朝、毎晩欠かさず、「奇跡の一本松」に水をやっていたそうです。
そんなある日、2本の松の幼木が落ちていて、調べてもらうと、「奇跡の一本松」の幼木でした。
しかも、挿し木を10回試みた結果、2つが成功したとのこと。
小山さんは、
「奇跡の一本松からのプレゼントだと勝手に思っているよ。」
と嬉しそうに話しておられました。
「この2本の幼木は、『震災はいつどこで起こるかわからない』という気持ちも込めて、誰でも見に行けるところに置きたい」
と話しておられました。

3日目
前日、皆さんからたくさんおもてなしをしてもらったので、今度は私たちがお返しをする番です。
棒サッカーの準備や鍋の具材を用意して、開始時間が刻一刻と迫ってきました。
15分前ぐらいから少しずつ鍋パーティー&お茶会に、そして私たちゼミ生に会いに、仮設から足を運んで来てくださいました。
この日は天候がよく、暑く感じるぐらいでしたが、開始時刻の正午にはほぼ満席で鍋パーティーを始めることができました。
「嫌いなものもないし、あなたたちが作ってくれたんだからなくなるまで食べるよ〜!」
と言って、野菜も海鮮もたくさん食べてもらえました。
鍋パーティーが終わると、ほとんどの人が帰ってしまったので、棒サッカーの参加者が少ないのではないかと少し心配になりましたが、休憩を済ませた皆さんがまた集会所に戻ってきてくださいました。
主審の江崎くん中心に、ルール説明やチーム分けをして試合開始。
予想を上回る白熱ぶり!

子どもからおじいさん、おばあさん、ゼミ生も一緒になって各チーム一丸となって、優勝を目指してゴールを決めていきました。
優勝チームには、キラキラの手作り冠が贈呈されました。
皆さん、とてもよく似合っておられました。
Hさん
試合が終わり、残っていた皆さんとお話をしました。
優勝チームのおひとりである、Hさんとしばらく話しました。
「どんなことでもいいから、いつも趣味を持つのがいいよ。」
と教えてもらいました。
Hさんは、震災前は日本舞踊を習っていましたが、震災で教室が流され、ほとんど踊らなくなってしまったそうです。
本当に日本舞踊が大好きだったのだと思います、たぶん今でも。
「次に会う時には、日本舞踊、見せてくださいね!」
と約束を交わしました。
Iさん
もう一つ、棒サッカーの時にとても楽しんでくださったIさんがいたのですが、皆さんの話によると、Iさんは、「今までは、普段、仮設の外に出ることがほとんどなかった」そうです。
笑顔がとても印象的な方だったので、とてもうれしかったです。
集会所を出る準備もでき、しばしの別れを惜しみながら、それぞれ皆、話をしたり一緒に写真を撮ったりしました。
お世話になった皆さんの名前を覚えたくて、覚えてほしくて、前回をはるかに上回るくらい名前を連呼しました(しつこくてすみません)。
中には、私たちの名前をメモに残してくれた方もいました。
もし次にお会いするときに名前を忘れられていても、「あの時これを一緒にした・・・」という記憶が皆さんの心に残っていたらいいなと思います。
そして、思い出と新しいお話しができることを楽しみにしています。
最後の晩餐。
今回は残念ながら全員ではできませんでしたが、仮設班は鶴亀鮨さんにお世話になりました。
帰り際に、鶴亀鮨の大将と一緒に、全員でカラーテープにまみれて写真を撮りました。
大将が
「龍谷大学!」
と何回も言ってくださいました。
この2日間関わってくださった皆さん、そして4日間を共にしたゼミ生のみんな、伊達先生、ありがとうございました。